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第1話──御機嫌且つ、憂鬱な空

その日は朝から薄曇りの、良いのか悪いのか何ともはっきりしない天気だった。窓から差し込む光も鈍く、朝なのか昼なのか夕方なのかよく解らなくなる一様の鉛雲曖昧な天気だが、憂鬱になる方が多いであろうこの天気を割とリュウは気に入っていた。


「……暑いわ、流石は旧市街(オールドシティ)。良い加減に気象管制(エアコントロール)をこっちにも導入しやがれよ」


赤道に近い訳では無いが、それでも猛暑と言って良いであろう気温である。曇天のお陰か、多少ここ数日よりは気温はマシになったように思えるのは、地味に有り難い。しかし世の中とは上手くいかない物で、代わりに湿度が高い。その所為で結局快適とは口が裂けても言えぬ、程遠い環境だった。リュウが思わずぼやくのも、まあ仕方ない部分は多々あった。デザインとしてのコンクリート内装ではなく、単に内装を全く弄っていない独房と間違えんばかりに灰色一色の殺風景な部屋の通気性が良いわけもない。


「……こりゃあ、飲みすぎたかねえ」


昨夜の晩酌のせいか、若干鐘の音に似た鈍痛を訴える頭を掻きながら、すぐ横のテーブルに放置されていた琥珀色の瓶の中身を煽って──軽く噎せた。多少酒精が飛んでいるとは言え、アイラのモルトは迎え酒にするには些か度数が高過ぎたらしい。寝惚け眼で一口呑み降し、流石に朝から酒はどうかとぼんやり考える。しかしすぐに、特に何やら案件があるわけでもないから大した問題じゃないか、とやる気の欠片も無い思考を展開し、漸くベッドから離れると言う選択をした。


一般より少し高めの身長と、大き目の肩幅に搭載された普段から愛想が良いとは言えない表情だけでも、大抵は借金取りか何かだと思われるのが密かにリュウの悩みの種だった。そこに加えて宿酔の頭痛からくる眉を顰めると言う、更に人が寄り付かなくなるオプションを追加すれば君子危に近寄らず。人混みを歩けば人が除け、路地を歩けば犬に威嚇される立派な社会不適合者の完成であった。お陰で健全な客は寄り付かないし、何より健全な女も寄り付かない。腹に一物ありそうな商売女であればまた別だろうが、金を払ってまで女を求めているわけでも無いし、ましてや面倒事を背負い込むなど以ての外である。そもそもが、リュウは見た目によらず、純な女性が好みと言う只の個人的趣向の問題で商売女が好きでは無いだけであるのだが。


グダグダとベッド下に脱ぎ散らかされたシャツにダメージジーンズと言うよりは年季が入り過ぎてダメージ加工を自動的に取得したジーンズを適当に履いて一呼吸し、隣へ繋がる扉を開けた。隣の部屋も同様に壁紙など知らぬとばかりに打ちっ放しのコンクリートの剥き出しの内装にどこのものとも解らない拾ってきた油絵、そろそろスプリングが昇天しそうなソファーと安物のテーブル、羽目殺しの窓にガタが来ているエアコン、これだけは少しまともな木製のデスクと大き目のデスクチェア。とても金をかけている様には見えない此処がリュウの些細な城であった。


「くそ、寝た気がしねえな」


ぼやきながらも欠伸を噛み殺し、気分転換とばかりに非常用外階段を降りれば、嫌でも飛び込んで来る外の景色は今日も大して変わりはしない。遠くに見える海を背景に、彼方此方に荒廃寸前か荒廃した鼠色の墓標が雑然と建ち並び、下を覗き込めば露天やら違法営業の飲食店などがさして広くもない道端に犇いている。出来た当初は持て囃されていたが、今では世間で俗にコンクリートスラム、と揶揄されている低層階雑居ビル群を中心としたコンクリートの塊は本来街の名称があった。しかしその街の名称は、都市機能その物を新しく設計し直した事でそちらに移行し、今では只旧市街とだけ呼ばれている。本来此処はもう存在しない更地になっている予定の場所だったが、世界中が建築バブルと言ってもおかしくない位に新しい建築に需要が偏っている現状、そちらに人が取られて単価の低い単純労働の人手が足りない御時世である。ましてや、街一つの取り壊しなどに割く労力は後々の経済効果を鑑みればそうそう高くない。結局取り壊しが進まず、気付けば不法就労者や違法業者が建物を不法占拠して跳梁跋扈する魔界と化してしまったのであった。


「ん、何処かが爆破でもされたか?」


微かな爆音と共に立ち昇る煙を見て、煙草を片手にリュウは呟いた。この街は、この旧市街がそのまま大規模のアンダーグラウンド市場である。そう言う意味では手に入らない物はまずない便利な場所であるが、代わりに治安は周辺地域をぶっちぎって悪い。この様な爆発騒ぎでもあまり動じることがない程度には、抗争騒ぎがありふれてはいる。その中にある、五階建て外階段の少しだけ塗装の剥げかけたペンキと下地の灰色とのまだら色で染まった低層ビルの三階の一室、『リュウ=トモエ探偵事務所』とひっそりと一階の集合ポストに書かれたそれが、リュウの職場であり住処であった。


一階には大家兼定食屋を経営する老人が住んでいる。割と長い事店子で厄介になっている筈だが、リュウは彼の名前を覚えていなかった。おそらく他の入居者も似た様な物だろう、その証拠に一度たりとも大家の名前を誰かが呼ぶのを聞いたことが無かった。そんな老人の風貌は、昔話の魔女だか魔法使いを更にくしゃくしゃに丸めたような塩梅で、大体誰でも爺さんと呼べば振り向くので名前を覚える必要性をそこほどまでに感じなかったと言うこともある。ともあれ、朝はそこで食うのがリュウだけではなくここの住人の定番だった。


「昔住んでた頃の倫敦みたいな天気だ、懐かしいなあ。知ってるか霧の都ってぇよう?」


珍しく早めの時間に入店した所為か、リュウ以外に客はいなかった。日替わり定食の饂飩を啜りながら何することもなく外を眺めていれば、大家の老人も外に目をやって嘯き始めた。そもそも倫敦が霧の都なぞと呼ばれていた時代が何年前だと思ってるのだろうかこの爺さんは、と思わなくもなかったが、こんな会話自体は今に始まったことではなかった。良く良く年齢不詳の人物である。


「爺さん、流石薀蓄を垂れるだけあって長生きだな。ざっと二百は超えてるだろ」


などといつもの如く話を振れば、ひひひ、と気色の悪い笑い声を上げてサンドウィッチを投げて寄越す。持ち帰りで昼の軽食を頼んでおいたのがこれなのだろう。飲食店を営んでいる割にはどうにも食品の扱いが雑であった。これで割と何を作らせても味が絶品と言うのだから、世の中誰に才能が眠っているのやら解らないものである。


「しかし、こっちは不景気だぁねぇ。新都心やらあっちの方は景気良さそうじゃあないか、『新世界』結構見つかってるってぇなあ」


「嗚呼、また増えたのか──タンホイザ」


店の隅に置いてある液晶パネル投影の2DTVと言う骨董品の映像を見ながら老人は溜息を吐く。適当な相槌を打ちながらチラリと目を向けてみれば、実に景気の良い話をしている。新しいタンホイザの発見による経済効果を力説する専門家と合いの手を入れるキャスターの組み合わせは、いつの時代も変わらない。恐らく報道と言う物の形態が変わらない限りは暫くこのままであろう。


「なんだい、見事に興味がねぇ顔しくさって。若ぇんだから、もっとこう新しい商機とかにがっつかねぇのかい?」


「しがない探偵の俺にタンホイザにどんな商機を感じ取れってんだ、爺さん。そもそもな、あんなデカい案件、零細業者じゃ一口噛むどころか鼻先で笑われて終わりだろうよ」


こいつがビジネスチャンスって奴だろ、こう言うのをよう、と口を尖らす老人に、リュウは一般的な常識で返答を返してやった。そう言うのはチャンの奴辺りに教えてやれよ、とも付け加える。流通小売を生業にしている国籍不明の四階の住人ならば、まだリュウよりは反応を示すだろう。問題としてはこの辺りの人間の例に漏れず、無届無認可であること位だろうか。何にせよ、リュウにとっては新しく開通したタンホイザなど、全く意味の無い話題である。その辺りをこの老人は理解しているのかは何とも不明であるのだが。


「ん、あんなの詰まる所は開拓だろう?開拓公社もあるんだし、早く手を出せば食い込むなんてぇのはどうとでもなるんじゃあ無いのかよう?」


「開拓公社は開拓のみだろ、無許可で採掘物資を売って良い訳じゃ無い。何でもかんでも基本的にはタンホイザ関係は殆ど国連の運営団体なんだ、良い物は全部検閲で取られちまうよ。例えばマギノタイトとか変性黒鉄鋼、それと思念銀(ミスリル)なんかは特に」


伊達に資源問題の最終解決って言われてないんだ、異世界って奴は。リュウの言葉に、老人はまだ納得のいかない顔をしながら唸っている。まあ自分で掘った物を自分で換金出来ないと言う処は確かに納得いくものじゃ無いだろうな、と他人事で考える。


そもそも思念に引き寄せられ、次元すら透過する粒子の発見を論じた思念粒子論、其処から発展したタンホイザ理論──新世界理論とも言われる所謂異世界への移動理論が提唱されて十年。そして実際にそれが開通して、更に二十年。未だ地球は覚めやらぬ空前絶後の熱狂の中にある。例えるならば嘗てカリフォルニアで起こったゴールドラッシュに、中世期の欧州圏の大航海時代が合わさった様な物と言えば、熱狂の具合が分かろうと言う物か。新しい新世界──タンホイザが開通する度に、未知が増えるのだ。常に経済に、好奇心にアドレナリンを打ち続けられている様な物である。新しい理論、新しい技術、新しい資源、全てが人類を未だ嘗て無い黄金期に導いている様であった。煙草に火を付ける動作ですら、タンホイザが発見される前と後では違う。今ではライターなど使わない、殆どの人間が指先一つで火を付ける時代である。


指先から火を付け、手を使わずに物を飛ばし、相手の登録基本情報を網膜に直接投影する──全て一昔前なら手品か魔法などと言われそうな物も、今では技術の一つとして根付いている。発見者の名前を取りハイネマン粒子と呼称を付けられたこの思念粒子理論、タンホイザ理論の原型として提唱されたこの理論を元にしているこれらの技術は、専門家と言う連中ですら良く理解出来ていない。そんな技術が一般に浸透している怖さをこそ、誰も理解していない処が人類の強さであり恐ろしさであろう。


「じゃ、弁当どうも。一緒に金置いとくぜ」


机に代金を置いて、老人の答えも聞かずに席から立ち上がる。碌に相手をされていないのが分かっている老人は不満気であった。誰でも振った話題の受け答えがこうも木で括った様な物であれば、不満も溜まるだろう。


「やけに機嫌が悪くなったなあ、来た時にゃそうでも無かった癖によう」


「世間で持て囃されれば持て囃される程、興味が無くなる性質なんだよ」


肩を竦めるリュウに対して、老人は呆れた口調でぼやく。背中に刺さる視線も若干痛くなった様に思えて、少し大袈裟に首も竦めながら外への扉へ向かう。何にせよ、この空気はさっさと退散するに限る。


「格好つけんじゃねえよう。全く難儀な性格してやがるなあ……お、そうだお前さんに客があるらしいよう。ファンからの紹介だとか聞いたんだがよう」


「ファンから……碌な客じゃなさそうだな。日時は?」


少なくとも余り聞きたくない名前が出て来たことで、足を止めざるを得なくなったリュウの眉根が寄った。この辺りの顔役の一人であるファンは、面倒な案件を格安で押し付けて来ることに定評がある。無論断ると言う方法が基本的に存在しないのが悩みの種であろう。この旧市街でほぼ唯一正規の不動産業を営んでいるファンの世話になっていない住人は、ほぼ皆無である。お陰で仕事を頼まれた瞬間、断ると言う選択肢が存在しない。断ってしまうと自主的と言う建前を掲げた、内実同じ様にファンに強制的に依頼された似たり寄ったりの連中が日夜問わず嫌がらせに来る。命の保証も、場合によっては無い。


「あー、今日の夕方に連れてくとよう。良かったじゃねえか、無駄時間使わんで金まで稼げるんだからよう」


「押し掛けじゃねえか、爺さんの処に寄らなかったら、知らんで寝てるぞ俺」


「いつも此処でしか飯食ってかねえだろう、行動が単純なんだようお前さん」


それに教えたんだから問題ねえだろうようとの言葉に、苦り切った表情でリュウは頷いた、頷くしか無かった。どうせなら事務所で爆睡して聞いてない事にしておきたかったが、後の祭りである。ファンの客と言うことは、下手な粗相を出来ない、文字通り命に関わりかねない。


「自分で言うのも何だが、無許可無認可の探偵に仕事を頼んだって成果なんぞ高が知れていると思うんだがなあ……」


「ファンに直接言うこったなあ、そんなもん儂は知らんよう」


当たり前と言えば当たり前の答えに、リュウは心の中で頭を抱えた。老人はそんなリュウを見てケラケラと笑い、まあ信頼はされてるんじゃあ無いか、と根拠も無い言葉を無責任に発している。と、其処でふと疑問に思ったことを尋ねてみようとそのまま疑問を口に出した


「そういや爺さん」


「何だよう?」


「タンホイザを商機だなんだと推す割には、ハイネマン粒子由来の物が何にも無いよな、この店」


「あんな胡散臭ぇもの、置いとけるものかい」


「……そりゃ、至言で」


確かに老人の世代からしてみれば、一昔前の通販の開運ネックレス並の胡散臭さだろう。実に真っ当な返答に納得しつつ、店から出て行く。今日の依頼忘れんなよう、と言う声には、振り返る気力もなく手だけ振り返す事で返答とした。何もしないでダラダラと過ごす筈の今日の予定が、波に洗われた砂の城の様に崩れて行く。深い溜息を吐いて、やらねばいけない事を確認する。まずはリュウの認識に於ける普段の仕事に於ける最低限の身嗜みを、ファンが認める程度には最低限の身嗜みにまで進化させねばなるまい。


「嫌な天気だ」


見上げてみれば泣き出しそうな曇り空、嫌いではない筈のその空に今日は少しばかりの嫌気を感じたリュウは、そう呟いた。


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