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善太郎が事件現場へと向かった以上、私はスマホのメッセージアプリで情報が入ってくるのを待つしかない。
ボーッと待っていても仕方がないので、ダイナブックで適当に小説の原稿を書いていく。今書いている原稿はそんな大した原稿じゃないのだけれど、多分――溝淡社は気に入ってくれるだろう。
原稿を書いていると、スマホが短く鳴った。――善太郎からのメッセージか。
私は、スマホのロックを解除して、彼からのメッセージを確認した。
――彩香、確かに坂口康史は犬に噛まれて殺された……ように見せかけられていた。
――メリケンパークの事件と照らし合わせて考えると、恐らく犬の歯型ではなく入れ歯のようなモノだと思っているぜ?
――今のところ、オレから言えることはこんなものか。
――そうだ、お前……今、何をしているんだ? 教えてくれないか?
何をしているって……小説の原稿を書いていただけだけど。私は善太郎のスマホにそういう旨のメッセージを返信した。
――私なら、小説の原稿を書いてたわよ? そんな、大した原稿じゃないけど。
――で、安仁屋くん……これから私の家に向かう気なの?
メッセージに対する善太郎の返信はすぐに来た。
――オウ、その通りだ。
――今からお前の家に向かうぜ? 色々と話したいこともあるしな。
やれやれ。私の家――というか、アパートの部屋を何だと思っているんだ。仕方がないと思いつつ、私は善太郎用のコーヒーを沸かして待つことにした。
*
善太郎が私の部屋に来たのは、メッセージが送られてきて30分ぐらい経った頃だった。
茶色い癖っ毛に、丸くて黒いサングラス。「探偵の正装」と思しき白いスーツと赤いネクタイという装束は、却って滑稽な姿に見える。
「――オウ、来てやったぜ?」
「来てやったぜ? じゃないの。私だって自分の仕事があるから忙しいのよ? 分かってるの?」
「それは分かっている。でも、2つの事件に対するお前の見解が聞きたいって訳だ」
「そうなのね。――とりあえず、中に入って」
私は、善太郎を部屋の中へと案内した。当然、コーヒーは淹れている。
コーヒーのために用意した茶菓子――クッキーを食べつつ、善太郎は話す。
「坂口康史って、調べれば調べるほど謎が多い。お前は『新興宗教の教祖である』ということまで突き止めたが、どうもそれだけじゃないぜ?」
「それだけじゃないって、どういうことなの?」
「どうも、コイツは元々コンサルタント業に従事していたらしい。主にデジタル化に関わるコンサルタントを請け負っていて、オレの勤務先――松島電器とも取引があった」
「世界の松島電器が、そういう怪しげなコンサルタントに業務を委託していたと?」
「ああ、そうだな。――多分、ソリューション関連の業務だと思うぜ?」
「なるほど」
少し難しい話が続いたが、善太郎の話を要約すると――「コンサルタントがある日突然新興宗教の教祖になった」とのことである。
善太郎は話す。
「それで、高梨乃絵瑠は坂口康史を教祖とした『世紀末救済会』の元信者で、被害者の会のメンバーにもなっていた。被害者の会のリーダーは松崎朋子という女性であり、お前の話を噛み砕くと……彼女が怪しいと思っている」
「確かに、私も松崎朋子が怪しいと思ってた。でも、直接関係があった訳じゃない。殺害の動機を考えても、証拠が不十分よ?」
「確かに、それは一理あるかもしれないな」
私と善太郎の会話に、古屋桃子が加わる。
「探偵さん、そういえば――アタシの友人が被害者の会のメンバーだった。名前は『篠田利恵』って言うんだけど、彼女曰く『世紀末救済会から1000万円の壺を買わされて大変な目に遭った』って言ってたわ。もちろん、今はちゃんと1000万円の借金も返済して普通に働いているわよ?」
善太郎は――古屋桃子の話に食いついた。
「そうか。――篠田利恵のこと、もう少し詳しく教えてくれないか?」
「いいわよ? 利恵ちゃんは、どうも『推し活』にハマってたらしいのよね。それも、ただの推し活じゃなくて――『ホストに貢いでた』って言ってたわ?」
「ホストか。――いわゆる『ホス狂い』だな」
「ホス狂い? 一体、何なのかしら?」
咳払いをしたうえで、私は古屋桃子の質問に答えた。
「コホン。――ホス狂いって、要するに『ホストに多額の金額を貢ぐ女性』のことを指すのよ。貢ぐ金額に関していえば、100万円はまだかわいい方で、多いと1000万円以上貢ぐ女性もいるらしいの」
「へぇ……。世の中、怖いわね」
私の知識に対して古屋桃子が頷くなか、善太郎は赤いラークの箱からタバコを1本取り出して吸った。――あの、ここって禁煙なんだけど。
タバコを吸いながら、善太郎は話す。
「ホス狂いなぁ……。オレの会社の同僚にも、そういう人間がいたぜ? まあ、オレの勤務先は世界の松島電器だから、ホストに対して貢ぐ金額は雀の涙にしか見えないんだろうけど」
ちなみに、松島電器の平均年収は――今年の大卒で500万円、最大で1200万円である。
そして、善太郎は話を結んだ。
「まあ、高梨乃絵瑠も『そういう類の人間』だったことは確かだろうな。それで、坂口康史に騙されて――大変な目に遭った。そんなところか」
「そうなるわね。――ところで、2人の遺体の詳しい死因は分かってるの?」
「うーん、オレは毒殺だと思っているけどな、遺体はまだ司法解剖に回されていない。監察医の解剖待ちだな」
「そっか。――分かった」
司法解剖さえ通れば、遺体の死因はすぐに分かるはずである。――多分、何らかの毒を使われて殺されて、犬の歯型で「犬による殺害」に見立てた。そんなところだろう。
「――おっと、刑事から連絡だ」
どうやら、善太郎のスマホに浅井刑事から連絡があったらしい。彼は、スマホの通話ボタンをタップした。
「もしもし、浅井刑事――どうした?」
「――そうか、分かった。伝えてくれただけでも、感謝しているぜ?」
そう言って、善太郎はスマホの終話ボタンをタップした。
私は、善太郎に電話の内容を聞いた。
「それで、電話の内容って――何だったの?」
「高梨乃絵瑠の司法解剖が終わったらしいぜ? どうも、体内は青酸カリが回っていたらしくて、胃からアーモンド臭がしていたそうだ。この時点で、死因は毒殺で間違いない。『ケルベロスの牙』なんかじゃなかったんだ」
「でも、歯型の謎はまだ分かってないよね?」
「そうだな。そこなんだが――正直言って、オレにも分からねぇ。彩香はどう思う?」
「どう思う? って言われても……知らないわよ」
「それはそうか。――これ、見てくれ」
善太郎は、私にスマホの画面を見せてきた。どうやら、高梨乃絵瑠の遺体の写真から首元を拡大したモノらしい。
首元には、犬の牙としか思えない大きな穴が2つ空いていた。――この穴、どこかで見覚えがあるんだけど、一体どこで見たんだろう?
私は、その穴を見ながら考える。注射、点滴、カテーテル……。
――ああ、そうか。そういうことだったのか。
私は、善太郎に対してあることを伝えた。
「安仁屋くん、ちょっといいかしら?」
「彩香、どうしたんだ?」
「この穴――アレかもしれない」
「アレ?」
「安仁屋くんって、『ツベルクリン検査』は知ってるかしら?」
「ああ、ガキの頃に受けたことがあるぜ? 確か、俗に『ハンコ注射』とか呼んでたか。オレはなんともなかったが、後で知った話だと反応があると丸いブツブツが浮かび上がるとかなんとか……ああ、どうしてそれを見落としていたんだ」
「そうよ。犬の牙だと思ってたモノは、ハンコ注射で使われる注射器の痕だったって訳。これで『ケルベロスの牙』の謎は解けたわね。後は事件の犯人だけど……そこがわからないのよね」
私は、頭を抱えた。
頭を抱えながら、事件の容疑者を思い出していく。
――えーっと、坂口康史が殺害されたとして、残りの容疑者は4人。村瀬隆宏、菊池沙奈恵、諸星すみれ、桐山悟……。一貫性がないな。一番怪しいのは村瀬隆宏だけど、それじゃああまりにも出来すぎた話である。私がこの事件を題材に小説を書くとしたら、プロットのフェーズでボツにしてしまう。
そうなると、やはり菊池沙奈恵と諸星すみれ、そして桐山悟に話を聞いてみるべきか。恐らく兵庫県警から事情聴取は受けているだろう。――一応、村瀬隆宏からも話を聞いておこう。
それを踏まえた上で、私は善太郎にある提案をした。
「安仁屋くん、私――事件の容疑者と話がしたいんだけど、いいかな?」
当然、善太郎の答えは――「イエス」だった。
「オウ、いいぜ? あまりこういうことはやりたくないんだけど、容疑者の住所はリストアップ済みだ」
「じゃあ、まずは……村瀬隆宏かな?」
「それに関してだが、流石にバイクじゃキツいだろう。――オレの車に乗っていけ」
「乗らせてもらって、いいの?」
「もちろんだ。オレは探偵だからな」
そういうわけで、私は善太郎が運転する赤い日産GTRに乗った。――いいんだろうか。
「それじゃあ、後は安仁屋くんに任せたから」
「オウ! 任せておけ!」
そう言って、善太郎はカーナビに住所を入力していく。どうやら、村瀬隆宏は六甲アイランドに住んでいるらしい。
「えーっと、これをこうして……こうだな。――行くぜ」
「ところで、後ろに桃子ちゃんも乗ってるけど……いいの?」
「ああ、付いてこい。もしかしたら、彼女の証言も重要な証拠になるかもしれないからな」
「アタシの証言? ――まあ、話せることはすべて話してあげるわよ?」
善太郎がアクセルを踏んで、日産GTRは発進していった。進む先は――もちろん、村瀬隆宏の家である。