宝物庫へ進め
どうん、とすさまじい音が響いたのは、間違いなく夢の中の出来事とかじゃなかった。
俺は師匠を一緒に寝台から落ちた。
真夜中という事もあって、何人もの人間が転がり落ちただろう。
呻く声がいくつも響いていた。
「なにが」
寝ぼけた声で言いつつも、この揺れは地震でも有得ないと感じている俺がいる。
ここは帝国の城、ひときわ大きく頑丈で、崩れ落ちたりしないように幾つもの術が被せられた場所なのだ。
それが揺れるってどういう事なのだと問い詰めたいものだ。
起き上がりながらも、頭が働いたと思った瞬間に感じる冷たさに、引きつる。
今は真夏でそして、この夏の大陸で冷え切るとはどういう事だ。
何かとんでもない物が始まっているのだ。
そして何かを誰かが引き起こしているのだろう。
誰が何を起こしているのだ。
立ち上がって何とかこうにか、意識がぼうっとしているらしい師匠を起こして寝台の上に乗せる。
それもされるがままの師匠だったから、俺は彼に言い聞かせた。
「一生のお願いです、ここにいてください」
それが分かったのかわかってないのか、うつろな瞳の師匠がこくりと頷く。
それを見届け、俺は片手に師匠の剣を持って……しょうがないだろ、武器が何もないよりましだ!……治療室の外に飛び出した。
直ぐに凍り付きそうになる。なんだこの、噎せるほどの瘴気の強さは!
核が数百集まれば、こんなものになるかもしれない、というほどの強い瘴気だ、人間はとても動けないだろう。
事実の様に、廊下で倒れ伏す人々。死んではいないらしいが、すさまじい不快さに襲われているに違いない。
俺はその中を走る事が出来る。
部屋で大人しくできないのは、これだけの事をやらかせる相手の正体に、目星がついているからとしか言いようがない。
瘴気王、ヨーゼン・カイ。
あなたは何をしでかしているのだ!
何か止めなくちゃいけない事が起きているのだ、と俺は野生の勘の言うがままに走る。
走って走って、どんどん瘴気の濃い場所に進んでいく。
途中で、似たような方角に走っていく魔法騎士たちが、瘴気を燃やして弱める炎を使って走っていくのも、見た。
彼等にも見つからないように、俺はその方角、階下へ階下へと進んでいく。
幾つか観察したのだが、扉が結界の様に、衝立の様に、瘴気の侵入を防いでいるらしい。
扉を開けるや否や、倒れる人を何人も見たのでそう判断したのだが。
そしていつの間にか、外の光の届かない世界へ進む。
地下なのだ。
冷たいのは地下特有の気温の結果であり、冬とか浄化とかはかかわっていないだろう。
その中を進んでいる途中で、同じようにたどってきた人たちとぶつかった。
「君、こんな所で何をしているんだ!」
「様子を見に来たんです!」
「君みたいな女の子が」
「そこで男女差別しないでください! ここに来られたという事は、お互いに動ける身の上だという事ですから!」
なんか無茶苦茶理論だったが、彼等は押し黙った。
「そうだな……」
「助けを呼ぶ人間という事で、一緒に来てもらった方がいいかもしれない……」
色々言っているが、俺はさっさと先に進む。辺り一面を揺らす何かは続いているのだ。
「こっちは何があるんですか」
「ここが続いているのは……武術大会の優勝した時の景品の一種が納められている宝物庫だ」
「物取りにしては大胆というかおおざっぱというか、繊細さがないですね」
走りながら言えば、帝国の人なのだろう彼が何と宝物庫の中身を言う。
「ここにあるのは、かの有名な最古にして最強の武神、ギギウス・ブロッケンの大弓なんだ」
……なんだって!? 俺の思考回路の中から、一瞬自重という文字が消えた。
それ位驚いたのだ。あれがここにあるだって?!
「あのやたらにでかぶつで、引いても引いても最大まで伸びないから途中で打撃物に改造したあれかよ!?」
俺はわめいていた。大昔、大弓を持っていた。冬の大陸では自在に扱えたそれだったが、大多数相手の戦闘には向いていなかったから、途中で改造してもらって打撃物として使っていたやつがあるのだ。
たぶん俺がギギウス・ブロッケンであった時代に、一番隣に存在してた武器であり、俺が背中に担ぎ続けていた武器だった。
俺の旗印の様な物、と認識されていた時代もあったほど。あの大弓……永久凍の大弓は俺と一緒にあり続けて、そして。
最終決戦の前に、人間の誰かに貸してほしいのだと頼み込まれて、渡したまま俺はヨーゼン・カイに挑み、逃がして天空に閉じ込められたから、回収なんてされていない物である。
「君……?」
俺のわめきかたに何か感じたのか、騎士の誰かが呟いているが、俺は急がなければならない、と余計に焦っている。
あの大弓は、普通に触れる事が出来ないものだ。
人間は……凍る。近くに寄っただけで体の中の水っ気が凍る。それだけで地獄絵図だったり、人間の森が出来上がる。真面目に樹氷の森の人間版の様な物が出来上がる。
あれは俺も想定外過ぎた事だったから、あいつら側、ヨーゼン・カイ側との戦闘以外では滅多に出さなかった。
偶然なんか、夏の大陸の人間は、体の中に炎が廻っている奴がそこそこいたから、凍らないで近付いて来たりしていた。
その中の一人が、貸してって言ったから貸した後の事は知らない物である。
「あんなのをなんで目指してんだよ!」
わめく俺である。そしてとうとう、瘴気がもはや可視化している世界に突入していけば。
ヨーゼン・カイがどうして、彼等にとってとても忌々しいと言ってもなお余りあるだろう、そんな武器を目指して進んでいるのか。
こんな派手な事をして、城中を揺らしまくって、宝物庫に侵入するなんて事を、しているのか。
俺には全く理解できない。
短い脚ながらどうにか、宝物庫の前まで到着する。その間に、俺の後に続いていた人たちの半数は脱落、した。魔術的な抵抗力がなさそうな、夏の炎を宿しているように見えない俺が先頭を切っているから、実はとても背後の視線が痛いが、我慢だ。
今はヨーゼン・カイの真意を問わなければ、と俺は扉が見事にぶち壊された宝物庫に飛び込んだ。
「やれ、なかなか壊れないものだ」
そこでは……ヨーゼン・カイが、大弓をへし折ろうとしていました。
片手がないから、口に片側を加えて。足まで使って何とかへし折ろうとしていた。
「何やってんだ!?」
俺のツッコミはもっともな物だ。ここで何でそれを壊す思考回路に至った!?
それもヨーゼン・カイが、普段自重している瘴気を抑える事もしないで、破壊しようとしている、全力で。
大弓の方も、壊されまいと力を発揮しているらしい。あれ自衛装置つけてあったっけ……? 手元に置きすぎて思い出せないが。
現在、宝物庫は辺り一面氷の世界で、極寒の世界だ。
夏物しか着ていない俺にはとても、辛い世界だ。人間は熱さにも寒さにも弱いから、衣類を着こむのである。俺、ギギウス・ブロッケン時代には全裸一歩手前で氷の世界で昼寝してたっけな……
俺が叫んだその後に、不意に大弓が揺らいだ。
まるで俺の声に反応したみたいで、なんだか俺は遠い昔の何かが蘇るような気がした。
何か、はわからなかったのだが。
まるで、死んでしまった主に再会した、忠犬のような反応だとどこかで思う。
ごう、と揺らいだと思ったらそこには。
「え……?」
夢の中の俺と同じ姿の、そう、いつぞやに俺に謎かけをした姿の男が立っていた。
本当に真っ白な中、瞳も白い。すべてが白い。
そいつが、ぎりぎりとヨーゼン・カイと力比べをしていたのだ。
何が起きた……と思う間もなく。
「和子、よく来たな、頑丈な体で結構だ、これはなかなか折れない物だな」
さらりとヨーゼン・カイが言い出した。その声を聞いて、白い存在もこっちを見た。
「……こういう再会の仕方なのか。」
見た途端に言われた言葉である。俺は相手の正体がようやくわかった状態だ。
あれは俺の一部なのだろう。見た目同じだし。
冬の大弓は冬の神と同じものから生まれた、そして使われ続けて一体化してしまったのだろう。
俺であり俺ではないあいつが、笑った。
「ひさしいだろうな。おのれが己の姿でない事は不思議だが、不思議でもない事かもしれない。」
言った白い存在が、ヨーゼン・カイの腕を振り払う。それと同時に足が舞って、瘴気王のがら空きの胴体に、その蹴りが叩き込まれた。
見事なまでに瘴気王が吹っ飛ばされて、壁に激突する。激突した、と俺が認識しているあたりでもう、彼はまた距離を詰めていた。片腕の一撃が、白い存在に振るわれる。
それを受け止めた白い存在は、苦悶の表情を浮かべた。
……手加減されているのだろうか、と俺はどこかで思った。ヨーゼン・カイの一撃で吹っ飛ばないなんてありえないのだから。
俺だって、大昔にあの一撃を食らった後、周りの物をなぎ倒して無様なまでに転がって、受け身をとってまだ転がって、その転がる力の向きに力づくで抗って立ったのだ。
だから、その白い存在が、吹っ飛ばないのは手加減されているのだと思ってしまう。
そのままお互いに全力の力比べが始まった。みりみりとめり込む石の床。力のベクトルとか考えたくねえ、真面目に。
折れる折れないの力比べをしながらの、台詞じゃねえだろう。
心の中で突っ込みつつも、俺はそれを見ていた。
白い存在が口を開く。
「瘴気王、諦めろ、己はおのれに必要とされている。」
「いや、必要じゃねえよ」
傲慢にも取れる台詞に、俺は突っ込んだ。俺はもう、人間の体で、炎は流れていないし、たぶんこれ以上近付けば凍り付いて死んでしまう。
「それにこれ以上、お前に近付けないし、凍って死ぬし」
「……。」
大弓は目を見開き、口を軽く開いた後に、瘴気王を見やった。
「言っていた事は真のようだったな。……そうか、いらないか。必要ではないか。」
大弓は言ったとたんにぴきぴきと、氷がひび割れるようにひび割れ始めた。
なんだかそれは、ギギウス・ブロッケンに必要とされている事だけが、存在理由であるかのようで。先ほどまでの戦いで傷ひとつなかった物の崩壊の速度とは思えない物だった。
「もう、大義も理由もないのだな。……世界に抗い時に抗い、不死にしがみつく由縁はない。」
ヨーゼン・カイが大弓から手を離す。大弓がそれに見事な一礼をしたと思えば、俺に近付いて、背丈を合わせてじっと見つめてくる。すげえ寒い。
でも逃げないでいたら、大弓が身をかがめて俺に唇をあてがった。
それはさようなら、と別れを告げる口づけだった。
「世界に戻れと言われた時に、抗っていてよかった。」
唇を放した大弓が、言う。
「我らが冬の神に、こうして、愛していると伝えられたのだから。」
ばりん、とその言葉を言うためにこらえていたというかのように、大弓は木っ端みじんに砕け散り、ふわふわと何かが昇って行こうとする。
それを瘴気王がつかみ、袖の中にしまい込んだ。
「これですべてそろうか」
彼は俺を振り返り、言った。
「和子、始まりにして終わりの目撃者となれ」
「え……?」
ぐわり、と辺りの氷が、まるで鏡の様に変貌する。そこに感じ取れたのは、ディ・ケーニさんの気配だった。
鏡があればすべての場所に行けるあの、カルミナ・スペクル第八位が、力を使ったのだ。
いつの間に、瘴気王と連絡付けていたんだよ。
その手際のよさなのかなんなのかに、呆れている間に。
俺はその一つに、強制的に飲み込まれてしまっていた。
「君!」
目撃している騎士たちが、叫ぶ声が聞こえていた。




