厨房と砥石と
結局。一時間たっても食事は来なかった。胃袋も限界だ。俺は三食抜くなんて言う事には慣れていない。
仕事がどんなに忙しくたって、どんなに神様たちのお願いがハードだったって、食事を抜いた事はないのだ。
そのため非常にイライラする。俺はお腹が空いたり喉が渇いたりすると、容赦ない人間になるし、おまけに言えば短気に拍車がかかる。
俺は意を決して立ち上がった。
扉を開けようとする。しかし扉は鍵がかかっていた。
なんでかかってんの? 俺の事閉じ込めたいの?
いよいよ本気で、あいつらが俺を餓死させたいんじゃないかって気分になってきた。
窓から出て行こうと思ったら、窓が俺でも通れない位小さかった。どんな柔軟な人間でも、あの窓を抜ける事はできないに違いない。
窓から飛び降りられるはずだったんだけどな……。
俺は数秒考えてから、ポケットを探った。スーツのポケットには不釣り合いな折り畳みナイフが現れる。
のこぎり付きの折り畳みナイフである。某スイスの有名なメーカーのやつだ。これを買うのに一週間悩んだが、色々便利な仕様になっていたので結局買った。
そして日常生活でも重宝していた愛用品なのだが、ここでも役に立つのかお前は。
そんな事を思いつつ、俺は扉を調べた。普通の木製の扉に、鍵がついている仕様だ。
これならこのナイフののこぎりで切れるな。
俺は扉に耳を押し当てて、物音がしない事を確認した。
大丈夫そうだ。
俺はぶすっとまず大きい刃でのこぎりが突っ込める穴をあけた。
それから、鍵穴の周りをのこぎりで切った。鍵の所だけくりぬくような感じだ。
そして数分で、扉は鍵の機能を失った。
俺はそこでもう一回、耳を押し当てて音を確認した。
人の気配はない。俺はこれでも人の気配を探るのがうまいから、まず間違いないだろう。
俺はそっと、そこから抜け出した。
城の造りも間取りもわからないんだが、ここまで案内された時に、色々見えた。
それをあてにして、堂々と、何も問題のないように歩く。
それでも、人が通る時は物陰に隠れた。
俺の衣装が、この世界の衣装と大きくかけ離れているからだ。
目立ちまくりでもある。
俺はそれでも階段を下りて、中庭らしき場所に到着する事に成功した。
誰かに厨房の事を聞けたらいいんだけど……
「お前なんか出ていけ!」
次の瞬間、すごい怒鳴り声が聞こえてきた。
なんだ?
俺は首を巡らせて、声のした方向を確かめた。
料理人らしき見た目の男が、一人の青年を追い出しているさなかだった。
あっち厨房かな?
俺はてくてくとそこに歩いて近付いた。
「親方! お許しを!」
「お前が食材を横領してるのは証拠が挙がってんだ! 出て行かせるだけで温情だと思え!」
「お許しを!!」
料理人らしき大柄な男の人が、親方……たぶん料理長で、その弟子か部下なんだろ、あの青年は。
「出て行けと言ったら出ていけ!」
親方は無情な音を立てて、扉を閉めてしまった。
後に残るのは泣き崩れている青年ばかりだ。
……いたたまれないが、背に腹は代えられない。
俺は彼のわきを通り、扉をたたいた。
「なんだ! お前は首だと……は?」
再度扉を開けたのは料理長で、俺はその瞬間に頭を下げた。
「すみません、何か恵んでください」
「見ない顔だな。どこの誰だ」
「日本という国から来たものです。お腹が空いて空いて死にそうなんです、どうか何か恵んでください」
俺は頭を下げるのは構わないんだ。それだから下げて、相手の反応をうかがった。
「は?」
料理長は俺をじっと見た後に何か言おうとしたんだが。
俺の腹が盛大になった。
「……」
「……腹が減ってるのか」
「そうなんです」
「……芋の皮むきはできるか」
「人並みに」
「そうか。じゃあ食ったら芋の皮むきでも何でも手伝え」
「はい!」
よし、飯は食べられる。
俺はガッツポーズをして、彼の後に続いた。
料理長が連れてきた俺を見て、ほかの料理人が怪訝そうな顔になる。
だが。
「腹を減らしているらしい、この子供に何か食わせてやるぞ」
「はい」
一人、女の料理人が俺の前に皿を出してくれた。驚いた事にピラフである。
パンかと思ったんだ。見た目ファンタジーの世界だし。欧米的な感じするし。
……そうだ、確かセレウコス国は米と麦とが両方作れる土地柄をしていて、パンは上流貴族の食べ物、コメは下級市民の食べ物と言われていたんだった。
どちらにしても、目の前のピラフは出来立てだ。
食べないわけがない。
俺は渡されたスプーンを掴み、それはもうがつがつとむさぼった。
味は微妙だ。味が薄いというか、塩気がないというべきか。ただ脂っぽい。
下級平民の味方と言われている、キャベツと豚の塩漬けの脂身だけで味をつけたピラフだった。
「よっぽど腹を減らしてんだな」
「昨日の晩から何にも食べてない」
「ふうん」
あっという間にピラフを食べ終わった俺は、料理長を見上げた。
「芋の皮むき、どこですればいいですか?」
「こっちだ」
連れていかれたのは入り口のあたりで、山積みになった芋がある。
「これを剥け」
そういって前掛けを貸してくれる料理長である。
俺は気合いを入れて、渡された小型の包丁を握って、芋の皮むきを始めた。
人間夢中になると色々聞こえなくなるもので。
「もういい!!」
耳元で怒鳴られるまで、俺は芋の皮むきを続けていた。
「へ……」
耳がキンキンする。痛い位だ。
「早いなお前」
「慣れてますから……」
バイトでやっていたのはそういう仕込みばかりで、まともに料理はしなかった。下準備とかばっかり任されていた。
それはそれで勉強になったし、居酒屋でちゃんと働くために調理師免許ももっていたけど。
俺は見た目が危なっかしく見えるらしく、火を扱う事はあまりさせてもらえなかった。
「上出来だ、こんなに芋の皮を薄く向ける奴はめったにいない」
「はあ」
「お前、行く当てはあるのか?」
「ありません!」
事実ない。俺を閉じ込めたりしたやつらの場所が行く当てにはならない。俺の中では。
胸を張って言うと、料理長は何か考えたらしい。
「お前、家に来るか」
「……いいんですか?」
「お前みたいな子供が、行く当てもなくふらふらしてて、おまけに下ごしらえは得意そうだとなれば、手元に置きたいだろう」
なんだかよくわからない理論だったが、次に俺は玉ねぎを刻み、それから肉を指示された通りに切り、洗い物を行い、とりあえず下働きを徹底的に行った。
「料理長が機嫌がいい」
「いい下働きが入ったからだ、前は最悪」
「あの子小さいのに頑張るね」
色々聞こえてきていたけれども、俺は目の前の事に集中した。
昼時の戦場のような忙しさが終わったらしい。
洗い物が皆なくなったのでそう判断し、俺は包丁を見た。
「……刃こぼれしてやがる」
そう、俺が借りた小型のナイフはそうじゃなかったのに、料理人たちの魂とも呼べるべき包丁がぼろぼろなのだ。
これでは料理の速度も落ちるに違いない。
「あの、料理長さん」
「堅苦しいな、親方って呼べ」
「はい親方。砥石は持ってませんか?」
「……何するきだ?」
「砥ごうと思って」
親方が数秒黙った。
「お前包丁も砥げるってのか?!」
親方の声がえらい大きくなった。俺は思わず声が小さくなる。
「石があれば……」
俺何か変な事言ったか? どうにも五百年のブランクはでかい。
この世界の常識がわからん。
「本当だな?」
「はい」
神妙に頷けば、親方は棚をあさって砥石を持ってきた。
俺はそれをしばし眺めた。
「馬鹿にしてるんですか」
「は?」
「なんで! こんなに! 砥石が! でこぼこで!!」
俺は気付けば怒鳴っていた。
俺は武神時代から刃物の砥ぎ方を知っている。
日本でもいろいろ調べた。
そこからいっても、この砥石たちは最悪だったのだ。
まず凸凹。でこぼこ。最悪だ。
砥石がでこぼこしていたら、刃もでこぼこになるに決まってんじゃないか!
「砥石の手入れ道具は!」
「あ、こっちです」
俺の怒鳴り声にビビったらしい人が、こそこそと手入れ道具を持ってきた。
俺は水の入った桶も用意してから、まず砥石を平らにするところから始めた。
砥石をまともにしてからが勝負で、俺は刃こぼれした包丁を粗削り用の砥石で研いだ。
砥ぎは一定の角度が大事だ。角度がずれると刃にも問題が出る。
そして俺は長年の経験があるのだ。それに合わせて刃こぼれを直し、中砥ぎで研ぎ、仕上げで研ぎ……最後に刃が出来上がれば完成だ。俺はそれを水につけて砥石の粉を落としてから、料理長に渡した。
料理長は、まずトマトを試しに切った。前の包丁ではぐちゃっといったはずだ。
俺もドキドキする。
緊張の一瞬だったんだが。
トマトはスパッと、何の抵抗もなく切れた。
気付けば周りにいた料理人たちも見守っていて、次の瞬間歓声を上げた。
「君、僕のも!」
「あたしのも!」
「俺のもやってくれ!!」
そうして俺は、渡された刃物をすべて砥ぐ事になった。
刃物の手入れは好きだから構わないんだけどな。
そして俺は、気付けば厨房での信頼を手に入れる事になっていた。
「そりゃお前、刃物が研げるなんて言うのは専門職だからな」
「そうなんですか?」
「そうそう、出入りの研ぎ屋がいるくらいだからな」
「でも、二か月に一回しか来てくれないし、無駄に高い」
「そして技量もいまいち」
なんだそのお粗末さは……刃物を取り扱う事に誇りはないのか! と俺は大声で叫びたくなった。