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世の中には「探偵」という職業がある。警視庁のホームページによると、仕事内容は「誰かに依頼されて身辺調査を行い、情報を収集する」という旨の文言が書いてある。
とはいえ、ミステリ小説を読んでいると「殺人事件を解決するポジション」はもっぱら探偵の仕事である。つまり、資格がなくても殺人事件を解決すればその時点で「探偵」という称号が与えられることになる。
実際、私の友人にも「探偵」と呼ばれる人物がいるが――本業は探偵ではない。その友人の本業は飽くまでもシステムエンジニアである。
そして、「探偵」は私に対して面白い土産話――つまり、事件の話を持ちかけてくるのだ。
こう見えて、私は小説家という職業の人間だ。専門に書いているのはミステリなので、多分探偵は「小説のアイデアに」と思って私にネタを提供してくれるのだろう。
実際、私は溝淡社でもあまり売れているという実感がなく、所属先の文芸第三出版部でも「お荷物」と称されている。ミステリというジャンルを核としてクセの強い作家が集まる文芸第三出版部でお荷物と言われるぐらいなので、私の小説は相当売れていないと思われる。
今、私の目の前には探偵――安仁屋善太郎がいる。彼は大阪に本社機能を構える松島電器という大手電機メーカーでシステムエンジニアとして働いているが、その傍らで兵庫県警や大阪府警、京都府警が匙を投げた事件を持ち前の天才的頭脳で解決している。
善太郎は話す。
「彩香、この事件――面白いと思わないか? 事件現場は神戸市内で、お前の住む芦屋からはそう遠くない。遺体の首元には犬の歯型のようなモノが付いていて、死因はおそらく狂犬病と考えている。お前は、どう思う?」
私は、善太郎の話に首を傾げながら答えた。
「どうって言われても……日本はここ数年狂犬病の発生事例が報告されていない。たとえ凶器が野犬でも、狂犬病に感染するリスクは低いと思う。だから、もっと別の何かだと考えてる」
「そうか。お前がそう言うなら、俺もその言葉を信じるぜ?」
「イチ小説家の意見よ? 真に受けないで」
私がそう言ったところで、善太郎は赤いラークの箱からタバコを一本取り出して、火を点けた。――私の家でタバコを吸ってほしくないんだけど。
仕方がないので、私は空気清浄機のパワーを最大にした。タバコの煙は、空気清浄機に吸われていく。その証拠に、空気が汚れていることを示す赤いランプが点灯していた。
そもそも、私――広江彩香と安仁屋善太郎は大学時代からの付き合いである。互いに大学は京都でも屈指の難関大学である「立志館大学」に通っていて、なおかつ理工学部に籍を置いていた。それだけなら「ただの友達」として大学を卒業したフェーズで付き合いが終わる。
でも、私も善太郎も立志館大学のミステリ研究会に所属していた。立志館大学のミス研は多くの小説家を輩出しているので、私もそのビッグウェーブに乗ろうと思った。つまり、就活を蹴飛ばしてまで溝淡社のゲーテ賞に応募したのだ。
しかし、現実は甘くない。――何度も落選して、何度もディスられて、たまに座談会に載ったとしても結局はディスられるだけだった。
結局、私は5度目のゲーテ賞で応募を諦めて同人で小説を頒布し、それでなんとか生計を立てていたが、ある日、どういう訳か私の小説が溝淡社の目に留まった。確か、タイトルは『マッターホルン殺人事件』だったか。あまりにもヤケクソなタイトルだったことだけは覚えている。
そういう事情もあって、私は5年前にゲーテ賞を介さずに溝淡社から商業デビューすることになった。もちろん、所属先は文芸第三出版部である。
幸先は良かった。自分が引きこもり体質であることを利用して「謎の覆面作家」としてデビューしたからだ。今から思えば「覆面アーティスト」の先駆けだったかもしれない。
私は商業としての処女作である『幽霊ホテル事件』の印税で芦屋にアパートを借り、カワサキグリーンのバイクを買った。小説家という仕事に就いている限り出不精なので、車は必要ない。――でも、善太郎の赤い日産GTRは羨ましいと思う。
その後、第2作の『愚直な道化師』までは売れ行きが良かったが、第3作からガクッと売り上げが落ちてしまった。多分、「若者の本離れ」もあるんだろうけど、私の小説は見向きもされなくなったのだ。
あまりにも売れないので、私は小説家としての筆を折ってまともな仕事に就こうと思った。試しに神戸に本社機能を構えるカーナビメーカーの面接を受けたが――見事に不採用。結局のところ、私は小説で食べていくしかないと思った。そして、現在に至る。
善太郎は、タバコを吸い終わったところで話した。
「ところで、お前――小説の方はどうなってるんだ? オレ、お前の新作小説を楽しみにしているんだけど」
その質問か。――やめてくれ。
仕方がないので、私は善太郎の質問に答えた。
「――書いてるけど、それがどうしたの?」
今はただ、そうやって嘘を吐くしかなかった。その証拠に、私のダイナブックの画面は真っ白な原稿用紙を映し出していた。