第30章 邂逅①
1981年3月30日の深夜。
いや、もう日付が変わっているから、31日か。
ボクはコッソリ家を抜け出した。
パジャマがわりの紫のジャージの上下に、陸上部指定の赤いジャンパーを羽織ってきたけど、少し肌寒いかな。
アパートの駐輪場から、静かに自転車を出す。音が出ないように用心してそれにまたがると、高校に向かってゆっくり漕ぎ出したのだった。
幹線道路に出ると、東に向かう緩い登り坂で、変速機を使って徐々に自転車を加速させる。
深夜に、ふと胸騒ぎがして眠れなくなる。
こんなことは、思春期を迎えた男女諸君にはよくあることだろう。
でも、コレは違う。
明確に感じる。
雪子さんの出現とその危機だ。
あの後、雪子さんは予告通り、3学期の修了式を待たずして去って行った。
「お父様がまた海外出張に行かれるそうで、雪子さんも転出になりました。」
そんな感じに担任は言っていたけど、ボクだけには事情が分かっていた。
その後しばらくは、この時空に帰って来ないと言っていたのに。
いったいどうしたっていうんだ、雪子さん。
何かがおかしい。
ボクは雪子さんの存在を感じる。
しかもそれは、光陽高校に近づくにつれて強くなる。
この時空の、ボクの居ない地点にわざわざ現れるワケは何だ?
考えても解らない。
「もう行くしかないだろ。」
ボクはそう自分に言い聞かせる。
程なくして、光陽高校の北側のフェンス前に到着した。
自転車をそこに置いて、古風なデザインの鉄製の正門に手をかけてみる。
手前に引くとカギは開いていた。
おいおい、昭和のセキュリティはガバガバだな。
まあ、なにしろ、校長がアレだし、基本的に性善説に基づいてるんだよな。きっと。
そのまま、体育館棟の下のアーチをくぐって、旧校舎の南側に回り込む。
ボクは物陰に潜み、まずは、事の成り行きを見守ることにした。
そこは、工事中のフェンスの切れ目から、解体が3分の1ほど進んだ旧校舎を見渡すのに、ちょうどイイ場所だった。
旧校舎は、作業途中で止められた、長いアームの黄色い重機とともに、少し西に傾き始めた細い三日月と防犯用の水銀灯に照らされていた。
1年間ボクらが学び舎にしたその場所は、光と影の強いコントラストの中で、今や無残にもその臓物を晒していた。
しばらく待っていると、東側から人影が現れた。
雪子さんだ。
今日も冬服デザインのセーラー服を着ている。
でも月明りのせいかな?何だかいつもと色が違うような…?
ボクが一人で首をひねっていると、雪子さんが喋りだした。
「もう、そこに来ているのでしょう?いつまでも隠れてないで、出てらっしゃい。」
ああ、やっぱりバレているのか。
そりゃ、そうだよなあ。
雪子さんは、何でもお見通しだからなあ。
ボクはそう思ったが、雪子さんはコッチを見ていなかった。
アレ?どこ見てんだ雪子さん?
「それとも、こちらから仕掛けようかしら?」
雪子さんは、解体途中の、校舎の西の暗がりに向かって、重ねてそう言った。
そして促されるように、その暗がりからまた、ゆっくりと別の人影が現れた。
ボクは見た。
それは白いセーラー服を着た、銀髪の、褐色の肌をした、雪子さんそっくりの人物だった。
まるで雪子さんのネガフィルムみたいだ。ボクは思った。
昔、和田慎二先生のマンガに「銀色の髪の亜里沙」ていうのがあったよな。
…要らないことまで思い出した。