39:逃げ惑う人々と、空飛ぶ大蛇『ヤクルス』
蛇注意です!
様々な貨物が置かれ、隙間が道となっている。
そんな港の中を、彼女は兄のもとへとひた走る。
ハァハァハァと弾む息、道を横ぎる様に、突き出る台となっているパレットが、彼女の手、足に当たり、小さな赤い線を残していく。
――後ろを振り向きたい。
エルウィン、アンドリュー、リスレイ、彼らは、背後は、どうなっているの?
魔物はどんな? 倒せそう? 私にできることは、本当にないの?
――無事に、帰って来て……。
そして髪を振り乱し、到底淑女とは思われないだろう恰好で駆けて来た。
そんなルルカの前に、金属で出来た階段があった。
カンカンカンという音とともに、白のセイラーカラーを着た誰かが、ルルカのもとへと降りて来る。
「ルルカ様、アッシュ様はこちらです」
――騎士の練習服? いえ……、あれは王国海軍の……。
目の前にかかる長い髪の間から、目に見えた事だけ確認する。
続いて、胸に手を置き、フゥーハァー、フゥーハァー、フゥーハァーと深呼吸。
そして彼女はすくっと身を起こし、髪を一撫でし整えると、唇を噛み締め、彼を見た。
――貴族は、貴族であらねばならない。しかしここで時間を取らせるわけにもいかない。無駄なプライドであるが、それが誰かに支えられ生きる、貴族であるのだから。
「お待たせしましたわ。どうか、兄の元まで連れて行ってくださいまし」
「はい! 了解しました。足元へ気を付けておあがり下さい!」
そう彼は、敬礼する。
簡単ではあるが、彼女はカーテシーで答えた。
カンカンカン――。
ペンキが剥げ、錆びた手すりの刺が、彼女の手に僅かにささる。
それを経て、階段をのぼりきると、何十人もの海軍の顔が一斉にこちらを向く。
配備された兵士の多さに、目が彼らのまわりを彷徨うが、その光景の中に、望遠鏡を手に、眼下を見下ろす兄の姿があった。
動揺を隠し、彼らの前を通り、兄の横へと立つ。
ここで、何故かこの場の指揮を取っている、兄の言葉を待つべきだった。
「お兄様、エルウィン様はご無事ですか? それからリスレイ、彼女と父親の間には血縁関係は無く。それでも行く場所が無いと、彼女は父の役目をしていた男について、行ってしまおうとしています」
そう言葉が溢れた。兄に言ってもどうしょうもない事だろう。
彼女は、正体不明の男と知りつつも、共に生きて来た。
それしか道は知らずとも、それが罪を問われず許される年齢でもなかった。
辛い境遇の詳細は問われない、貴族と言う存在の方が遥かに上なのだから……。
「ドスカレッドか……、アイツについては、アンドルの僅かに残る地方訛りから足を追おうと考えたが、尻尾の一つも掴めなかった……。アイツについて行けば、リスレイは消えるぞ……」
「そんな……彼女は、あの男を信じてらっしゃいるのに……」
そう言うと彼女は下を向くが、グッと歯を食いしばり、彼らの事をよく見る事が出来るように、手すりを掴み眼下を眺めた。
――その時、
空気が唸りをあげるような、不気味な音が聞こえた。
彼女は、その音がする方へと目を向ける。
そこには!?
首をもたげると、港に並ぶ倉庫程の長さはあるだろう大蛇が、グングンと上空へと浮き上がってきていた。
◇◇◇
彼女は育ての親の、上着の裾を掴まえた。
「お父様もうやめましょう! エルウィンはまだしも、アンドリューが居るのよ!?」
「人を殺した事もない、ガキどもに何が一体できる? お前を人質にすれば、手も足も出せずに、殺されてくれるはずだ!」
リスレイの手は、静かに男の上着から離れた。
「何を心配している? はったりだよ。金と時間を掛けた、お前を無駄死にさせるわけはない。新たな地で、お前はその器量と、愛嬌と、その手腕で、アンドルの正当な血を受けていなくとも、正妻でなくとも、のし上がりさえすればいいだろう?」
「……そうね」
彼女はそれだけ答えると、横を向いた。
――初恋は、彼の全てを壊してしまった。犯罪者の元婚約者として、彼の夢は閉ざされてしまうかもしれない。そんな彼のために修道院で祈って暮らしたい。そんな言葉は、こいつにとってお笑い草でしかないでしょうね。
「あの……本当にやるんですか?」
檻の隣りに立つ男は、青い顔をしてそう言ってきた。
リスレイは、隣りの男の顔を覗き見る。
切羽詰まった顔ではないが、いつもより冷静ってわけでもないのかもしれない。
その時、ドシィーン! と、音が響いた。
先ほど、シートが剥がされてから、大蛇は頭をもたげて、獲物の彼らが居る方へと、何度目か体当たりを繰り返している。
そして距離を測るための、赤い舌が、ちらちらと口の中から見え隠れする。
その様子に対する嫌悪感と、恐怖などが織り混ざりながら、自分の存在が、物語の外枠から見ている様な存在であるような、気さえしてくる。
――なんてゾッとする生き物なの!?
「とっとと、あの魔物を放て!」
正気!? と言いた気に、そこにいる二名はドスカレッドの顔をみる。
「ですが『ヤクルス』大変危険で……」
目の前の大人の声が、裏返っている。
「いいから早くだ!」
そう言い捨てたリスレイの父は、彼女の腕を掴み引きずる様にして、港の資材の間をぬって進み出した。
きっと目的地は大型貨物船。
私たちが、アレから生き残れたらだけど――。
ガァーン! ガァーン!!
なおも、蛇は自分を閉じ込める檻を、破壊するようにぶつかっている。
その音が聞こえているのか、聞こえないのか、幽鬼の様に作業員は、命令をこなそうと歩を進めて行こうとしている。
――絶対危険なのに……。馬鹿な男……。
彼女は腕を掴まれながら、走らされていても、チラチラと後ろを振り向くのはやめられなかった。
足はもつれ、転びそうになっては、まわりの荷物に手をかけては、前へと進んでいる。
そしては魔物の鍵は開かれ、
開けた男は、荷物と荷物の間に、飛び込み見えなくなった。
その匂いに釣られるように、男の後を追い、逃げ込んだ隙間近くまで、大蛇はやって来ていた。
そいつを掴まえる、檻は今だ健在なのに、それさえも理解できないのか、実際は檻などものともしないのか、わからないまま大蛇は、体をぐにゃっとひねらせる。
腕を掴まえられながら、それでもリスレイはとうとう立ち止まってしまった。
何故、そうしたのか、彼女にもわかる事は到底ないだろう。
本能とは、そういうものかもしれない。
ガァーン!!!
檻へと全身をぶつける音がが響くと、鍵の開いていた扉は、蝶番の部分から、ひしゃげて意味をなさないものになってしまった……。
斜めに開かれた扉から、頭をもたげて
――それは現れた。
【ヤクルス】翼の生えた蛇の魔物は、野に放たれる。
檻から出ると、ヤクルスの背中から、いくつもの折りたたまれた白い枝が葉脈の様に広がり、やがて薄い膜が間に広がった。
カシャカシャと音が鳴ったと思うと、ふたたび体をくねらせる。
そこまで見ると、彼女は死に物狂いで走り出した。
恐怖が、現実味を帯びて、襲って来ていた。
あの飛躍力、あの大蛇がこちらへと向かうと決めたのなら、それは確実な未来となって、、彼女たちは補食される側となる。
キャシャァーーーー! と声をあげたそれは空を舞い上がり、クルクルと円を描いて飛びまわっている。
大きな雄叫びに、思わず足を止めて振り向く。
「何あれ……」
答えが帰ってこず、男は50メートルばかり先を走って逃げていた。
――行った先は安全なの!?
答えがでないまま、後を追うしかなかった。
続く




