第4章 英二の回想①
「あのころは楽しかったな。」
昼のお得意様の接待で、したたかに酒を飲んでしまったオレは、まだ夕方だというのに千鳥足で歩きながら、初めて仕事をしたときのことを思い出していた。
あの頃はとにかく元気でがむしゃらで。夢中で働いた。そしてその最初の職場が、今の妻との出会いの場となったんだ。
「ただいまあ。今帰ったぞ!」
社宅兼モデルハウスの我が家。玄関に何とかたどり着くと、その場に座ってノロノロと革靴を脱いだ。
時刻は17時を回ったころ。突き当りのリビングのドアからテレビの音が漏れていた。今日は義姉さんが来る日だっけ?もしそうなら気まずいな。オレはゆっくりとドアを開けてみた。
リビングでは3才になる息子がテレビ画面に釘付けになっていた。オレが汗水垂らして働いた金で買ってきたテレビだ。しかも最新型のカラーテレビ。
木製の立派なフレームに収まったブラウン管と丸いチャンネルなどのスイッチ類、素敵な音を奏でるモノラルのスピーカー。いつみても惚れ惚れするぜ。
なのに何だ雪村のやつ。白黒画面を見てやがる。ああ、モノクロ映画のゴジラか。そういや近々テレビでやるって職場で誰かが言ってたっけ。こいつの怪獣狂いには困ったものだ。
いや、そもそもオレが英才教育を施したんだっけ。封切られるゴジラ映画を、ひとつ残らず見せてやったことを思い出した。でもコレはまだ生まれる前の映画だったな。
そんなことを思いながらオレはおもむろにテレビの前に行き、チャンネルを回した。さて夕方のニュースを見なくちゃ。
するとすかさず雪村がチャンネルを回し、NHKのゴジラに戻した。オレはまたチャンネルを変えた。また息子がチャンネルを回した。
酔っていたオレはだんだん頭に血が登っていった。
おいおいオレが買ったテレビだぞ。
なに偉そうにチャンネルを独占しようとしてんだ!
気がついたら息子を突き飛ばしていた。まだ3才だった息子は軽々と飛んでいき、右目の上あたりをテレビの角にぶつけた。
切り傷から流れ出る血で顔の右半分を染めながら、息子は泣きもせず呆然とした顔でその場にへたり込んで、コッチを見ていた。
コイツはいつもそうだ。赤ん坊のころから、転んでも腹が減ってもオムツが汚れても鳴き声一つ上げない。
その時、息子の隣に、どこからともなく寄り添うように女が現れた。義姉さんじゃない。セーラー服の少女だ。
その横顔はまるで雪のように白い…。振り向いたそいつが立ち上がり、細い眉を吊り上げて怒りに震える褐色の瞳でオレを見つめていた。
「今、止血したわ。」
少女は言う。
「私は家族の問題には介入しないつもりだったけど…コレは許せないわ!」
美しく白い肌なのにどこか鬼気迫るような恐ろしい顔。
まるでセーラー服の雪女だな。
オレはこのまま氷漬けにでもされるのかな?
…などと考えながら、生まれて初めての深酒のせいで、オレは意識を失ってしまうのだった。