Track10:両手に刻まれた不信の傷
「穂希」
「近寄らないで。これがどうなってもいいの?」
「・・・ホマレ、ナニスル?」
やっと会えた。そして無事だったことに対して安堵しつつ二人の元に駆け寄ろうとすると、穂希がこちらを鋭く睨む
そして、彼女の側にいるウィリアムに、カッターナイフを向けていた
「何って、決まってるよ。三波は私の研究を・・・・!」
「チガウ、ミナミ、チガウ・・・」
「違うって何が違うんだよ!」
震えた声で叫びながら腕を思い切り振り上げる
そして、彼女が持っていたカッターナイフがウィリアムの葉を一枚切り落とした
「・・・イタイ」
「ウィリアム!」
それは、傷つかないように育てられたおしゃべり花のウィリアムにとって初めての「痛み」
花弁を萎れさせ、苦しそうに蹲る彼の側に駆け寄ろうとするが、まだ穂希は俺が彼に近づくことを許さない
刃先をこちらに向け、涙を流した彼女は悔しそうに言葉を紡ぐ
「なんで完成させちゃうかな。私が四年かかっても構想しかできなかった無限種を、なんで半分だけでも完成させちゃうかな・・・」
「俺は・・・」
「君は奪ったんだよ。私から、無限種を・・・それ、わかってる?」
「・・・気がついたのは完成させてからだったんだ。本当に、申し訳ないことをしたと」
「嘘だ。三波ほどの人が気付かないわけがない!」
「ヒャアアアア・・・!ヤメテ、ヤメテホマレ!ハモノイヤー!アツイノモヤー!」
「もうやめてくれ!俺が悪いんだ。ウィリアムは!」
関係ないから、と彼女の脅しを無視して俺はウィリアムの元へ駆ける
「うるさい!うるさいっ!」
「・・・っ」
「・・・あ」
俺のその行動は彼女にとって予想外だったのだろう
振り下ろされたカッターナイフはとっさに庇ったので、刃先は俺の手の甲を切り裂いただけに留まる
問題は・・・その後だ
驚いた影響か身体を揺らした穂希は、そのまま後ろに倒れ込もうとする
後ろはもちろん、既に火の手が回っていた
そもそもこんなところで話し込んだのも悪かったかもしれない
けれど、まだ間に合う。どうにかできる
「穂希!」
彼女の腕を掴み、勢いよく火がない場所へ引く
そしてその反動で、本来穂希が描く軌道を・・・俺が、その両手に受けた
「がっ・・・」
「ミナミ!ミナミ!」
「寄る、なウィリアム」
急いで手を火の中から離し、袖口に燃え移った火を消す
皮膚が爛れて痛いけれど、ここに長居してしまえば死んでしまう
「・・・テノヒラコンガリ」
「言ってる、場合かよ・・・ほら、植木鉢、いっ・・・白衣で固定するから」
熱された植木鉢を持つほど、俺の手はまともではないし、丈夫ではない
それでも、ここを三人で出なければいけないのだ。誰一人欠けることなく
「ミナミ、ミナミ」
ウィリアムは心配そうな声で俺の名前を呼び続ける
そのお陰で、まだ意識を保っていられる
「ああ。意識はあるから・・・穂希、早く行こう」
座り込んだ彼女に声をかける
カッターナイフはもう既に火の海の中。あれで何かすることはもうない
「・・・いい」
「いいじゃ、ない。ほら」
掌に走る激痛に顔を顰めながら、彼女の腕を掴んで避難経路を歩いて行く
「・・・こっち、だよな」
「・・・・うん」
やっと、まともに返事を返してくれる
走れるほどの元気はない。必死に歩くことしかできない
切れそうになる意識を保つために、俺は彼女に伝えなければいけないことを口にする
「穂希、俺は・・・上に資料を貰って、半無限種を作り上げた。退職する奴が託したものだと。その言葉を、信じて」
「・・・」
「確かに、薄々感じていたんだ。お前が、調べているものと酷似していると。けれど、共同研究者か、はたまた同じ考えの人間がいたかなんて考えを持ってしまった」
「穂希がやめるわけないって、いなくなるわけないって思ってたから・・・」
「三波・・・」
許してもらえると思っていない
けれど、俺が作るに至った経緯だけは説明しておきたかった。たとえ、それが言い訳にしか聞こえなくても
「いいたいことは、それだけかな」
「っ・・・・!」
穂希の声と同時に、俺の背中が痛みを発する
彼女に叩かれたのだろう。ただでさえ浅かった呼吸はさらに浅くなる
煙も少し吸い込んでしまい、咳が止まらない
「ミナミ、ミナミ!」
ウィリアムの叫びが遠く聞こえる
苦しい・・・息が上手くできない
痛い、苦しい、痛い・・・?なんだか、ふわふわしてきたな・・・
ああ、もしかしてここで終わりなのか
嘘だろ。まだ、やりたいことが山ほどあるのに
「・・・ホマレ、ナニスル?ミナミ、ナンデオイテク?」
「知っている、ウィリアム。三波は泥棒なの。盗んだのは私の研究・・・だから私もその対価で、貴方を貰おうと思うの」
「・・・ヤ、ミナミガイイ。ミナミ、マイフレンド・・・」
「うるさいなあ・・・除草剤食べさせるよ」
「・・・フザケンナ!」
「きゃっ!」
ウィリアムが穂希に勢いよく噛みつく
穂希はそれに驚いてウィリアムを手放し、ウィリアムは勢いよく床に叩きつけられた
植木鉢は割れてしまったけれど、根を足にして俺の元に歩いてきてくれた
「なんでそいつを庇うの!」
「ミナミモワルイ!ケド、ワルイノ「ウエ」!」
「そんな言い訳通じるわけないでしょ!どうせそんなこと言いながら、裏で笑ってたんでしょ!?四年もこんな単純なことで躓いてとか!」
「ソンナコトナイ!ミナミ、タクサレタ!タクシタヤツノタメ、ガンバッタ!ソレダケ!チョウサ、アマカッタ、ケド・・・」
「今更そんなこと言われても信じられるわけないよ!どうせ戯言だよ!こいつなんて、置いて行けばいい!あんなこと言っておきながら・・・!信じてたのに・・・!もう、いいよ!」
近くにあった石を勢いよく投げつけられる
もう動く気力のない俺は、それを抵抗なく受ける。頭に当たろうとも・・・俺は声を一つ上げることない
「・・・ほら、何も言わないよ。もう死んでるんだ。生きてたら小うるさいチビが鳴かない訳ないじゃん。ほら、ウィリアム、行くよ」
「・・・デナイ」
「は?」
「シンデナイ!チビジャナイ!ミナミ、マダイキテル!チャントイキテル!」
メキッっと何かが音を立てる
朦朧とした意識の中、身体が宙に浮く感覚がした
ああ、死ぬのってこんな感じなんだな・・・なんて考えていると、顔を何かが覗き込んだ
「ミナミ、マモル」
「・・・ウィリアム?」
その声は、確かにウィリアムのもの。片言の発言も、彼の特徴そのものだ
しかし、こんなには大きくなかった
植木鉢に収まるほどの大きさだった花は急成長を遂げ、今や俺の身体を持ち上げるまでに至っていた
「ソ、ミナミ、フレンド。オタスケ!」
「・・・見た目、キモイな」
「ムキムキマッチョッチョ!ミナミ、ラクチン、ユソー!」
「ありがと」
「イイ。シバラク、ネムットケ?アイダニ、オワラス!」
間抜けな顔に反して、カッコいいことを言いながら炎渦巻く廊下を駆けていく
燃えないのか心配になったけれど、今のウィリアムには多少焼けた程度どうってことはないかもしれない
俺の視界に、穂希が映る
放心しきってウィリアムを見上げる彼女はこのままだと・・・
「・・・ウィリアム、穂希」
「・・・シラナイ!」
「ウィリアム」
例え石を投げられて頭から血を出そうとも、穂希にとって俺がそれほどまでの事をしたせいなのだから
彼女は、何一つ悪くないのだから。されて当然の事をした俺が悪いのだから
けど、チビか
成長期、全然来ないなとは思ってたけど・・・うん。凄く心に刺さった
それにあの罵声は多分、穂希の本心
ああ、やっぱりそう思ってたのか。上手く隠してたな・・・
この衝撃は一生・・・心に刺さり込んだままだろうな
それでも、最後まで・・・ここを出るまでは、今まで通りに過ごさせてほしい
「・・・アア、モウ。ミナミ、アマチャン!チダラケ、サレタノニ!」
ウィリアムはその腕の部分で穂希を持ち上げる
「馬鹿なのかな。三波」
「馬鹿、でいい」
「でも、あんたの事は許さない」
「それで、いい。一生許さなくてもいい。だから、残りの半分は、穂希の手で完成させてくれ。俺は、もう、研究から手を引くからさ。穂希はこれからも、続けてくれよ?穂希は、凄い奴なんだから・・・」
「馬鹿だなぁ・・・本当に、チビで、間抜けで、酷く純粋なお子様だよ」
意識が途切れる前の穂希の呪詛のような言葉を心に刻む
そして、俺はゆっくりと意識を途切れさせた
・・・・・
それから三ヶ月後
俺は怪我が治っても病院から、病室から出られずにいた
「三波。まだ、出られそうにない。もう少しここにいてくれるか?」
「・・・わかってたからいいよ。気にしないでよ、ハリス先生」
見舞いに来てくれたハリス先生は疲れ切った表情で、俺の前髪を持ち上げる
「・・・傷、残ってしまったな」
「両手の方が酷いけどね・・・火傷の痕が残ったし、それに、動きも制限されるようになった・・・けど、俺がそれ相応の事をしたから仕方ない」
「・・・上の者の首は強く締めた。問題は」
「穂希の方、だよね」
ハリス先生が見せてくれた新聞には、研究所上層部が俺に彼女の研究資料の一部を与えて俺がそれを読み取り、彼女の研究を自分のものとして発表したという事実無根の事が書かれている
そして、秘匿案件であった「おしゃべり花」も世間に公表されてしまった
その開発者の名前は六平坂穂希。彼女はあの火事のどさくさで、おしゃべり花の研究資料を持ち出していたのだ
今、世間はその話題で持ち切り。姑息な俺と、世紀の発見をした穂希
・・・立場が変わった状態で、世間のスポットライトを浴びることになってしまった
「・・・ミナミ、ヤッパリ」
「気にするな。けど、兄さんたちは・・・」
「双馬には連絡をしている。兄弟たちは常に行動を共にしているそうだ・・・けれど、三波との関係がバレるのは時間の問題かと」
「・・・」
どうしたものか。俺だけではなく、兄さんたちを俺の罪に巻き込むわけにはいかない
「・・・俺が、表に出るべきじゃないの?」
「世間の好奇にさらされる。やめておけ・・・今のお前は・・・」
ハリス先生が立ち上がると同時に、彼の鞄がひっくり返る
先生はそれを急いでかき集めるが、俺は紙の中に混ざる言葉の数々を目にしてしまう
「・・・存在してはいけない。堕ちた天才」
しまいには、泥棒だとか、死ねだとか、その他口にするのも憚れるような罵詈雑言が書かれていた
「三波、気にするな。戯言だ」
「わかってる」
散々人を天才だとか囃し立て、事実無根の事をあたかも事実のように告げ回り、人々はそれを信じ込む。本当に、人間は愚かだと常々感じさせられる
そんな中、一人だけ気がかりな人物がいた。奴の足取りはつかめていない
「今、穂希は?」
「帰国した。そして向こうで破格の待遇で研究職に就いたと聞くな」
「人の冠で何日持つのやら」
「さあな。人の噂も七十五日という。もうしばらく待って、人々の新しい噂が立てばお前の事も六平坂穂希の事も興味が無くなる。それに人から盗んだ研究だ。素性が明らかになるのも、時間の問題だと思うぞ」
「・・・ああ。そうだな」
帰国だけで済んだのかと、なぜか安堵を覚えながら俺はウィリアムを見る
あの日の火事でいたるところが焼け焦げてしまったけれど、彼は元気そうに笑ってくれた
「ミナミ」
「ああ。ウィリアム・・・俺たちも日本に帰ろうか。しばらく隠居して、ためた金で田舎に越して野菜でも育てるか?」
「イイネ!」
ウィリアムと今後の話をしていると、先生は申し訳なさそうに俺の手を取る
「・・・三波、お前を無理やり研究所に入れなければよかったと、私は思っている」
「気にしないで。そのお陰でウィリアムに会えたから」
穂希とも出会えた。それは、後悔することじゃない
けれど・・・
「今は・・・ウィリアム以外、誰の言葉も上手く信じられない。信じてやるもんか。先生の言葉でも、ちょっと、いや・・・かなり疑っている。ごめんなさい」
「・・・三波、いや。いい。お前の上にいた人間は私がしっかり絞めておくから、しっかり静養しなさい」
「はい」
「帰国と退院の準備は進めておく。双馬にも連絡しておくから。それと、帰国前までにその火傷を隠せる特注の手袋を発注しておく」
「ありがとうございます」
「気にするな。これぐらいの事しかできなくて、済まない」
心配そうに去り行く先生に背を向けて、俺はウィリアムの仮植木鉢を抱きしめる
目を閉じ、静かに眠気が来るのを待つ
起こってしまった事故から、目を背けるように




