第17章 村田さんとボク
村田さんとは、小学校四年生以来だから、もう長い付き合いになる。
中学生になってからも、ボクはほぼ毎週日曜日になると、何かと理由をつけては、自転車で村田宅に訪問していたのだった。
たまに村田さんがウチに来ることもあったが、ボクの部屋に村田さんが居ることがどうにも落ち着かず、ボクがアチラに訪問することが多かったのだ。
多分、ボクは心のどこかで、雪子さんと村田さんが鉢合わせになることを恐れていたんだと思う。
もしそうなってしまったら、妹たちの時のように、適当に誤魔化してしまうことはまず無理であろう。
村田さんも、なかなかに鋭い観察眼を持った、聡明なお嬢さんなのである。
…それに、何となく二人は会わせてはいけない気がするんだ。ただのカンだけど。
そもそもボクが村田さんと仲良くなったきっかけは、村田さんから小説やマンガを借りることになったからだ。
ウチにも本はあったけれども、夏目漱石や太宰治や芥川龍之介などの有名作家の代表作を、子供向けに全集仕立てにしたものだった。
これらは、学校での勉強や受験対策には役に立ったけど、雪子さんの存在を推理するような材料にはならなかった。
もっとも、個人的には漱石の「草枕」の冒頭の一節は好きだったんだけどね。
「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」…なんて最高だよね。
中学一年生の時点で、ボクはもう、この考えに大いに賛同できる心境になっていたのだった。
村田さんが貸してくれてるモノからも明らかなように、彼女は、不思議な物事にとても興味を抱いた、夢見る少女でもあったんだ。
そしてそれらの本は、雪子さんの正体について考察するために、いかにも役に立ちそうだったのだ。
それから他にも、星座占いや血液型占いなど、彼女はボクにいろいろ教えてくれたんだ。
学校の成績はボクの方がよかったけど、彼女の方が独創的で柔軟な発想力を持っていた。ボクは彼女から大いに影響を受けていった。
そんなある日、いつものようにボクは村田宅を訪問した。彼女に新しくお勧めされた、三原順先生の「はみだしっ子」を読みながら暫くまったりしていると、アールグレイを飲みながらこんな話をし始めた。
「ねえ、真田くん。」
「うん、なに?」
お茶受けのクッキーをつまむボク。
「胡蝶の夢っていう話を知ってる?」
「いや、知らないなあ。どんな話なの?」
「昔、中国の思想家に荘子っていう人が居てね。」
「うん、うん。」
クッキーをモグモグ。
「その人がある時、寝ていたら、自分が蝶になった夢を見たんですって。」
「うん、それで?」
クッキーに伸びる手を止めたボク。
「目が覚めた時に、解らなくなったんですって。」
「何が?」
「人間の自分が蝶の夢を見ていたのか。蝶の見ている夢が人間の自分なのか。いったい本当の自分がどちらなのか。」
なんと今から48年前に、彼女は映画「マトリックス」のテーマにたどり着いていたのである。
「他にもこんな話があるわ。」
「なになに?」
もうボクは彼女の話に夢中である。
「イギリスの物理学者のシュレーディンガーっていう人の説なんだけど。」
「ふんふん。」
「物体は誰かに観測されない限り、その存在は確定しないんだって。」
「え?どういうこと?」
「誰にも見られていないモノは、そこに在るとは言えないってことなのよ。」
「へえ、そうなんだ。」
何だか分かったような解らないような話である。
そう言えば、雪子さんはボクの様子を見ることを「観測する」って言ってたな。
「それから、もう一つ。」
「まだあるんだ。」
「宇宙の姿を遠くから観察するとね。」
「うん。」
「ニンゲンの脳細胞を、顕微鏡で拡大して観た形にソックリなんですって。」
「…それは不思議な偶然の一致だねえ。」
「だから私たちのこの宇宙も、どこかの大きな人が、頭の中で考えた想像の産物かも知れないって話なのよ。」
「…なんだかコワイ話だねえ。」
「そう?私はとても楽しい話だと思うけど。」
村田さんは愉快そうに笑った。
笑うと目が無くなるなあ。と思うボク。
村田さんは、どちらかというとスレンダーで、服装は…ワンピースが多いかな。
いまだにボクより少し背が高く、前下がりのボブカットの髪形で、肌は色白。眉は薄めで、目は切れ長。
そして、いつでも笑っているように見える。
実際、目の前で不機嫌になったり、怒ったりする姿を見たことが無かった。
そしていつもボクの意見に賛同して、応援してくれる。
まあ、こういう不思議系の話のときは別だけど。
コレは単純にボクの理解力が追い付かないだけのことだ。
だから、けっこう長い付き合いなのに、正直、本当は何を考えているのか読めないところがある。
そういう点では、どこか雪子さんに相通ずるようなイメージがあるのだった。




