最終予選は過ぎていく
そして。
「そこの禿げ猪が魔獣じゃないなんておかしい!」
思いっきり最終予選の相手にわめかれている。
ぶーちゃんは連戦連勝という無敗記録を叩きだし、もはや武術大会でこれだけ連勝している対戦相手はいないだろうという強敵扱いになっている。
国を超えて、あの禿げ猪を倒すのだ! と輪になって団結しているのを見た、とヨーゼン・カイが控室を覗いて教えてくれた。
あなたどこにでも入るんですね、と言ったら、通気口が実に入りやすそうな大きさだったからもぐりこんだ、ととても数千年を過ごした王の王とは思えない事を言われた。
前世とか前々前世とか、俺どんだけ苦労してたんだろう。
この非常識と、子供の空気が合体した相手の相手してて……禿げなかったのだろうか。
思いだせないので、なんとも言えないのだが、何故だかこの人だからな……と腑に落ちてしまう位納得してしまうので仕方がない。
「そんな事を言われても……あなたもこの仔から、魔素の気配なんて感じないでしょう」
「だからおかしいんだろうが!」
最終予選。本選という大舞台に立つ前の最終の相手がぶーちゃんである、とても運の悪い選手……どこの国の選手かと思えばマチェドニアの隣国の人で、なんとも言えない気分になるのだが。
「今までの奴らだって手を抜くわけがない、そいつに変な幻惑の力があるんだ!」
いや、ないよ。
<親分、もうあそこののいってることききあきた>
「うん……ぶーちゃん動いていいよ。喋るのは私が相手するから……」
喚かれるのなんてすぐに飽きるぶーちゃんの言葉に、頷いたとたんにぶーちゃんが俺の後ろに回る。
しかし俺相手に怒鳴る事しか考えていないらしい、対戦相手は怒鳴り散らすままである。
ぶーちゃんが対戦相手だと、忘れているのか、それとも俺を対戦相手だと認識したか。
すげえ面倒くさいパターンが始まりそうだ、と思っていれば。
そいつはなんと、ぶーちゃんにではなく、俺に切りかかってきた。
獣使いと獣との戦いなら、獣使いを叩くのが定石だろうがね?
……こんなとろまな動きしかしない相手に、きられる義理はないのだ。
しかし。
「くらえ!」
そいつが剣で発動したのは、見事に目くらましの閃光だった。
と思う。
断定できないのは、世界が白く染まり、観客が一斉にどよめくのが分かっても何もできないし見えなかったからだ。
言い訳になるが、何か術がくる、とわかっていても俺は魔法の造形に深くない。
そしてそいつは、動きはとろい癖に魔法の技量はよかったらしい。
動きののろまさと、魔法の発動の速度が一致しない。
そこが俺にとって盲点だったと言っていいだろう。
「っ!」
俺は見事に、目くらましらしき物で世界が真っ白に変わった。
眼を閉じても目の中が白く感じる。
眼が焼けるようだ、と感じるほどの白い世界だ。
「がぁ、ぅくっ!」
続いて襲ってくる目玉の激痛。これは何の術だ!?
頭の中を白くするとまではいかないが、判断力を狂わせる痛みに、何も映らない視界。
致命的と言っていい状態に陥る俺。
動けない、動かせないっ!
<親分になにするの!>
ぶーちゃんの足音がする。近いのはわかった。
その音が一気に駆け足に変わり、続いて引きつった鳴き声が響く。
<親分、さけてぇぇぇぇぇっぇ!!!!!>
何を避けるのか。
分からないと思ったが、俺の長年の勘がこの時物を言ったらしい。
俺はやや右前に飛び込み前転を披露した。
くるりと転がり、立ち上がる。
その間も痛くて痛くて仕方がなくて、眼を開けられないのはなんでかわからない。
がつん、と金属が地面に叩きつけられる音がしたという事は、からぶったのだ。
音から方角を判断して、そこから距離を置く。見えない。
空気を感じて、流れを読まなければ。
<対戦相手はぶーちゃんだよ!!>
俺が体中の感覚を研ぎ澄ませていれば、ぶーちゃんの本気の咆哮である、ブーという鳴き声を通り越した怒声が響く。
ぷぎゃあああああ!
表記すると間抜けなこの音は、実はとても迫力がある音である。
それが空気と相手の闘志を圧迫して押し勝つのが、分かった。
どすん、どごっ、ばきっ、ぐちゃっ!
見えない俺には、何が起きているか全くわからない。
しかし、なんかぶーちゃんがとてもやらかしているのは感じ取れた。
だが、止めようにもぶーちゃんがどこにいるのかわからない。
「ぶーちゃん殺しちゃだめだから!」
とにかく引きつった声で制止するのだが。
声も出ないほど相手に激痛の一撃を食らわせまくったらしいぶーちゃんが、最後にどこかとても同情する場所に、蹄を叩き込んだらしい。
「っのおぉ……」
声だけでとても……こっちもこんな状態なのに、同情してしまう声が相手の口から洩れていた。
ぶーちゃん、君はどこに蹄を落したんだい。
<意味なくぶらぶらしてるとこ>
俺が呟くと、ぶーちゃんがさらりと言った。
……考えるのを止めよう、と俺は思った。
酷く、寒い。
眼を何度か瞬かせれば、片目はどうにか像を写した。
思ったよりもひどい症状ではないらしいが。
辺り一面氷の世界だった。
……あの騎士は、氷使いだったのだろうか……
いないはずだというそれ。
帝国広いから、そういうありえない奴もいるかもしれない、と俺はぶーちゃんと退場した。
その後ぶーちゃんの背中に導いてもらい、俺は医務室に行った。
そこで俺の眼玉を見てもらったのだ。
「うん、ちょっと目くらましが直撃しただけだわ。はい、薬をしみこませた布を巻いておけば、三日くらいで治るわ」
医者の女性のありがたい言葉に、心底ほっとして俺は医務室を出た。
医務室の扉の前の通気口から、ひょいと瘴気王が出てきた。
「あなたどうしてそこから」
「どうにも狭くて細い場所を見ると、入れる場合は入りたくなるんだ」
「……色々大変な趣味ですね」
出られなくなったらどうするんだろう。
「和子の眼はどうだ」
「目くらましの直撃で、ちょっと視神経がやられたらしいですけど、治るものだそうです」
「それはよかった。治る傷ならば、まだいい」
頭を撫でてくるヨーゼン・カイだが、なんとなく変な気分になる。
俺が欲しい手はこれじゃないと思うのだ。
まさしくこれこそ、これじゃない感という奴だ。
「八百長を警戒するせいで、レダ亭に戻れないのが嫌だな」
「ですね。ご飯はいい材料が使い放題の環境ですけど」
「それより問題は」
瘴気王が手首を振った後、少し面倒くさそうに続けた。
「和子の氷の気配が、どうもこの闘技場の魔物たちを刺激しすぎているらしい」
「は? 私何もしてませんよ」
「和子は何もしていないが……和子の中の魔素と、和子の中の冬を無理やり引きずり出して、制御もできないで会場に放出した馬鹿がいただろう」
「あの選手ですか? そんな事が出来るんですね」
「人間が人間相手に、力を引きずり出して使う事は理論上も現実も可能だ。和子も人間の肉の体なのだ。やられてもおかしくないとは思ったが、そのくせ引きずり出した力を制御できないまま、自分で扱えずその場に吐き出すほど出来が悪いとは思わなかった」
通路を歩きながら、瘴気王が第三者の視点で俺が被害に遭った試合の対戦相手を酷評する。
「まあそれで、和子の冬枯れが闘技場を一時期覆ってしまった。魔物にとっては生死にかかわる空気だ。……はっきり言えば明日の本選は一体何人の死傷者が出るかわからないな」
「……え」
「奴らは死にたくないから死に物狂いだ。そして消滅の力が発動した試合会場など、奴らにとって処刑台と同じ意味を持つ。……魔物も生き物だ。そして冬の気配に敏感なのはどの獣よりもだ。無理やり処刑場に連れて来られて、手足が自由となれば、判断力の鈍った頭は大戦相手を、冬の力であり自分を殺す相手だと認識する」
淡々と、とても淡々と眷属を分析する瘴気王の言葉に、俺はぞっとしていた。
「そうなれば、相手を殺して自由になろうとするだろう。……どうなろうが、私には関わりのない事。和子とししが無事ならば、こんなバカ騒ぎに出る事を選んだ輩や、バカ騒ぎを見に来た輩を気にする事はない」
そこまで言い切り、彼が告げる。
「和子、明日の本選の時は、私も和子の隣に立つぞ」
「なんで」
「あの馬鹿のような輩が、和子を害するかもしれないのが我慢ならないからだ」
分かってくれるだろう、と微笑んだ瘴気王は、全ての父と言われても納得できる顔だっ




