第11章 雪村の初めて②
五年生になってすぐのころ、ちょっとした事件があった…いや、ボクにとっては大事件なんだけど。
ボクは相変わらず、酒井さんのことがチョッピリ好きだったり、新しい担任の先生に、女の子っぽいルックスをイジられたりしていたんだけど
…ねえ、コレって今なら人権侵害だよねえ?
まあ、とにかくそんな悩みのアレやコレやを、ボクは今年も同じクラスになった村田さんに相談していたのだった。
そう言えば、話を聞いてもらうのはボクの方ばっかりで、村田さんから何か相談されたことは無かったような…村田さんは誰のことが好きなんだろう?
でもある日、なんでも相談できる村田さんにも、話すことができない事態が発生してしまった。
当時ボクはマンションの3階に住んでいた。真下の階には四年生の大宮洋子さんという女の子が住んでいた。
彼女は大所帯なマンションの中でも、比較的近くに住んでいたので、階段で出会ったら挨拶したり、同じ分団のメンバーとして、一緒にグループを作って登校したりしていた。
で、そんな何気ない毎日を2年ちょっと過ごした5月のとある日曜日、いつものように偶然階段で大宮さんに出会った。
「こんにちは。」
挨拶をすると、すれ違いざま大宮さんに左手を掴まれた。
「!?」
ボクは内心ギョッとしたが、剣道と書道で培った平常心を装ってこう言った。
「どうしたの?」
「ちょっとエレベーターホールまで来てください。」と真剣な目で言う大宮さん。手を掴まれたまま、ボクはエレベーターホールまで連れて行かれた。
「ちょっとここに立ってください。」
彼女はそう言うと、ボクをエレベーター扉のすぐ横の壁を背にするように立たせた。
「真田君は好きな女子とか居ますか?」
そのままボクの前に立って彼女は言う。
「いや、特には…無いかな?」
酒井さんのことは黙っておくことにした。
多分、ボクの目は泳いでいただろう。
「杉浦さんや片桐さんは?」
彼女は続ける。こりゃ、まるで尋問だな。
杉浦さんは6階、片桐さんは4階に住んでいる女の子だ。因みに二人とも大宮さんと同じ4年生で…そう言えばつい最近、杉浦さんのウチで3人で遊んだな。
片桐さんが先に帰った後、杉浦さんとふざけあってたら、なんか変なムードになって…気まずくなって帰ったんだっけ。
大宮さん、ひょっとして杉浦さんに何か聞いたのかな?
「うん、別に…友だちだけど。」
「ふうん。」
大宮さんは少し不満げな顔だった。
こうやってあらためて見ると、大宮さんもなかなかチャーミングではある。 背はボクより少し低い。浅黒い肌に黒目がちな大きな瞳。少し下がり気味の太めの眉は、天然パーマでショートカットの髪と同様、茶色がかっている。それに整った形の唇だな。そんなことにあらためて気づいたりしていた。
「ねえ、真田くん。」
「な、なにかな?」
「ちょっと、目をつぶってください。」
「…どうして?」
「どうしても。」
ボクは覚悟を決めて目をつぶった。杉浦さんにあんなことをしたんだ。さあ、ビンタが飛んでくるのかそれとも…。
「!?」
唇に温かい感触があった。ボクは薄く目を開けてしまった。
背伸びをした大宮さんが自分の唇をボクのソレに押し付けていたのだった。
実際には1秒も無かったのかもしれない。でもボクには時間が止まったように感じた。そしておおいに混乱していた。
次の瞬間、目を開いた大宮さんがぱっと後ずさった。そしていたずらっぽく笑うと、回れ右をして足早に帰ってしまった。
ボクはといえば、すっかり放心状態だった。
ふと、我に返って考え始めたが、混乱は増すばかり。えっ、ちょっ、なんで?…いやいや順序が?…まず好きです、付き合ってください。で、何回かデートして、手をつないで、それからチューだろ!?
「あーあー見てられないなあ。」
エレベーターから雪子さんが出てきた。
「うわあああ。」
ボクは大声を出した。
「毎回、いい反応をありがとう。そろそろ慣れたら?…ああそれからファーストキスおめでとう。」
「…いつからそこに?」
「うん、雪村君が年下女子に壁ドンされたところから。」
「…カベ…なんて?」
「ああ、まだここでは壁ドンて言わないのかあ、残念。」
「でもなんでこんなことに…ひょっとしてコレも雪子さんの仕業!?」
「そんな無粋なことはしないわよ。私を何だと思っているのよ。」
「でも出てくるタイミングが良すぎじゃないですか?」
「こうなることを知ってたからね。雪村君の初めてに立ち合えて幸せ~。」
「悪趣味ですよ。」
「お、難しい言葉も覚えたじゃない。」
「おかげさまで。あれからたくさん本を読んでますから。」
「これからも雪村君の色々な初めてに立ち合いたいなあ。」
「…それは勘弁してください。」
「冗談はともかく、こうなったのは雪村君、あなたのせいなのよ。」
「え?」
「友だちだと思って、無自覚に女の子に近づきすぎなのよ。」
「どうせボクは女子の同類なんだから…」
「あなたは随分男らしくなってきた。剣道部を二年も続けてきたことの副産物よ。だから女子があなたを見る目が変わってきているのよ。」
「あなたの人生の最初のモテ期をせいぜい楽しんだらいいわ。」
「モテ期ってなんですか?」
「そんなの説明しないわよ。自分で考えなさい!」
「あと、こっちが本題だけど。」
雪子さんが真剣な顔になった。
「以前、箪笥の上に模型飛行機を置いた犯人、まだ解らないわ。」
「ああ、アレかあ。」
「あなたを階段から落ちるように仕向けた者、川の中にあなたを引きずり込もうとした者、あなたに毒蛇を近づけた者、あなたの父親に深酒させた者。みんな同じ人物だと私は考えているの。」
ボクがまだ幼いころ、深酒した父さんが乱暴してボクに怪我をさせた件もか。その傷跡はまだボクの右のまぶたに残っている。
「私は観測を続けるけど、あなたも今後の生活に気を配ってね。」
「あの、雪子さん。」
「なあに?」
「どうしてそんなにボクのことを守ってくれるんですか?」
それには答えずに彼女はこう言った。
「あなた、ウルトラマンとか仮面ライダーが好きよね?」
「うん。」
「どうして彼らはニンゲンを助けてくれるのかしら?」
「…それは、正義の…味方だから?」
「違うわ。」
「えっ。」
「ウルトラマンは、初めて地球にやって来たときに、地球人を一人うっかり殺しているのよ。」
「!?」
「だからその罪滅ぼしに、何年も何年も新しいウルトラマンが地球にやって来て、怪獣や宇宙人から人類を守っているの。」
「そう…なんだ。」
「仮面ライダーは、自分を醜い改造人間にした悪の組織を脱走して、その復讐をしているのよ。結果的に人類の味方になっているだけ。」
「みんな自分のために戦ってるの。」
「結果としてみんなのためになっているから、その活動が野放しにされているだけなの。」
「だからね。」
雪子さんは続ける。
「私も戦うのよ。あなたのために。そして私のために。」
「例えそれが正義でなくてもね!」
そう言い残すと、雪子さんはまたいつものように消えてしまったのだった。




