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「フラウリーゼはああ言っていたが、俺はそんなに甘くねーし!」
クラスが違うためフラウリーゼと別れたアランは一人、口元で文句を垂れながら裏庭へと歩いていた。
フラウリーゼを含め彼女の周りを取り巻く親戚たちの容姿は他の貴族たちと比べて飛び抜けているが、アランも彼らに引けを取らないほどに目を引く容貌をしている。だから令嬢たちからのアプローチがすごいのだ。このようなことに慣れているフラウやセイとは違い、アランは彼女たちへの対応に手を焼いていた。正直面倒くさいのだ。学園に入ったからには自分も婚約者を探さなければならないし、それを家にも求められている。しかしアランの中ではもうすでに相手は決まっていて、だが身分的にも難しい相手だった。
そう。相手はフラウリーゼだ。彼女は代々王家にとって大きな存在であるブロッサム公爵家のご令嬢、それに比べ自分は政治の場では発言権があるものの、特にこれといった功績を挙げたこともない侯爵家のそれも次男だ。身分に差がありすぎる。それに彼女の兄も許さないだろう。
はぁあと重い溜息を零していると、角の向こうからひそひそとした話し声が聞こえていた。声を聞くに、それは今年から入学すると社交界でも話題の、アランと同じ年齢の第三王子のものだとすぐにわかった。壁に身体をつけ、角の向こうをそっと覗くと予想通り声の持ち主は第三王子のゼノで、なんとその彼の隣にはあの氷のプリンセス、リリーがいたのだ。二人は顔を寄せ合って、何やら親しげに話し込んでいる。
アランは朝方の苛立ちがぶり返し、眉間がピクピクと脈打つのを感じた。
リリー=ホワイトローズ。彼は密やかに第三王子の婚約者になると囁かれている人物だ。それが、アランが彼を気に入らない理由の一つであり、リリーが社交界で“悪役令息”と呼ばれている理由でもあったりする。
彼の家、ホワイトローズ家は、長いことブロッサム家と張り合いながらも並んで王家にとって重要な役割を担う存在である。だが大昔にホワイトローズの者が悪事に手を染めたという話もあり、貴族たちの中ではあまり良い評判を聞いたことはなかった。それに、ホワイトローズ公爵家の三兄弟も良い噂は聞かない。リリーは口を利かずその瞳と態度はひたすら冷たいことから嫌煙されている。そして彼の兄たちもそれぞれ狡猾で策士であり人を損得で判断する冷たさを持っている。長男と次男はいつもリリーの側を離れず、その様子は言わば姫を護る騎士のようである。だからか、彼らはリリーの異名にちなんで“氷の三兄弟”や“ホワイトローズ家の姫と騎士”などと言われているのだ。
これだけでは特にアランが彼ら、いやリリーを目の敵にする理由にはならない。だが長男のギムリィは第一王子のクォードライトと、次男のハレムは第二王子のジルナイトと婚約を結び、そして今リリーは第三王子の婚約者となると囁かれているのだ。この国では同性同士でも結婚が許されている。偉大なる王と呼ばれた前々王が同性の者を婚約者にすることを民の前で公表し、『愛は子をも成す』と宣言し、本当に子どもができたことには皆おったまげたが、事実なのだから現実は摩訶不思議である。
長年ライバル関係であるブロッサム家とホワイトローズ家だが、これでは政治的パワーバランスが崩れに崩れていると言えよう。まだ第三王子の婚約は正式に決まってはいないが、ここで同い年のフラウリーゼが王子の婚約者とならないとブロッサム家の立場も、そしてブロッサム家でのフラウリーゼの立場も危うくなるだろう。
なのに、リリーと王子はすでに親密な関係だという。アランは、愛する者が悲しむ結末を黙って見ていられるわけがなかった。リリーは確かに美しい。だが今は王子と会話をしているが、他の者には一切声を聞かせないほど人を選ぶ腹黒さを持っている。そんな奴に、王子の婚約者は似合わない!!アランははらわたを煮え繰り返しながら、そっと二人の交わされる会話に耳を傾けた。
一体どんなことを話しているのかにも興味があったし、リリーがどのような声をしているのかにも興味がないとは言えなかったからである。
「もぉやら・・・・・・
なんれ、なんれふつうにしゃべえないの?こんなくち、もうやらぁ~~!!!」
「は?」
思わず声を出してしまい、咄嗟に口を両手で塞ぐがおそらく彼らに自分の存在を知られてしまっただろう。勝手に会話を盗み聞きし、王子を怒らせてしまってはいないだろうかと一瞬頭を過ぎったが、そんなことよりもアランの頭の中にはさきほどのリリーの声がリピートされていた。
一度聞けば中毒になってしまいそうなほど甘く、甘く、甘い声。それに『らめ』とは何だとはてなが耐えない。
自分が姿を現すのを待っている彼らの空気を感じ取ってアランは観念し、沈黙しているあちら側に申し訳なさそうに姿を現した。
「っは・・・・・・」
するとまた声が無意識のうちに出てしまった。今度は、口を塞ぐことも忘れていた。
そこにはなんと、恥ずかしそうに頬をバラ色に染め、涙で潤ませた瞳で上目遣いに自分を睨むリリーの可憐な姿があったからだ。
可愛らしいという感情にはフラウリーゼで慣れていたはずだった。しかし、こんな胸の締め付けられるような、誰かに心の臓を握りしめられているような胸の痛みを感じるのは初めてだった。
思わず彼に見とれているとふとその後ろから冷たい視線を感じ、目を向けるとそこには絶対零度の笑顔を貼り付けた第三王子様、ゼノタールが立っていた。
「アランロード=アネモネ。少し時間をいいかな?」
彼が、聞いたこともないような低い声で言い放った。
アランは黙って頷くことしかできなかった。