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諸星敏夫は話す。
「あの、私に対してどんな用事でしょうか? 特に『どこかが悪い』という訳ではなさそうですが……」
腕を組みながら、善太郎は諸星敏夫の質問に答えた。
「――お前、人を殺しただろ?」
当然だけど、諸星敏夫は――キレた。
「ふ、ふざけるな! 私が人を殺した!? そんなこと、する訳がない! そこまで私を陥れたいのなら、帰ってくれ!」
それでも、善太郎は食い下がる。
「オレは帰らないぜ? ここで帰ったら、探偵としての名が廃れるからな」
あの、あなた――本職は探偵じゃなくてシステムエンジニアじゃないの。そんなことを思いつつ、私はしばらく口論の様子を眺めていた。
*
口論が始まって数分経ち、諸星敏夫は――折れた。
「ああ、高梨乃絵瑠を殺害したことは認めるが――君の推理は間違っている」
「間違っている? ――ああ、そういうことか」
善太郎は何かを言いたそうだが、ここは私が補足したほうがいいだろう。そう思った私は、諸星敏夫に話しかけた。
「敏夫さん、あなた――もしかして、高梨乃絵瑠に対して貢いでいたのでは?」
どうやら、私の考えは――ビンゴだったらしい。諸星敏夫は話す。
「そうです。私は瑛子という妻がいながら高梨乃絵瑠という女性に対して金品を貢いでいた。俗に言う『パパ活』だよ。しかし、乃絵瑠の要求はエスカレートして、ついには肉体関係を迫られるようになってしまった」
「だから、肉体関係を結ぶ前に――高梨乃絵瑠を殺害したと」
「そうです。聞いた話によれば、高梨乃絵瑠は看護師として働く傍らで複数の男性を誑かしていた。そして、肉体関係と引き換えに金品をせしめていた。私はもっと早く気づくべきでしたが、気づいたときには……」
「肉体関係を要求されたと」
「そうです。愛する妻がいるのに、不倫するなんてとんでもない。だから、私はメリケンパークに乃絵瑠を呼び出して、殺害した。普通に殺害するだけなら私が犯人だと分かってしまうから、注射器に青酸カリを注入して――彼女を殺害した」
「首元にあった注射痕は、紛れもなく――かつてツベルクリン検査で使われていた注射器で間違いないですね。2人共、遺体に特殊な注射器による注射痕が見受けられましたから。ところで、どうして――坂口康史まで殺害したのでしょうか?」
私の質問に対して、諸星敏夫は淡々と答えていった。
「実は……妻が『世紀末救済会』の信者で、多額の寄付を教団に送っていました。その額は1000万円以上で、いわゆる闇金にも手を出していました」
「なるほど。――だから、報復のために坂口康史を殺害したと。分かりました」
善太郎も、諸星敏夫に追い打ちをかけていく。
「お前、夫婦関係がギクシャクしていたらしいな。理由は言うまでもなく妻である諸星瑛子が『世紀末救済会』という新興宗教の信者で、病院の売上金を教団に送金していたことが原因だろうな」
「間違いないです。私、瑛子に対して離婚届を出そうとしていたんです。令和6年12月31日付で離婚しようと思っていましたから」
「だからって、殺人はやりすぎだろう。それも、2人殺害したことになる」
諸星敏夫は、俯いている。私は、彼に対してかける言葉が――見当たらない。多分、そっとしておくことが一番なんだろうけど、殺人犯に対して「そっとしておく」という行為自体がどうかと思う。
それを踏まえたうえで、私は善太郎に質問した。
「――それで、私はどうすればいいの?」
善太郎の答えは――あっけないモノだった。
「警察を呼んでくれ」
仕方がないので、私はスマホで警察を呼んだ。それにしても、殺人犯というのは意外と見落としがちなところにいるんだな。私はそう思った。
たらい回しにされた挙げ句、今回の事件は「町医者による犯行である」と分かったのだけれど、正直言ってやりきれない部分もある。なんだか、諸星家という存在が可哀想になってきた。――はぁ。
ため息を吐きながら、私はパトカーの赤灯をずっと眺めていた。
やがて、浅井刑事はこちらに向かってきた。
「――卯月先生、もしかして事件を解決してしまったんですか?」
浅井刑事はそうやって言うけど、多分――私の手柄なんかじゃないと思う。
「違います。この事件は自然発生的に起こって、自然発生的に解決した。ただ、それだけのことです」
「そうですか。――あっ、安仁屋さん」
「オウ、浅井刑事も来ていたのか」
「当然ですよ。ここ、兵庫県ですから」
「それはそうだな。――それはそうと、諸星家はこれからどうなるんだ?」
「それは僕にも分かりません。でも、多分――最悪の事態にだけはならないと思っていますけど」
「最悪の事態? ――なるほど」
気になることが多すぎるので、私は善太郎と浅井刑事の会話に割って入った。
「安仁屋くん、勿体ぶらずに教えてよ?」
「分かっているぜ? 諸星家というのは、殺人事件云々以前に――いずれ崩壊する運命だったんだ。諸星敏夫はパパ活に手を出していて、諸星瑛子は新興宗教の信者で、そして、諸星すみれは――そういう家族の事情が嫌になって自ら命を絶とうと思っていた。そうだろ?」
善太郎がそう言うと、諸星すみれは――長袖を捲った。
捲くられた長袖の下に、白くて細い腕が見える。腕には、無数の傷痕があった。
その傷痕を見て、私は思わず言葉を発した。
「――すみれさん、あなたも私と同じ心の傷を抱えていたのね」
私の言葉に、諸星すみれは反応する。
「心の傷?」
「そう。心の傷。それは知らないうちに自分の心を徐々に蝕んでいって、最悪の場合――自傷行為に至ってしまう。私も、かつては自傷行為の常習者だったからね」
諸星すみれは、意外そうな顔をしている。
「そうなんですか?」
「そうよ。――私の腕、見る?」
そう言って、私は着ていたセーターの腕を捲った。腕には、薄い傷痕が付いている。自傷行為をやめてから5年ぐらいは経っているから、傷痕は塞がりつつあった。でも、完全には塞がらない。それは自分でも分かっているし、たまに記憶がフラッシュバックすることもある。それでも、私は――生きている。
私の腕を見て、彼女は――言葉を発した。
「辛かったんですね。私も、辛いんです。父親は仕事で忙しいし、母親は私に対して辛く当たるし、何よりも――学校でもいじめられていましたから」
彼女の言葉で、私はあることを思い出した。
「なるほど。――そういえば、『世紀末救済会被害者の会』の会長である松崎朋子から伝言を預かっています」
「伝言?」
私は、スマホのメッセージアプリから松崎朋子のログを見た。
そして、松崎朋子のメッセージを読み上げた。
「――広江さん、『世紀末救済会』の2世信者の中にある人物を見つけました。1世の名前は諸星瑛子で、2世は諸星すみれです。もしかしたら、今回の事件に関係があるかもしれません。一応、伝言として伝えておきますね」
諸星すみれは、私が読み上げたメッセージに対してあることを確信したらしい。
「やっぱり、そういうことだったんですね。――私、これからどうすればいいのでしょうか?」
うーん、悩むな。――ここは思ったことを言っておこう。
「それは、正直言って私にも分からないです。でも、救いの手はあると思いますよ? 例えば、被害者の会の一員として『世紀末救済会』の信者を脱会させるとか……。特に、2世信者の意見は貴重だと思いますから、松崎さんは力になってくれるはずです」
「そうですか。――分かりました」
それで、諸星すみれは納得してくれたらしい。――少し、徳を積んだかもしれない。
*
数日後。善太郎からスマホ宛にメッセージが送られてきた。メールじゃないってことは、大したメッセージじゃないのだろう。
私は、メッセージを読むことにした。
――あれから、諸星すみれは被害者の会の一員になったらしいぜ?
――どうも、「2世信者の立場から『世紀末救済会』の信者を脱会させる」とのことだ。
――それにしても、なんか煮えきれない事件だったな。
――オレは探偵の立場として今回の事件を解決したが、お前はどう思っているんだ?
――まあ、オレが詮索しても仕方がないのは分かっているんだけどな。
彼のメッセージに対する返事は、分かっていた。私はスマホで返信していく。
――そりゃ、「あってはならないこと」だと思ってるわよ?
――そもそも、殺人事件なんてあってはならないことなんだけどさ。
――私、新作小説の執筆で忙しいからしばらくメッセージ送ってこないで。
――それじゃ。
これでいいか。多分、彼は私がどういう状況に置かれているか分かってくれるだろう。
そういう訳で、私は溝淡社宛に250枚の原稿用紙を送りつけた。タイトルこそ決めていないけど、そのうち担当者が良いタイトルを付けてくれるはずだ。どうせ私が決めることじゃない。