第18章 悩める雪村
ボクが中学二年生になってすぐのころの話である。
その日の夕食後、ボクは自分の部屋に戻り、英語の宿題に取り掛かっていた…はずだった。
ふと気がつくと、ボクはシャーペンを握ったまま、ボンヤリしていた。
「あらあら、どうしたのかしら?」
右隣に雪子さんが現れた。
ボクは驚きもせずに「ああ、雪子さんか。久しぶり。」と言っていた。
「…コレは重症ねえ。恋の病かしら。村田さんのことでも考えていたの?」
「違うよ。考えていたのは、酒井さんのことだよ。」
「あらまあ、悪びれもせず、シレっと言うわねえ。」
「隣のクラスの酒井さんが、もうずっと学校に来てないんだよ。」
「小学校四年生の時に、あんなに明確に好意を示してくれたのに…。」
「…それに答えもしなかったあなたが、彼女の心配をするのね。」
「…。」
黙ってしまうボク。
「まあでも事故とは言え、その後、杉浦さんと熱い抱擁を交わしたり、大宮さんとはファーストキスまで済ましてしまったものねえ。告白できないのもムリないか。」
「…。」
いよいよ何も言えない。今日の雪子さんは何だかイジワルだ。
「淡い恋心を密かに抱きながら、廊下で出会うたびに、おはよう、とか、こんにちは、とか言うのが楽しみだったのにねえ。」
「イヤ、見てたんかい!」
「つっこみ、上手になったわねえ。ちょっと生意気な感じが、中二っぽくていいわあ。」
当時のボクは「大正テレビ寄席」という番組をよく観ていた。
因みに第一次漫才ブームがやって来るのは、2年後のことである。
「茶化さないでください。噂によると、酒井さん、病気らしいんですよ。」
「そうね。まあまあ重い病気かな。」
雪子さんは真面目な顔に戻った。
「やっぱり知ってるんだ、雪子さん。」
「…。」
「誰かが白血病なんじゃないかって言ってたんです。」
「そうね。それで合っているわ。」
「あんなに明るくて元気だったのに。こんなのひどいよ。あんまりだよ。」
「…。」
「ボクにできることがあれば、何でもしてあげたい。」
「…。」
「骨髄移植っていう治療法があるって聞いたんだけど。」
「スマホも無いのによく調べたわね。」
スマホが何かは訊かないことにした。
「でも、あなたには無理。」
「どうして?血液型のせいなの?」
「そうね。」
「ボクがAB型で彼女がO型だから?」
「それもあるけど、白血球型も合わないのよ。」
「ああ、そうなんだ。」
ボクは落胆した。
「ねえ、雪子さんのチカラで何とかできないの?」
「私がチカラを貸すのはあなただけ。」
「それが私が私に課したルールなの。」
「もしもそれ以上のことをすれば、多方面に悪影響が出る。」
「でも、そこを、なんとか。」
ボクはもう半泣きだった。
「ごめんなさいね。」
「でも、心配しないで。時間はかかるかもしれないけど、彼女はきっと元気になる。」
「そんな気休め、言わないでよ。」
拗ねるボク。
「この私があなたにウソを言うとでも?」
雪子さんは優しく笑った。
「信じて気長に待ちなさい。そして、あなたは自分のやるべきことに集中しなさい。」
雪子さんはそれだけ言うと、またいつものように消えてしまったのだった。