エピローグ 心からの願い
「これが……ユクノキの花……!」
「ああ」
「綺麗ですね……!」
「ああ」
「五年に一度しか咲かないなんて不思議ですね」
「ああ」
「それに本当に大きな木」
「ああ」
「……さっきから“ああ”としか言ってないの気付いてます?」
「あ、」
「す、すまん」と頭を掻きながら詫びるイムルを見て、マユラは吹き出した。
「ふふ。わかってます。そんなすぐには変われませんよね。話すべき時はちゃんと話してくれるとわかりましたからいいんです。でもこれからゆっくり時間をかけて会話が成り立つようにしていきましょうね」
「そうだな、ありがとう。マユラ」
マユラが家出をし、それによりイムルが一生分の会話をわずか数時間でやり尽くしたあの日。マユラはイムルに一つの約束をさせた。
これからはどんな些細なことも話してくれること、そのために普段からの会話で用いる単語を増やすこと、である。
無理にベラベラと喋らなくてもいい。
言葉を交わさなくても一緒にいるだけで心が満たされることもある。
でもやはり会話は潤滑なコミュニケーションには欠かせないものである。
イムルの今後のためにも、そして円満な夫婦関係のためにも、いちいちマユラが察っせねば意思疎通が成立しない状況を改善していく必要があると考えたのだ。
それによりイムルは、これまで自分がおざなりにしてきた対人関係をスキルアップするために絶賛奮闘中であった。
まぁそれはマユラ限定かもしれないが。
そしてマユラは今日、件の別宅に来ていた。
ユクノキの花が開花したらマユラに見せたいと言っていたイムルが連れて来てくれたのだ。
そして目の前には大きく広げた枝の隅々にまで花をつけたユクノキ。
数多の白く可憐な花が今を盛りと咲き誇っている。
マユラは首をいっぱいに伸ばして、大きな木を見上げた。
「ユクノキが嬉しそうに見えるわ。きっとこの日のために、月日を重ね懸命に生きてきたのね」
「……フローラがこの花を見るのはこれが最後だからな。木もわかっているのかもしれない。今年の花はかつてなく美しく見える」
「最後……」
マユラは庭のテラスでお茶の支度をするフローラに視線を移した。
こうやって見ても、マユラにはフローラは人間にしか見えない。
ハウゼンは初見でフローラを魔術機械人形と識別したみたいだが、フローラには人形特有の無機質な雰囲気が一つも感じられないのだ。
それをイムルに話すと、
「フローラは製作されて五十年だからな。人形の感情は知識として与えられたものだが、自らの体験を学習とし、それを記憶ではなく記録として蓄積していく。そのインプットされた記録を経験値として、シチュエーションによりアウトプットして人と接するんだ。感情を持つ人間のように振る舞えるのもそのためだ。ハウゼンは製作して十年になるが、それでもフローラと比べるとまだまだお人形さんだな」
この人は魔術機械人形に関することは本当によく喋るなと思いながら、マユラは少し意地悪く夫に言ってやった。
「イムル様よりフローラさんの方が人の心の機微をよく学んで理解しているのでは?」
「……」
反論の余地なくおし黙るイムルとそれを内心可愛いと思っているマユラ。
そんな夫婦にフローラが声をかけた。
「オ茶ノ支度ガデキマシタヨ」
マユラはイムルに向けていた笑顔のまま、フローラに返事をする。
「ありがとうございます、フローラさん」
そして帽子を脱ぎながらテラスの席についた。
テーブルには香り高い紅茶とフローラが作ったという焼き菓子が用意されていた。
イムルも椅子に座り、フローラに言う。
「見事に咲いたな。五年前は師匠が亡くなる直前だった」
フローラはゆっくりと頷き、少し掠れた穏やかな声で答えた。
「ハイ。生前ノアノ方ノ願イガ叶ッテ良カッタ」
フローラの声が掠れているのは喉の声帯機能が劣化しているからなのだそうだ。見た目からはわからないが完成から五十年の歳月を経て、フローラの体は劣化の一途を辿っているらしい。
主なメンテナンスはイムルがマメに行っているそうだが、それでも限界はある。
国の法で魔術機械人形は製作から五十年で解体が定められているらしい。
それ以上の維持は人形に内蔵された魔力を宿す核が暴発する恐れがあるからなのだそうだ。
だからといってその核は人形にとっては心臓であり脳であるために、核や体を新しいものに造り変えてしまうと、それはもう別の魔術機械人形となってしまうのだそうだ。
その五十年をもうすぐ迎えるというフローラ。
本来なら五年前に真の主人の存命中に解体をするべきだという声が魔術機械人形協会から上がったらしい。
この世界に現存する魔術機械人形の中で最高齢のフローラ。
今までそこまでの年月を問題を起こさず活動を維持できた人形が存在しなかった。
そのため今後の予測が難しいという点から出た意見だそうだ。
製作者が生きているうちに安全に解体して廃棄処分しろということだろう。
だがイムルの師匠がそれを是とはしなかった。
フローラには自分の死後も、活動限界ギリギリまでこの庭を守って欲しいと希望したのだ。
解体なら不肖の弟子イムル・フォガードが責任を持って行うからと協会に言ったらしい。
「俺になんの断りもなくそう返事したんだぞ」
「酷い話だ」とそう言いながらもどこか懐かしむようにわずかに笑みを浮かべるイムルの顔を見てマユラはハッとした。
「……私がハウゼンの案内でこの庭を見に来たときも、イムル様はそうやって笑ってたんですよ」
「俺が?笑っていたのか?」
「ええ。とても優しい表情で。だから私、勘違いをして……」
マユラがそう言っても笑った自覚がなかったのか、本人は首を傾げるばかりである。
マユラの話を聞いていたフローラが「ソウイエバ」と前置いて、イムルに告げた。
「先日アナタガココニ来タ時、コノ庭デ過ゴシタ子ドモ時代ヲ懐カシンデイタデショウ。ソシテソノ後ハ近イ将来ノ事モ、ブツクサト……」
「あ、」
フローラの言葉に思い当たる節があったらしいイムルが反応を示した。
そしてわずかに動揺を見せた。
それをマユラが目敏く気付く。
「何ですか?何をブツクサと言ったんですか?」
「い、いや……」
耳の先を赤く染めて言い淀むイムルの代わりに、フローラがシレッと白状した。
「カツテノ自分がソウシタヨウニ、イズレ我ガ子モコノ庭デ遊ブ日ガクルノダト思ウト感慨深イト言ッテマシタヨ」
「あ、こらフローラてめ……」
フローラに抗議するイムルをマユラはポカンとして見つめる。
「我が子……?」
「……」
「我が子って……」
「そ、そりゃいずれ生まれるだろう」
それは、イムルも望んでくれているということだろうか。
自分たち夫婦の間に生まれてくる子どもを、今から楽しみにしてくれていると解釈してもいいのだろうか。
だからあの時、
あんなに優しい表情で微笑んで……
それを思うと、マユラの心がじんわりと温かくなる。
嬉しい。
イムルは普段ぶっきらぼうであるからこそ、こういう思いがけない本心を知ると嬉しくなるのだ。
「ふふ」
はにかんで笑みを浮かべるマユラを見て、イムルは慌ててそっぽを向いた。
ユクノキの花を眺める体をとっているが、耳が完全に真っ赤である。
そんなマユラとイムルにフローラが告げた。
「私ノ前ハアノ方ノ奥様ガ大切ニシテキタコノ庭ヲ、アナタ方ガ受ケ継イデクレルコトガ本当二嬉シイ」
長い年月の中で喜怒哀楽を学んだフローラが、嬉しいという意思を示している。
それは奇跡に近い、素晴らしいことなのだとマユラは思った。
フローラの解体の後、イムルは師匠から受け継いだこの家にマユラとハウゼンとザーラを連れて移り住むことを決めていたのだという。
そのために今、フローラの庭仕事のノウハウの記録を移し替えるための魔術機械人形を製作中なのだそうだ。
さすがにこの広い庭の管理までハウゼンが請け負うのは無理があるからだ。
庭仕事は毎日、何かしらの作業がある。
なのでそれを任せる人形をイムルは用意するとの事だ。
フローラはイムルに向き直り、真摯に告げた。
「コノ庭ノコト、頼ミマス。コレカラモ大切ニシテ、マタ五年後サラニソノ五年後ト、ズットコノ庭デユクノキノ花ガ咲キ続ケテイラレルヨウニ……」
「任せろ。何も心配するな」
イムルがそう答えると、フローラは顔の形を変えて、笑顔をつくって見せた。
これも長く学習したフローラだからこそできることらしい。
「面倒クサガリノアナタデハナク、チャント人形ニ庭仕事ヲ任セテクレルノダカラ何モ心配ハシテマセンヨ。奥様モシッカリトシタ方ノヨウデスシ」
「お前な……」
「ぷっ……ふふふ」
子どもの頃からイムルを知るフローラにかかっては、魔術師団の問題児も形無しのようである。
その様子がおかしくて、マユラは思わず吹き出していた。
こんな日がくるなんて思いもしなかった。
心の中でどこか重く伸し掛りながらも情景として想像していたこの庭で、イムルとフローラと笑い合える日がくるなんて。
ユクノキに見守られながら過ごした今日という日を生涯忘れないでおこうと、マユラは心に決めた。
そして製作から五十年を迎える数日前に、フローラは自然に活動を停止した。
奇しくもイムルの師匠であり、フローラの真の主の命日であったという。
まるで人間の老衰のように、フローラはユクノキの下で眠るように停止していたそうだ。
最後まで庭仕事をしていたのだろう、その手には剪定用の鋏が握られていたらしい。
マユラはその話を聞き、静かに涙を流した。
魔術機械人形に冥福を祈るのは違うのかもしれない。
だが魂を持たない人形だが、彼らが大切にしていた者たちの側へゆければいいと、マユラは心から願うのであった。
イムルはフローラの体から慎重に核を取り出し、術式を用いて新たな人形の核に一部移植した。
その人形の姿は亡き師匠の少年の頃の姿に似せて造ったのだそうだ。
緑の髪色にうっすらとソバカスのある、人間でいえば十五~六歳くらいの見た目の新しい家族。
その家族の誕生と共に、マユラはイムルに連れられてオレンジの瓦屋根の家に移り住んだ。
フロウと名付けられた少年庭師はすぐに庭に馴染んで仕事に勤しんでいる。
フローラのガーデンスキルを受け継いでいるのだ。当然といえば当然だがなんとも頼もしい限りである。
三体の魔術機械人形と言葉数は以前より増えたとはいえ相変わらず面倒くさがりの夫との五人暮らし。
そしてもうすぐ、新たな家族が増えることがわかった。
だけどマユラはまだそのことをイムルには告げていない。
彼はどんな反応を見せるだろうか。
驚くだろうか、喜んでくれるだろうか。
あの日、あの優しい笑顔を見せてくれたイムルならきっと後者であるだろうとマユラは確信している。
五年後、またユクノキの花が咲く頃は親子三人であの大きな木を見上げるのだろう。
マユラはその話を打ち明けるべく、夫の名を呼ぶ。
「イムル」
いつの間にか砕けた呼び方になっていた妻の声を聞き、
「ん?」とゆっくりと振り返った夫に、マユラは心からの笑顔を見せた。
終わり
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補足です。
マユラのキモイ叔父ですが、何故かわかりませんがFU(乂'ω')ノーゥになってしまったらしいです。
そしてこれも何故かはわかりませんが投資に失敗。
経営していた商会は借金返済のために人手に渡りました。
そして何故かはわかりませんが、叔父さんは王都から離れた遠~い辺境の地にて人足の仕事に就いたそうです。
あの叔父がゴネてマユラに集ることもなく、すんなり肉体労働に就いたなんて不思議ですね~。
何故なんだろうな~。
なんか不思議な力が働いたのかな~?
最後までお読み頂きありがとうございました!
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