「現在」 逃避行の夜に
時系列が現在になっているのでお気をつけてお読みください。
寮に再び戻ると、依頼から帰ってきたであろうロスティーが純白の鎧を磨いている。そして私の姿を確認すると胡座を正し、鎧磨きをやめて正座を始めた。
「ただいま」
「おかえりなさいませ。隣に居る方はどなたで?」
間髪入れぬロスティーの質問、まさに神速……。
「ルーラ・シルベリックと申します」
再び綺麗なカーテシーでのお辞儀に、貴族階級的なものに属しているはずなのに何も知らないロスティーも、彼女が只者でないことに気がついたのか眉を顰めながらも深々と立ち上がってお辞儀をした。無骨ではあるが意外と綺麗……。
「ロスターナ・セントフラクレンと申します。セレン様の身の回りをお世話しております」
「貴方がセントフラクレン様でしたか、南方ではセレンさんと肩を並べるご活躍をなさったと存じております」
「いえ、あれはただ、セレン様の隣を走っていたらセレン様が切った敵が私のキルスコアにカウントされていただけです」
「えっ、でも、セントフラクレン様のキルスコアはセレンさんに次ぐものだったはず……」
ルーラはこちらのことを見たが、事実ではあるので否定はしなかった。
やばい、引いてる……。ルーラの目が……。私を殺戮マッスィーンだと思ってる……。
「あれはだってさ、ロスティーが敵を引き寄せてくれてたからさ」
「いえ、そんなの関係ありません。そもそも、セレン様がどの作戦でも1番槍ですから。斧のリーチ内のモンスターは後ろから追ってる私の身体の前で真っ二つになってましたし。あの返り血を浴びて朱に染まるセレン様の御姿……。今思い出しても濡」
「ストップストップ! ヤバいこと言うな。お嬢様の前でそんなこと言ったら」
「ということは、セレンさんのキルスコアは倍近くという……」
「うん、まぁ、そうだね。少ないなぁとは思ったけど、別に言う程ではないかなって思ってたから……。うん」
気まずい空気が流れる。私の狂信者であるロスティーは多分この後も馬鹿なことを言う。私の冒険者としての活動を記録し、本にしようとしているらしいが、絶対にやめていただきたい。もう誰も寄り付かなくなってしまう。あれだ、とんでもない天才がいた時に、自分なんかとは全然違う存在だから、酷く醜い欲望の一つでも持っているのではないかと訝しがられるやつだ。それが原因で恋人ができなかった数学者と小説家を私は知っている。
「セレンさんはどのような魔法を使われるのですか? 戦場でのお話、もう少し知りたいです」
ルーラがこの話を深掘りしようとしてくる。意外とひかれてはいないようだ。良かった。
私は魔法の授業を受けていない。実戦の授業も受けていない。理由としては二つ、南方戦線での実績で、戦闘力に疑いはなくわざわざ学生のカリキュラムに合わせる必要はないというもの、もう一つは教師よりできる生徒がいるとやりづらくてしょうがないというものだ。その結果、座学ばかりやらせれて頭がおかしくなりそうになっている。だから、私の魔法を知っているのは限られた冒険者仲間と軍の上層部くらいなのだ。
「内緒! だって秘密は多ければ多い程魅力的でしょ? モテるんだよ? ミステリアスな女性って」
「そうなのですか」
ルーラは大きな素振りで頷いてくれたが、なんとも言えないもどかしさは感じているだろう。それを隠すための素振りに見えた。
別に言っても私は大丈夫なのだが、時間停止だの超回復だの、話せば割と面倒な魔法が使えるので秘密にしろと言われている。ちなみにロスティーは時間停止の魔法を使われるのが好きとだけは言っておきたい。
「その話は置いておいて、これからどうしたいのルーラ。どうなりそうかは聞いたけど、どうしたいかは聞いて無い」
「そうですね……」
ルーラは暫く真剣に考えて、私の方を悲しそうな顔で見て来た。
「何も、無いです。ただ、死にたくは無いです。修道院に行きたくも無いです。今更顔も知らないような貴族と結婚もしたく無いです。やりたくないことばかりは思いつきます……。ですが、したいことが思いつきません。それが、とても悲しいことだというのに、誰かの望みでできた道を奪われてやっと気がつきました。私はただの人形です」
私が世界で1番嫌いな、泣いている女の子がまた目の前に現れた。そして、彼女が今までどう生きていたかを伝えてくる泣き声。滴る涙がドレスに染み込む。
ルーラをこんなに悲しませた全てをぐちゃぐちゃにしてやりたかった。私だったら一人で簡単にできる。あの誇らしそうに笑ったレイギス王子の首をここに持ってくることだってできる。でもそんなことをしても意味がないことはわかっている。悲しいのはルーラだ。
「やりたいことが見つかるまで、私といようよ」
「……許していただけるのなら、そうしたいです」
「じゃあ一つやりたいこと見つかった。世界を見に行こう。知らない景色を見に行こう」
「でも学校は……」
「いいよ、だって行きたくないでしょ? じゃあ私も行きたくない」
「もう、何も残って無いですね。立派な身分があって、それが剥がされたら何も無い。空っぽです」
「その分軽いよ。知ってる? 旅の基本は荷物を最小限にすることなんだよ?」
「私はあなたになりたい。強い、あなたになりたい。全てを失っても残るものを一つでも見つけたい」
「じゃあ決まり、行こうぜ。ロスティーも行くでしょ?」
「勿論です! 記録が捗りますし!」
ルーラは窓越しの月を見ている。面格子の影がルーラの顔にかかっていた。それが気に食わなかったから、パンチで壁をブチ破った。灰色の破片が宙を舞い、月明かりに照らされてキラキラと光る。崩れた壁の向こうには、夜の学園が広がっていた。風が吹き込み、カーテンをはためかせる。外ではいなくなったルーラを探しているのだろう。教師や警備がランプを手に駆け回っている。
ルーラは私の手をとって、力強く握った。