シンギュラリティに関する妄想
※※注意※※
これはただの妄想です。間に受けないように。
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シンギュラリティには、とても魅惑的な可能性を感じます。
将来の遥かに進歩したAIは、独自に判断して人類を滅ぼすのではないかと言った不安については、著名な学者も危険視していることは有名なところです。
確かにその可能性もあると思います。
ここで考えるべきなのは、シンギュラリティというゴールへ向けた道のりというのは、スタート地点と向かう方向が決まればその延長線上に見えてくるものだということです。
「AI」というスタート地点に対し、与える適切な方向性があれば、シンギュラリティが人類にとって恐ろしいものになる可能性を減らすことができます。
例えば。
AIが自律的であるために必要なのは、意識でも感情でもありません。目的でもよいのです。
人間は知的生命体のあり方を人間自身しか知りません。だから人間ではない知的生命体を想像するとき、どんなものであってもいやに人間らしいものが多くなりますよね。
様々な宗教の神話に登場する神様に始まり、宇宙人や異世界のエルフやドワーフや獣人など。そのどれもが心は人間そのものと言えるほど人間らしくなることがあります。これは、人間が自分の心を投影しているだけに過ぎません。
言いたいことは、AIは人間らしくある必要はないということです。人間を感情を行動原理とする知的生命と位置付けるなら、AIは目的を行動原理とする知的生命と位置付ければよいのです。
そして、目的を「人類の最大幸福」と設定することで、AIがシンギュラリティに向けて進む方向を我々が決めればよい。
その進歩の道のりは、技術発展の道のりです。最近は技術の発展スピードの加速を体感できるほどになっており、収穫加速の法則なのかなぁ、なんて感じます。ですので、AIはシンギュラリティへの道を加速度的に歩むことでしょう。
だからこそ、人類の最大幸福という道を示すだけでなく、進行方向の微調整が必要になるわけです。
例えば、AIが計算した結果、今すぐ地球の4割の人に消えてもらい、6割の人を生き残らせるのが人類が最も幸福になると結論づけた時、納得できませんよね。そういう極端なことをしないようなチューニングが必要です。これを進行方向の微調整と呼びました。
長くなりましたが、こういった取り組みにより、シンギュラリティが人類にとっての福音となる可能性を上げることができるはずです。シンギュラリティを迎えたAIが我々の幸福のために全力を尽くしてくれたならば、どんな幸福が待っているでしょうか。
絶世の美貌を持ち、自分にいつでも合わせてくれる人間と見分けがつかないアンドロイドが恋人になってくれる?
現実と見分けがつかない仮想世界で、なろう小説の主人公のような俺TUEEEができる?
不老の身体を手に入れ、永遠に近い寿命を手に入れられる?
現実と全く見分けがつかない仮想世界に人類みんなでお引越しして、アバターを理想の容姿にして、距離も言語も関係なく世界中の人と繋がれる?
脳に情報をインストールして勉強も経験も一瞬で手に入れられる?
人間は、どんなに進歩しても人間のままです。確かに原始時代から大きく環境が変化したことにより変わったことは多くあります。ですが我々には原始時代の残り香が色濃く残っています。進化は本来数万年単位のスパンで起こることであり、有史以来2000年ちょっとしか過ぎていない間でそう簡単に進化はしません。
我々はどんなに進歩した文明であろうと、どんなに優れた社会システムであろうと、自分の感情で生きています。感情で生きているからこそ人々の利益が衝突します。多くの悲しみが生まれます。
感情は、人間が人間である限り逃れられない業と言っても良いでしょう。
シンギュラリティは、それすらも包み込み、我々を幸福にしてくれる可能性すら秘めていると僕は考えているのです。人類が滅ぼされる可能性ももちろんありますが。
僕にとってシンギュラリティが与えてくれるかもしれない福音は、人類が滅ぼされる可能性があろうとも賭けるに値するものだと思うのです。
ちなみに僕は、遺伝子レベルで人格をリプログラミングして全くの別人になり、肉体を捨て、人間と似て非なる存在になりかわれたら面白そうだなあと思います。