初めて会話を交わした日のこと
今から二年ほど前、マユラは用務員として騎士団本部で働いていた。
ある日、師団長がまるで戦地に赴くような決死の覚悟の表情でマユラに言った。
「キミ、団員の研究室の掃除を頼みたいのだがっ……!」
もの凄く力んでそう告げる師団長を不思議に思いながら、マユラは掃除道具一式を手にして後をついて行く。
そして師団長はとある研究室の前で立ち止まった。
そして「よしっ!」と自らに気合いを入れ、意を決したように勢いよくドアを叩いた。
「フォガード!中に居ることはわかってるんだぞっ……!速やかにドアを開けなさいっ……!」
師団長が大きな声で中にいる団員に声をかけるも中からの応答はない。
「フォガードっ……!」
「イムル・フォガードくん!」
「開けてっ!」
と必死に呼びかけ続ける健気な師団長を、マユラは後ろで見守るしかなかった。
するとややあってゆっくりとドアが開く。
そして中からボサボサ頭を掻きながら一人の青年……イムルが顔を覗かせた。
「…………なんすか」
「お前、寝てたのか?」
「昨夜、遅くて……」
「どうせ朝方まで研究室で魔術機械人形か魔法陣の試作でもしていたのだろう……まぁいい、そんなに眠いのなら自宅に帰って寝てこい。公休扱いにしてやるから。その代わり今日という今日はこの部屋の掃除をさせてもらうからな!」
「……めんどい」
「お前が掃除をするわけじゃない!そんなこと端なら期待しておらんっ……ここにいる用務員の彼女にしてもらうんだ」
そう言って師団長はイムルに視線を固定しながら、手の平でマユラを指し示した。
ボサボサの髪で目元を覆い隠した風貌でイムルがこちらに顔を向ける。
マユラは軽く会釈をした。
イムル・フォガード一級魔術師は良くも悪くも有名な男で、その存在は一介の用務員に過ぎないマユラでも知っていた。
騎士団においてエリートであり問題児でもある、
それがイムル・フォガードであった。
イムルが心底面倒くさそうに師団長に言う。
「必要ないです」
「ないわけあるかっ……!お前の研究室から異臭がすると苦情が出ているのだぞ!し、しかも来週には有難くも王太子殿下がこの研究棟の視察に来られるのだっ……こんな汚部屋で殿下のお目を汚すなど、魔術師団の名折れ…屈辱だっ……!」
「関係ないですね」
「関係ないわけあるかー!」
必死な訴えを鰾膠も無くイムルに片付けられ、廊下に師団長の声が轟く。
イムルは気怠そうにため息をついた。
「はぁぁ……この部屋に認識阻害を掛ければいい」
「お前っ……魔術で王族を謀るなど懲罰刑だけでは済まされんぞっ」
「はぁぁぁ……」
「ため息をつきたいのは私の方だ!第一、こんなどこに何があるかわからないような散らかった部屋では研究も捗んだろう」
「物の位置はだいたい把握してます」
「もー!ああ言えばこう言うー!」
「はぁぁぁ……」
「だからため息をつきたいのは私だー!」
バケツを持ちながら彼らのやり取りを見ていたマユラだが、このままでは埒が明かないとイムルに話しかけてみた。
「あの、フォガード一級魔術師様、少しよろしいでしょうか?」
彼の目元は見えないが、こちらに視線を向けたのがなんとなくわかった。
「……なに?」
面倒くさそうにそう答えたイムルにマユラは言う。
「どこに何があるか把握しているとおっしゃいましたが、これでは在庫管理までは出来ないのではないですか?」
「……なに?」
「物が物で隠れてしまっているこの状況で、だいたいの感覚で物の管理をされているなら無駄も多いのだろうなぁと思いまして」
「無駄?」
「ええ。ストックがあるのに在庫が分からず、薬剤や魔道具のパーツを無駄に購入してしまうとか……そんな無駄が多くあるのではないかと思ったのです」
「無駄は嫌いだ」
「でしたら一度、お部屋を片付けてその無駄を見直しませんか?」
「……無駄を……見直す……」
「はい。面倒だと思われるなら不用品とそうでない物、触れても問題がない物と危険なものとの識別を教えてくだされば後は私が片付けと掃除をさせていただきます」
「……」
「こうやって迷ってる時間も面倒なのでは?」
「……それもそうだな」
「お、おぉぉぉ……!キ、キミっ……何者だっ!?」
マユラとのやり取りの末にイムルが掃除を承諾したのを見て、師団長が歓喜の唸り声を発した。
そうしてマユラはイムルの研究室の掃除に取り掛かる。
これはかなり骨が折れる作業になりそうだ。
効率よく動かないと勤務時間内に終わらないと判断したマユラがテキパキと動く。
イムルは長椅子に座り、その様子を物珍しそうに眺めていた。
掃除の最中で、マユラはガラス玉のような美しい球体を見つける。
汚れた床に転がっていたにも関わらず球体は曇りひとつ無く輝きを放っていた。
マユラはそれを細い指で拾い上げ、目の前にかざしてみる。
ガラスのような球体は青紫の光が閉じ込められたような、不思議な色彩であった。
「綺麗……」
マユラは思わずつぶやいていた。
「ああ……そこに埋もれていたのか」
いつの間にかイムルがマユラの傍に立っていた。
マユラは自分の身長よりも頭一つ分以上は高いイムルを見上げ、尋ねた。
「これは何ですか?宝石、ではないですよね?魔石?」
「違う」
「宝石でも魔石でもない?なら一体これはなんですか?」
「魔術機械人形の眼球だ」
「え?眼球?これが……?」
美しい球体の意外な正体に、マユラは目を丸くして再び球体を見つめる。
「以前、解体した人形の」
「眼球が床に転がっていたわけなのですね。……魔術機械人形を間近で見たことはありませんが、こんな綺麗な瞳を持っているんですね。知りませんでした」
「人形の虹彩の色は魔力を与えた主の瞳の色になるんだ。だからそれぞれ個体によって瞳の色が違う」
珍しく長文でそう教えてくれたイムルにマユラは内心、これはかなり珍しい現象なのでは?と思っていた。
そしてイムルがさらに言葉を発する。
「それは……俺が魔力を与えた瞳だ」
「え、ではこれがフォガード様の瞳の色ですか?」
長い前髪で目を覆い隠すイムルの瞳の色はあまり知られていない。
マユラはもう一度魔術機械人形の瞳に視線を戻し、そして素直に告げた。
「ふふ。こんなに綺麗な色彩の瞳をもらえるなんて、フォガード様の魔術機械人形は幸せですね」
そう言って知らず笑みを浮かべていたマユラを、イムルは何も言わずにただ黙って見つめていた。
マユラは魔術機械人形の瞳をイムルに手渡しながら言う。
「フォガード様も、こんなに美しい瞳をお持ちなのに隠してしまわれるなんてもったいないですわ」
「……どうでもいい……」
「ふふ、そうですか。それも個人の自由でものね」
「……」
瞳を受け取ったイムルが黙ったままなのでマユラは掃除を再開した。
そうして見違えるように綺麗になった部屋を見て師団長は涙を流し、イムルは……やはり黙りをキメこんでいた。
それがイムルと初めて接した日のことだった。
その後一度だけ、師団長のお使いでイムルに書類を渡しに行ったきり、彼と接することはなかったというのに。
それなのに掃除した日から数ヶ月に、師団長からイムルとの縁談を打診されあれよあれよ彼の妻になったのである。
それらを振り返りながらマユラは思う。
あの時にきっと師団長に、イムルの妻に都合がよいと目を付けられたのだろう。
この結婚についてマユラに異存はない。
だがイムルの方にしてみれば迷惑な話だったのではないだろうか。
きっと師団長にゴリ押しされ、断りきれずにマユラを妻に迎えたに違いない。
だって彼には、マユラと出会う前から大切にしている女性がいたのだから。
マユラは大きく嘆息し、あの日のように今は夫となったイムルの研究室の掃除を始めたのであった。