戦乙女と神の狼
ごとごとと揺れる荷車に座っているのは眠たそうな女と犬耳を生やした少年であった。
女は大きめの外套を毛布代わりにして、こんもりと積まれた麦わらに身体を預けている。めずらしい髪の色をしており、つややかな金髪にいくつかの赤い筋が走っている。栗色、金髪、赤毛、単色ならばごく普通であろうが、混ざっている者はなかなかいない。
「おい、犬」
呼びかけられた少年の犬耳がぴくりと動く。雪を連想させるような白い毛は、犬耳としっぽの先だけがほんのりと黒かった。雪原を走る狼と似ているかもしれない。
「なんですか、ご主人さま?」
「寝るには場所が足りない。お前歩け」
女はそういって、少年を荷車から蹴落とした。
「ひどいです」
愚痴はいうものの、少年のほうは慣れた様子である。馬に引かれてゆっくりと進む荷車であるので、普通に歩けば置いていかれることもない。
広々とした場所を確保した女は、ごろんと横になって寝入ってしまった。
「ひでえご主人さまだなぁ、坊主」
御者台に座るいかにもな農夫が同情するような声音でいう。
「いつものことなのでだいじょうぶです」
「そうか? 俺のとなり座るか?」
「いいんですか?」
「いいよいいよ。お前みたいなちっこいのならたいしたことないさ」
少年は走って、御者台に飛び乗った。
「ありがとうございます」
子どもらしい明るい笑顔。農夫もつられて笑う。
それにしてもと農夫は思う。なにせ、不思議な組み合わせの二人だ。尊大な態度をする若い女に、まだ声変わりもしていないような歳の獣人の少年。旅人というには不用心に思えるし、貴族さまにも見えない。夫婦でも家族でもないだろう。
農夫はちらりと少年の首を見た。奴隷の証である首輪がしっかりとついている。
あのような傍若無人な態度をとられているのに、よくも逃げ出さないものだ。
とはいえ、このように若い獣人の少年では、逃げたところで生きていくのは難しいだろう。
「お前さんがたは、王都からきたんだったか」
「はい。ご主人さまが騒ぎを起こしてしまったので、住めなくなってしまったのです」
「騒ぎってえと、その、なんだ?」
「ええと、王都では、お尋ね者です」
農夫は思わず顔をしかめた。お尋ね者ということは、賞金首である。そうとうな事件でも起こさなければ、賞金首になることもない。
あまり詮索するのも面倒がありそうだ。賞金首たちはなべて厄介。騎士崩れの凄腕の傭兵もいれば、もぐりの怪しい魔術師などもいる。賞金首でありつつも賞金稼ぎという者も稀ではない。王国や都市国家が乱立するこのあたりでは、場所によってその者の立場が変わる。
なんにせよ、一介の農夫に過ぎない自分の手にはあまる。
駄賃をもらって町まで乗せる。それだけでいい。そういう約束だ。
王都でのお尋ね者と聞いて、一瞬記憶が刺激されるが、それを深く沈めた。
「そうか。まあ、あんま聞かないことにしとくよ」
「すみません」
少年はうつむいて、しょんぼりとする。犬耳がぺたりとへたれてしまっていた。
「まあ、まあ。別にお前さんがたが悪いやつだっていうつもりはないさ。駄賃は多くもらったし、お前さんは素直だ。後ろの姉さんはちょっとばかしあれだけどな」
「うう」
「ほら、食うか、鹿の干し肉。うちで作ったやつだけど、なかなか出来がいいんだ」
「わあ、ありがとうございます」
一欠片の干し肉を渡す。少年は両手に持って、大事に少しづつかじって食べる。その仕草のほほえましさに、肩の力が抜けた。
少し肌寒さを感じるが、青空の広がるすばらしい天気。麦畑を半分に割ったかのような細長い田舎道を、荷車はゆったりと進んでいく。
人里を抜けると、風に波打つ草原が広がった。
丈の短かな草である。遠くでは鹿の群れであったり、野うさぎ、キジ、白サギ、さまざまな野生の動物が見てとれる。農夫はうさぎの肉の味を思い出し、少し腹を空かせた。
「うん?」
異変はまず、野生の動物からであった。
一部の動物が、なにかから逃げるように走り去っていく。そののち、小さな音と振動が伝わってきた。
馬が集団で地面を叩いて走っている時特有のものである。
正面から見えてくるのは甲冑をまとい騎馬に跨る数十の男たち。
騎士か、あるいは傭兵か。どちらにせよろくな者たちではない。
ちんけな農夫でしかない男にとっては恐怖以外のなにものでもない。手綱を握る手が自然と震えた。
「だいじょうぶですか?」
心配するように声をかけた少年。意外なことに、彼は落ち着いていた。
農夫は深呼吸をして、なんとか気を静める。どうせ逃げられはしない。おとなしくしているほかないだろう。
甲冑をまとった集団が、荷車を囲むようにして止まった。
「農民か? 奴隷持ちとはおそれいった」
へらへらと笑いながら声をかける若者。頬に一筋の傷がある、荒っぽそうな気性の者。
傭兵だ。それも、野盗と変わらないような、命知らずたちだ。
「あなたたちは出稼ぎの傭兵かい? 俺はしがない農夫に過ぎないから、金目のものなんて持ってはいないよ」
「ああ、悪いな。怖がらせちまったか。別にとって食おうってわけじゃない」
「そうかい」
「ただ、少し食料をわけてくれないか。心もたなくてね」
思いのほか話のできる連中なようだと、農夫は安堵した。身包み全部剥されるよりははるかにいい。
「一袋ならかまわない。金はくれるのかい?」
荒く挽いた小麦の一袋をとって、傭兵に渡す。
「これで勘弁してくれ、ははは」
投げ渡されたのは小銀貨の一枚。相場から考えれば随分と安い金額だが、仕方がない。
「はあ、もういいだろ?」
「ああ、悪かったな。助かったよ。ところで」
まだなにかあるのかと、農夫はため息をつく。
「後ろに乗ってるのは女か? 少し貸してくれよ」
にやにやと笑いながら、傭兵が女を指差す。驚いたことに、いまだにすやすやと眠っていた。
「勘弁しておくれ。そういうのは、町にいる商売女とするものさ」
「こちとら女日照りがひどくてね。あんたの娘ってわけでもないんだろ?」
「あの、その、ご主人さまになにかご用ですか?」
緊張感のない声音で少年がいった。傭兵は一瞬きょとんとするが、すぐに大きな笑い声を出す。
「ああ、そうだ。少しね。そこの草むらで君のご主人と仲良くしたいのさ。だからいますぐ、のんきなご主人を起こしてあげてくれないかい、君」
「わかりました」
少年は御者台からひょいっと飛び降りて、荷台へとまわりこむ。外套にくるまった女の肩を激しくゆすった。
「ご主人さま、ご主人さま」
「ああうるさいうるさいうるさい」
少年の頭をげんこつで殴る。そしてふたたびまぶたを閉じる。
涙目になりつつも、少年はふたたび肩をゆすった。
「ご主人さま!」
「ああもうなに!」
身を起こした女は、荒っぽい男たちに囲まれてる状況を見て、察した。
「へえ、へえ。こいつはずいぶんなことだ。わたしになにか用事でも?」
外套をひるがえし、乱暴な手つきで髪を払った。
挑発をするように、ふんと鼻で笑う。
「おお、こいつは美人だ。運がいいな」
「どうだかね。で、なに?」
「いやいや、わからないかい、お嬢さん。それとも乱暴なのがお好みかな」
男たちはげらげらと笑った。
「馬鹿なやつら」
ゆったりとした動作で手の平を上に向ける女。
それは一瞬の出来事である。
手から青白い光がほとばしり、人の頭ほどの火球が生まれる。
それが上空に放たれると、大きな音を立てて爆発した。
あまりにあざやかな魔術。傭兵たちは言葉を失う。
小さな火の粉がふりそそぎ、馬たちは驚き嘶いた。
「で、ほんとにわたしとやりあうつもり? 田舎傭兵さん」
動揺する男たち。馬をなだめつつも、顔を青くしつついう。
「ま、まて。こいつもしかして、王宮燃やしのフレイじゃ」
「学院じゃなかったか。五百人は焼いたとか」
「聖王国の賞金首で、流浪の賞金稼ぎの。金貨で一千枚の」
傭兵たちの大半は震えていた。ついでに農夫も奥歯をがたがた鳴らしていた。
「失礼な、ほんの少し研究室を焼いただけだ!」
「ご主人さま、誰も信じてくれませんよ」
適当に主人をなだめる少年。かいがいしく背中をなでている。
「ま、まてお前ら落ち着け! こいつを掴まえれば一千枚だぞ!」
「いや、団長。無理ですって、たしか生け捕りが条件ですよ」
「無理ですね、焼き殺されます」
「魔術師で錬金術師で薬学者らしいですよ。魔術だけじゃなくて怪しい薬とか道具も色々あるとか」
男たちの士気は非常に低かった。
「くっ、一千枚が」
「いいからさっさと、散れ、散れ。根性なしども。わたしは寝る。犬!」
「は、はい」
「そこで正座」
少年は荷台の上でさっと座った。
その少年のひざをまくらにして、女は横になる。荒くれたちなど興味がない、とでもいうかのようだ。
傭兵たちはため息をつくと、静かに荷車から離れていった。狂犬をむやみに刺激したくない、という意図が見えている。
傭兵たちが離れると、農夫は馬を進ませる。震えは止まってなかった。
「はあ」
犬耳の奴隷少年はひとつ息を吐く。
野盗もどきの傭兵たちを一蹴しつつ、親切な農夫のおじさんを心底怯えさせた。そんな自分の主人。
いつものことといえば、いつものことかもしれない。少年はなにもかもを諦めた表情で、主人の頭をなでた。
そこから離れた丘の上で、青白い肌の女が、その光景を見つめていた。
美しい顔立ちに、上等な仕立てのローブを身につけている、黒髪の女。しかしあまりに命を感じさせぬ肌色が、幽鬼のような雰囲気を醸し出す。
人であらぬことの証明であるように、女は尋常ならざる視力を持ち合せていた。
人が麦の粒ほどの大きさにしか見えないほど、遠く離れた位置にいるはずなのに、細部までを隅々まで確認できるようである。
「あら、偶然ね。フレイを見つけられるなんて。それと、あの子は例の神狼かしら」
うふ、うふ、と薄気味悪く笑う女。そのたびに、長い黒髪がゆれる。
笑いに連動するように、女から真っ黒な霧がもれて、広がっていく。
すると、足元の草むらが一瞬で枯れ、風に乗り消えていった。
草原の中で、女のまわりだけが、赤黒い土に成り果てる。
「とても楽しくなりそうね。うふ、うふふ」
女は不気味な笑いを続けて、ずっとふたりが乗る荷車を見つめていた。