報告-11の月、6日、1枚目
日常回
「あの・・・スタンツェ様、非常に言いにくいことをお伝えします」
お茶の時間にサクラが姿勢を正して話しかけてくる。
三人は訝しむが、表面上はにこやかにサクラの言葉に耳を傾ける。
「肌着を購入したいんです」
コーヒーに口をつけようとしていたメッツェンが溢すのをギリギリで止めたが、アドソンは噴き出してしまった。スタンツェが咄嗟に壁を作り、人災は免れたのだ。
スタンツェは零れた珈琲たちを魔術で回収し始める。
「制服と靴はお城から支給していただけるのですが・・・下着がない!」
非常に切実な顔をして訴えてくるサクラに、三人は何とも言えない気持ちになる。
この世界は洋風であり中世に近い。
ちなみにサクラはこの世界に来て、すぐに風呂に投げ込まれて着替えたときに、メッツェン用の新品の肌着を借りた。
この世界ではアンダードレスと呼ばれる薄いワンピースに薄いキュロットを穿いて、肌着としている。ドレスを着用する女性が多く、侍女、メイドもコルセットにワンピースで過ごしている。
なんとも心許ない気持ちになるが、中世ヨーロッパあたりの常識が適用できそうなので、朧気な知識の中でも対応出来た。
現実世界の中世の衛生環境まで同じではという疑問に震えたが、魔術が使えるこの世界はトイレ・お風呂は充実していた。
難敵に挑むような覚悟でサクラは話したのだろう、昨日一日で見たことのないほどに鬼気迫った表情をしている。
「・・んんっ、そうね・・・あたくしが至らなかったわ。では明日、サクラに王都の視察を命じます。人々の様子や販売されているものを手に取って、実際に購入して、気づいたことを報告しなさい」
咳払いをして、さも仕事が出来る女風に命令を下すメッツェンを、サクラは静かに見つめている。
職場の経費で肌着を購入しろというのか?と喉まで出かかったが、サクラは保護された際、慰謝料として平民ならば一生暮らしていけるくらいの金額を渡されている。
今のサクラには他の者の平均年収や物価が分からないため、実感はしていないのだが。
「メッツェン様、彼女を一人で行かせるのですか?」
「違うわ。明日はゴッセが非番だから、あの子とアドソンで連れていってあげて。案内役と護衛よ」
「ゴッセですか・・・」
「・・・ゴッセさん?」
この世界に召喚され、西の国の王女の下で働くようになってから、まだゴッセという部下に会ったことはない。
思わず首を傾げるサクラに、メッツェンは諜報部隊の一人だと説明する。
「えっ、そんなに重要な方を私に会わせて良いのですか?」
「ゴッセは王都のことを知り尽くしているから、サクラが行きたい場所なら把握しているし、危険な箇所も分かっているわ。力技ならアドソンの方が適任だけれど、服のセンスはゴッセの方が・・・うん・・・」
そっとアドソンに視線を移すメッツェンにつられて、サクラもアドソンに目をやる。
この後、訓練に行くアドソンは、元いた世界でいう運動着を着用している。
前の世界でのTシャツにハーフパンツという装いだが、特筆すべきはダボダボなサイズ感とウエストから降りる紐の長さだ。
非常に似合っているのだが、背が高いアドソンでも大きなサイズ感で、腰から足首に掛かるほどの長い紐は、大型犬のリードに見えなくもない。
邪魔なのではないだろうか、むしろ、訓練中に踏まれることはないのだろうか、そんな薄着で怪我をしないのだろうかと、余計なことがサクラの頭の中に去来する。
前日は騎士服を着ていたので、制服の着こなしは出来るということだろう。
確かにラフな格好のセンスは、あまりなさそうである。
サクラは表情筋を引き締め、にやけそうになるのを抑える。
「んんっ・・・それでしたら、アドソンさん、明日はゴッセさんと共にお世話になります」
「おー?サクラー、宜しくなー」
メッツェンとサクラからの視線を理解出来ていないアドソンだが、朗らかに返事をしてくれる。
「王女宮で視察の予算を組んでいますので、ゴッセとアドソンに会計は任せてください」
「はい。個人で購入するものだけは自分で支払いますね」
「いえ・・・」
「さすがに・・・あの・・・下着ですし・・・」
「分かりました」
何とも情けない会話となった。
スタンツェはいつ見てもローブを羽織っている。魔術師の正装だそうだが、文官であり執事でもあるため、ローブの隙間から見える服はベスト、シャツ、足元はきちんとしたズボンと革靴だった。それぞれの品に統一感を覚えるので、どこか御用達のお店があるのだろうかと考える。
しかし魔術の研究をするときは、何が起きても良いようにとゴッセと同じような白いTシャツを着ているそうだ。むしろそっちの方が良いらしいけれど、貴族の方は何かと大変らしい。
それから、メッツェンだけでなく、スタンツェやアドソンも呪いや毒などを防ぐ魔術具を装飾品として身に着けているのだそうだ。スタンツェはその細めの手首に、ごついブレスレットをしているが、色々な魔術が埋め込まれているようで、メッツェンですら外している所をほとんど見たことがないそうだ。
元いた世界で社会人オタクとして生きていたサクラは、異世界に順応し、魔術の無い異世界の知識や技術について答えることや、サクラ自身が学んだことを質問する日々を楽しむことにした
どうせ帰れないし、帰ったところで待っている人はいないし、自分で死ぬ勇気はない。
サクラが元いた世界には魔術はなかったが、想像力豊かな者たちが作り出す楽しい作品には魔術や魔物が多く出てきた。それが目の前にあるのだから、興味は尽きない。
この世界での魔法は、火・水・風・土の魔力と、歌・絵画・舞踏・料理の魔術が掛け合わさり、その魔力の向きや多さによって攻撃にも防御にも転じるものであるそうだ。
使い魔を駆使しているスタンツェは水の魔力を持ち、絵画の魔術を使う。サクラに付けている使い魔を見る限り、召喚術のようだった。
絵画の魔術を使う土の魔力持ちは、墨絵のような力強い触手を生み出し、捕縛や防御、攻撃を行うと学ぶ。ここ西の国では他の魔術に比べ、絵画の魔術を持つものが多いと学んだ。
「俺の魔術は舞踏の風魔術だから、攻撃に使うときは重打撃になるし、物凄く体力を使うが一撃必殺の技もあるんだ。」
アドソンが話す舞踏の魔術は、それぞれのダンスの系統に依って、効果が変わるようだ。ステップを生かして攻撃を行ったり、祈祷の儀式のように祈りを捧げる舞踏は癒しを与えるようだ。北の国に多く、精霊を祭るために発達したという。
「あたくしの歌の魔術は風の魔力を使って、ミューズとして慰霊祭での鎮魂や遠征出陣式での戦意向上の為に披露するの」
メッツェンが扱う歌の魔術は、攻撃・防御以外に、癒しや能力向上を助けるエンチャントがあると知った。もちろん、攻撃にも使えるそうだけれど、王女という身分では逃げることが一番の役目だそうだ。西の国でメッツェンは唯一の歌の女神と言われているそうだが、東の国には歌の魔術を持つものが多い。
料理の魔術は料理人だけが使うものではなく、攻撃も防御も可能なもののようだ。南の国に多く存在し、それにより食糧事情は豊かなのだという。 土壌や作物に対して作用する魔術という感じなのだろうか。
この国のことを知るために、スタンツェに教えを請うたサクラに対して、メッツェンとアドソンが話しかける。すぐに手の内を明かすなとスタンツェに注意される二人の姿を、サクラはそろそろ見慣れてきた。
サクラは明日初めてこの城の外に出る。
魔術や魔獣のいるこの世界は、どんな人々が生活しているのだろうかと、興味が尽きない。
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