葛西 結 8歳の記憶と11歳の話。
「結くん、遅くなっちゃってごめんなさいね、今から明日の遠足に持って行くおやつを買いに行きましょう!」
伯父の仕事を手伝っている伯母が帰宅した夕方。僕は伯母と買い物へと出掛けた。やって来たのは家から車で10分位の所にあるスーパーだ。
伯母も食材を買い足しておきたいからという事で、別行動する事になって。少ししたらお菓子売り場に来てくれるとの事だ。
お菓子売り場は小さな子や僕と同じ年位の子が数人。少し混んでいるようだ。
明日は遠足だから、僕と同じように今日お菓子を買いに来ているのかな…と思った。
ちなみに、桐は一週間前から遠足のおやつを用意しているらしい。余程楽しみなんだろうな、と思う。
お菓子売り場には買い物カゴより少し小さなプラスチックのカゴがあり、そこにお菓子を入れて精算する事になっている。
僕もカゴを手に、沢山のお菓子が並ぶ棚を見ていく。何を買おうかな…。
「…あ」
目の前に可愛いミツバチのキャラクターと、ツヤツヤしたレモンのイラストが入ったクッキーの箱があり、僕はそれをカゴに入れる。次に、ぶどうのグミと、ぶどうのキャンディを入れて。
(…あと、これも買おう。これなら、班のみんなで…食べられるよね)
最後に切り分けられた状態で五個入りの、ハチミツがたっぷり入った茶色い壺のイラスト入りのハニーカステラと書かれたカステラをカゴに入れた。
僕の買い物はこれで終わりなんだけど、伯母はまだ来ないようだ。
僕は、カゴに入れたお菓子を見て、ぼんやりと。今の家に来るまでの事を思い出していた――…
自分が持つ黒ではない明るい色の癖っ毛と黒ではない紫に近い目の色が嫌いだった。
前に住んで居たところで、僕がみんなと同じ黒髪黒目ではなかったから、からかわれてばかりいたし、友達も居なかった。
僕は母親と八歳になる頃まで一緒に暮らしていた。いや、住んでいたって言った方が正しいかもしれない。父親については解らない…けれど、母親は元は黒の髪を派手な金色に染めていただけで、目の色も黒だから、僕は父親に似ているんだと思う。
僕が今お世話になっている家は葛西家。母親の兄と義姉である伯父夫婦の家だ。
母親は、ある秋の日の晩。知らない男の人と家を出ていってしまった。そして、僕の物(…と言っても大した荷物はなかったけど)以外は何もないアパートの部屋で。次の日は偶然にも日曜日だったから、両膝を抱えてただジッと座り込んでいたところに、大家さんが訪ねてきた。母親は家賃を滞納していたらしい。
母親はどこに行ったのかと尋ねられたので『夜中…知らないおじさんと、たくさん、荷物…持って、出ていって…しまい、ました』と。
俯いたままボソボソと答える僕から、事情を察したらしい大家さんは『少し待っていなさい』と言うと、自分の部屋に戻り、母親が部屋を借りた時の書類から伯父の家への連絡先を見つけて、伯父に連絡をしたのだった。
この時ばかりは、入居の時に書類をきちんと書いていたあの人に感謝した。
『君が結くんだね。初めまして、梨花子の…君のお母さんの兄で、伯父の葛西 勉だよ』
『私は勉さんの妻…えっと、奥さんで結くんの伯母にあたる、葛西 寿子よ、どうぞよろしくね』
『……あ、の。結、です………』
一時間位が過ぎた頃、かな。連絡を受けてアパートにやってきた僕の伯父と伯母だという人達。二人共優しそうで、温かな目をした人達だと思った。
そして。中々喋らない僕に――…
『無理に話さなくても良いんだよ』
『結くんが話したくなったら沢山お話してね』
と、苛立つ様子を見せたり、怒鳴ったりもせず。そう言ってくれた。人とあまり話をして来なかった僕は内心とてもホッとしていた。
家ではほとんど一人だったし(伯父さん達は昔、母親を心配してくれていたらしいのだけど、母親に干渉しないでくれと言われて、連絡をしても母親が取り合わなかったのだという事を暫く後に聞いた)、学校でも話す人が居なかったから何を話せば良いのか解らなかったのだ。
それから、伯父の家で一緒に暮らそうと言ってくれた伯父夫婦の言葉に頷き、僕は伯父達の家に引っ越した。
ちなみに、母親が滞納していた家賃は三ヶ月分だったらしく、それは伯父が大家さんに支払ってくれていた。『僕…少しずつでも…必ず、返します…から』と伯父夫婦に言うと『子供はそんな事を気にしなくていいんだよ。でも、どうしても返してくれると言うなら、結が大人になったら返して貰う事にしよう』そう言った伯父は、大きな手のひらで僕の頭を撫でた。
引っ越しも済ませて、転校する前日。伯母が僕に友達ができるか心配してくれたのか『ニ軒隣りの剣谷さん家にね? 桐ちゃんていう、結くんと同じ年の女の子がいるのよ。ちょっとご挨拶に行ってみましょう?』と提案してくれた。
僕は頷き、伯母と手を繋いで剣谷さん家に向かったのだけど“剣谷さん家の桐ちゃん”は遊びに行っていたらしくて、留守だった。正直、留守でホッとした。
「桐ちゃん、お留守で残念だったわねぇ。でも学校でお友達になれるといいわね」
「……はい」
きっと、友達になんてなれない。桐ちゃんとやらも、髪の色も目の色も違う僕の事をからかったりするのがオチだ、と思っていたのだけど――…
『結! まだ道覚えてないよね? 一緒に帰ろうよ!』
『……ん』
『結、算数得意? この問題わかる? えっ、算数得意なの!? じゃあ、教えてっ!』
『……うん』
『結! 次は音楽だから音楽室に移動だよ! 一緒に行こう!』
『……うん』
『結! 体育館行こうー! 今日はバスケなんだって! 楽しみだな〜! 結はバスケ好き?』
『…ん。バスケ……ふつう』
桐は僕をからかったりはしなかった。それどころか、ロクに反応を返さない僕に沢山話し掛けてきてくれた。とても明るくて元気な女の子だ。せっかく桐は話し掛けてくれるのに、僕は桐に上手く言葉を返せなかった。
…とても、とても嬉しかったのに。
ある日の帰り道の事――…
『ねえ! 結の髪って、お日様の光にあたるととってもキレイだね〜! キラキラして! んー? あっ、はちみつの色だね!』
そんな風に言われたのは初めてだった。僕の母親だった人にも言われた事などなかった言葉だ。(そもそも、あのヒトは僕のことなんて、全く見てはいなかったけど…)
『はちみつの色に…あ! 目も、ぶどうの色だね! 綺麗な紫色! とっても美味しそう!』
『……おいし、そう…?』
………。…そんな風に言われたのは初めてだった。
『キリは食いしん坊だからなー!』
『えっと、桐はちょっと…まあ、気にしなくていいと思うよ、葛西くん』
この日一緒に帰っていた、山崎くんと川嶋くんが、からかいの目と呆れた目を桐に向けていたけど桐は全く気にしていなかった。
『えっ!? 私、おかしな事言った!?』
『ううん…僕も、はちみつも、ぶどうも…すき、だよ…』
『どっちも、おいしいよねー!』
『…うん』
ニカッと笑う桐を見て、変わった事を言う子だな…と思っていたけど、気づけば僕も口元に笑みを浮かべていた。
桐にとっては、なんて事ない話だったのかもしれない。でも、僕にとっては忘れられない話だ。
「結くん! お待たせ〜! タイムセールに参加してたら、遅くなっちゃて!」
ごめんね、と謝る伯母に『僕も、今…買う物決まったばかり、だから…大丈夫、です…』と告げ、二人でレジに向かった。
僕はレジでお菓子の分のお金を自分で払おうと思っていたのだけど(その為に、貯めておいたお小遣いを少し持ってきていた)伯母は『こちらも一緒で、お願いします』と、僕の分も精算してくれたのだった。
家に帰ってから――…
「寿子伯母さん…すみません。あの…お菓子の、お金…払います…」
「あら! いいのよ、それ位! でも、そうねぇ、結くんがどうしても気になるなら、明日遠足から帰ってきたら、遠足のお話を聞かせてくれるかしら?」
いつかの伯父と同じような優しい言い方だった。
「…そんな事で、いいんですか…?」
「ええ! 私も勉さんも、結くんのお話が聞きたいもの!」
「…じゃ、帰ったら…お話、します。……ありがとう、ございます」
「いえいえ、どういたしまして」
伯母はニコニコしながら『さっ、お夕飯の支度をしてくるわね』とキッチンに入ってしまった。
僕は買ってもらったお菓子を、遠足に持って行くリュックに一つずつ、他のもので潰れないように丁寧にしまい込んだ。
他キャラ視点の話も時々入れて行く予定です。桐以外だと暫くは結視点(桐が記憶を思い出す辺り等)の話を入れる予定です。って、予定ばかりで、ハッキリしなくてすみません;