第5章 英二の回想②
「おはようございます。11月5日、日曜日。7時のニュースです。」
いつのまにかリビングのソファーで寝しまっていたオレは、NHKテレビの7時の時報で目を覚ました。
昨日は大事な取引先の人と飲んで…その後どうしたんだっけ?ソファーから体を起こしてふと振り返ると、そこに見知らぬ少女が立っていた。
「うわわっ」
28才の大人になって初めてくらいの大声を出してしまった。
「やっぱり酔っているときの記憶は無くなってしまうのね。」
オレの顔を覗き込みながらセーラー服のそいつは言った。
「目が覚めるのを待っていて正解だったわ。」とその娘は続ける。
「今から私が言うことをよく聞きなさい。まず第一に、昨夜アナタは自分の幼い息子に大けがをさせた。第二に出血がひどかったから私が処置した…色々な意味で少々ルール違反だったけどね。第三にアナタはそのことを息子に謝らなければならない。」
「ここまで解ったかしら?」
「よく…解った。」
言われてみれば、昨夜のテレビの前でのやりとりに薄っすら記憶がある。
しかしそもそもこいつは誰だ?どこから来た?義姉さんはまだ結婚してないし、オレの実家の家族の娘でもないぞ…でもなんだ?まるで家族と話しているようなこの気分は?
「私がだれだか解らないようね?」と少女は言う。
「ところでアナタはなぜ自分の息子に雪村なんていうふざけた名前をつけたのかしら?」
不敵な笑顔で彼女は言う。
昔からオレは戦国武将や時代小説が大好きだった。特にあの徳川家康に一矢報いた真田幸村が。
せっかく真田家に生まれたんだ。息子にもユキムラの名前をつけてやろう。 ただそのままじゃ名前負けした時にかわいそうだから、ユキの字を換えて雪村と…あっ。
「気がついたようね?」
少女はまた薄っすらと笑顔を作る。美しいのに怖い笑顔だ。
「アナタはなぜ9月生まれの息子に、雪村なんて名前をつけたのかしら?」
オレは恐ろしいことに気がついた。いや、でも、そんなバカな。
「お前、まさか雪子!?」
「名前は正解よ。中身はアナタの想像の斜め上だけれど。」
「あとアナタに逢うのはコレで二度目なんだけど…忘れてしまったのかしら?」
少女はさらに妖しく笑う。
「ハタチのあなたはまだ初々しくて可愛かったわあ。」
「…ああっ、名護屋駅の!」
オレは愕然とした。
「シラフのアナタは頭脳明晰で記憶力も確かで助かるわね。」
「でも…お前、あれから8年もたつのに全然歳をとってない…!」
不思議さを感じると同時にじわじわとやってくる恐怖心を禁じ得ない。
「…さて何故でしょう?」
今度は愉快そうに笑った。それはそれで怖かった。
「どんなに頭脳明晰でも今のアナタには想像力が足りない。説明したところで、私の存在を理解することは無理でしょうね。」
彼女は続ける。
「でもアナタの息子には解る…ワタシが解るようにしてあげる。」
「さて、じきにアナタの義理のお姉さんがやって来るし、そろそろお暇するわね。」
「いいこと。必ず雪村に謝るのよ。そして二度と暴力を振るわないと約束しなさい。あと二人子どもができるけど、どの子も大切にしなさい。それからお酒はほどほどにしなさい。もともと下戸なんだから。コレは私からの命令ではなくてお願いよ。」
そう言いながら、いつの間にか彼女は少し涙ぐんでいた。
「ああ、それと。」彼女は付け加えた。
「アナタが理性を失うまでお酒を飲ませた相手は、こちらで調べがついているから…問題はその黒幕よね?」
謎の言葉を残した彼女は、2本のおさげ髪を振りながら回れ右をして玄関に向かった。
そしてドアも開けずに、靴箱前で煙のように消えてしまったのだった。