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翌日。私は善太郎をJR芦屋駅近くのコーヒーショップへと呼んだ。
シナモンロールを頬張りつつ、私はダイナブックの画面を善太郎に見せる。
「なるほど。――お前、中々良い線いっているな」
「そう? 私はただ単に浅井刑事が言っていた容疑者をまとめただけだけど」
確かに、私は――浅井刑事が話していた容疑者に関する情報をまとめ上げていた。
現時点で容疑者は5人いて、一番怪しいのは高梨乃絵瑠の仕事仲間である村瀬隆宏か。でも、坂口康史は――「教祖」と名乗っていたな。もしかしたら、何らかの新興宗教の教祖だろうか? だとすれば、彼も怪しい。
しかし、飽くまでも容疑者に関する情報をまとめただけであり、深く踏み込んだ訳じゃない。――私にできることを、やっただけだ。
それを踏まえた上で、私は善太郎に話した。
「ところで、安仁屋くんは何か情報を掴んだの?」
「いや、あれから全く手がかりを掴めていない。脈ナシだ」
「安仁屋くんがそうやって言うのなら、仕方がないわね」
「ああ、お前の力になれなくて申し訳ないと思っているぜ。それに、オレにとって探偵は飽くまでも副業でしかない。本業はシステムエンジニアだぜ?」
「それは分かってるわよ。でも、安仁屋くんしか頼れる人がいないから」
「そうか。――まあ、そうだな」
実際、善太郎が持ってくる「土産話」は難事件そのものである。普通の事件なら刑事さんだけで解決できるけど、善太郎に託されるということは――多分、警察も相当苦労しているのだろう。そして、私は善太郎の「土産話」を聞いた上で――手助けをしているだけだ。
たまに、善太郎の「土産話」に対する私の推理が当たることがあるが、それは「まぐれ」でしかない。当たる確率は30パーセントぐらいだろうか。――30パーセントもあれば、上出来か。宝くじが当たる確率よりも高いじゃないか。
そんなことを思いつつ、私は善太郎の話に耳を傾けていた。
「それで、例の歯型の件だが……オレ、少し思うことがあるんだ」
「思うこと? 言ってみてよ」
「オウ、分かったぜ。――実は、遺体の歯型を友人の獣医師に見せたんだが、どうも犬のモノではないらしいぜ?」
「犬のモノじゃないって、どういうことなの?」
「ああ、犯人はこの事件を『犬の仕業』――というか、ケルベロスの仕業に見せかけようとしていたんだが、獣医師曰く『犬の牙にしてはあまりにも不自然な歯型だ』と言っていたぜ?」
「となると――犬ではない、別の生き物の歯型なの?」
「そうなるな。オレとしては『入れ歯』を疑ったが、たかが入れ歯でそんな歯型は付かないだろう。このフェーズで入れ歯という線は外れるな」
「人間じゃない。犬でもない。――何なの?」
「残念だが、そこまでは分からねぇ。引き続き、調査を進めるぜ」
「分かった。――それじゃあ、頼んだわよ?」
そう言って、私はコーヒーショップを後にした。どうせコーヒー代ぐらい自分で払うし。
*
アパートに戻ったところで、私は引き続き例の事件について推理していた。
私は、推理する過程で――なんとなく坂口康史が怪しいと思っていた。新興宗教の教祖なら当然だろうか。
浅井刑事が言うには「坂口康史は自称『世紀末救済会』の教祖」とのことだった。あまりにも胡散臭すぎる。
試しに「世紀末救済会」と検索してみたら、一発で教団のホームページが引っかかった。
教団のホームページによると、「弱者を救済するためには信仰が必要」と書いてあった。――普通、弱者を救済するには宗教よりも自治体の救済制度を使ったほうが早いと思うんだけど。
そんなくだらないことを考えつつ、私は画面に映し出されていた教祖の顔写真を見ていた。彼が、坂口康史だろうか。経歴を見ると、国公立大学の中でも最難関と称される神戸大学を卒業していることからも、かなりの高学歴であることは明らかだった。でも、どうして新興宗教の教祖になったのだろうか? 色々と不思議なものである。
そういう私だって――就活の過程で色々な企業から「お祈りメール」と呼ばれるモノをもらって、そのたびに自分が嫌になった。そして、自傷行為に手を染めていた。自傷行為で心の痛みを体の痛みに転嫁したところでどうにもならないのは分かっていたのだけれど、やっぱり悲しかった。だから、就活が嫌になった。ただそれだけの話である。
そうやって考えると、坂口康史も何らかの転機があって新興宗教の教祖になったのだろう。私はそう思っていた。
それから、「世紀末救済会」のサイトをくまなくチェックする。特にこれと言った情報があった訳じゃないのだけれど、私は――なんとなく目の前のダイナブックで「世紀末救済会 信者」と検索した。
――あるじゃん、被害者の会。
被害者の会は、「松崎朋子」という女性をリーダーとして活動していた。曰く「世紀末救済会は救済するどころか金を巻き上げることしかやっていない」と書いてあり、元信者を洗脳から解放していたらしい。――あれ、これって……。
よく見ると、被害者の会の活動報告を載せた画像に、高梨乃絵瑠と思しき女性が写っていた。女性は私が見た遺体の写真とよく似ていて、茶色の髪に赤縁の眼鏡という出で立ちはまさしく高梨乃絵瑠そのものだった。当たり前の話だけど、首元に犬の歯型は付いていない。
私は、このサイトを善太郎のスマホに転送した。――返事はすぐに来た。
――オウ、でかしたぜ。
――それにしても、「世紀末救済会」か。世の中には変な宗教があるもんだな。
――ああ、言っておくが……オレは浄土真宗だぜ?
――そんなことはともかく、これは重要な手がかりとしてメモしておく。
――また、何か分かったら連絡してくれ。
メッセージはそこで終わっていた。――これ以上詮索しても、何もないか。
スマホを見ると、時刻は午後7時になろうとしていた。とりあえず、何か食べるか。そう思った私は、棚から適当なカップ麺を取り出して、お湯を沸かした。本当はあまり不摂生な食生活を送りたくないが、面倒くさい。
カップ麺にお湯を淹れて、3分待つ。3分を示すアラームが鳴ったところで、私はそれを啜った。――どうやら、カレーラーメンだったらしい。
カレーラーメンを食べながら、引き続きダイナブックで事件について色々と調べていたが、やはり脈ナシだった。現時点で出ている証拠はすべて出尽くしたようだ。――スマホが短く鳴った。善太郎じゃないとして、誰なんだ?
私はスマホの画面を見る。スマホには、ある人物からのメッセージが来ていた。
――ハロー、ヒロロン。久しぶり。
――アタシよ、アタシ。覚えてない? 古屋桃子。
――中学生の時以来だから、覚えてないかっ。
――それはともかく、久々にヒロロンの顔が見たくなってメッセージを送ってみたの。
――どこかで会えないかしら? 返事待ってるから。
古屋桃子か。当たり前だけど、覚えている。友人が少なかった私にとって数少ない友人だったから。
彼女との出会いは小学2年生の頃まで遡る。そもそも、私はずっと芦屋に住んでいた訳じゃなくて、子供の頃は兵庫県北部の豊岡という場所に住んでいた。神戸と違って豊岡は田舎町であり、なんというか――閉鎖的な空間だったことは確かである。正直、居づらいと思っていたぐらいだ。
そんな中で、親の都合で神奈川県の川崎という場所から豊岡へと転校してきた子がいた。それこそが古屋桃子であり、最初はモジモジしていた。
でも、あいうえお順の関係で私の隣に座ると――彼女ははつらつと話し始めた。どうやら、友達が欲しかったらしい。当然、私もすぐに打ち解けた。
それからというもの、常に私の隣には古屋桃子がいた。それは中学校になっても変わらなかった。テスト勉強を教えてもらったり、一緒に本を読んだり、たまに羽目を外してプリクラを撮ったり……とにかく、古屋桃子は私にとって親友と呼べる唯一と言っても良い存在だった。
流石に高校こそ別々だったが、高校を卒業してすぐに「鳥取の大学に受かった」と連絡をくれた。――彼女との付き合いはそれっきりで終わってしまった。当然だろう、私の大学は京都にあったから。
そんな古屋桃子が、私に連絡をくれた? 一体、どういうことなんだろうか?
そんなことを思いつつ、私は彼女のスマホに返信した。
――桃子ちゃん、久しぶり。もちろん、覚えてるわよ?
――それで、どうして私に連絡してきたの? 詳しく教えてほしいな。
――返事、待ってるから。
これでいいか。――当たり前だけど、返信はすぐに来た。
――実はね、アタシ……ヒロロンと思しき人が書いた小説を読んだの。
――確か、タイトルは『幽霊ホテル事件』だったかな。面白かったわよ?
――それで、ヒロロンさえ良ければ顔が見たいんだけど……いいかな?
なんだ、そういうことか。――いいだろう。
私は、古屋桃子のスマホにメッセージを送った。
――いいけど……桃子ちゃんってどこに住んでるの? ちなみに、私は芦屋よ。
既読が付いて30秒もしない間に、返事は送られてきた。
――へぇ、芦屋かぁ。いいなぁ。
――それはそうと、私は須磨よ?
――うーん、ここは中間ってことで、明日、三宮で会わない?
――待ってるわよ?
メッセージはそこで終わっていた。――上等だ。
そういうわけで、私は急遽三宮で古屋桃子と会う約束を取り付けることにした。
*
古屋桃子と会う約束を取り付けた日。私はバイクで三宮まで向かっていた。専用の駐輪場にバイクを停めて、JR三ノ宮駅前で彼女を待つ。
待ち人は、私が三宮についてから10分ほどで来た。
ピンク色のシュシュで結ばれたポニーテール。顔は端正で、白いトレンチコートを羽織っている。それこそが古屋桃子という女性の姿だった。
彼女は話す。
「ヒロロン、待った? 結構寒いよねー」
「いや、そんなに待ってない。大体10分ぐらいだったかな」
「そっか。――ところで、ヒロロンって全然変わってないね?」
ああ、そうなのか。確かに、私は常に黒髪のショートボブという髪型を保つようにしている。故に、子供の頃は「ボクちゃん」という風に男の子に間違えられることも多かった。女性の割に声が低いから当然だろうか。
なんとなく、自分の黒いライダースジャケットと古屋桃子の白いトレンチコートが対になっていると思いつつ、三宮の街を歩く。そして、歩き続けた末に――繁華街の中にあるチェーン店の喫茶店に入った。
喫茶店の中で、私は改めて古屋桃子と話す。
「それで、どうして私に会いたいって思ったの?」
「うーん、なんとなく? まあ、卯月絢華という小説家が書いた『幽霊ホテル事件』を読んでてなんとなくヒロロンの顔が浮かんだから……だと思う」
「だと思うって……他に理由があったりするんじゃないの?」
「あー、バレちゃったか」
そう言ったところで、彼女は本題に入った。
「実はさ、最近世間を騒がせている『令和のバスカヴィル事件』についてヒロロンの見解を聞きたいなって思って」
「見解? どうして?」
「アタシ、こう見えてオカルト的な事件を追ってるインフルエンサーなのよ。だから、今回メリケンパークで女性が犬に殺害されたという事件を見てピーンと来ちゃったって訳」
「ああ、そうなの。――帰ってちょうだい」
「えーっ? アタシ、ヒロロンに会うためにここまで来たんだけどな」
食い下がる古屋桃子に対して、私は更に突き放していく。
「確かに、ミステリを専門に書いている小説家である以上、私はこういう事件に興味を示すことがあるわ。でも、分からないことは私にも分からないわよ」
「そっかぁ……残念」
古屋桃子がガッカリしているのをよそに、ウェイトレスがテーブルの上に大きなクロワッサンのソフトクリーム乗せを置いていった。――そういえば、コーヒーと一緒に頼んでいたんだった。
クロワッサンのソフトクリーム乗せを食べつつ、私は古屋桃子に話す。
「とはいえ、私が例の事件について追っていることは事実よ」
「そうなの!? もう少し詳しく教えてほしいな」
「仕方ないわね。――よく聞いてちょうだい。実は、私の大学時代からの友人に探偵がいてね、どうもその友人が事件に首を突っ込んじゃったみたいでさ」
「へぇ。友人の名前はなんていうの?」
「安仁屋善太郎って言うんだけど、彼自体は探偵じゃなくて松島電器で働くシステムエンジニアなの。でも、どういう訳か――探偵として難事件を解決してるって訳よ」
「なるほど。――実際に彼に会うことはできないの?」
「うーん、どうだろうか? 多分、彼さえ良ければ会えると思うけど……」
そんな話をしつつ、私と古屋桃子はクロワッサンのソフトクリーム乗せを完食した。いくら2人とはいえ、食べきるには少しカロリーオーバーだった。
それから、コーヒーも飲み終えてしまったので喫茶店を後にした。
喫茶店の入口で、古屋桃子は話す。
「――そういえば、芦屋に住んでるって言ってたわね。家、行ってもいいかしら?」
私は彼女の質問に対して少し躊躇してしまったが――とりあえず、答えた。
「いいわよ? ちなみに私はバイクでここまで来たけど……桃子ちゃんは?」
「私? 私なら――車だけど」
「そうなのね。――とりあえず、スマホに地図データを転送しておくから、カーナビに入力して」
「分かった。じゃあ、お先に」
そう言って、彼女は私の前から姿を消した。――面倒くさい奴だ。
私は駐輪場まで戻って、バイクに跨った。当然、向かう先は自分のアパートである。
*
バイクを走らせて約15分。私はアパートへと戻った。相変わらず古びたアパートだが、震災を生き抜いているという強みだけはある。駐車場に古屋桃子の車と思しきモノが停まっていないので、彼女はまだ来ていないのか。まあ、2号線は常に混んでいるから仕方ないか。
私は、ダイナブックの電源を入れる。――荷物になるから持っていかなかったのだ。
そして、なんとなく――小説の原稿を書き始めた。特にこだわって書いている訳じゃないけど、自分の頭の中でアイデアが浮かんでいたからそれを具現化しようと思っただけである。当然、例の事件とは無関係なのだけれど。
原稿を書き始めて10分ぐらい経って、古屋桃子はようやく私のアパートへと来たようだ。その証拠に、明らかに私のモノではないオレンジ色のマツダロードスターが停まっていた。――結構、いい車に乗ってるな。
そして、ドアチャイムの音がした。――ピンポーン。
ドアホールを覗くと、確かにそこに古屋桃子がいた。
「ごめん! 2号線で渋滞に巻き込まれちゃった」
「ああ、あそこはいつも混んでるからね、仕方ない。私はバイクだから、裏道を通っていけるって訳」
「いいなあ。――とりあえず、中に入らせてもらうわよ?」
「言っておくけど、私の部屋――汚いから」
確かに、部屋は小説の資料で溢れている。本棚から本が溢れそうだ。というか、もう溢れている。
そんな部屋を見渡しながら、古屋桃子は話す。
「へぇ……すごい。よくここまで集めたわね」
彼女のリアクションに対して、私は謙遜した。
「そんなことないわよ。資料の大半は古本屋で集めたモノだし」
「そうは言うけど、古本にも価値はあるじゃないの」
「確かに、それはそうかもしれない……」
机の前に座って、私は小説の原稿の続きを書くことにした。古屋桃子は相変わらず本棚を見ている。そして、本棚の中で――気になる本を見つけたらしい。
本棚から本を取り出して、彼女は話す。
「これ、読んでいいかしら?」
本のタイトルは――『バスカヴィル家の犬』だった。やっぱり、例の事件に引きずられているじゃないか。
仕方ないなと思いつつ、私は彼女の要求を受け入れた。
「いいわよ? もしかしたら、事件解決のヒントになるかもしれないし」
しかし、私と古屋桃子の目論みは――スマホのメッセージによって遮られることになった。メッセージの主は、安仁屋善太郎だった。
――大変だ! 新しい遺体が見つかった!
――遺体には犬の歯型が付いていて、被害者は……お前が目を付けていた坂口康史だ。
――事件現場は須磨にある野球場だ。とりあえず、オレは今から現場に向かうぜ。
ああ、そうなのか。仕方がないな。私は彼のスマホに返信した。
――連続殺人事件になっちゃった以上、安仁屋くんも気をつけなさいよ?
そういう短いメッセージを送ったところで、私は――ため息を吐いた。