服と揉め事。
親方の家にいったん帰宅して、用意されたのは若干だぼっとしたシャツに、腰が落ちてくる寸前のズボンである。
「悪いな、俺のお古だ」
なるほど親方は昔も体格がよかったんですね。でもいったいこれはいくつの時の物なんでしょうか。
布地のどこか古めかしい感じから、大体親方がもっと若かった……失礼、小さかった頃の服だという事は、わかるんだ。でも新しい着替えは素晴らしい。洗濯されていて、防虫剤の匂いがするそれに、俺はばさばさと着替える。
おっとその前に。
「親方せめて後ろを向いてください、俺は女の子なんですよこれでも」
俺はサイズを気にしている親方にそれを言った。親方はそれを聞いて数秒後、怒鳴った。
「お前は女だったのか?!」
「親方、つっこみはそこでしょうか」
俺はさっさと着替えて、ズボンのベルトを一番奥で締めた。これでもまだだぼだぼである。
くっそ、親方との体格差がありすぎてショックだ。……しょうがない、俺はちび助なのだから。
まだまだ俺には成長の余地がある……はずだ。身長は二十歳まで伸びるとどこかで聞いた覚えがある。
ぜひともこのちび助な身長を伸ばしたいものだ。
「……お前は、女なのに、男の家に上がり込めるのか」
「親方は悪い人じゃありませんから。それに、俺にはお宿が必要でした。親方はそれを無償で提供してくれると言いました。乗らない手はないでしょう? 変なところにさらわれてきた、着た切り雀の、この地方のお金も持っていなかった俺みたいなやつにとっては」
「お前は思い切りがいいのか、豪胆なのか……俺が幼女趣味だったらどうしてた」
「そうしたらですね、襲ってきた瞬間に、噛みつきますよ。俺の歯はとっても丈夫なんです」
「それで? お前みたいなおちびが、俺をどうこうできるほどの力を持っているのか?」
「さあ? わかりませんよ親方。やってみなくっちゃ」
親方は溜息を吐いて、言った。
「わかった、もういい、お前と話すとどこかがずれる。それも盛大に」
「はい」
「さて、多少は見られる見た目になったが……あのよれよれの衣装もだいぶ浮浪者みたいだったが、それもまだあれだな。何か良い物がないか」
「親方がお給料をくれたら、新しい服を買います」
俺はそんな事を言っていた。だってさ、俺が大金を持つ事情なんて、俺はまだ親方に話していないから。
親方からしてみれば、俺は無一文に近い状態のガキでしかないのだ。
「そうだな、お前の給料は、今度は新しい服だな」
親方も納得して、俺たちは城の厨房に戻った。
戻って早々、また騒ぎになっていた。厨房の勝手口で、誰かがもめていたのだ。
「なんでしょうあれ」
「なんだろうな」
親方はそのもめ方を無視できなかったらしい。当然だ、厨房は親方の城なのだから、城の前でもめられていたら気分が悪いだろう。
俺は事の成り行きを見守る事にして、親方の後にこそこそと続いた。
「何をしてんだ、うるさいぞ!」
「親方!」
「親方、ディミがもう一回だけ機会をくださいって言うんです」
親方と叫んだのは、昨日の昼頃にここを追い出されていた青年だった。そしてそれを説明しているのはワートさんである。
彼は、ディミと言う男は土下座をして言う。
「親方、もう一回機会を! 許してください!」
親方の空気が変わった。えらい怖くなった。それは昨日の怒鳴っている声とは大違いの、馬鹿にならないくらい怖い声である。
でも俺は平気だ。やくざと渡り合った時の方が心臓に悪かったくらいだし。これ俺に向かっている感情じゃないし。
それでも、事の成り行きを見守ってた料理人たちは、そっと距離をとっていた。なんなんだろう。
「おちびちゃん、余波が来る前に下がりな」
マリアさんが俺を引っ張って、親方から遠ざけた。余波ってなんだ?
「余波って何ですか?」
「親方が本当に怒ったら、私たちじゃ手が付けられないのよ。だから下がっていてちょうだいな、おちびちゃんまで巻き込まれたら大変よ」
そうか、親方は竜巻なのか。俺は何となく納得して、事の成り行きを見ながらも、時計を確認した。
「お夕飯の支度は?」
「親方の指示なく始めたら、いけないの。皆長いけれど、やっぱり親方の指示があった方が動きに無駄がなくなるしね」
マリアさんの言葉はもっともだ。たくさん物を作らなきゃいけない職場は、そういう人の指示が必要だ。
それでも、魔法石の時計は夕暮れ色に近付いている。本当に間に合うのだろうか。
俺はこそこそと、用意ができている物たちを確認し始めた。俺は賄いも作らなきゃいけないし。さて、何が余るかな……
その反対側で、親方とディミが何かもめている。というか、ディミが縋って泣いている。泣きじゃくっている。でも親方はうんと言わない。よっぽど腹に据えかねる事をしたに違いない。
何をしたんだ、あ、食品の横領か。由々しき問題だろうそれは。
ディミという人も、自分のした事の重さが分かっているのか……俺はちょっと気になった。
ディミという人は、結局延々と泣いてすがって土下座して、親方は淡々と何かを言っていた。そのたびにディミの顔からいろんなものが垂れ流されていく。割と美形なぶん無残だ。
料理人たちは時間を気にし始めた。つまり一時間位、もめている。
「間に合うかな……」
ここでは古参の、ルイーズさんが呟いた。時計を見ている。
「今日は遠方に訓練に出ていた部隊が戻ってくるから、料理を一層豪華にしなくちゃいけないのに……」
「ディミもいい加減諦めればいいのに」
「そうだよな。俺たちの都合なんて全然考えてないよな」
料理人たちの不満は俺も同じ意見だ。人の迷惑考えなくちゃいけないだろ、それも犯罪みたいな事して追い出されたのなら。
さてと。
俺は一人立ち上がり、一種の道化になる事にした。
「おちびちゃん何始めるの」
「親方呼んできます」
「今近付いたら」
言ったのは俺より上の立場になっている、ジャン少年だ。彼はぶるぶると震えている。
「俺、怒鳴られるのは慣れっこなんですよ、大丈夫大丈夫」
俺はにいっと笑って見せて、足取り軽くその二人に近付いた。
「お許しを、二度としません! 俺に機会をもう一度下さい!」
「お前は自分のした事の重さをわかっていない」
「お願いです!」
そんなやり取りを延々としている二人である。親方が無駄に優しいから、振り切れないのだ。
「親方! もう支度をはじめなくちゃいけないお時間でしょう? 皆待ってますよ。今日はどこかの部隊が戻ってくるから、ご飯を豪華にしなくちゃいけないって皆不安がってますよ」
俺は親方の片腕をとって引っ張った。親方が俺を軽く見て、ふっと息を吐きだした。
「そうだったな。……ディミ、お前はもっと自分のした事を考えて出直して来い」
「親方ぁ……!!」
とうとうディミは号泣して、土下座のまま動かなくなった。
親方は何か言いそうになって、俺がそれを止めた。
「親方、仕事の方が先です!」
俺の物言いに何かを感じたのか、親方は頷いて、俺に引っ張られて厨房に戻った。
それからはやっぱりものすごい戦場である。ここまで戦場なのも珍しい位の戦場である。
そして今日の俺の仕事は昨日とは違っていた。
「ちび、食堂まで行って、空になった皿を下げて来い!」
「ついでに何が足りないか覚えていたら教えて!」
「ちびすけ、今からブートン獣の香草詰めの丸焼きを出す、運んで来い!」
なんと俺には、給仕に渡すまで料理を運ぶという大役まで仰せつかったのだ!
重いしカートは壊れているし、えらい大変だ。それでも俺は、どういう風に食堂で食事がされているのか興味があったので、頑張って運んだ。
その間に賄いも作らなきゃいけないんだぜ、俺は隙を見つけては野菜を切り、肉の欠片を拝借し、余った香草を頂戴した。
それはさておき、俺はちょっとばかりの期待を込めて食堂に入り、そこで絶句した。
何だこの中世。皆肉を手づかみもしくは小さなナイフを突き刺して食っているし、各々が塩コショウを好みの量だけ振りかけている。酢をかけている奴もいた。
唯一共通で皆が持っているのがスプーンで、それで取り皿に移す事もなくスープやデザートのジェリーを食っている。
はっきり言おう。
「行儀が悪い……」
俺はものすごーく小さい声で呟いた。
おいおい、なんで六百年前から食事風景進化してないんだよ、誰かフォークを考えなかったのか。そうなのか。
俺は皿を下げつつ、ブートン獣を並べつつ、そう思った。
その時だ。
ばしゃりと俺に何か冷たいものがかけられた。
つ、冷たい! 当然だ、今の気温は冷たいから、冷たい飲み物は簡単に用意ができるのだ。
俺は自分の頭からぽたぽたと垂れているワインらしき匂いの液体に、しばし黙った。
何をされたんだ俺は。
そして数秒後、ゲラゲラと下品な笑い声がして、俺はそれをやった相手の正体を知った。
それは身なりの立派なお貴族様らしき男で、取り巻きを引き連れている男だった。かなり酔っぱらっているらしい。
だがそれだから許される蛮行ではない。
しかし、この場はどうにも宴会のような状態らしく、無礼講のような空気が流れている。
俺は彼を見やり、次に言われた言葉にぶちっと何かが切れた。
「やっぱりこんな醜いちびには、ワインの化粧がよく似合うな!!」
ゲラゲラ笑い。
俺はすっと目が細くなる自覚があった。そして動いた。俺はつかつかと、金髪碧眼の、親方よりは小さいけれどしっかりとした体格の男に近付き。
「ざけんな!」
一言吼えて、その頬を平手でひっぱたいた。
そのとたん、食堂は静かになった。




