~ウェルダンさんのターンから~無力な反発 第10話
ここ数日間のこと。二年A組の教室では小林裕紀の、小林裕紀による、仁村博也のための勉強会なるものがしばしば開催されていた。
来る期末試験に向けて、仁村のたっての希望で始まった個人的な勉強会。
仁村の部活動が休みの日に裕紀が彼の家に足を運んだり、あるいは仁村を裕紀の家に呼んだりと、まあ最初はそんな感じに。
しかし、あるところから当の仁村より「学校の勉強なんだから教室でやんのが一番じゃね?」という意見があり、最近はそれに従うことに。というのも・・・・・・。
「んあ~っ、モウジュウブンデスー」
放課後の閑散とした二年A組の教室。もう充分だと、筆記具をその辺に放って、机を抱え込むようにぐてっと前屈みになる仁村の姿。
まだ放課後から三十分も経っていないが、この辺りが彼の集中力の限界だった。学校の教室でこの体たらくなのだから、お互いの自宅で勉強したときの集中力も押して知るべきだろう。
PS4で、すぐにイレブンなサッカーゲームの流れになってしまうと。
「おお~ニムランよ。死んでしまうとは・・・・・・」
裕紀が某名作RPGのセリフを口にする。「情けなくて悪かったな~」と、仁村がセリフの続きを引き取った。
「やっぱり理数系は後回しにする?」
と、裕紀。「んや、数学はそんなに悪くなかったんよ」と仁村の答え。
あらためて、彼の中間テストの答案を見せてもらう。するとなるほど、どちらかと言うと国語や社会科など文系科目の方が、仁村の課題という感じだった。
「おぉーなるほどー」
答案を見ながら頷く裕紀。自分自身にとっては数学こそが一番の難敵のため、数学が苦にならないのは素直に羨ましかった。
「何か、単語どっさり覚えるのが出来ないんよ」
と仁村。そういうことならばと、裕紀も勉強会の方針を修整することに。文系科目なら、自分の十八番だった。
「仁村くん。お疲れ~っ」
裕紀が答案を机上でトントンひとまとめにしていると、ふと教室の後ろから丸っこい女声がした。振り返るとクラスメイトの女子が数人固まっていて、皆ニコニコ愛想の良い表情でこちらを眺めている。
「んあ、お疲れー」
少し振り返って、間延びした声音でそれに応える仁村。「元気ぃ~っ!?」とか「テスト勉強~っ!?」とか、やいのやいのと続けてくる。
「んあ、まあなー」
と、それを聞く仁村はいかにも面倒くさそうに答えた。そんな素っ気ない返事でもその女子らは相変わらず人懐っこく「頑張ってねえ~!」とか「また明日ねぇ~!」とか、仁村の視界目いっぱいに出張るように手を振ったりなんかしていて、まあ彼の気を引きたい好意のようなものが、明らかな感じだった。
「あ。小林君もー。バイバ~イっ!」
不意に自分の名前も呼ばれて、おっかなびっくりしつつ「あ、う、うん。また明日ー」と返事をする裕紀。
こ、コワいから、こっちの方はそっとしておいてくれるとありがたいかなぁ・・・・・・。
特に女子との意思疏通を得手としない裕紀がおどついてるうちに、その女子のグループはかしましく教室を出ていった。
「はぁ~。仁村は相変わらずモテるよなー」
その彼女らがいなくなった後で、感嘆し呟く裕紀。仁村は「ふうっ・・・・・・」とため息をつきながら、
「チョードーデモイイー」
と、つまらなそうに口ずさむ。これが本音で言っているので先ほどの彼女らが少々不憫に感じてしまうものの、
「まあ、ニムランらしいわな」
と、裕紀は微笑ましく頷いた。
「んで。日本史の範囲だけど・・・・・・?」
仕切り直しがてらに背伸びをしつつ、その日本史のテキストを取り出して尋ねてくる仁村。中間テストの内容も踏まえつつ(期末は室町から戦国、江戸時代のさわりくらいまでが範囲だろうと踏んでいる)、裕紀は押さえるべきポイントを教えようとした。
「んあ、ちょい待ち」
と仁村。ピポッと、制服のズボンから機械音。LINEの新着メッセージが入ったらしく、裕紀に断りを入れ仁村はスマホを手に取った。
「ん~、っと。ん・・・・・・ん。って、は?はあああああああぁ~っっ!?」
しばしスマホに見入っていたかと思えば、唐突に大声を上げてこちらを驚かしてくる仁村。「え、何。何?何言ってんのコイツは」と、次には席から立ち上がったりもする。
「ど、どうしたんよ。何が?」と、裕紀はテキストをめくる手を止めて聞いた。
「ああいや、ちょ、ちょっと待ってて!?」
手のひらでこちらを制止し、問いかけには答えず、仁村はスマホを手に席を中座、教室を出ていってしまう。何があったんだと、裕紀は心配しつつ仁村が出ていった辺りを見守る。
十分くらいは過ぎただろうか、ようやく仁村がこちらに戻ってきた。
「悪りぃ、ユウちゃん。ちょっと慌てった」
若干くだけた言葉で、仁村が手刀しつつ謝ってくる。困惑した様子で髪の毛をわしゃわしゃしたりして、裕紀はそれが落ち着くまで気長に待った。
「何か、トラブった?」
とこちらもくだけた言葉で、仁村にそう尋ねる。仁村は「んー、何かなぁ~・・・・・・?」と、不満げな態度ありありに首を傾げた。
「いや。ハヤトのやつがさあ・・・・・・」
と、愚痴るように続ける。
仁村は、せっかく部活動が休みとのことで、彼と同じバスケ部の″ハヤト″こと岩附勇人と、この勉強会が終わったら夕飯でも食べに寄り道する約束をしていたのだという。それが岩附からのLINEで急にキャンセルされたというのだから、仁村が「はあっ!?」となるのもまあ無理はない。
「何ぁーんか、変なんだよなあ。最近」
岩附のことを案じつつ、仁村はその場をうろうろ行ったり来たりする。
「ユウちゃん何か、ハヤトのこと知らんかねー?」
「ん。あー・・・・・・」
聞かれて、しかしあいまいに呟くしか出来ない祐紀。「何だかなあ~」と仁村が独りごちるのを横目にしつつ、内心、言い様のないもどかしさが滲んでくるのを感じた。
岩附勇人についての、心当たり。祐紀が″知っていること″は、恐らく仁村の懸念と合致するのだろう--
「まあ、しょうがねー・・・・・・か」
やや寂しげなひと言を、ぽつりと漏らし。しばらくは、その場をうろうろ行ったり来たりしていた仁村は、
「あ、そういやユウちゃんも誘おうと思ってたんだわ!」
と、次にはいつもの調子でこちらに向き直った。
「え。あ、そうなん・・・・・・?」
やや、内心のもどかしさを引きずりつつも、間もなく仁村に調子を合わせて返事を返した祐紀。「あ、やっぱ予定あるか~塾とか・・・・・・?」と尻すぼみになりそうな友人に、
「いや。今日は何も」
と、首を横に振った。「よしゃ、行こうぜ行こうぜ!!」と、たちまち元気を取り戻した仁村に対し、
「ラスト、十問くらいな」
と、しっかり発破もかけておく。
「うぇ、マジかぁ~!?」
そんなこんなをやり取りしつつ、今日もまた一日が過ぎていった。
(ゴメン、な。仁村・・・・・・)
問題集の最後の十問くらいを一緒に解きつつ、祐紀は心の中でそっと頭を下げる。
岩附の様子が、不審な理由・・・・・・最近のこと・・・・・・″知っていること″なら、多分山ほどある。推測も、いくらでも湧いてくるのだ。しかし祐紀には、その思いの一端すら話すことは出来なかった。
(もし、仁村が・・・・・・)
ふと、思う。もし、この友人が経緯を全て知ったとしたら・・・・・・。
仁村は正義感が強い。岩附の抱える″事情″を知ったら、すぐさま行動に出るだろう。
″原因″の森川を制止するため、″実力行使″も辞さないかもしれない。そうなると、この問題はさらにややこしくなってくるだろう。
(何とか・・・・・・)
何とか、ならないものか。
祐紀は、自分の心の奥底に、人一倍の義侠心の渦巻くような、しかし現実には為す術なく無力さに押しやられてしまうような、ままならないもどかしさの湧いてくるのを感じた。