大人しいあの子を夢の中で口説いてみる
俺には、好きな人がいる。
「おはよう、九重さん」
隣の席の、九重美影さんだ。
九重さんは、少し長めの前髪が目元を隠している、大人しい感じの女の子だ。クラスの皆からは、地味で暗い感じの子って思われているみたい。
「…………おはよう」
ややトーンの低い声。九重さんは人と話す時、大体そんな感じだ。だから暗いイメージを持たれているのだろう。
「うん、おはよう」
九重さんから挨拶が返ってきたのに内心喜びつつ、俺は席に着く。
「九重さんは、今日も早いね」
「……うん、まぁね」
「朝早く来てする事ある?」
「……勉強とか」
「あー、なんか静かそうだし、集中出来そうだね」
「……うん」
「…………」
「…………」
これ以上は特に話したりしない。大体毎日こんな感じだ。
好きな人なら、もっと話しかけたほうがいいのでは?そう思う気持ちもある。
だが残念ながら、俺には女子と何を話していいかが分からない。毎朝、挨拶するのと事務的な会話するくらいが精々だ。こんな当たり障りの無い会話でも内心ドキドキなんだ。
ぶっちゃけ女子に自分から話しかけられるやつほんと尊敬する。
特に世のナンパ師や合コンでお持ち帰りする男たち。下半身で会話していそうな彼らだが、一体何を話してあんな短い時間で女の子と仲良くなるのか。凄く謎だ。
彼らのようにとまで行かなくとも、俺にも口説き文句があったほうがいいのだろうか?
少し考えて見ようか────。
(うーむ……"俺の女になれよ"、いや、無理だわ。気持ち悪すぎる。これじゃ、自分に自信ありすぎの勘違い男みたいだな…………)
授業中、黒板に書かれた英文を眺めながら、頭では別の事を考えている。授業を真面目に受けろって言う人もいるだろうけど、ぶっちゃけ何書いてあるか分からないから大して変わらない。そんなわけで思考のリソースを別の事に割いていた。
「じゃあ、この英文の訳を……佐藤、答えてくれ」
教壇に立つ英語教師兼担任が、俺を指名する。
("いつも君だけを見ている"……これじゃストーカー宣言と変わらないだろ……)
が、阿呆な事を考えていた俺はそれに気付かない。
("お前を独り占めさせてくれ"…………いっそ、土下座で付き合って下さいって言うほうがいいのでは……?)
クラスの皆がこちらに注目する中、俺の頭の中は残念な事になっていた。
ちょんちょん。誰かに肩を突かれる。
「……佐藤くん」
「九重さん?」
珍しい。彼女のほうからこうして話しかけて来るとは、一体何だろう。
「あの……指名、されてるよ?」
「え?」
不味い。話かけられたのが嬉しくて聞き逃してしまった。
「ごめん、なんて?」
「だから……あっ」
何か言いかけた九重さんは、口を閉じてしまう。
「……九重さん?」
「佐藤ー、あたしの授業でボーッとしやがるなんていい度胸だな。ん?」
サーッと血の気が引いて行く。
恐る恐る前を見るとそこには、満面の笑みで我らが担任が立っていた。
「毎回英語赤点スレスレのお前が、随分と余裕そうだな?」
「いえ……そんな事、ありませんよ?」
「まぁ、まぁ、そう謙遜するなって、とりあえずあれ、答えてくれるか?ん?どうした、佐藤。余裕だろ?」
「勘弁してください……」
「ふむ。仕方ない、後であたしのところに来い」
これは、放課後雑用コース確定だな……。
「……あ、ちなみにこの英文の訳は、"昨日ジョージは、恋人のアンが別の男とホテルに行くところを見かけた"だ」
なんつー問題出してんだこの教師は。
放課後。
雑用として資料室の整理を手伝わされた後、教室へ戻ると、入口で誰かとぶつかりそうになった。
「おっと、ごめん」
「……こっちこそ」
「あ、九重さん」
ぶつかりそうになったのは九重さんだった。
「まだ残ってたんだ」
「えっと……まぁ」
なんだろう。少し歯切れが悪い。
「その、私、帰るね……」
「あ、うん」
そう言って九重さんはそそくさと教室を出て行った。少しだけ、彼女の顔が赤かった気もするけど、多分気のせいだろう。
「さて、俺も帰るとするか……ん?」
少し、甘い香りがする。
「これはまさか、九重さんの残り香!?」
うん。自分で言っててすごく気持ち悪いな。
「……帰ろう」
冷静になった俺は、カバンを手に取り教室を後にした。
「ん?なんだこれ」
夜、自室でカバンから教科書などを出していると、見覚えの無いハンカチが出てきた。
可愛らしい柄で、いかにも女の子が使っていそうな、そんなハンカチだ。
「誰かの間違えて持って帰って来たのか?」
でも、心当たりが無い。
「とりあえず、明日学校で落とし物として届ければいいか」
なお、俺にハンカチの持ち主を直接聞いて回るなどと言う発想は無い。女子に聞いて回るとか難易度高すぎるから。
忘れないよう、ハンカチは机の上に置いて置く。
その後は風呂に入って歯を磨き、そしてベッドへ横になった。
「佐藤くん……」
誰かが呼ぶ声が聞こえる。
「佐藤くん……佐藤くんってば!」
「────うぉっ」
耳元で声がして思わず驚いてしまう。
「九重さん?」
声の主は、絶賛片思い中の九重さんだった。
「そうだよ?えへへ、来ちゃった」
「来ちゃったって……えっ」
キョロキョロと辺りを見回す。
「ここ、俺の部屋じゃん!?」
えっ、なんで?どうして俺の部屋に九重さんがいるの?
「落ち着いて、佐藤くん。ここは君の夢の中だよ?」
俺が慌てていると、九重さんがそう言う。
「夢の中?」
「そう、夢の中」
それを聞いて、なんと言うか、色々と腑に落ちた。それは、そうだ。俺たちは学校以外で会った事なんて無い。だから俺の部屋に九重さんがいるなんてあり得ないだろ。
しかしそうか、まさか夢に見るほど彼女に恋焦がれていたとは。我ながら恥ずかしくなって来る。
「ねぇねぇ、佐藤くん?」
「えっと、何?」
ずいッと、身を寄せる様に近づいて来る九重さん。なんだか、俺の知ってる彼女とは少し違う気がする。
「あのね、聞きたい事があるんだけど……」
「聞きたい事?」
「うん。佐藤くんって毎日私に話かけてくれるでしょ?それがどうしてなのかなって気になって」
「え、もしかして迷惑だった?」
少し不安になって聞き返してしまう。夢の中の彼女なのだから聞いたところで意味が無いのに。
「ううん、そうじゃなくて……教室の私って、暗い子でしょ?だから、私と話しても楽しく無いのに、いつも話しかけてくれるから」
「……」
「ねぇ、なんで?」
九重さんはこてりと首を傾げる。
可愛い。こういう、可愛らしい仕草も教室でのイメージとは違う。
ああ、やはりこれは、俺の妄想が生み出した、妄想九重さんだろう。
「毎日、話しかける理由、か……」
そんなの好きだからに決まっている。しかし、それを言われても困らせるだけだろう。いや、妄想九重さんなら困らない可能性もあるが……。
いっそ、言ってみるか?どうせ夢の中なんだ、ここは昼間考えた口説き文句を試してるのもありだ。だって夢の中だから。
「九重さん」
「うん、何?」
「好きだ」
「………………えっ!?」
九重さんは目を見開いて驚く。
「君に毎日話しかけるのは、俺が君を好きだからだ」
「そ、そう?」
なんだか、九重さんは照れている様に見える。畳み掛けるならここだ。
「だからさ、俺の女になれよ」
「ふぇっ!?」
「俺はいつも君しか見てない」
「あ、あの」
「俺が話しかけるのは君だけだし、話したいと思う相手も君だけだ」
「さ、佐藤くん?」
「俺に、お前を独り占めさせてくれ。俺だけの女になってくれ」
「あうあう」
そっと、九重さんに近づくと耳元で囁くように言う。
「ダメか?」
我ながらなんて恥ずかしい事を口にしているのだろうか。これが夢じゃないなら自決するレベルだ。
九重さんは耳まで真っ赤にして恥ずかしがっている。流石は俺の妄想。引いている様子は無い。
「えっと……いいよ?」
「本当か?」
「…………うん。私も、佐藤くんの事は気になってたから」
そう言われるのは、たとえ夢の中だとしても凄く嬉しい。
「…………」
「…………えっと、私、帰るね!」
真っ赤な顔のまま、九重さんは部屋を出て行こうとする。
「……あ、佐藤くん。また明日、学校でね」
出て行く直前、そう言って彼女は夢の世界から消えてしまった。
景色が歪み始める。夢の時間は終わりなのだろう。
「学校で、か」
これはあくまで夢の中の話しだから、学校で出会う彼女との関係は何も変わっていないんだよな。どうせ夢の中なら、もっと一緒に居たかったな。
俺はそんな事を思いながら、意識を手放していった。
翌日。
朝、学校に登校して来た俺は、いつものように隣の席の九重さんに話しかける。
「おはよう、九重さん」
「お、おはよう。ゆ、優太郎くん」
「……」
何で下の名前で呼ぶんだろう。急過ぎて顔にやけそうになったじゃないか。顔の表情筋を総動員してなんとか耐える。
「そうだ、優太郎くん」
「な、何?」
「今日の夜も、優太郎くんのところ行くね」
「え」
え────────っ