第19章 受験生の雪村
1979年。昭和なら54年の4月。
ボクはとうとう中学三年生になった。
いよいよ受験シーズンのスタートだ。
学校では二年生の2学期あたりから、ぼちぼち進路希望のアンケートなどをしていたけど、そろそろ本気で志望校の検討を固めなければならない。
進路とは、まず、将来やりたい職業を考え、そのための道筋としてどんな資格や知識が必要か検討し、行きたい学科のある大学を見据え、行きたい高校を決める。この順番で決めるべきモノである…って先生は言うけど。
生徒としては、とりあえず自分の成績で、どこの高校なら合格可能なのか。話はそれに尽きるのである。
できれば学力レベルの高い進学校に入学したい。そうすればイイ大学に行けて、卒業したら有名企業に入社して、たくさん給料を頂けるはず。
昭和の中学生は、所詮、これぐらいのことしか考えていないのである。
ああ、そう言えば、一年生のころ、職業適性心理テストをやった時に、変な結果になったっけ。
「キミは山にこもって木こりをやりなさい」って。
「木こり」って何だよ。せめて「林業」だろうが!って思ったねえ。
中学校時代のボクのあだ名が「仙人」だったのも、コレが原因の一端だったような…。
やなこと、思い出しちゃったな。
進路希望を検討していると、もう一つ、どうしても思い出してしまうことがある。
それは、父さんの出身校だ。
ボクの父さんの最終学歴は、「愛知一中卒業」だ。しかも主席らしい。
今で言うと、朝日ヶ丘高校のことだ。
全国でも上から三番目までに入るという、言わずと知れた、学力レベルの高い公立高校だ。
「授業なんて一度聞いたら、そのあと特に勉強しなくても、テストで100点取るのは簡単だろう。所詮中学校レベルだし。」などとのたまう天才だ。
それに、父さんは、学校の勉強だけでなく、その他のことも大抵は器用にこなせる。なにしろ、実物そっくりに描くデッサンの方法を、ボクに教えてくれたのも父さんなのだ。
あえて弱点をあげるとすれば、音痴なことと、酒に酔いやすいことか。
とにかく、そんな父さんなので、進路の相談なんてできやしない。
父さんには、頭の悪い者の気持ちや立場や苦労なんて解らないのである。
「お前の好きにしたらいい。」
やはり父さんはそう言った。
「ただし、ウチは貧乏だから私立高校には行かせないぞ。」
実は当時の受験制度では、組み合わせの決まっている公立高校2校と、私立高校1校を一度に受けられたのだ。
しかし、担任を交えた進路相談会の後でも、父さんは同じことを言ったのだった。
先生の「滑り止めだと思って。」「先に私立の試験がありますから、本番の公立の練習にもなりますし。」という言葉に、しぶしぶ一度は私立受験を認めてくれた。
しかし、家に帰ってから「もしも私立しか合格しなかったら、行かせないからな。その時は、働けよ!」と言ってくる始末。
もちろん公立校に合格できるように頑張るけど「いったい何時代の話をしてるんだよ」とボクは思った。
そもそも今ウチにお金が無いのは、父さんがヤラカシたせいなのである。
父さんの不動産会社の仕事は、立ち上げからずっと順調に進んでいた。
それは、大型スーパーチェーン店開業のための土地を探して、そこの地主と話をつけて、仲介手数料を頂く仕事であった。
仕事用と称して、白いメルセデスのセダンを買ったりして、つい最近までむしろ羽振りが良かったぐらいである。
ただ最近、そのクルマで事故を起こしたらしい。
しかも、相手はヤ〇ザ。
すぐ警察に行けば良かったのに、示談を希望して今に至るのである。
ヤ〇ザの皆さんは、カタギからお金を取るのが仕事である。
父さんは、言わばイイ金づるになってしまっていた。
雪子さんは当然、そんな父さんを助けたりしない。
雪子さんが手を差し伸べるのはボクだけ。
彼女はそういうルールで行動すると決めているのだ。
ボクはよく友人から、よく「真田君は要領はイイけど、ツメが甘いよね。」と言われていたけど、コレは父さんからの遺伝なのかもしれないな、と思った。




