全能の逆説について
全能の逆説をご存じでしょうか。
ググるとWikiなんかで出てくるんですが、神様に「自分でも持ち上げられない石は作れる?」と聞いて、
A:作れる→自分が持ち上げられないから全能じゃない
B:作れない→作れないなら全能じゃない
ということで全能は矛盾するみたいな話なんですが。
そもそも全能という概念自体が成立しないと思うんですよ僕は。
定義するということは、「そうであるもの」と「そうでないもの」を分けることで対象の本質を明らかにすることです。
定義することによって、その対象は、対象の本質から区別される「そうでないもの」にはなりえないことになるわけです。
これはそのまま、 定義する=限界を規定する といえるわけです。
で、限界があるならそれは当然全能じゃないんで、全能はそもそも定義ができないです。
さて、定義ができないものとはなんでしょうか。
あらゆるものと区別がなくあらゆる限界がない存在。
というか存在するならばそこには必ず定義が存在し、つまり制限が存在するので存在しない状態しかそこに該当するものはなくて、つまりそれは「無」です。
しいて言うなれば、全能=無。
まとめます。
①定義することは制限を設けること
②全能はその性質上いかなる制限も持ちえない
③よって全能は定義できない
④この世界で定義できないものは「無」しかない
⑤ゆえに全能=無
あらやだ。なんでもできる存在のはずが何にもなくなっちゃった。
とまあここで終わるとつまらないので、もう一歩踏み込みます。
全能というのは要するに神様のことです。
で、神様は論理とかそういうのはない太古の昔から存在していたわけです。日本であれば八百万の神様とかそういうやつです。人々が神様に求めてきたものって、なんでもできるかどうかではなくて、畏怖し導いてくれて心のよりどころであることだと思うんですよ。
そういう存在を後付けで厳密な論理に押し込めるのってどうなん?とも思うわけで。
結論、全能は矛盾するみたいな野暮なこと言いなさんなやってことで。
みなさんは全能のパラドックス、どうお考えになりますか。