16:フレットの世界
【今回の舞台の部室の前!】
「雨だが、中に入れない……」
「一年、先にいいぞ!」
「いや、……女子が一喜一憂してるんで、知ってます。そして無理です」
「あの二人は、結構常識あるから大丈夫だぞ!」
「だがら、居たたまれなさで、胃液吐きそうです……」
春の雨の音が聞こえている。
先程までは、重い雲が空を覆うだけだったのに……。
そんな空の下エルウィンは黙々と、この剣術部内でのランクによる、練習試合の進行を進めていた。
審判を任命し、次は「これ頼む。結果を記入するだけでいいから」そう言って、一年に紙を手渡した後、「ジョシィー、時々、確認してやって」と、二年生を名指しでサポートを頼む。
陽の加減によっては、ブラウンにも、ゴールドにも見える編み込まれた髪を揺らしながら、彼はなんの問題も無さげにこなしていた。
フレットもそういう人間だった。
フレット アルセス、彼は練習試合の進行がある程度進むと、エルウィンのみで問題ない事を確認し、部室への扉を開け、備え付けられている黒板にこれからの予定を書き始めた。
金の髪を今、一つに結んだ彼へと、チョークの粉が降り注ぐ。
その粉が僅かに、目の前を横切った時、彼は「はぁー……」と、わかりやすいため息をついた。
以前は、授業が終わるとやって来て、隣りにも、机の前にも、学園内で、いつも姿を見せていた、黒髪の許嫁はもういない。
そして今、フレットの隣りにいるはずの婚約者は、練習試合が始まると、フレットの家へ嫁ぐ為の勉強をするため、彼女の家へと帰ってしまった。
誰もが皆、一族のための未来への道を進み始めている。
フレットの仕事の、黒板に今後の予定を書き込む仕事は、彼の仕事に戻り、それが終わり家へ帰れば、息子の未来より、仕事相手を取った父の言い付けを聞かなければならない。
もし、それができないなら、いつものように、「家庭を優先できないのなら、騎士の夢を諦めろ!」そう言うはずだ。
食わしてくれる領民の為に、貴族は恋も愛も諦める。
そんな時代じゃない? 知っている。
けれど後ろ盾のない貴族は、落ちぶれるのも早い。
……それも知っている。
彼はふたたび、黒板に目をやり、
一つ目の予定を書き終えると、彼はノートを見る。
そのノートには、3ヶ月ほどの予定が、柔らかな曲線の文字で書かれている。
ルルカ ヘイゼル、ついこの前まで、黒い髪をおどらせるよう黒板を書いていた彼女は、今、エルウィンと一階のカフェテリア『緑葉樹』で食事しているらしい。
フレットは、今日、その場所へ呼び出され、聞かされていた。
◇◇◇
「そうなのか……」
「あぁ、でも、ルルカ様は君の許嫁のはず、いいのか?」
領地の近い彼はとは、父に連れられた先のパーティーや、商業をメインとする新鋭貴族の集まり、そしてフレットの家での集まりで、幾度となく顔を合わせている。
そういう際、おおかた父は将来、フレットの守る土地を主に管理する事になる、ルルカを何度となく呼びつけていた。
きっとその時、彼もルルカと会った事はあったはず。
そして彼は知らなかったのだろうか? フレットとリスレイ関係について。
「いいも、悪いも、俺たちはもう婚約者ではないんだ。いや、それ以前の間柄だった。教会や王室への許可の申請も、まだだったんだ」
彼は意味がわからない。って顔をしていたが、フレットはただ沈黙を貫いた。
「破断の申し入れがあったのか?」
彼が慎重に言葉を選んでいる事が、感じとれた。
そういうところは、貴族として彼は優秀だ。
「いや、俺の方の都合だ。リスレイと婚約する事になった。親父が仕事関係との、縁を優先したんだ」
そう言うと、彼は何も言ってこなかった。唖然としているのか、それとも今、フレットと、彼の立場を計算中なのかはわからない。
けれどもフレットはどうしても、観客的な立場からの意見が欲しかった。
未来の当主としての立場を知るために。
ワンマンな父の考えでは、いつか考え方の違うフレットの足元をも掬い上げかねない。
「沈黙と言うと、口がきけない程の愚かな行為だと、そう見えるのか?」
そこまでいっても、彼は口が重く、貴族としては優秀過ぎるらしい。
だが、彼を含め、彼の両親も、貴族の社交場へ頻繁に現れるような人間ではない。それなら社交界で旧、新鋭の派閥争いで、すでにうちと敵対していることはないなら、助言くらい惜しまないだろう。
領地の近いもの同士の、絆作りも、貴族の仕事の一つだろうから。
「本気で言ってる?」
「あぁ……」
「ジョフ様が亡くなられたばかりなのに、君の両親は……言ってはなんだが、迂闊すぎるよ」
「知ってる。わかっている。父のやった事は、旧貴族と新鋭の貴族の仲を壊す行為で、ルルカ……、ヘイゼル家をはじめ、旧貴族へ泥を塗った。
「なら、どうして」
「こっちが知りたい。仕事も大事だが、うちも貴族だったのに……」
そう言った後、フレットは引かれたテーブルクロスに肘をつき頭を抱えた。
また深い、深い沈黙が訪れる。
フレットが知ってた事実を口に出したことで、それは真実になってしまっていた。
対応しようにも、父は聞かないだろう。
頭を抱えた手の隙間から、白い湯気をあげる紅茶が見えた。
久しぶりに飲んだそれは、以前ほどやはり旨くなかった。
最高の紅茶は、もう飲む事はないかもしれない。
いや、最悪なのは、その逆だった。
「エルウィン様、彼にアドバイスを貰えば、彼なら君の立場について……、わかって……貰える、と思う」
その言葉を聞きティーカップの線が、グニャリと歪んだ。
部長であるエルウィン、常に勝利するのは彼だ。
公爵の第一継承者である彼は、フレットに手に入らないものをすべて持っていき、それが新たに増えようとしている。
だが……。
「ありがとう。その助言、必ず頭に入れておく。だが、父が領主である内は、迂闊に動く事はできない……と思う」
「ああ、わかっている。だが、同じ後継者として言わせてくれ、幾ら自らの父でも、領土の息の根を止める行動はさせるなよ。やり方はいくらでもある。必ず止めろ、その場から引きずり落としても、いいな」
「……わかった」
重い沈黙の後、フレットはそう答えた。
◇◇◇
扉が開き、雨音より大きく聞こえ、冷たい風が吹き込んできた事で、彼の意識はふたたび現在へと傾いた。
「やぁ、フレット、今日は彼女……来てないようだね」
エルウィンにしては、歯切れの悪い話し方だった。
練習試合は、雨で中止になったようだが、彼には紅茶でも出すべきなんだろう。
それは、こんな時、いつも用意されていた。
「あぁ、リスレイは今日はもう帰った」
「そうなんだ」
エルウィンは、わかりやすく安心したようだ。
剣を握ると人がかわるが、普段はただの好青年だからな。
押しの強い、リスレイが苦手なんだろう。
彼は、雨に濡れたコートをタオルで拭き、ロッカーへしまうと、フレットの後ろのベンチに座ったようだ。
ノートをめくる音と、黒板へと書き込むタン、タンという音だけが響いている。
居ない間の作業の遅れか、リスレイが何かやつたか?
「実家の仕事は大変か?」
「いつも通りだ。挨拶まわりの後は、父がなんでも決めてしまう。俺に相談もしない。父が見てきた背中を、俺に伝え見せるだけだ。それより……リスレイの事か、それとも俺に対する不満か?」
時計の秒針の音が、耳障りだった。
自身がだしているとはいえ、やはりチョークの音も耳障りで、人を案じて結論から攻め立てる事のないエルウィンの話し方は、フレットは自身が無能に思えて嫌いだった。
「俺たちの仕事を、部員全体に分散させたい。もちろんフレット、君にもやって貰う。今の様に彼女、君の婚約者がすべての件について、俺についてまわり聞いて来るのも辞めさせる事にする」
「お前に、ついてまわっているのか?」
少し呆気に取られながら聞いた。幼いリスレイは、婚約者の兄だから俺たちの後へついて来ていた。だから、咎めるルルカを制し、いずれ家族になるのだからと言ってきた。
「あぁ、ただわからないだけかもしれない。だが、そういうことをされると、困るんだ。誤解されたくない……」
俺たちとは、家族になりようのない、エルウィンは言葉を濁しながら言った。
彼の最後の言葉が、胸をえぐる様に刺さった。
考えるべき事は他にあった。
だが、空白の脳と心では黒板は書けない有り様で、俺は静かにチョークを置いて、ただノートに、記入された文字だけを見つめた。
「すまなかった。彼女にはよく言っておく。それでも……邪魔をする様なら、このノートを見るように、俺が言っていたと、言ってくれ」
そう言ってノートを手渡すと、エルウィンはペラペラとページをめくっている。彼はその存在を知らなかったわけでない。
リスレイにそれを見せなかった意味と、思わずめくるほどの意味を考えた時、どんどん気持ちが暗くなっていった。
「わかった。けれど、さっき言った様に、出来る限り君にも働いて貰う」
「ああ」
リスレイの様子を聞いては、そう答えるしかなかった。
「それで、部員に仕事を任せる事について、まず、俺たちだけで話し合う必要があるだろう? 時間を取るようにする。いつ頃がいいんだ?」
「それについては、草案は殆ど出来ている。一年の頃から……彼女たちには、もっと自分の好きな事をして貰いたい。そう思っていた。だから、それが正しい考えなのか、父や先輩方に聞いて、やっと出せた答えなんだ」
「わかった。リスレイには言うし、俺も朝や出れる時には出るようにする。しかし、もう時間のようだ俺はもう行く」
そう言って、逃げる様に部室を出た。
その時、「じゃな」と言ったので、アイツもなんか言っていた。
一年の時から? ルルカの為になのか? 今までそんな素振りはまるで無かったのに?!
その気持ちを知っていれば、例え寝ないでも、ルルカを来させなかった。
そうすれば、こんな腹ただしい気持ちにはなってはいなかった。
そして、雨は先程より強くなっていく。
校門へ続く道へ出た時、今一番遠い人となった彼女の足が止まった。
そして冷たい雨の中、校門へ向かう俺を見送る。
傘をさしていた彼女の、もう一方の片手には、いつも使っていた。
彼女は父親の傘を持っていた。
続く




