ポツンと一軒家
鏡に吸い込まれそうになるローズに手が届き、精一杯の力を込めて抱きしめながら反転する。
すると背中に衝撃が走り、体の中にあった空気が一瞬にして吐き出された。
「カハッ……」
「んっ」
瞬間の苦しさからゆっくり目を開けていくと、ローズが心配そうに覗き込んでくる。
「アレク、大丈夫?」
「うん、僕は平気」
ローズに返事をした後、すぐに敵がどこにいるのか辺りを見回す。
僕が右を見るとローズは左を見て、僕が左を見るとローズが右を見る。
かろうじて分かったのは、暗い空間にぽっかり浮かぶ鏡だけが見えた。
ただ、これ以上は動けなかった。何故なら……。
「ローズ、心配するなら馬乗りは止めて」
「あら、お兄さまと一緒に乗馬を体験した時、『ローズは上手いね』って褒められたのよ」
新しい展開に好奇心を刺激されたのか、ローズの目は生き生きしていた。
逆に僕は『心配していた不安が的中したこと』に落胆する。
何故なら、この不安は未だに継続中だからだ。
ローズに『レディーにあるまじき行為』を窘めた後どいてもらい、鏡の場所に近付いていく。
「誰もいないね」
「アレクは心配しすぎよ。すぐにミランダが探しに来るわ」
「でも、僕たちは鏡の中に閉じ込められちゃったんだよ。ほら」
鏡の向こうからは、ランタンから漏れ出た一筋の光がこちらを照らしている。
そして鏡に触れてみると、まるで石壁のような硬さが伝わってきた。
「うーん……、石でも投げてみる?」
「それで帰れなくなったら、どうするんだよ」
「文句を言うなら別の案を出して」
「……誰かいないか捜しに行こうか?」
これだけは言いたくなかった案を出すと、ローズの顔がパァと明るくなる。
『素敵』を連呼しそうな表情が見えてしまったので、慌ててローズの右手をギュッと握る。
ランタンの光は意外にも僕たちの行く道を照らしているようで、まっすぐ進む分には何とかなりそうだ。
この時の僕は、そう楽観視していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まるで誰かに誘導されているような一本道を歩いて行くと、暗がりから一瞬にして明るい日差しの下に出ていた。
僕がローズを見ると、同じ視線が帰って来る。
慌てて後ろを振り返ると、暗がりにあった通路がなくなっていた。
「アレク?」
「あぁ、こうなったら進むしかないね」
少し進むと一本道があり、その先には古びた一軒家があった。
辺りを注意しながら歩くと、ローズはスタスタと先に行ってしまう。
見晴らしが良い道なので、ローズを先に進ませる方が危ないのかもしれない。
多分、ここが目的の家だろう。
木の杭で家を囲っていて、敷地内には草花が植えられており、近くに隣接する家はなかった。
見た感じ生活感があるので、誘拐犯等の危険は低いと思う。
そんな事を考えていたら、玄関ドアがキーっと開いた。
「あらあら、カワイイお客さまだこと」
出てきたのは僕たちの母親世代の女性で、柔らかい笑顔が印象的な人だった。
生成りのシャツに紺の長いスカート、緑と白っぽいチェックのエプロンで、頭を布で結んでいた。
手に持っているのは底の浅いカゴとジョウロ、庭仕事に出てきたのかもしれない。
「こんにちは! ほら、アレクも」
「あっ……。こ、こんにちは……」
「はい、こんにちは。ねえねえ、あなた達二人で来たの? お母さんは?」
母親の事を聞かれて一瞬警戒心が強くなってしまったけど、すぐローズに脇腹を肘で突かれる。
いくらなんでも余所の家にこちらから出向き、敵対するような怒りを覚えるのは相手にとっては理不尽だ。
「私たち迷ってしまったの。えーっと、私の名前はローズ」
「僕の名前はアレク」
「お名前を伺っても良いかしら?」
「まあまあ、良い所のお嬢ちゃんとお坊ちゃんなのね。これは失礼しました、私の名前はリンダです。お茶でもしていきますか?」
僕は慌ててローズの顔を覗き込む。
明らかに緊張感が解けた顔をしていて、僕の危機感の信号は鳴りっぱなしだった。
双子なのにこれだけ差が出ると、相手もきっと戸惑ってしまうだろう。
仕方なく僕の危機感に自制してもらって、少しでも情報を引き出す努力をするべきだと思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
リンダに案内してもらって入った家は、小さいながらも温かみのある家だった。
僕達は王族として、多くの事を学ぶ必要がある。
その分、家族との付き合いは自然と王と臣下という形になり、先に勉強している兄たちも父を助けている。
ただ小さな国なので近隣との付き合いも多く、僕達の環境が思いの外温かいと知った時はびっくりした。
リビングに通された僕達は席を勧められ、リンダはキッチンに向かった。
花の香りと何故か草原の風を感じる室内は、いつか行ったピクニックのようだった。
「二人は、食べられないものはあるかしら?」
「僕達、好き嫌いはありません」
「私、甘いものだーい好き」
さりげなくアピールするローズは、すっかりリンダの第一印象にやられていると思う。
頭を覆う布をほどいたリンダは栗色のゆるふわな髪の毛をポニーテールのように縛り、キッチンで忙しなく動いている。
少しするとヤカンがシュンシュンと鳴きだし、少し大きめなトレーでお茶とクッキーを持ってきた。
「アレクさま、ローズさま。こんなものしかありませんが」
「止めてください。僕達そんなんじゃ……」
「リンダさん、いただきまーす」
クッキーを手に取ったローズを見て、僕は一瞬躊躇ってしまった。
僕の警戒信号は、さっき無力化させてしまっている。
『ここは敵地かもしれない』――そんな事を思い出した瞬間、ローズを一人にはさせないぞと僕も慌ててクッキーを口に放り込んだ。