第10章 雪村の初めて①
幼いころのボクは、とにかく静かだったらしい。生まれた時から保育園に入るまで、滅多なことでは泣かなかったので、子育て中は手がかからなかったそうだ。その点では母親孝行できてたのかな?
ただそれけでなく、笑ったり、怒ったりすることも無かったらしい。
そしてこその点に関しては、ウチの三人兄妹全員に共通していたとのことだ。
父さんは大して気にして無かったけど、母さんはむしろ心配になったらしい。
そんな心配をよそに、小学校に入るころには、ボクは通知表の連絡欄に「落ち着きが足りません。気をつけましょう。」と書かれるほど、元気に動いたりしゃべったりするようになっていた。
まあ、夏休み前にあんな体験をすれば、人格形成にも影響があろうかというものだ。
三年生になって転校してすぐのころにも、まだこの傾向が続いていたので、多分それもガキ大将の気に障ったのだろう。まったく口は災いの元である。
四年生になると、担任が荒井先生という男の人になった。
「お前は落ち着きが足りない。集中力が無い。見ているとどうにも危なっかしい。だからオレが顧問をしている剣道部に入れ。」
先生はそう言うと、ある日無理やりボクを剣道部に入れた。
実は同じ理由で、先日から書道教室とソロバン教室、ピアノ教室に通うはめになっていたので、放課後のボクの自由はすっかり奪われてしまった。
まあ、でも、荒井先生は厳しいけどイイ人だった。ボクのテストの点数が悪いと、できるようになるまで、放課後教室に残って教えてくれることもあった。
これがきっかけで、ボクの学習習慣が少しずつ定着していったように思う。そういう意味では、むしろボクの人生の恩人である。
で、コレはそんな先生や親たちのおかげで、ボクが落ち着いた性格を取り戻す直前の話なんだけど…。
確か夏休みに入ってすぐのことだった。ボクは趣味の模型飛行機を飛ばしたくなって、家の中を探していたんだ。
模型飛行機といっても簡単なもので、バルサ材の胴体に、竹ひごと薄紙で作った翼を取り付けて、ゴムひもを動力にして飛ばすものだ。
ちょっと前に、珍しくウチにいた父さんと一緒に作った大事なものだったので、自分の部屋ではないどこかへ、しまい込んでしまったらしい。
普段は入らない客間を開けて覗いてみると、はたして箪笥の上にソレはあったのだった。
箪笥の前にあるベッドの上に乗ってみたけど、箪笥まで少し距離があるので上には届きそうにない。悩んだ末にボクは名案を思いついた。
「そうだ箪笥の扉を開いて、中にある小さな引き出しを少しずつ出して、階段のような形にすれば、上まで登れるぞ。」
我ながら名案だと思ったボクはすぐに実行してみた。
引き出した段を順調に登り、てっぺんの飛行機に手が届いたその時、事件が起こった。箪笥がボクの方に倒れてきたのだ!
ボクは完全に箪笥の下敷きにはならなかった。前にあったベッドが箪笥のてっぺんをかろうじて受け止めたのだ。
それでも中の引き出しが荷物の重みでどんどん出てくる。それがボクの胸や腹を圧迫して苦しい。息を吐くことも吸うこともできない。
ああ、こうやってヒトは死んでいくんだな…などとボンヤリ思っていた時、突然ボクの右側から誰かが凄い力で箪笥を持ち上げたんだ。
「ぼやぼやしてないで、早くそこから這い出せ!」
そう言われたボクは、命からがら箪笥の下から抜け出し、振り返ったんだ。
するとそこに雪子さんが居た。
彼女の細い体のどこにそんな力があるのか謎だが、そのまま箪笥を元の位置に戻し、何事も無かったような顔でこちらを振り返っていた。
「まったく雪村君には呆れるな。」
雪子さんは続ける。
「もう少しその物理的なボディを大切にしろとあれほど言っておいたのに。不注意極まりない!」
「ごめんなさい。今日もありがとう。」とボク。
「でも雪子さん、すごい力だね。」
「ああ、今の?まあ軽いサイコキネシスだよ。うん、火事場のバカヂカラともいうな。」
「それにしても、誰だ?こんなところに模型飛行機を…」
雪子さんはブツブツ言っていたが、ふと我に返り、「今日は忙しいからコレで。」と言ってフッと消えてしまったのだった。
雪子さんはなんでいつもボクの命を助けてくれるのだろう?いったいどこから来てどこへ帰っているのだろう?
「今度はゆっくり話がしたいな。」とボクは独り言ちた。
話は変わるけど、二学期が始まったころ、同じクラスで何でも話せる仲の良い友だちができた。村田京子さんという女の子だった。
なぜ男の子ではないのか。その理由を解るようにするためには、ボクのルックスについて語るしかあるまい。
ここまであえて語ってこなかったけど、白状すると、ボクの見た目は、男子というよりむしろ女子に近かった。
Tシャツ・短パンを身に着けて、黒いランドセルを背負っていても、知らない人から声を掛けられると、必ず女子に間違えられるほどだった
…オカッパのヘヤスタイルが良くなかったのかもしれないけど。
また正直に言うと、ある特定の男子から、友だちとしてではない好意を寄せられたこともあった。
もちろん、丁重にお断りしたが。
おつき合いするなら女子がイイに決まっているのである。
そんなわけで、ボクは長い間自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。だから早く歳を取って、オジサンぽくなりたいなんて思っていたのだった。
こんなこともあった。
ある時クラスメートのお誕生会に誘われた。
酒井弓子さんという女の子に誘われたのである。彼女のことがちょっと気になっていたボクはもちろん参加した。
お誕生会の現場には女子10名が集合し、男子はボクだけだった。
なんのことはない。ボクは女子の同類として扱われていたのである。
和気あいあいと会は進行したけれど、ボクの内心は穏やかでは無かった。幼いながらも男子としてのプライドが傷ついたような気がした。
18時近くになり、会はお開きとなった。
酒井さんがボクに一緒に帰ろうと言ってきた。
地下鉄の一社駅はボクの家とは反対方向だったけど、もちろん一緒に帰ることにした。
「実は私ね」
駅に向かって並んで歩きながら、酒井さんは言った。
「女の子としゃべるのが苦手なの。」
「話が合わないっていうか、なんかね、しっくりこないのよ。」
「へえ、そうなんだ。」とボク。
「だから今日は真田君が居てくれて良かった。」
どうやらこんなボクでも女子たちの会合の安全装置として働いていたらしい。もしそうなら、男子として扱われていたことになるから、少し嬉しいかな。ボクはそう思ったけど黙っていた。
「あとね。」
酒井さんは続ける。
「暗くなってから一人で駅まで帰るのは嫌だったから、一緒に帰ってくれて嬉しい。」
その後は二人とも黙りこくって駅まで歩いた。
改札前に着くと酒井さんは振り返ってボクにこう言った。
「今日はありがとう、私のナイトさん。じゃあまた学校でね。」
彼女はにっこり笑って小さく手を振り、駅の中に去って行った。
「ナイトって何だろう?夜だから?」
未だ語彙力の足りない残念なボクは、そんなことを思いながら、本郷駅方面へ向かって歩き出したのだった。




