仮面王と盲目妃2
ある時、陛下は国境紛争で出陣されました。
今度は大規模な戦争になりそうだと侍女たちが噂しています。
私も目が見えないなりに王宮に慣れ、侍女たちとお喋りを楽しんでいました。
「リーリア様はよく陛下と毎晩共に居られますね。
私はあの仮面の御顔を見ると恐ろしくて顔も上げられません」
陛下は即位後の血の粛清や恐ろしげな仮面のためか、女官や貴族令嬢に酷く怖れられていました。
陛下が女性に接するときにぶっきらぼうで不機嫌そうなせいもあるでしょう。
私がいくら否定しても、盲目で行き場がないので、やむを得ず王に仕えているのだという風評は消え去りません。
さて、戦争は我軍の勝利に終わり、陛下は凱旋されました。
戦上手の陛下はこれまで負けたことがありません。
兵からは、不敗の仮面王と言われ、崇められているとか。
凱旋の夜、陛下は酷くお疲れでした。
「戦は疲れる。
リーリア、身体を解してくれ」
身体を拭い、薬を変え、ゆっくりとマッサージすると陛下は直ぐに寝てしまわれました。
隣のベッドで私も寝ていると、夜中に大きな呻き声がします。
「義母上、なぜこんなことを!
父も私も憎かったのが本心ですか。
せめて妹や弟は助けてください、あなたの子供でしょう!
彼らまで殺そうとするなら仕方ありません。
あなたを斬るしかない!」
陛下は汗をかきながら、寝言を言われています。
「陛下、陛下、大丈夫ですか」
揺すって起こすと、陛下は目を開けられ、「夢か」と言われました。
戦争の後などストレスが大きいときに、継母たちが襲ってきたことを思い出すのだそうです。
陛下の隣に行き、その背を撫でていると
「リーリア、こっちに来い!」
突然、陛下が私を荒々しく抱き寄せられました。
そしてそのまま組み伏せられ、行為に及んだのです。
翌日、赤く血が付いたシーツを見て、王妹殿下やバーバラ様が喜んでいられました。
「後は子を孕んでくれれば言うことはない。
さすれば王妃にしてやろう」
王妹殿下達からのプレッシャーが重いです。
しかし、それからは毎晩のように陛下は私をお求めになりました。
何故か継母の呪縛が解けたようでした。
「盲目になったお前には悪いが、来てくれたのがリーリアで良かった。
お前の優しさや明るさがなければ予は不能のままだっただろう。
お前とお前の連れてきた犬のポチだけは予を愛してくれているとわかる」
陛下は沁み沁みと私に言われました。
数カ月後、月のものが来なくなり、妊娠しました。
陛下や家臣一同も喜んでくれましたが、王妹王弟両殿下の喜びようは尋常ではありませんでした。
子供は男の子と女の子の双子でした。
誕生後、直ぐに陛下が来られて、「よくやった」と褒めていただき、そして子供の顔を見て、火傷の痕はないなと確認されていたのが可笑しかったです。
子供を我が手で育てたかったですが、盲目の私に預けて何かあれば一大事と、偶に抱かせてもらうくらいしか許してもらえません。
同じ頃に、騎士団長と結婚されていた王妹殿下も出産され、私の子供も一緒に育てていただくことになりました。
「ちょうど良いタイミングであった。
次の王とそれを支える私の子供が一緒に育てば、ますます王家は安泰だ。
リーリア、よくやった!」
我が子を育てられない私の鬱屈を他所に、王妹殿下は上機嫌で、私のことも持ち上げてくれます。
そして私は侍女でなく、正式に妃となることができました。
身分が高くないため、正妃ではありませんが、正妃がいない以上、私が王妃と同じです。
実家もそれに見合って爵位も上げられ、所領も増えました。
その頃、ちょうど他国の名医が我が国を訪れ、陛下の火傷痕を診察してくれました。
診察が終わり、今までよりもっとよく効く薬を出してもらいました。
「これを塗れば、だんだんと皮膚の爛れも収まり、痛みが無くなっていくでしょう」
陛下は礼を言い、ついでに私の目も診てくれと頼まれました。
医者は、私の目を診て、「この病ならば治る薬がございます。但し、とても高額ですが、いかがされますか」と言う。
陛下は、どうするか私に尋ねらました
「よろしければ治して頂きたく存じます」
私は目が治れば我が子の世話ができると、その一心で陛下にお願いしました。
「良かろう」と言われた陛下の言葉が沈んでいたことにも気づかないほど、私はその思いで浮かれていました。
確かに名医の見立て通り、しばらく後に私は目が見えるようになりました。
我が子の顔を見たときはどれほど嬉しかったことか。
しかし、王妹殿下から子供も返してもらえません。
「もう私が世話をできます」と訴えても、下級貴族の生まれのお前に王子や王女の教育はできんとあしらわれるのみ。
陛下もそれには同意され、せめて会う時間を長くしてもらうのがやっとでしたが、一緒に過ごす我が子の喜ぶ顔も泣き顔もすべてが目に焼き付くようでした。
目が見えるようになってしばらくして、陛下と寝室で久しぶりに対面いたしました。
陛下は、仮面を外した素顔を見せられるのを躊躇っておられましたが、数年もお世話をしてきた私は自信があり、子も儲けた私に何を躊躇っておられるのですかと強引に仮面を外してしまいました。
ハッとして、動きが止まりました。
思っていた以上に火傷の痕は酷く、頭の上まで赤く腫れ上がり、顔の至る所に爛れが大きくありました。
(なんて醜い)
一瞬ですが、そう思ってしまいました。
長年そんな目で見られてきた陛下には、その思いがわかったのでしょう。
陛下は、「もう良い。恐ろしいであろう。リーリア、今までよくやってくれた。王宮を出て良いぞ」
と言われました。
私は気を取り直し、何をおっしゃいますといつもの手当を始めましたが、手が震えていました。
しかし、落ち着けば、相手はいつもの陛下です。
何を怯えることがありましょう。
でも、陛下は手当てが終わると、下がって良いと言われ、床をともにすることもありませんでした。
それからは私がいくら願っても、手当てが終われば自室に帰されました。
かと言って新しい女を入れるわけでもありません。
バーバラ様に相談すると、「同衾するときにあなたが嫌悪するのを恐れているのでしょう。繊細な方なので前と同じくじっくりと進んでいきなさい」とアドバイスをいただきました。
しばらく陛下とはそんな感じで隔たりを感じ、子どもたちとは毎日会えるけれども存分に世話はできず、歯痒い日々を過ごしているときに、侍女たちが気分はらしに友人を呼べばどうかと言ってくれました。
妃の発言力は大きく、親しかった友人を呼ぶように後宮の役人に頼むと二つ返事で承諾されました。
昔、私と一緒に三人娘と呼ばわれていた二人の親友が来てくれました。
口は悪いですが、なんでも言える仲で、目が見えなくなってからも来てくれた有り難い友達です。
腹蔵なく話せるように、王宮を離れ、離宮に赴きました。
陛下が子供の頃ここで育ち、この離宮に来るのを気に入っていました。
人が来ない東屋で、広々とした美しい庭を見ながら、仮面や包帯をとってよく涼んていたものです。
「リーリア、目が見えるようになったそうね。
良かったわね」
リズが笑顔で話しかけます。
アンも頷いています。
二人とも貴族に嫁ぎ、もう子供もいますが、昔に戻ったように話が弾みました。
お菓子とお茶だけ出させて、あとは人払いをして、お喋りに興じます。
結婚生活の話になると、リズは、夫が愛人を囲ってなかなか家に帰ってこないと愚痴を言い、アンは姑から虐められて大変だと言います。
「リーリアは、王母になれるのでしょう。実家も出世して良かったわね」
「でも、王陛下は恐ろしい方と聞くけど、機嫌を損ねて、虐められていない?
仮面の中のお顔は化け物のようだという噂を聞くけれど、どうなのかしら」
この時、久しぶりに親友に会えて気が緩んでいたのか、話が家庭の不満になったので友人に話を合わそうとしたのか、気が付くとこんなことをぽろっと言っていました。
「陛下はお優しいのだけど、お顔は確かに恐ろしいわ。大きな火傷や膿が顔中にあるの。
初めて見ると、一瞬気が遠くなる様だったわ」
あんなにお顔のことを気にしている陛下に悪い気がしましたが、その後に、だけど慣れれば全然気にならないわ、陛下を愛しているからと続けようとしたところで、リズが口を挟みました。
「やっぱりそうなの。
いくら贅沢させてもらっても、そんな恐ろしい顔の方に抱かれるのは嫌だわね。
私の夫は女好きのだらしない男だけど、顔だけはいいから、ベッドでセックスするときはいいわよ」
「確かに、同衾するとすくそばに顔が近づくから、そんな顔ではゾッとするわね。いいことばかりではないわね。
そう言えば、リーリアにご執心だった、バックル伯爵は、リーリアの目が治るなら娶っておけば良かったと言ってたわよ。
あの方も美男子で、リーリアも満更ではなかったわね」
あの頃は顔しか見ておらず、男の価値がわかってなかったなと昔を振り返っていると、隣の部屋から僅かな音がしました。
目が見えなかったときに聴力が上がったのでしょう、リズもアンも気づかないようですが、ドアの開く音と出ていく足音です。
離宮に来られるのは王族のみ。
陛下に今の会話が聞かれていたらと蒼くなりました。
早々にお茶会を切り上げて王宮に戻り、陛下の様子を聞くと、先程ご兄弟との散歩を終えて戻られたとのこと。
あの音が空耳であってくれと祈りました。
その夜はお呼びがなく、翌日、王妹殿下に呼ばれました。
「リーリア、即刻王宮から出るように!
これは陛下の命だ」
殿下は酷くお怒りの様子でした。
(昨日の会話を聞かれていたのだわ)
私は気が遠くなりかけましたが、勇気を奮い起こして、出ていく前に陛下に会わせてくださいとお願いしました。
「ならん。陛下は会う必要はないと言われている。
なお、今後のお前の待遇だが、女男爵に叙爵され、多額の年金も支給される。
誰とでも好きに結婚してもよいということだ。
私には納得のいかない処遇だが、子を産んだことの功は大きいと陛下が判断された。
荷物をまとめ、早々に立ち去り、下賜された屋敷に移るがよい」
「お待ちください。
我が子には会えないのでしょうか」
「望めば今まで同様の面会は可能だが、誰かと結婚すればそれはなくなる。
婚家の要望を吹き込まれてはたまらんからな。
そうそう、陛下が、悪いが犬のポチはこちらで引き取ると言われていた。
話は以上だ」
王妹殿下は出ていかれました。
私は涙ながらに荷物をまとめて、与えられた屋敷に移りました。
出るのは後悔ばかりです。
あれほど厚遇していただきながら、陛下がとても気にしていることをなぜ軽々に話したのか、その時の自分を殺してやりたいとさえ思います。
それからは毎日我が子に会うため、王宮に通います。
たまに犬の声が聞こえて、陛下がそこにいらっしゃるのかと思いますが、何度お願いしても陛下には会っていただけません。
女男爵の地位のためか、貴族の次三男からの求婚もたびたびあります。
アンが話していたバックル伯爵もわざわざ来られて、結婚してほしいと言われましたが、すべてお断りしました。
王宮の知り合いの侍女に聞くと、陛下はあれ以来、盲目といえど女性は近づけず、ご兄弟と子供たちと乳母のバーバラさま、そして犬のポチだけをプライベートでは近づけているとのことです。
私の陰口を聞いたことで、陛下の人間嫌い、女性嫌いを更に強めたと思うと、どうすればお詫びできるのかと思います。
ある時、王宮に参り、子供たちと話していると、こんなことを言われました。
「父上に夜のおやすみの挨拶をしに行くと、お一人で痛そうにされながら包帯をほどいて薬を塗られていたんだ。
ぼくと妹のメアリーでお手伝いしてあげると、ありがとう、お前たちの母上は上手に塗ってくれたなと仰っておられたよ」
「私がお父様の背中にお薬を塗ってあげると、お父様はとっても嬉しそうだよ。ポチもワンワンと嬉しそうに走り回っているの」
子供たちの話を聞き、私はいてもたってもいられなくなりました。
子供達も手伝っているのに、あの痛みに一人ぼっちで我慢している陛下をなんとしても助けなければ。
そこにちょうど、私の目を直してくれた名医がまた我が国を訪れてきました。
陛下の火傷の後遺症をみてくれるためですが、私は無理を言って、名医の宿を訪問しました。
そこである願いをしました。
最初は強く拒絶されましたが、私の決意を知ると協力いただけることとなりました。
名医が陛下を訪れる時に看護婦のフリをして私も連れて行ってもらいました。
陛下の診断を終え、医者が話します。
「陛下、この薬で傷は良くなっていくはずですが、あまり回復していません。
患者に治してやろうという気がなければ薬だけでは治りません」
「子もできたが、痛みは治まらぬ。妻には嫌われる。
あまり長生きしたいという気が起こらぬのでな」
私は、その言葉を聞きたまらなくなって、御前に出ました。
「陛下、リーリアでございます。
決して陛下のことは嫌ってはおらず、ずっとお慕いしております。
でも、私の言葉を信じられないでしょうから、目を見えなくします。
どうか、これでお側においてください」
「リーリア、何を言う。
せっかく見えるようになった目だぞ。
予に囚われずに好きに生きるが良い」
陛下のせっかくのお言葉ですが、私は言い返します。
「私が目を見えるようになったのは陛下と子供の世話をするため。
陛下に遠ざけられるなら意味はありませぬ」
名医が口を挟みました。
「陛下、リーリア様は既に盲目となる毒薬を服薬されました。
陛下がお側に置かなければ、私の看護婦になると言われております。
陛下、どうか引き取っていただけませんか」
しばらくの沈黙の後、笑い声が起こりました。
「ハッハッハ
リーリア、予の負けだ。
以前のように予の世話をしてくれ」
以後、私は陛下の妃として、お側に仕え、更に二人の子を産みます。
陛下は名医の手当のお陰か、火傷の痕も良くなってきましたが、家臣には生涯仮面をつけて対応されました。
おそらくご自分の面相で不快な思いをさせたくなかったのでしょう。
陛下は、長男のジェームズが20歳の時に王位を譲り、直ぐに病没されました。
薬で良くはなりましたが、やはり火傷の後遺症の為、長くは生きられませんでしたが、晩年にはジェームズが王の仕事を果たしており、他の子供もそれぞれ自分の仕事をしているのを見てとても満足そうでした。
長男は王に相応しい実績を既に上げ、他の子も有力貴族の家に婿入りか嫁入りして、王妹王弟殿下の補佐もあり、王家は盤石です。
お亡くなりになるときには、私の手を取り、
「リーリア、お前のお陰で人を信じることができ、子供も育てることができた。
感謝している」と苦しい息の中で仰っていただきました。
私は言葉が出ずに涙を流し続けました。
陛下の葬儀は壮大に執り行われました。
陛下は仮面をつけて葬儀をしろと命じられましたが、私は子供や両殿下と相談して、仮面を横におき、素顔を見せて葬儀をしました。
家臣や領民も陛下が我が身を削られて国政に当たられたことを承知しており、誰一人そのお顔を見て恐れる者も笑う者もおりませぬ。
(陛下、あなたの身をなげうった貢献は国民はよくわかっております。
誰もあなたの心を傷つける者はおりません)
葬儀が終えると、私は髪を下ろして、ジェームズに、残る余生は好きに生きさせてもらうと言いました。
私が陛下のために行ってきた身体の揉み解しを盲人の生きるための技として伝授しようと、前々から思っていました。
ジェームズの支援を受けて、私は盲学校を作り、今まで家の厄介者か、追い出されてきた盲人の為に、按摩という人の身体の揉み解しを教えました。
他にも鍼灸を教える教師もいます。
これにより盲人も人の施しを受けずとも自らの手で稼ぎ、生きていくことができます。
(陛下のお世話と盲人の救済、このために私は生まれてきたのでしょう)
それから長い月日が経ちました。
盲学校も軌道に乗り、多くの教師が生徒に教え、食い扶持を稼ぐことを教えます。
私は病身の身で、病院のベッドに横たわりますが、そこには王を始めとする高官の我が子達と混じって、盲学校の卒業生や生徒がいました。
「泣かないで。
もう十分に生きました。
何より陛下があの世でお一人で我慢されていますわ。
あの人は我慢強いから早く来いとは言われませんが、私が行ってあげないとポチだけでは寂しいでしょう」
皆が泣く中、そう言って見えない目で皆を見渡し、リーリア妃は世を去った。
その盲人を始めとする慈愛から、後世に愛の盲目妃と呼ばれ、盲人の守護聖人と長く語り継がれたという。