親方の優しさと迫ってくる手
「だからそれは出せるもんじゃねえっていってんだろうが!!」
朝方早々から、親方の怒号が響いた。いったい何なんだと、俺たち厨房の人間は耳を大きく伸ばして聞いてしまう。
だって親方の一言で、今日の料理が大きく変わっていくのだ。
献立の変更はよくある事らしくて、皆それには注意している。
俺もその場合にはまた仕込みの何かしらを、変えなきゃいけない訳なので、俺も耳が大きく広がる。
「言いましたでしょう、あれは何をどう入れたのかも分からない煮込み料理で、同じ味は二度は出せないと。同じ手順で作ったとしても、恐ろしくまずいものができる可能性が高く、とても貴族のみなさまにお出し出来るものではありませんって!!」
親方が一度目の怒号よりはまともな言葉を使って、今度はきちんと説明をした。
ほかの皆は首を傾げているかもしれないが、俺には分かる。
俺があの貴族たちに出した、あのポトフっぽいものが早速、食べさせろと言われているのだ。
まさか昨日の今日でその反応とは・・・・・・それにしても、皆そんなにおいしいものを食べていないんだな。って事は。
俺はあの、きりたんぽホットドッグを思い浮かべた。
肉、野菜、そしてきりたんぽ。ちなみにソースのいっさいはなく、味付けは塩だけだった。かすかにセージのような風味があったのは、それ系のハーブが混ざっていたからだろう。
あー・・・・・・あれは素材の味で勝負していたのか。
やっぱりないんだな、だしの概念が。
なんてもったいないのか。
俺は内心で思いながらも、皆の分のまかないのために、手早く出来る中華系のスープを作っていた。くず肉を挽き肉にして作っているけれども、いろんな肉の混ざった味が今日もおいしいと思う。それに併せて野菜炒めを作る。お肉はなんと牛のサーロイン様である。
なぜサーロイン様ほどの贅沢なお肉が使えるのかと言えば、今日も貴族のみなさまはバラ肉をお求めだからである。
つまりサーロイン様は残ったお肉なのさ。サーロイン様が残るなんて恐ろしい国だ、全く。
とはいえサーロイン様も野生の牛様のお肉であるからして、実にしっかりとした噛みごたえの肉である。そのため俺はこれを薄切りにすると言う作業が必要であった。やっぱり噛みきれない肉ってのはおいしくない。と思うので。
それでもサーロイン様は、薄切りを食べたところ大変においしい。野生の牛にしては柔らかくジューシーで、油が若干少ないのが寂しい感じだけれど、それは牛脂で補ってしまえば、どうという事はない。
「おちびちゃん、つまみ食いばっかりしちゃだめだよ」
脇でワートさんが言っているけれども。俺はそんなに食べてない。一枚のお肉を味見しただけだ。
思わずふくれっ面になれば、ワートさんは笑った。
「それにしても親方、お役人と何をもめているんだろうね」
俺は中身が分かっていたけれども、曖昧に笑ってごまかした。
だって、これはもしかしたらこちらの料理人たちの、プライドや沽券に関わってしまうかもしれないからだ。
こんな見習いの作った料理の方が食べたいなんて、結構屈辱だと俺なんかは思うのだ。
だからいわない事にした。
「何度も言いなさるな。あれはもう出せない」
親方が言いきってから、早速俺たちに指示を飛ばし始める。
「バラを炒めろ! 味付けは塩と乾燥ハーブだ! そこにタマネギ! そっちは米を炊け、リン! 下準備は!」
「万端です親方!」
言われた俺は最敬礼をして親方を見やり、親方はびっくりした顔をして俺を見つめた。
「すでに下拵えが出来ているだと・・・・・・リン、お前かなりの腕だな」
「お褒めに与り恐縮です、親方。というか献立のところに書いてあったのを用意しただけなんですけどね」
「上出来だ」
いいつつ親方が、俺の頭をなで回す。俺はといえば何ともいえない気持ちになってしまって、にやっと笑ってしまった。
「リン、お前は口が裂けてもあれを作った張本人だと言わないように」
「了解、親方」
俺はいいつつ、皆の補佐をするべく動き始めた。
そんな戦場のような状態の時だ。
「包丁が欠けた!」
「この忙しい時に!」
誰かが騒いでいたので、俺はそっちを見やって、慌てふためいて新しい包丁を探すマリアさんを発見した。
俺はとっさに、握っていた包丁をすすいで、ひょうっと投じてしまった。
包丁は狙い違わず、マリアさんの脇の場所の木の部分に突き刺さった。
「マリアさん、それ!」
俺が言った瞬間のマリアさんはひきつり、それでも職分を忘れずに包丁を引き抜いて作業に取りかかった。
いい事したな、と思ったとたんに、俺に拳が降ってきた。
「包丁を凶器にするなバカ野郎! お前変なところで非常識発揮するんじゃねえ!」
親方の鉄拳だった。俺は目から火花が出てくるかと本気で思ったぜ。
盛大に痛い。俺はしゃがんでうめきそうになりつつも、俺は皿洗いと肉を捌くのを続行した。
親方の鉄拳は痛いと、しっかり俺の心に刻んでおこう。二度と包丁は飛道具にはしまいと俺は心に決めた。
「リン、手を見せて見ろ」
不意に休憩時間、ご飯も食べ終わった頃合いを見て親方が口を開いた。
「? はい」
俺は素直に手を差し出した。親方は俺の手を、大事な物であるかのようにとった。
「ぼろぼろだな。手荒れの油もお前は使わないのか。・・・・・・居候で先立つものもないお前に、そんな事を言うのは酷だったな」
俺は自分の手を見た。確かにぼろぼろではある。がさがさであかぎれ一歩手前の手をしている。
でも俺は日本でも、バイト先を追い出されるまではこんな手だった。
よくおばあさまが、俺の手にオロ○インを塗り込んでくれたっけな。懐かしい。
俺の手は荒れやすいのだ。たぶん油っ気が少ないんだろう。
俺の手を見ている親方が、自分の服のポケットに手を突っ込んで何か取り出した。
それは傷薬用の油で、軟膏だった。
親方は貴重だろうそれを、たっぷりとすくって手になじませて暖めて、俺の手にしっかり刷り込み始めた。
「親方、そんな事しなくても俺は大丈夫ですよ」
俺が突然の行為に慌てれば、親方は優しい顔をして言う。
「俺の厨房で、手が血塗れになる料理人は許さない事にしているんだ」
「ちびちゃん、それ親方の洗礼だから」
「最初は誰でもやられるから」
「そうそう、親方の好意を受け取ってあげてちょうだい」
皆が言うから、俺は徐々に赤くなっていく顔をそらして、親方の優しさを受け取る事にした。
「リン、料理人の手は命だ。だから手は大事にしろ。手に傷があってはいけない。料理人としての最低の心得だ。血の混じった料理なんていやだろう。いいな?」
そういって俺をのぞき込んでくる親方は、いつになく格好いい親方であっった。
「はーい」
俺は顔の赤さも気付かない振りをして、いい子の返事で親方のいう事に返した。
「ちびちゃんは本当にいい子だね」
誰が言ったか、そんな言葉が聞こえてきた。俺十八なんだけどな。もうじき十九。
でもそんな事が言えるわけもなく、俺は休憩時間のほとんどを親方に手に軟膏を塗られて過ごした。
「あの料理を出してくださいな、もったいぶらないで」
そう言ってきたのは、この前の女役人だった。俺は伝言を頼んできた彼女の声を聞き、なんと答えればいいのか判断に迷った。
あれは出せない料理なのだと、言えども言えども役人たちは手を変え品を変えあのポトフもどきを出すように言ってくる。
でもあれが出せるわけもなく、俺は通算で十八回目になる言葉に笑ってごまかした。
「あれは私の一存で出せる料理ではありませんので」
「そんな事をおっしゃらないで。あの方がそれはもう所望しているのです」
「でも私が決められる物でもありませんし」
俺としてはさっさと諦めろといいたい。。あんな魔素のひっくい料理を出して、怒られない自信が正直ない。
なんといえばいいのやら、めちゃくちゃ怒られるような気がしてしょうがない。
だってそれくらい、このセレウコス国で魔素は重要視されているのだから。
それが全然ない料理を出して、責任をとらされるのはきっと親方だ。
そんな風に思うと安請け合いが出来ない。それを出す事も出来ないし、俺としては出そうとも思わない。思えない。
あの大恩ある親方に、迷惑はかけられない。
・・・・・・それにしても、俺があの物置から脱出してかれこれ十日ほどたっているけれども、何の話も聞かないな。
きっと俺の存在はもみ消されたんだろうな。俺は召喚した奴らにとっては、この上ない迷惑な存在だ。失敗の証拠でもある。
こっちが勝手にいなくなったから、それを幸いとして口でもつぐんでいるのだろう。
俺としては自由にさせてもらっていて好都合だ。
うっかり探されて、あの訳わからん奴らのところに連れ戻されるのも癪だしな。
だいたい、なんであんな開かない物置なんぞに俺を入れたんだ。
ただのちび助だと思って侮りやがって。ちび助でも俺は武神だったんだよ。前世はな!
あれくらい物理的に逃亡できない俺でもないんだ。へっざまあみやがれ。
あれ、なんか使い方違うか?
「お願いです、もうあの方がそれはそれは所望なさっていて」
「親方に言ってください」
「料理長は出せないの一点張りですから。ほかの誰に聞いても、あなたに聞けと言うし」
ああ、そう言えば親方は料理人たちに箝口令はしかなかった。
たぶん皆権力に負けて、俺が鍵を握っていると言う部分を話してしまったんだろう。
俺としてはそれを責める気にもなれない。俺だって同じ立場だったらたぶん話す。我が身かわいさという物は誰だって持ってるものだ。
俺はそれをよく知っている。だから責めないし、恨みにも思わない。
「私は出せません。私の一存では決められません」
「・・・・・・ねえあなた、自分が大事なら、いう事を聞いた方がいいわ」
・・・・・・ふうん、結局権力に物を言わせるつもりなのか。
俺がそれで屈すると思うのか。親方は教えたくないなら教えなくて言いといった。
だから教えたりしないし、作ったりする物か、と思った時だ。
「あなた、料理長の一存でここに勤めるようになったんですってね? いわば恩人。料理長が大事なら、いう事を聞いた方がよろしくてよ?」
「・・・・・・なんで?」
俺の声は固くなった。このお役人は何を言い出すんだ。
「あなたが余りにも頑なだと、料理長は困った事になるかもしれないわ」
親方の身を使っての脅迫か。手段としては悪くない。
「料理長の後釜はいくらでもいるのだから。この城の料理長になりたい人はいくらでもいるのよ」
「こんなちび助を脅して、何が楽しいのやら」
俺の声はずいぶんと懐かしい声音になった。それは遠い昔に前世で出していた声だ。
俺が神様だった頃の声が、ふっと喉から飛び出してきたのだ。
それを聞いたお役人が、一瞬ひるむ程度には。
俺は目を瞬かせて相手を見やり、それで決してそらさない不退転の覚悟を見せて見返す。
「私は作りませんよ。あなた方がそういうつもりであるならば」
脅迫されて作れば、それは使える手段だと思われて何度も利用される。
親方の身の上を、俺の弱みで何度も危機に晒すわけには行かない。
だから俺は、屈さないと。決めた。
「それでどうにかなると思うのであれば、あなた方は物の頼み方を何も理解していない。相手を見誤りすぎていると思いますよ」
俺はそれだけを言って、がらがらと食材をカートに乗せて引っ張りながら歩き去った。
このことは親方に話しておこうと、しっかり決めて。




