第2話──不透明な依頼とファンと言う人物
リュウ=トモエと言う人間は、己の分を弁えている部類の人間のつもりである。この旧市街に流れて来て十年、この混沌極まりない廃棄市街で適当に暮らして来た結果が今の無許可無申請の探偵業だった。この旧市街の良い処は、誰も過去を詮索しない事であり、悪い処は誰も過去を詮索しない事である、と言う持論をリュウは提唱していた。
「おい、龍。巴龍」
ここに来て当初の頃は、どうにもその詮索しない過去とやらの所為で、面倒な事が転がり込んでくる事が割と多く、一連の流れが一種のパターンとなる程の多さに辟易とさせられていた事もある。そう言う意味ではリュウの持論は大方正しいのであるが、そもそもこんな所に住む人間は金にならない他人の裏事情にまで御丁寧に首を突っ込むこともなければ、己の仕事にある程度の形が付いているのであれば極論取引相手が目の前で死亡しても構わないと言うレベルのドライな感情の人間が大勢を占める。簡単な話、当時のリュウが依頼者側に良い様に使われていただけの事である。
「……ロン、目を開けたまま寝るとは器用だな」
詮索屋は嫌われる、などと良く言うが、此処では嫌われる程度で済まないことが多々有り、更にはそれに伴う刃傷沙汰も珍しくは無い。この街特有の乾いた人間関係とそれぞれが抱える後ろ暗い過去が取る一種のバランス。この街特有の諺、詮索屋の短命、という物が全てを物語っている。それなのに結果的に何故探偵などを職に選んだのかと言えば、どんな選択肢を選んでも性格上巻き込まれるのなら、いっそ生業にしてしまえば諦めもつくと言う自暴自棄に似た思考を切っ掛けとして、そのまま自堕落に過ごした結果であったのだ。
「王、目を覚ましてやれ」
「解りました、小姐」
お陰で営業をかけずとも仕事が入ってくると言う点では得をしているのか、と微かに思わなくもないのだが、最終的にそれに伴う厄介事が雪達磨式に襲いかかって来る。それらの結果を鑑みるに、リュウとしては精神的には結局プラスマイナスでマイナス収支であると結論付けている。代わりに、危険手当を請求し放題で金銭収支はプラスになっているのだが。
「銃を持ち出すまでに、もう少し対話による関係を築かないか。それは永遠に目が覚めない」
「なんだ、聞こえていたか。それで、その格好はどうしたのかと、私は聞いている」
「努力はしたが、諦めた」
遠い目で己の過去を省みて現実から遠ざかっていたリュウは、己をリュウでは無くロンと呼ぶ透徹とした声が実にきな臭い台詞を発したのを耳にして、嫌々ながら現実に帰ってきた。コンクリート剥き出しの壁に囲まれた応接間、草臥れ過ぎたソファーとしか形容出来ない物体に座って、草臥れたスーツの様なものに身を包んだリュウと向かい合った女はその言葉に処置無しとばかりに両手を上げて指図を送る。それに呼応して、背後でスーツの内ポケットに手を伸ばしたままの巌のような表情を情報端末バイザーで隠した男が、此方を一瞥して扉の外へ出て行った。タイミングとしては間一髪の様だったらしい。
「ロン、以前に言わなかったか。もう少し仕事に対する姿勢を改めろと」
「仕事を唐突にぶち込んできて、尚且つ本人以外に伝えさせるなんて事が無きゃあ、少しは改められたんだかね、黄」
開け放たれたままの扉の外にいる人影を鑑みるに二人きりと言うには若干の語弊があるが、互いに微笑み合うその姿は牙を剥き合う野獣の戦いそのもの。互いに負けられない戦いがそこにはそこはかとなく存在していた。リュウと睨み合う女こそは黄美星、旧市街に根付く不法住民のほぼ全てが頭の上がらない頭目の一人である。長い黒髪をシニョンに纏めたその容姿は、少なくと三十代後半にはなる筈であるがどう贔屓目に見ても二十代後半にしか見えず、スーツに身を包んだスレンダーな体型も相まって余計に年齢不詳に見せる。近頃の人間には珍しく生体手術で情報投影用角膜を移植せず、骨董品の眼鏡を改造した投影スクリーンを使う変わり者だった。何か気が高ぶったり不愉快であったりするとその蔓を確かめる様に触る癖は彼女を知る人間には周知されていた、詰まりは今現在の様に。
「仕事と言うものはな、天からの授かり物と知れ。天、即ちこの街に於ける私からの授かり物だと。さて、天はお前の要件など鑑みるか?」
「鑑みなかった結果、俺がいなかったらどうするつもりだ。ファン、お前の何処がお天道様なんだか知らんが、唯我独尊も程々にしろ。中華主義なぞ、とうの昔に遺物だろうが」
「黙れ、お前の意見など聞いていない」
「疑問提示してきておいてそれか、相変わらず話にならねえな……」
ファンと言う女は確実に仕事は出来るのではあるが、自画自賛振りがメーターを振り切っている事もまた有名である。口さがない者は、美しくとも出来過ぎる女、綺羅星の如く輝いていても性格に難がある女
、どちらも男は近寄らない。そしてそれが両方揃うとファンになるなどと噂し合っている。つまり、『美』しいが出来過ぎ、『星』のようだが性格に難がある、黄美星と言いたいのだろう。誰が言い始めたのかは知らないが、何にせよ彼女の耳に入っていたのであれば恐らくは私刑に処されている可能性は高いと言える。
「それで、俺に客だとか聞いていたがな。俺の目にはファン、お前と外で入口を固めてる見慣れたお前の護衛しか見えないんだが」
「ああ、簡単な話だ。客はな、こない」
「ん?……いや、なんだそりゃ?」
自分から仕事だと呼びつけておいて客はどうした、と言う皮肉のつもりで発した言葉だったのだが、予想の斜め上の返答が返ってきてリュウは混乱した。何と無く予想はしていたが、何一つ言葉を濁す事すら無く、来ない、と言い切られるどは思わなかったのである。仕事に対して不義理を嫌う女である事を、知っているからこその驚きもあった。
「依頼が無くなったって事か?それならそうと早く──」
「話を焦るな。手筈が上手く整わなくてな、連れて来る予定が狂った。
お前の方で直接訪ねてくれ」
「依頼自体は継続、と?」
「そう捉えてもらって構わん。手付けはこれだ」
おい、と黄が開け放たれたままの入り口に声を掛けると、先程彼女にワンと呼ばれた男が室内に入り、手にしていたケースをテーブルに静かに置く。そして開口部をリュウに向けて目線で黄の指示を仰ぎ、微かに引かれた顎の動きを確認し、ケースを開け放つ。横目で中身を流し見たリュウの動きが、固まった。
「……こんなもの、どこから持ってきた。真っ当な依頼には見えないな、断ってもいいか?」
「断れると思うならな。因みに参考までにだが、断った場合は──」
意味有りげに黄が言葉を切った瞬間、今度こそ米神に冷たい金属の感触を感じる。首を動かさずに横目で確認すれば、先刻は抜き放たれなかった中々に重厚なフォルムの大口径拳銃がワンによって今度こそ突きつけられていた。両手を挙げて無抵抗の意を示しながらリュウは嘯く。
「デザートイーグルとは趣味が悪いな──50口径は未強化の人類の頭に突きつけるには、ちとゴツ過ぎやしないか。目覚ましもクソも、こんなんで頭撃ったら原型無くなっちまうよ」
「銃の選択に関してはワンに聞いてくれ、大口径と言うのは個人的には好みじゃあない。最近はマギノタイト生体強化処理のお陰で、この口径でも無ければ致命傷にならん連中も増えている事もあるがな」
「だってよ、ワン。少なくとも生体強化してない俺は、抵抗する気は無い。取り敢えず、その物騒な物を下ろしてくれないかね」
「小姐、良いんですか?」
「下ろしてやれ」
「畏まりました」
その言葉と共に頭に突きつけられた固い感触は離れていく。脇のホルスターには仕舞いはしたが、ワンがリュウの背後から動くことはない。銃自体は熱線銃でも球電銃でも無い、比較的規制の緩い質量弾銃だが、流石に50口径は別枠である。
現状個人携行の質量弾銃が主流では無く、所持規制も緩くなっている原因として、タンホイザで新発見されたハイネマン粒子を流し込むことにより硬質化するマギノタイトなる名称の金属がある。銀以上に金属イオンが溶け出さず、何よりハイネマン粒子を流し込まなければ柔らかい為、生体インプラントには実に有効的な素材であった。これを皮下に繊維状に配置し、脳にインプラントされたハイネマン粒子制御チップとリンクさせることで、有事にハイネマン粒子により励起させられたマギノタイトは硬質化する。こうして小口径銃弾程度であれば問題無く防ぐ事の出来るマギノタイト生体強化処理なる軍事技術が生み出されたのである。全身の皮下に設置し、皮膚もマギノタイトに変更すると言う、強化機甲服までとは言わないが、小出力のプラズマガンにも耐えるように設計されたNIJ規格V以上のボディアーマー並みの防御力を持つ施術をされた治安維持部隊も存在している。一般ではコストの関係や規制もあり其処まで徹底した強化人は少ないが、身体の要所や腕、脚などの皮下だけを強化した者はそれなりにいる。それだけでも一見何も装備されていないように見える為、護衛業を生業にする者や職業犯罪者には利用者が多い。
但し、ファンの言葉ではないが、拳銃ならぬ、小型砲なる別名を持つ個人携行の質量弾銃では今でも最高峰の威力を持っている50口径拳銃は別である。生半可な生体強化など物ともせずに、対象を破壊する為、そんな物を頭に、ましてや未強化の状態でそんな物を突きつけられるのは、誰であろうと心臓に悪い。随分と警戒されているようで、と肩を竦めると、背後のワンから剣呑な気配と銃把を握る動作を感じたので慌てて手を挙げ直す。
「ロンも手を下げろ、いい加減見苦しい──さて、私の意思は示した。色好い返事を期待する」
「色好い返事もクソも、依頼内容も何も分からないのに、選択肢が実質無いとはな」
「何を言っている、断っても良いのだぞ。その場合はな、公明正大且つ親切な私が、お前の頭を泰山府君のしろしめす偉大なるタンホイザの彼方まで吹っ飛ばすと言う良心的なサービスを付けてやる。その場合は依頼内容などどうでも良いだろうし、請けるなら請けた時点で話す。ほら、何の問題もない」
「………」
泰山府君のしろしめす偉大なるタンホイザとは、つまりは彼岸と言いたいのだろう。もっと簡単に言えば地獄と言い換えても変わらない。断る時点で殺すので依頼内容など先に知っても後に知っても大差が無い、と真顔で語る女を出来ることなら今すぐにでもぶん殴ってやりたい、とリュウは真剣に願った。表情に浮かべるだけでも、ファンの忠実な部下であるワンによる鉄火の制裁が降る為、内心に押し止めざるを得ないのだが。
「請ける、だから質問には答えてくれ」
「よし、流石は私が見込んだだけはある。必要な質問なら受け付けてやろう」
必要ではない質問はどうなのか、という問いなどしなくともすぐに答えを理解するだけの推察力は幸いながら持っている。返答無しで、代わりを銃声が担うのだろう。しかし、情報は有れば有るだけ有利になる。柄にも無くこの女は随分と焦っている様に見える。分水嶺を見極めなきゃな、とリュウは少しだけ目を眇めた。
「客の要件は?」
「直接聞け」
「客の容姿は?」
「判らん、行って聞け。私の紹介と言えば判る、余計な事は言わずここへ連れ帰れ。それ以上はそれからだ」
「……きな臭いな。そう言えばアンタの事務所の方だったかなあ、今朝の爆発騒ぎは」
その答えは、後頭部に押し当てられた鋼の銃口だった。必要最低限度の質問すらまともな返答がこなかった時点で、返ってこないよりは返せないのかと鎌を掛けてみたリュウだったが、その反応は思いの外直線的だった。どうやら、爆発騒ぎは余程ファン陣営のお気に召さなかったらしい。ファンも、今にもリュウの頭を吹っ飛ばそうとしているワンを嗾けこそしないが、止めようともしない。どこが爆破されたか知らないが、そこまでデカい地雷だったのか、リュウは少し後悔したが、事態はそれどころではなかった。
「……格好も整えられない分際の割に、無駄な勘は働くな。私の事務所が──いいか、私の事務所がだ。今朝方、私の仕事を邪魔する屑共のお陰で奈落の彼方まで吹っ飛ばされた」
「うわお……選りに選って、黄家の本事務所にかよ」
底冷えする様な殺気を隠さないファンの口から出た言葉は、正真正銘の掛け値無しの特大地雷だった。聞いたところで仕事の危険度は変わらないが、余計に無駄な質問に対する危険性が上がったことだけは確かである。ガチリと銃身を伝って聞こえる作動音は、撃鉄を起こした音か。命の導火線に火が付くのはそれなりに慣れてはいるが、この受け答えだけでそれが半分くらいの短さになった上にガソリンが撒かれた訳である。枝葉を引き出すのは止めて、引き出すのは必要最低限の情報だけにした方が賢明だろう。思った以上に分水嶺は近かった。
「容姿不明、要件はここでは言えないが、話は通ってる。と、これだけかと聞きたいが、これだけしか言えないわけか、理解した」
「それ以上は黙れ、耳目は何処にでもある」
「水漏れが多い事で……痛え、場を和ませる軽口に銃で小突くなよ」
余計な口を叩いて銃口で小突かれながら、リュウはファンの言いたい事を把握した。この街でも一、二を争う勢力者のファンの事務所を衒いも無く吹き飛ばすだけの利権が絡んでいる依頼となると、何処で話が漏れるかわからない。それ程の大口依頼だ、この報酬も頷ける。机の上のケースの中にある現金の横、見覚えのある丸いメダリオンが別の小さなケースの中に保管されている。全てナンバリングされ、厳重に管理されている筈のこのメダリオンが此処にあると言うことは、つまりは真っ当なルートから貸与されているということだろう。
「で、向かう場所は……聞くまでもないか。こいつを貸与されてる位だ、絡んでない筈がない」
「ふむ……これを一目で──判別するか」
「珍しいが、だからこそ見た事があればすぐにわかるだろう……特別な事じゃない。界境士のメダリオン、連中が外部に仕事を依頼する時の許可証だからな。新市街のタンホイザ管理協会、此処が目的地だな?」
「──話は以上だ、行け。首尾良く戻ったなら下の大家に繋ぎを取れ。仕損じるなよ、失敗は命で支払って貰う」
立ち上がるファンと視線が合う。一瞬の視線交錯後に、リュウは気負いなく口を開いた。この程度の脅しなら日常茶飯事だ。
「つまりは、いつも通りって事だな」
「そうだな、そのメダリオンを一目で判別できる人間の過去を詮索しないのは、いつも通りの情けだ。この街の、情けだ。抜かるなよ、ロン」
「……黙ってろ」
吐き捨てるようなリュウの返答に、にやりと口元を歪ませてファンは立ち上がる。颯爽と出て行くファンと追従するワンの後ろ姿に、中指を立てる事でリュウは多少の溜飲を下げる事にした。