8:結婚の約束の新たな始まり
別邸へ帰ると、すでに両親にはエルウィン様から、連絡が入っていた様であった。
出迎えるなり、両親はルルカを抱きしめ、付き添い歩いていたけれど……心なしか安堵の色が見える。
口約束であるが結婚の約束は、王室から信頼の厚いジョフ ハルバード様立ち会いのもとなされた約束ごとだった。
最初の兄とリスレイの婚約を蹴ってしまっていた、うちにはもう断りようがなく。
教会と王室の審査や許可の必要な、正式な婚約を交わす予定ではあったらしい。
それでもリスレイとの顔合わせの際、ハルバード様に気に入られていた兄が、執事を伴っての猛抗議を行った事と、母が倒れた事で、やっと口約束という形で、未来に先送りしていた二人の結婚の口約束が、やっと終焉を迎える。
母はリスレイの登場で、一時期、目に見えて落ち込んでいた、ルルカの様子を間近で見てきいたので、とても心配をしていたはず。
そして部屋に戻れば、開口一番
「彼との結婚は諦めるんだ。君に将来いばらの道を歩ませたくない」
そう父がいい、母は「良かったわぁー。お兄様にも連絡しないとね」と、珍しく喜びを隠せない表情だった。
「それと同時に、輸入産業でも儲けているペイジの家でも、痛手になる程度の慰謝料をふんだくろう。そして元鞘を考えれば、そうなっても、そうならなくても、破産手前になる額を呈する」
「貴方……税理士さんに、いい弁護士さんを紹介して貰いましょうか」
父と母は完全に、厄災退散というような心持ちのようだ。
「あの……お話、宜しいでしょうか?」
そうエルウィン家のソレリア様が声をあげた時、父母の動きが止まった。
この方は誰? そう顔で言っていたが、胸に納めた様だ。
「はい。何でしょうか?」
父はあくまでも朗らかな声を努めて出した。だか、顔を向ける際の動きはカクカク動いていた。
「こちらノア家の現当主から承りました。婚姻の申し込みでございます」
「ノア家!?」
「婚姻!?」
「なんでですか?」
両親は私を見つめ、「うーん」と声を出したが、溜め息をつき諦めたようだ。
公爵家の侍女である、ソレリア様から手紙をいただく。
公爵家の侍女ならば、行儀見習いで、我々より高い地位の方かもしれない。
両親は緊張感に包まれ、ルルカは夢かもしれない。でも、どこからなら嬉しいのかしら?
そして……うちの家族は鳥の雛の様に、ソファで父を中心に寄せ集まり座った。
父はペーパーナイフを片手に持ち、母と私は膝の上のスカートを、抑えるように座っている。
ソレリア様には頼みこみはしたが「いえ、私ここで」と、素晴らしい笑顔でかわされてしまっていた。
「いいか、開けるぞ」
「「はい……」」
父は中から手紙を取り出して、それをゆっくり、ゆっくり開くと、顔の前で見た。
そしてそれをゆっくり二つへと折り曲げる。
次の瞬間、それをルルカの膝の上へとのせ、父は立ちあがり、母も父に続き扉へと進みいく。
「今度は君が、ゆっくり選びなさい」と言って、顔を覗かせていた扉を閉めた。
リビングに、ソレリア様と二人。
紅茶の湯気か薄くたちのぼり、時計の音、心臓の鼓動、そして手紙。
それだけが、世界を作り出しているようだった。
「あの……ソレリア様、座っていただていいでしょうか?」
「はい」
彼女はルルカの意思に気づいた様に、肌が触れそうなほど近くに座った。
「あの……私、今日振られてしまいました。輝く光の様な方でした。でも、振られてしまいました。でも、縁があって、夢を思い出しました。錬金術になって友だちを助ける夢です」
「はい」
彼女は、ニコニコとした笑顔をくずさなかった。
そしてルルカにもとりとめのない、話しをしている自覚はあった。
「今まで……私から終われない悲恋中でした。異性の方々とは距離をとって来たのに……。ある方と一緒にお茶を飲めば、楽しかったのです。相手は、あのエルウィン様で、好感が持てる方でした……」
ルルカでさえ、今の自分の気持ちは複雑で、持て余してしまっていた。
エルウィンに好感を持つ気持ちもありながら、悲恋であっても、気持ちを偽りながらでも、彼女は諦める事を選ばなかった……。
「…………手紙を拝見します」
手紙は新しいインクの匂いがした。
内容は結婚の申し込みとして、当たり障りのない物の内容に思えた。
ただ、返答期限があえてか、無期限になっており、『いつまでもお待ちしております』。
そう、エルウィンのサインと、同じ文字で書き添えてあった。
「無期限って……」
「エルウィン様は、諦めの悪い方なんです」
それを聞きいて、しばし言葉を失った。
お相手を、間違えておいでなのでは?
それはいくら何でも、口に出すには、失礼に当たることだわ。
それなら大きな農園を営む、ノア領にとってうちの様な錬金術の工房を多く持つ領は、お得意様と言える。しかしその線は、ノア領にも錬金術の工房はあり、錬金術師はカサブランカ毎年輩出さている事を考えると、未来の当主の結婚をもってまで進める関係性ではない。
一番、そうかなって思えるのは紅茶の淹れ方、毎日飲みたくなってしまうほど美味しいのかもしれない。こればかり主観だから強い理由になる気がする。
そして後、もう一つ……。
「ソレリア様、確かに手紙を受け取りました。領主様、エルウィン様の寛大なお心と、お気遣いに感謝申し上げます。なので。無期限という言葉に甘えるわけにわいきませんが、考える時間をいただきたく存じます」
「まぁー、ありがとうございます。そのお言葉、当主様、並びにエルウィン様に必ずお伝えしますわ」
「ありがとうございます。すぐに手紙にしたため致します」
そうすると、彼女は少し考える顔をする。
ルルカが静かに待っていると、新たなお茶が運ばれてくる。
外で聞いていたような、手際の良さだった。
「やはりエルウィン様も私からの言葉より、手紙を読み返すって行為に、心ときめくものがあるのかしら……」
――はい……?
今、ソレリア様が驚く事を、おっしゃった様な……?
「ルルカ様、では、宜しくお願いします」
「はい、どうぞご自由になさっていてください」
そう言うと、私付きの侍女に目配せをして、父の書斎へと向かった。
父に返事を貰い、扉を開ければ足元に丸まった便箋の紙が転がっていた。
父の書斎の中は、戦争だった。
書斎の重厚な机の前に座る父の傍らに、母、執事、ばあや、そして侍女長までいる。
口を開け見渡すルルカではなく、視線は父に集中している。
そしてその便箋を書き記していた、父が顔を上げた。
目を細めるその顔は、先程より明らかに憔悴していた。
「ルルカ、気持ちは決まったか?」
「ええ……はい……」
「その様子から察する事が、できるよ……」
まわりの様子からは、少々の落胆がみえた。
そして声には張りがなく、父は明らかに落胆を隠せない様だ。
「断りの手紙を、今から書こう。任せなさい。すべて準備できていた事だ……」
そう言って書き上げた手紙を、手に取った。
「失礼ながら旦那様、お嬢様は部屋の様子と、旦那の憔悴の様子に驚きなだけかと……」
「そうなのか……? ルルカ? 返事を保留させて欲しいと伝える手紙と、申し出をお受けする手紙もこの中にある。好きなものを選びなさい。だが……お断りする手紙は、文面に戸惑い……、そうだ。そちらの場合は、君の意見も聞かせて欲しい。そうすれば申し分のない手紙に近づく速度は増すはずだから……」
落胆の隠せなかった父の顔が、執事の言葉を聞き、顔に光がかざされたように明るくなる。みんなの落胆は、ルルカの出した答えについてばかりではなかった様だ。
「あの……気持ちの整理もつきませんから、保留させていただく事についての、手紙に致します」
「わかった……。ここの署名と一言添えるがいいよ。夫婦と言うのは、失敗はあるものだ。書き損じても、縁起の悪い物ではないからな」
「あっ、……はい」
彼女は書類にサインと一言『お心遣い感謝申しあげます』添えるが、その間にばあやが「『わかりました』と、申し上げたじゃないですか……」と父に言い「いや、私は父親の気遣いとして言っただけで……」と、小声で話し出し、「お二方、では別室にて、その事について話しいたしましょうか?」と、執事に連れ出されて行った。
急ぎ応接室へと戻り、ソレリア様に手渡した。
そして既に帰ってしまった馬車の代わりに、馬車を出そうとすると……。
「お気遣い感謝いたします。ですが、それには及びません。今か、今かと待っているはずですから、歩いて帰りますわ」
「なら……」と、いう言葉を待たず、執事や家の者の開けた扉を、いくつも通り抜け彼女は「ごめん遊ばせ」と優雅に夜の住宅街へと消えていった。
そしてどこからか、馬のいななく声が聞こえて来た。
続く




