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そして鍋は足りなくなる……

がらがらと俺はカートを引っ張っていく。実はこのカートには大鍋が四つも載せられていて、実は結構重たいのだがしょうがない。俺は下っ端、見習い風情、これくらいの雑用は当たり前なのだ。

俺としては別段苦しくもないし、理不尽だとも思わない。

ただちょっとなー。俺は着替える時間か何かがほしかった。だって俺はさっき頭からワインを被っていて、実に酒臭いのだ。

もしかしたらあのぶち切れ状態も、酒を被って酔っ払った弾みの暴挙だったのかもしれない。

とはいっても俺は一度も酒を飲んだ事がないので……何とも言い難いのも事実である。

そんな思いを胸に抱えつつ、俺は女のお役人様の後をついていく。お役人様のお胸様は実に豊かで、俺としてはあこがれてしまう物がある。

俺にはお胸様が全然ないのだ。それも絶壁寸前の状態でしかない。

短く刈り込んだ髪の毛に、絶壁寸前のまっ平な胸、肉の薄い腰や尻。

親方がちびな男の子だと勘違いする要素は十分にある。

女の子だと気が付かない方がおかしいのでは、とお思いの皆さまもいるかもしれないが、これには俺のちびすけっぷりとさすがに一桁の年齢には間違われない顔立ちが関与している。

俺は顔つきで言ってしまえば、何とか十代である。

そして、俺が日本で聞きかじった情報が確かであるならば、十歳くらいから十二三歳くらいまでの年齢の女の子は、この時期だけは男の子に成長や身体能力で勝利する事も多いのだ。

つまり、俺の顔から判断する年齢の女の子は、俺よりももっと大きいのだ。たぶん。

そしてこの世界の平均的な身長は、たぶん朝市や厨房で見る限り、日本よりも平均で十センチは高いと見受けられる。

つまり、俺はどう見ても、十代前半の女の子の身長にも届いていないという状態なのだ。

そうなってくると、まだまだ成長過程の男の子、と見た方が納得しやすいと言えるのである。

ああ、俺は何てちびに育ってしまったのだろうか! 俺はこれ以上自分の身長が育ってくれる見込みがないのだ……残念。

「大丈夫かしら?」

お役人様が俺を振り返りながら聞いてくる。俺は頷く。

「大丈夫ですよ、全然重たくありませんから」

「全く、料理長もどうしてこんな子供に重たい仕事を任せるのかしら」

「それが私の仕事ですから。私は見習いなのです」

俺の返答に、お役人様はため息を一つ吐き出した。

お役人様は俺が重たくて大変そうだ、と思っているが、これはカートな分楽である。

厨房に入りながらも料理が出てくるたびに、手でもって運んでいた日本での数年前の、下積み時代に比べたらちっとも苦痛ではない。

あの時代俺はまだ世間知らずの甘ったれなガキだったし、鍛えた筋肉とは違う部分を酷使したために、今思えばなんてことはない事でも苦痛だったっけ。

そんな風に思いつつも、がーらがーらとカートを引っ張っていく。

そこで気が付いた、おかしいな、食堂すぎてんじゃね?

「あの……」

俺はとりあえず確認のために、問いかけた。

「運ぶのは食堂じゃないのですか? もう食堂は過ぎていますけれど」

「ええ、運ぶのはもっと位の高い部屋なのよ」

……おいおいまてまて、食堂に入らないクラスのお貴族様が、この鍋の中身を食べるというのか。

俺としてはなんだか、厄介事の匂いが漂い始めた気がするんだが。

とっさに踵を返してしまいたくなったが、俺はちょっと考えてみた。

疲れ果ててやっと食事にありつける誰かが……あと少しでそれにありつけなくなる、という事をだ。

うん、そんな無情な事はできやしない。俺は空腹の人間の味方だ。

俺は両親があっけなく交通事故で死んで以来、食べ物のありがたみをことさら実感したのだ。

だから俺は、ここで逃げ出すなんて言う事は絶対にできない行為だと気付いた。

この味がおいしいと言ってくれるかは微妙だが……正直に言えばおいしい以外に言われる言葉なんて思いつかないのだが、味覚は個人差があるから何とも言えない……食べさせないという選択肢はどこにもないな、うん。

そうして俺たちは通路をさらに進み、その部屋についた。

部屋の扉は食堂の扉なんて比べ物にならないような豪華さで、ここには入れる人間は限られているに違いない、と思わせる何かを放っていた。

だってさあ、これって高級だろう魔法銀でメッキされているんだぜ、この扉。魔法銀の箔が蔦草のように優美なドアノブを覆っていて、きらめきを放っているわけだ。

触るのも怖くなりそうだ、俺はこういう美術品が苦手だ。壊してしまいそうでおっかないんだもん。

そんな俺の内心を読んでいるのかいないのか、女お役人様は扉をたたいて、透き通るような声で言った。

「お食事をお持ちしました」

「入れ。待ちくたびれたぞ」

扉の向こうからかけられた声は重厚な声ではなく、意外にも若い男の声だった。

だから俺は首を傾げた。えらいのに若いのか。よっぽどスピード出世したんだな、声の主の誰か。

俺の考えはさておき、扉は開き、中の様子が俺にも目に入ってきた。




豪華なシャンデリア。壁一面の装飾。陶磁器のようなもので作られた壁の模様たち。惜しいのは金色ではなく銀色だと言う事だろうか、ヨーロッパの金蘭豪華な世界よりもなんだか地味に映る部屋。

しかし金はいちいちかかっているだろう。この世界の常識には疎い俺でもよくわかる位、丁寧な仕事がされている。

俺はぽかんと口を開いた。すごいな。

……でも、これを作るならアレイスターの方がもっとセンスがあってきれいな物を作れる。

アレイスター元気かな。怪物になっても俺たちの友情は変わらないと、俺は言ったのにあいつときたら、俺が遊びに行っても全然顔を見せてくれなかった。

あいつの眷属たちが、アレイスターは元気だと口をそろえて言っていたからそれを信じてたけどな。

だって神だった俺に嘘を言う理由がないんだし。

俺は天井の、神話の一場面を形どっていそうなフレスコ画らしきものをまじまじと眺めていたのだが。

「君、早く用意をしてもらえない物だろうか」

やけに馬鹿丁寧に、声をかけられてはっとした。

「すみません」

「ここは君みたいな子には珍しいだろうけれど、皆おなかをすかして気が立っているんだよ、早くよそっておくれ」

俺は声をかけてくれた、まともな精神の男を観察した。

金髪碧眼、そして美形。ちょっと上向きの鼻が愛嬌という物を見せている。

体つきはおそらく細マッチョ。きっとそこそこ腕が立つに違いない。

だが彼は……不健康そうだ。なんだか病んでいるような気配が漂っている。それが妙な危うさになっていて、男に危ない魅力を与えていそうだ。

そこまで見て取って、俺は、俺だからわかってしまった。

こいつ、相当重度の魔素中毒になってやがる。こいつこのまま、こいつの最高レベルの魔法を立て続けに二十回は打たなかったら、近いうちに体が壊れてしまう。

俺はそれを言いそうになって……できなかった。

俺の言う言葉を誰が信じてくれるというのだ? こんなちびっこい、頼りなさそうな見た目の子供に見える女の言う事を、いったい誰が?

下手に言えば何か疑われて終わってしまう。

俺はとっさに頭に湧き上がっていた様々なものを飲み込んで、おとなしくポトフっぽい煮込み料理をよそった。

ちなみにこいつらのために用意されたのは、カートの上段を埋め尽くすバスケットに入ったパンである。

だがこのパンも白くないし、あんまりおいしくなさそうに見えた。白い小麦粉にするの、手間だもんな。

ふすまがたくさん入っていて、栄養的には良さそうだけどな。しかしこの世界の小麦は、魔素が異常に高い物なのだろうか。なんとなく調理された後でも魔素を感じ取れるって相当なんだが。品種改良の結果なのだろうか。

俺はこの疑問も後で親方や、あの両替屋の兄ちゃんに聞く事にして、その卓に座る、いちにい……五人くらいの男たちに、料理をよそってカートとともに下がった。

「まだいてちょうだい、食べ終わったらあなたに下げてもらうわ」

そのまま厨房に戻りかけた俺に、女お役人様はそう命令をした。そうだよな、いちいち呼ぶの手間だもんな。そんな風に納得しながら俺は、俺の作った料理を食べ始めた男たちを眺めていた。

彼らは一口口に含むと、一斉に沈黙した。

……親方たちはおいしいと言ってくれたけど、まずいのだろうか。やっぱりもっと繊細なお味にしなきゃ食べられない方々だったのだろうか。

そう思っていても、彼らは黙々と食べ進めていく。何も言わない、水を打ったように静かな状態で、食器がぶつかる音だけが聞こえてくる。

彼らは煮込みを食べまくって、パンも一人三つくらいは食べて、そして。

「これはなんという料理だ……」

一人が感嘆したような調子で言った。そして俺を見やっていく。

「見習い、お代わりをくれ」

「あ、はい」

お代わりと言う事は、おいしいのだろう。俺はなんだか勝利した気分になって、彼にたっぷりとお代わりをよそってあげた。

「見習いさん、私にも」

別の人も言う。俺はよそる。

「俺も」

「僕も」

「僕も」

何と言う事だ、五人全員が俺の料理をお代わりしてくれた。

俺は彼らが求めるがままに煮込みをよそっていき、そして。

「お代わりを」

「すみません、もうありません」

鍋はあっという間に空っぽになってしまった。

「厨房に、残りは在りませんか?」

あの、病んだ金髪碧眼が言う。俺は首を振った。

「いいえ、これで最後です」

「そうか……残念だ、これほど味に奥行きがあって深いものを、私は知らない。ぜひとも料理名を教えてもらいたいのだが」

「えっと……すみません、私にはわかりません」

これに料理名はない。だってっぽい物だ。ポトフっぽい物。それ以上でもそれ以下でもない。俺の直感と舌で調整したまかない料理に、名前は存在していないのだ。

「なんでないんだよ、こんなうまいのに」

一人が不機嫌丸出しで言う。機嫌が悪くなっているのは、つんつんとした赤毛の頭をした青年で、まだ若い。それでもそこそこ体つきがいいから、きっとしっかり訓練をしているのだろう。金色の目が印象に残る男の子だ。俺よりは若い。

「その……」

俺はこれが賄いの残り物だとばらすかどうか、悩んだ。ばらしたらばらしたで、何かとても問題が発生しそうで、俺は口が裂けてもこの事実は言っちゃいけないな、と思った。

賄いがこんなにおいしいのに、食堂やこういう場所で普通に出す料理がこれよりおいしくない、と思われたら、たぶん親方や皆にとっても迷惑がかかる気がするのだ。

俺に寝床と働き口と、それから素晴らしい仕事仲間を与えてくれた親方に、死んでも迷惑はかけられない。

だから俺は口を割らない事に決めて、あいまいに笑ってごまかした。

だって俺は日本人、笑ってごまかすのも得意なのだ。


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