受け身と腹の中身
国王は面白そうに俺を見ていた。
俺の反応が面白いのか。
でもこんな反応は当然だろう?
どこのガキが、いきなり国王の側妃になれ、と言われて笑えるんだ?
すぐさま諾と答えられる?
あんたはそれが分かっていて、俺の出方を面白がっているんだろう?
俺はぐるっと頭の中で、そんな言葉を巡らせた。
そして。
「ええ、お引き受けいたしましょう」
その言葉に諾と答えた。
敵前逃亡? そんな言葉は、国王の権力の前には意味をなさない。
あのなあ、普通に考えてもこの世界じゃ、時速100キロの速度の生き物なんていないんだぜ。
ここから否定をして逃げだしたって、俺の能力のを欲しがっているのだろう国王が、俺を捕まえられないわけがない。
悪い事が重なれば、親方が人質になるかもしれない。
キャシーは放っておいても問題ないけれども、親方はただの人間なのだ。
俺の恩人を、俺は危険にはさらせない。
それに、否定して逃げ出して、そんなのの結末として籠の鳥のような状態、だってありえるんだ。
それをしない、絶対にしない、と言えるほど、俺は国王の事を知らない。
何も知らないと言っても良い相手だ。
最悪や、恐ろしいパターンをいくつか考えるのは、ごく自然な事でしかない。
しかし、俺の言葉に国王は、目を瞬かせた。
その心底不思議そうな色合い。
あんたがなれって言ったんだろうが。
俺は内心で毒づきながらも、目の前では落ち着いた顔をして見せた。
客商売を続けていれば、これ位の演技はお手の物だ。
いくら疲れていたって、笑顔で居なくちゃいけないバイト先だってあったのだから。
うん。
笑顔が足りない、と疲れ果てた俺の背中を叩き、檄を飛ばした男を俺はちらと思い出す。
あの人どうしてっかな。
まあ考えても意味がないんだが。
俺はあちらに帰れないのだから……
「本当になるのか?」
「国王陛下のお言葉を、私なぞが否定できると思うのでしょうか?」
俺の言葉や態度に、国王がまた笑った。
「なるほど、少年、なかなか物わかりのいい頭をしているようだ。……ふむ、どこの離宮に少年を入れてやるか」
「陛下、本気で?」
宰相が焦った声で言う。それはそうだ。
こんなのを王宮の宮の一つに入れる事など、前代未聞に違いない。
真っ青な顔と卒倒しそうなよろめきかた。
俺は内心で同情してしまう。
そうだよな、上の我儘につきあわされる人間てのは、いつだって大変な物だ。
俺はそれも知っている。
中華料理屋の無茶ぶりはすごかったっけな。
俺は三時間、中華鍋を振り続けた事がある。
本当は休憩時間だったのに。
しかしその後、きちんと休憩時間は訪れたからよかった。
ようはまあ、忙しすぎて、人を休ませられなかったという事でしかない。
だから何周年記念フェアなんてやるなよ、と仲間と言いあったんだが。
懐かしい事を思い出しながら、俺は国王と宰相を見ていた。
更にあちこちの気配を探る。
見張りの兵士たちも、護衛の近衛兵たちも、驚いているらしい。
そうだろうな、国王はいま思いついた、という調子だ。
影のように控えている事がモットーの奴らだって、この言葉は初耳だろう。
逃げ出そうなんて思っていない俺とは違い、彼らは俺の逃走にも身構えているようだ。
俺はちょっと肩の力を抜いた。
「本気だ。余はこの少年を側妃として迎え入れる。なに、洗えばなかなか見られる顔だとは思わぬか」
俺はちゃんと顔を洗ったし頭も梳かした。
俺は思わずぶすくれた顔をしてしまう。
それを国王がちらりと見て、笑う。
「余の側妃は今のところ一人もいない。いまさら一人程度抱えた所で、問題はなかろう」
「陛下!」
宰相の焦る声。
ああ、確かに今、一人も側妃のいない国王が、どこの人間とも知れない俺を、側妃として迎え入れるのは、色々危ない面があるんだろう。
そんなの、国王だって初めからわかっているに、違いない。
それでも、俺を囲い込む事にしたんだろ。
一体俺はどれだけ買われているのやら。
確かに、俺と同じ事が出来る人間が、この国にいるようではないのはわかるが。
「何もこんな少年を」
「決定は決定だ。バスカーニャ」
国王の言葉のおかげで、俺は宰相の名前を知った。
使う事になるとも、思えない名前だが。
国王は宰相の、静止の言葉を切り捨てて、こう言った。
「本日付だ、少年。そうだ……夜の離宮が空いていたな、そこに行くように」
「夜の離宮に?!」
宰相の声がひっくり返りそうになる。
夜の離宮に何が隠されて、いるのやら。
面倒が一気に迫ってきたぜ。
……それにしても、国王は俺を側妃にして何をするのやら。
どっかの国の乗っ取りなんてできないぜ、俺を利用したってな。
「衛兵、少年を夜の離宮に案内しろ」
「はっ」
衛兵が、引きつった声になりながらも即答して、俺に近付く。
「こちらへ」
「あの」
俺はここで思い出した。
親方たちに伝言を。
ぶーちゃんに連絡を。
しなかったら、ぶーちゃんが俺を探してさまよってしまう。
そんな事はかわいそうだ。
だから誰かに知らせなくてはいけないのだ。
俺がこの王宮に入れられてしまうという事を。
「安心しろ、少年の保護者には連絡を回しておこう」
国王はそう言った。
それならいいか。
国王が、外聞の悪い事をしようとはしないだろう。
子供をさらったなんて。
俺は見た目の幼さに感謝しつつ、衛兵の後を追った。
逃げるってのは、頭になかった。
逃げ出してどうこうなる、事でもないのだから。
ただ。
「店どうしよう」
俺は真剣にそこを悩んだ。
「学校も途中」
俺はまだこの世界の常識を、半分以下しか知らないぞ。
呟いた俺の声を聴き、衛兵が俺に同情的な顔をした。
学校も途中の子供を迎え入れる、なんていうどこのロリコンなんだ、という事をしてくださりやがった国王に、思うところもあるに違いなかった。
しかし、この国の王はわりあい名君だと世間様は言っていた。
下々は王権に対して、政治に対して、すごく敏感だし、あけすけな事を言う。
この国では、国王の政治に関して、言いたい事を言う事が出来る風潮がある中、国王への表立っての批判がない時点で、そこそこ名君だ。
だから、何か国王には思う事がある、と兵士たちも自分を納得させているんだろう。
だがな。
「本当にどうしよう」
側妃になったら、王妃、正妃? どっちだ……に、挨拶でもしなきゃならないのかね。
大人と子供位の年齢差は、きっとあると思うんだが。
まあいい。
「考えるのよそう」
俺は小さく言った後、ポケットの中身を探った。
折り畳みナイフが、俺に大丈夫、と言ってくれている気がした。
どこでだって俺は生きていける。
大丈夫。
俺は根性と生命力は、雑草レベルだ。
だから何にも問題ない。
俺は心の中に言い聞かせた。
言い聞かせた後に、国王の魔素太りの腹を思った。
側妃って事は、あの腹に押しつぶされる目にあうんだろうか。
俺でも潰れるぞ。って事は。
「絞らせるのか……」
まあある程度までは、簡単に魔素太りは落とせる。
脂肪よりも簡単に消費できるのが、魔素というものだ。
ただし、簡単と言っても手順は、人によっては面倒だが。
ちなみに。
人間の魔素の許容量は、千差万別。
同じ量を摂取しても、魔素中毒で体を壊すやつもいれば、魔素太りという症状に現れてくるやつもいる。
本当に体質なんだよこれは。
だから、俺は国王が腹を絞るために、努力してみよう。
それまでは何とか、のしかかられるのを回避しなくては。
国王が俺をそう言う目的で、側妃にしたとは考えにくい部分があるし、きっと俺の浄化の力目当て何だろうが。
お手付きにならない側妃なんて、怪しさ全開だから、一回は手を出される確率ってのが高い。
あー、嫌だな。
嫌でも、どうにかできるわけでもない俺は、ここは流されるままにやってみるしかないとあたりをつけていた。
流される中でも、自分の意思をどこかに突き立てるのは、俺のささやかな抵抗かもしれないが。




