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武芸とブイヨン

俺の平手打ちを食らったその男は、大きくよろめいた。ちびだからって力が弱いとは限らないんだぜ、なめんじゃねえ。

俺は半眼に眼光を鋭くさせて、相手を見やった。

「最低男ですね、あなた。こんなちび助にそういう真似してるって事は、さぞかし女にもてないんでしょうね」

男はしばし絶句して、俺を見て顔を真っ赤にさせた。怒っているらしい。怒りたいのはこの俺の方だ。平手打ちだけで済んでよかったと思いやがれ。

俺が本気で切れたら、ちょっとばかりやばい。日本では武芸百般とはいかないまでも、やりたいものをことごとくやっていた俺だ。

さて、どうでる。俺が相手の様子をうかがっていれば、男は腰の剣に手をかけた。

情けない。俺みたいな相手に言われたからって、抜刀しちゃうのかよ。こいつの格が低レベル過ぎて呆れるぜ。

「あーあ。あのちびっこいの、迅雷のゼブンを怒らせちまったよ」

「かわいそうに、命はないだろうな」

「しょうがないだろう、平民なのに貴族の事平手打ちなんかにしたら、普通に打ち首だし」

「あんな子供なのにな」

そういう声があちこちから聞こえてくる。なるほど、この世界の特権階級は貴族だという事か。そして貴族の絶対性はかなり高いのだろう。貴族を怒らせたら平民の命はないのだろう。

その辺りは六百年前から何も変わっていないらしい。前時代的だ。

大体、平民がいなかったらあんたら生活できないんだろうが。

もうちょっと平民を敬ってほしいものだ。

「あのちびっこいの、相当な田舎ものだろうな」

「だよな、迅雷のゼブンは都会では知れ渡った有数の武人なんだけどな」

「かわいそうに、親御さんが泣くぜ」

「いいや、とばっちりで罰せられないようにするだろうよ」

そんな声がちらほらと聞こえてくるが、知るかそんなもん。こいつが圧倒的に悪い。

俺は服のポケットを探り、目的の物がある事を確認して、ちょっと見には気が済んだ振りをして、立ち去ろうとした。

そのとたんに、俺が平手打ちをかました相手が吼えた。狗みたいに吼えるんじゃねえよ、犬に失礼かそれは。こいつなんて……何に例えりゃいいんだ?

「まて! 貴様、貴族を侮辱して命がいらないらしいな!」

俺は無視する。ガン無視だ。知るかお前の何かしらなんて。ちょっとは反省すりゃいいのに。

この調子だと、自分のしたことは棚に上げて、俺のした事ばっかりに目を向けていそうだ。

あんたが先にやったんだろうがよ! と俺は言いたい。しかしここは無視だ。あんな奴相手にするのは時間の無駄以外の何でもない。

俺は足を動かした。そして卓にたくさんある。空になった皿を下げていこうとした時だ。

背後で抜刀の音が聞こえてきた。酔っ払いたちのどよめきが聞こえるけれど、誰もそいつを止めようとはしない。

いいや止めろよ。普通に考えて止めろよ。それとも俺の日本人的な感覚の結果の思考回路か? 

よくわからないな。

そんな事を考えている間にも、男が足音高く近付いてくる。気配丸出し。次に何をするのかが簡単に読めてしまうお粗末さだ。

俺はちょっと目を細めて皿を軽く放り投げて、男が俺の体に刃を届かせるその前に、ポケットから取り出したものを振った。

俺の超便利な相棒様……折り畳みナイフの一番強度のあるナイフが、相手の剣を受け止めてそれから、勢いよく相手の剣を弾き飛ばした。

これは力技ではなく、速度でやるやつだ。高々と相手の剣が宙を舞って、その辺の机に突き刺さった。俺はその隙を逃さないし、それを見届ける前に相手に近付いた。

相手からすれば数瞬の間に起きた出来事で、何が起きたかわからないだろう。

俺は相手の首の頸動脈あたりに、ナイフを突きつけて、突きつけながら落ちてきた皿を全部キャッチした。

「うるさいんですよ、三下風情が。自分のやっている事の善悪の区別もつかないお子様に、ぎゃあすか言われる筋合いはありません」

相手は俺の手の本気具合に絶句していて、さらに俺がちょっと刃先を頸の皮にあてがえば、真っ青になった。

これで良し。あとは。

俺は卓に突き刺さっていた件をひっつかみ、片手で軽々と引き抜いてから、皿をきちんと回収してその場を後にした。

残された奴らの話なんぞ知らない。




「遅いぞ! 何油を売ってたんだ!」

「ちょっともめました」

俺はそうやって謝りつつ、お皿を戻してからたまりにたまった洗い物をどうにかするべく、気合いを入れなおした。

「どうしたんだ、ワインまみれで」

「酔っぱらったバカにかけられました、せっかく親方がくれた新しい服なのに」

俺はそれが残念だし、これが親方がくれた新しい服だからやつの蛮行が許せなかったのだ。

「……お前はちびだから、酔っぱらっても手を出されないと思ってそっちにやったんだがな、すまない」

「親方が謝る事じゃありませんよ。謝ってほしい奴は謝らなかったですし」

俺はコッケー鳥のガラを使用して、フランス風に言うならブイヨンをとりつつ、洗い物を終わらせた。ほんと、この厨房には使っていいガラとか野菜のきれっぱしとか皮とかが多くて助かる。

俺は向こうに行く前からコトコトと煮ていたブイヨンのスープに、いろんな余り肉をぶち込み、根菜をたっぷりと入れてポトフを作った。完璧に我流だから、ポトフと言えない煮込み料理かもしれない。

さらに米も炊いて、今日のお夕飯はこれで完成だ。

俺がそれを作り終わったあたりで、皆興味津々で俺の手順やら鍋やらを見ていて、俺としてはとても照れくさい。

「できました! 塩は各自で」

「はいよ」

皆にそれをよそってもらってコメもよそってもらって、俺は最後に卓の端っこに座った。

ブイヨンはいい味だ。そうか、魔獣はわりかしジビエみたいな風味があるんだな。華やかな香りがする。コッケー鳥の肉のきれっぱしとか、ブートン獣の足の肉とか、複雑にまじりあって、俺でも食べた事のない素晴らしい味になった。

これはカレーにしたらめちゃくちゃおいしそうだ。そうだ、今度朝市を覗いたりして、カレースパイスがないか探してこよう。

六百年前はあったぞ、カレーっぽい物ができる複合スパイス。人間の世界に降りて行った時に、見た事がある。あの時は強烈な食欲を刺激する香りだとしか思っていなかったが、あれは絶対にカレーだ。

この人たちに作るなら、ちゃんとあめ色に玉ねぎを炒めて、肉もしっかり焼き目をつけて、コトコト煮込んだおいしい物を作ろう。

「本当に、ちび助の料理は私たちの知らない物ね」

マリアさんが言う。

「おいしいなぁ、ここの厨房でこんなに贅沢に感じる料理が食べられるなんて」

そういうのはマートさんだ。食べるのが大好きと言ってはばからない彼は、夕飯で三回目のお米をよそっている。

「ちびちゃんに献立を任せたら、大変な事になりそうだね。役人たちが皆、外で食べなくなりそうだ」

「言えてる」

「ちびちゃんの料理はここの特権!」

「でしょう、親方」

「……」

親方は俺をちょっと見てから、問いかけてきた。

「お前はそれでいいのか」

俺はにっこりと笑って頷いた。

「私は身近になってくれた親切な人たちが、おいしいと言ってくれればそれでいいですよ、まだまだ覚える事がたくさんあって。もっと効率的に魔獣をさばくのとか」

親方が俺に手を伸ばす。そして俺の髪をぐしゃぐしゃとかき回して、目を細めた。

「お前はいい子だな」

そうやって料理人たちが和やかに食事をしていた時だ。

「すみません、厨房はまだ何か残っていますか?」

厨房に顔をのぞかせてきたのは、役人らしき困り顔の女性だ。

「何か足りなくなったのですか?」

親方が彼女に近付いて問いかければ、彼女は本気で困った顔をして、こう言った。

「明日帰ってくる予定の数人が、帰ってきてしまったんです。食堂の料理は何もありませんし……せめて温かい物を食べさせてあげたいのですが」

親方はしばし黙った後、俺を見やっていう。

「賄しかありませんが、それでよければ」

そして次に。

「リン! 鍋に入れてしっかり温めておけ、鍋ごとだすぞ、その方が温かいまま運べる」

言われた俺はさっそく、寸胴から大型の鍋にポトフもどきをたっぷりとよそって、鍋を火にかけた。

役人の彼女は申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんなさい、皆さんのお夕飯をとってしまって……そうだわ、北のベゴニアからの船が来ましたの。乾燥ハーブを安く手に入れられるように手配しますわ」

それを聞いた料理人たちの歓声と言ったら、俺が思う以上の物だった。そうか、この世界のハーブは貴重なんだな。よくわかる反応だった。

でも変だな、ハーブってこのあたりでも育つ気候だろう? このあたりで大昔には一大ハーブ園が形成されたほどだったというのに……気候だって変わっていなさそうな感じがするのに、なんでだろうな。

苗売ってないかな。合ったらどっかの空き地に……育ててみたいぜ。

俺が前世で武術ほかに司っていたのが、実はそういう植物の生育だったのだ。おかげで生まれ変わっても何か植物を育てる才能は有り余っているのだ。

俺のこの才能をフルに使えば、一大ハーブ園が……きっとできるだろうな。乾燥よりも生の方が風味がいいハーブは多いし、料理の格だって上がるに違いない。

俺は鍋をカートに乗せながら、あとで親方に聞いてみようと思った。

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