魔女にかけられた熊の呪い
ある日、うだるような暑さの中で一匹の熊が渓流をのしのしと歩く。森の王者としての貫禄を持つ熊は四足歩行ではなく、立って歩いていた。
「あの魔女め、許さん」熊は流暢に喋った。
森の獣たちは彼に恐れおののき道を譲る。彼の歩くときの振動はズシンズシンと森中にこだまする。鳥たちは危険を感じ、一斉に飛び去った。羽ばたきが大きく鳴り響いた。熊は上を見上げた。飛び去っていく鳥たちを一瞥した。その後すぐに興味を失い、前を向いて歩く。
彼の目的地は魔女の塔。魔獣討伐隊の隊長ジュリアスは魔女によって熊に姿を変えられてしまった。彼は自分の呪いを解くために魔女の塔を目指す。
熊になった手のひらをジュリアスは眺めた。思い返すのは千人で編成を組んで魔女の討伐に向かったときのことだ。ジーニス副隊長、ガリウス伍長、ヘシオドス魔術長、彼らは自分に信頼を託し、魔女にともに立ち向かった。しかし結果は惨敗。魔女の類まれなその才覚を思い知らされる結果となってしまった。
部下は全員、殺された。生き残ったのはジュリアスただ一人。魔女はジュリアスに屈辱を与えるために獣である熊の姿にさせた。ジュリアスは絶望と恐怖とそのほか黒黒とした感情に苛まれたのであるがそんなジュリアスの姿を魔女は面白がった。
ジュリアスは討伐隊に所属していた。討伐隊は魔獣を狩る。魔獣とは人間に仇なす存在で人間と仲良く暮らす獣とは区別されている。ある民族は魔獣も食すと言われているが大半の人間は魔獣を食さず、忌み嫌う。討伐隊はそんな魔獣から人間を守る役目を負う。国が、教会が、商業都市がそれぞれが資金・物資・人材を出し合い討伐隊を維持している。魔獣と人間は戦争をしているのである。
魔獣は魔女が生み出したとされている。獣をタネに怪しい禁忌とされる魔術をかけて魔獣にしているのだと教会は言っている。討伐隊の最終目標は魔女である。彼女を倒せば魔獣はもう生まれない。平和な世界を取り戻すため、討伐隊を初めとした人間は魔女の居場所を突き止め、討伐に乗り出したのであるがーー
「くそっ。なんて強いんだ。どう倒せばいいんだ」
ジュリアスは魔女の強力な魔術の数々を想起した。暴風、濁流、業火といった様々な魔術が討伐隊に襲いかかる様が脳裏に蘇る。
ーー面白い、ここまで私の想像どおりに踊ってくれるとは。なかなかどうして道化師の才がある。そうだお前、コイツらの長らしいな。私を楽しませてくれた礼に見逃してやろう。
ジュリアスはこめかみを抑えた。
ジュリアスがこうして森を歩いていると人の悲鳴が聞こえた。ジュリアスの騎士道精神は熊に変えられても失われることはなかった。助けなくてはと考える間もなく体は動き出していた。
ジュリアスは人間の声を聞くと四つ足で迅速に走った。件の場所にたどり着くと荷馬車が横転していた。よくよく観察するとどうやら狼型の魔獣が荷馬車を取り囲んでいるようだ。従者の格好をした男が切り裂かれて絶命している。狼の円の中心で少女が刀身の短い刃物を突き出していた。