11:エルウィンにより連れ去られるルルカ
授業が終わり、図書室の窓からエルウィン様を見た。
その瞬間、心臓がキュッと悲鳴をあげる。
このまま何もなければ、彼とは結婚をする事になる。
彼との結婚に対する思いは、白いワンピースで、赤い薔薇の園を歩いている時の気持ちに似ている。
しかし、現実の彼女は図書室の壁を背に、座りこんでいた。
数秒、いいえ、一瞬、彼がこちらを見上げたような気がした。
そんな、いくら彼でもそんな僅かな間に、二階にある図書室の視線を、捉える事など……。
「大丈夫ですか?」
受付に座る女生徒が体を曲げて、ルルカと視線を合わせた。
そう言えば、受付で貸し出しを頼もうとして、ふと、窓の下を覗いた時に……、思わぬ一瞬の合間に、凄い醜態を……。
その時、エルイン様が白い剣術部の制服姿で、扉を開けて現れる。
扉の音は静かだったが、走ってきたのだろう。彼の、息遣いが乱れていた。
「すまない。黒髪を高い位置で二つに結んでいる。碧い瞳の三年を見なかったか?」
ルルカは座った状態のまま、彼の姿を見る事になってしまった。
背中の壁は冷たさが、少しずつ背中に伝わってくる。
図書室の受付に座っていたはずの二人は、彼が現れた途端、机に手をつき立ち上がっていた。
そしてルルカと同様にエルウィンを見ていた彼は、今度は彼女へと視線を向ける。
彼らの視線を追うように……。
こちらを見たエルウィンと、ルルカが見つめ合う。
だが、棚から男子生徒が現れ、男子生徒は受付のふたり、エルウィン、ルルカの順に首を忙しく動かした。
そしてすぐに出て来た時と同じ様に、棚の奥へ引っ込んだのだと思う。
しかし彼は四人に関係に、波紋を残した。
ルルカは慌てて立ち上がっていたので、そこは不確かだった。
ふたたびエルウィンの顔を見た時、彼女は立ち上がり、右手でスカートを払い、髪を整え、そして何もなかった様に両手で本を持ち立っていた。
受付の二人には、アヒルの水面下の様子が、克明に見えた事でしょうね。
「ルルカ、大丈夫か? 転んでしまったのか?」
「いえ、……いえ、そういうわけでは……」
そして彼はこちらまで歩いて来て、白い手袋に包まれた手が出された。
「ありがとうございます」
ぎこちないお礼と共に、彼の手を取っていたルルカは動きを止めた。
彼女の言い方は、とてもぶっきらぼうだった。
お礼を言っただけの様に思えた。
そうすれば……勘違いされない?
彼女の脳裏に聞き覚えのある声が、教育を施そうとするように話す。
『他の男性が勘違いするような、ふしだらな笑みしないで頂戴。アルセル家の女主人として、しっかりして貰わなければ困るわよ……』と、今までは、そう言われ距離感について気にかけてきた。
しかし彼女はもう……未来のアルセル家の一員ではない。
彼女の碧い瞳の揺らぎがなくなり、彼を見つめる。
「エルウィン様、とても助かりましたわ」
手を取ってくださった、彼のもとまで歩みより、不思議な色の髪、淡い色の南国の海の瞳の色。
そしてその瞳にかかる、長い睫毛も身近に見えるその距離で、そっと彼だけに聞こえる様につぶやくいた。
窓から風が入りこむ風に、彼女の黒髪は舞い。
そしてそれは彼の頬をなぞった。
彼は淡く薔薇色に色づく頬に手を触れ、アクマリンの瞳は痺れるほどの甘さの、果実酒に酔ってしまったよう。
本に囲まれたその場所は、置かれている本たちに、音を吸い込まれたように静寂へと変わっていた。
そして先に動いたのは、エルウィンだった。
彼が彼女の本に手を伸ばすと、ルルカはそれに気付き手を離した。
錬金術に関係する本が二冊に、本の装飾が美しく手に取った本が一冊。
どんな内容かただ楽しみであったけれども、今、それについて無知なことで恥ずかしくなった。
「この本は借りるって事でいいかな?」
「そうですが、何か……?」
「君のカードもいいかな?」
「えっ、はい」
彼女が素直に差し出すと、本とカードは受付へ差し出された。
「頼む」
と、エルウィンが言うと、その隣りで、え? エルウィン様が本を借りていますわ? と、ルルカは不思議な顔をしてそれを見ていた。
「返却日は一週間後になります!」
「一週間になるから、忘れないようにね」
「は、はい……」
「じゃー行こう!」
そう言って、彼に手を引かれ、二人は扉から退場する事になる。
受付の二人はどちらかというと、驚きを含んだ瞳でルルカたちを見ていた。
あのエルウィン様が、女生徒の図書の借りる代行を、女生徒の了承もなくするとは思っていなかった。
――けれど、この温かい手の持ち主は、他の方のシワシワの練習着を畳んでいたわね。
そしてルルカだけが、その理由らしいものに行き着いていた。
「連行だ」
「女生徒が連行されたぞ」
エルウィンに連れ去られ、歩き去ったその場所から、少し興奮した声が彼女の耳に届いた。
……それは違います。
ちょっと楽し気な声に、ルルカは心の声を投げかける。
そして耳が赤くなってしまっている。連行している、彼の後をついて歩いた。
◇◇◇
彼は渡り廊下から外へ、迷路を楽しむように、進んでいく。
そして部室もなく、倉庫と膝ほどの人口池しかない場所へ辿り着いた。
――昇降口の階段の奥。エルウィンはここでいったい?
彼は池のほとりに立っている。
ルルカはそんな彼を、戸惑いもなく、驚きもなく見ていた。
しかし一歩近づく、彼を見上げた時、ルルカの心臓が跳ねた。
「エルウィン様?」
「ルルカ、すまない。断りもなく女性の荷物に触れてしまったり、ましてや勝手に連れ去る事はあってはならない事だった……」
彼のその姿は不敬だけれど、素直に反省する美しいワンちゃんをルルカに連想された。
そんな様子を見たら、締め付けられ、御慰めして、そんな彼の笑顔を見たい。
そう彼女が思っても、無理からぬ。
「エルウィン様、大丈夫で……」
「だから触れてもいいだろうか?」
そう言った彼の右の肩から、手に視線を移動させていくと、彼女の手があり肩がある。
つまり二人の手は、今だにつながれている。
その視線を彼は見つけ、照れ笑いをする。
「手はつながれてますね」
「あぁ、その様だ」
彼女は、この場所へ来てポーカーフェイスを作りあげた、彼の試みが少し崩れた様子を、少し不思議そうに見ていた。
――もっと近づき、下から覗き込むと、もっと、もっと赤くなる。
「ふふふ、エルウィン様は楽しいからいいですよ」
「赤くなるのが……ですか?」
「紳士だからです」
先程まで、彼の左手は剣の鞘を置く位置におかれていた。
しかし今では、その端正な顔を隠している。
「紳士……」
「そうですわ」
「わかりました。俺の負けですので、ちょっとだけ離れてくれませんか? 騎士として、俺の修行にはまだ足りないらしいから」
「まぁ……」
――いつのまにか勝負になってしまったかしら? でも、勝負と言うなら、彼の隙を突くのは楽しいですわ。
しかし顔を隠し、見られぬようにと、エルウィンが戸惑っている様子をみていると……。
男性の色気の様なものを感じ取り、ルルカの顔は途端に熱くなってしまい、エルウィンがそうしたように片手で顔を覆い下を向いた。
けれど、ふたりの手は、今だにつながれたまま……。
「君と……」
「えっ?」
「君のことが好きだ。ヘイゼル家へまず結婚の許しを願い出たのは、今の時代から少し古臭い行為で、順番が逆と思われる行為と、君に思われたかもしれない。だが……半端な覚悟ではないと、君に理解してもらいらかったんだ……」
「とても光栄な事ですわ。家柄とかではなく、エルウィンは学園では皆が憧れる方ですも……の……。ですが、結婚の答えが出せないのは、あくまでもこちらの都合ですので……」
ルルカは、苦手な恋愛の話について、下を向いてもじもじと話していた。
そんなルルカをエルウィンを愛おしく見ている。
「それはわかっているよ。今度は後れを取ってはならないと、君の気持ちを知りながら、やはり先手は譲れなかったんだ。いつまでも待つよ」
「はい……」
エルウィンの言葉を一つ、一つ、驚き、心の中で心の中で復唱しながらも、ルルカは『はい』とだけ答えた。
「ありがとう……先ほど、君らしい人影を見てから、走っている間に色々な思いが溢れ、本当に騎士とは言えない行動だった。次回は反省してそうならない様にするから、また気軽に話してくれると嬉しい」
彼はそこまで言うと手を離し、「もう集団での練習が始まってる頃だ。行って来る」そう言って、彼は背を向けて走って行く。
だが、階段前を通る時、マントがひるがえり振り向く。
「ルルカ!」
彼は彼女の名前を大きな声で呼び、手を三度振ると、ふたたび駆け出していく。
彼女は彼に合わせて手を振り、そして彼が見えなくなるまで、その背中を見つめていた。
続く




