2.恋する妹
「な、なにを言っているの?」
動揺する私とは対照的にイメルダは勝ち誇ったように、ふふふと笑った。
「さっきまでエドワード様がいらしていたのよ。お姉さまが例の温室に籠っていた時にね。だから、私がエドワード様とお話したの。その時、エドワード様が私と婚約してもいいっておっしゃってくださったの」
「え?今まで、皇太子殿下がいらしていたの? ……なぜ、私を呼ばなかったの?」
「だってぇ、エドワード様は、このリッチモンド公爵家の令嬢である私にお会いにいらっしゃったのよ。お姉さまを呼ぶ必要なんかないでしょ?
エドワード様はとても素敵な方だったわぁ。……ジュドお兄様より2つ下なのに、背はお兄様より少し高くてすらっとしていらっしゃるの。でもね、騎士の訓練も受けていらっしゃるというだけあって、太っていないのよ。今日着ていらした服も普段着だっていうのにキラキラしていて、さすが皇太子さまって感じだったわ。さらさらっとゆれる銀色の髪。緑色の瞳。お話される声はすこし低くて、まだ耳に残っているわ。きゃぁぁ」
頬をほんのり色づかせながらイメルダは夢見るようにため息をほおっとついた。今のイメルダの話で、皇太子がこの家に来たこと、イメルダが皇太子殿下に一目惚れしたことを知った。
「ねえ、イメルダ。皇太子殿下が今日、この家に来ることをなぜ貴女が知っていて、私が知らないの?」
私は素朴な根本的な問いを口にした。皇太子妃候補はイメルダではなくて、私だ。皇太子殿下が会いに来るのは候補である私のはず。そして、皇太子殿下の訪問の日時については、事前に連絡がきているはず。頭の中は疑問符と『はず』の山だ。
10日ほど前、シェルベリー伯爵家に来たとカトレイヌ嬢が話していたから、そろそろかなとは思っていたけど。今日だとは寝耳に水だ。
「簡単な話よ。エドワード様が訪問するというお手紙を私がもらったのだもの」
「ど……どうして?貴女にお手紙がくるの?」
「だって、この前、元老院の印が押された手紙をセバスが持っていたから、ちょっと見せて頂戴ってお願いしたの。そこには、リッチモンド伯爵家令嬢とあるじゃない?だから、これは私宛の手紙よって教えてあげたのよ。どうして私宛のお手紙をお姉さまにみせなきゃいけないの?」
そうなのか。元老院のおっさん達が原因か。確かに我が家には令嬢は二人いる。
セバスはイメルダに見せるかきっと悩んだんだろう。まあ、イメルダに元老院から手紙が来ることはないけど、イメルダに自分宛だと主張されたら、渡さざるを得なかったに違いない。いつも、イメルダは私宛の手紙も自分のだと言ってセバスから取り上げて全部目を通していたし、仕方ないか。それで、今日、王妃様から頂いたドレスを着ていたのかと、妙に納得してしまった。
王城では、元老院のおっさん達や侍従長や公爵夫人たちの話ばかりで、皇太子殿下に直接お会いしたことはなかった。だから、皇太子殿下が各家に訪問して皇太子妃候補と会う段取りになっている。
イメルダは皇太子殿下に会って、話して、一目惚れをして、皇太子妃になりたいというわけか。
「でね、なんかとても質素な?事務的な?書類だったから、エドワード様ってどんな方なんだろうって思っていたの。そしたら、あの手紙は元老院が候補に送っている書類で、エドワード様は見ていないんだって。
お姉さま知っている?エドワード様は、とてもいい香りがするのよ。
それでね。サロンでお茶をしながらお話をしていたら、私に、「君がリッチモンド家の皇太子妃候補なのか?」とお聞きになったの。私、『そうです』って答えたの。だって、そうでしょ?
そうしたら、『皇太子妃候補の指輪はどうしたのか?』ってお聞きになったの。お姉さまがいつも身に着けているそのあまり素敵とはいえない指輪のことを気になさるのだもの。きっとそれがなければ皇太子妃にはなれないのよね? だからぁ、お姉さまからもらおうと思って、戻ってくるのを待っていたの」
そう。イメルダ、貴女は自分が皇太子妃候補だと嘘をついた。私はどんどん自分が冷静になっていくのがわかった。そんな嘘をついてはいけない。さっきのお茶会では皇太子殿下を騙せたかもしれないけど、きっとすぐばれる。でも、きっとイメルダは、皇太子妃候補という権利をこの指輪と一緒にわたしからもらえるって思っている。
「で、それでどうして、貴女が婚約者になるの?」
「ああ、それ。それは、エドワード様が、『いままで会った皇太子妃候補はどの令嬢も、髪は一つにまとめ、きつい眼で私をみるばかりで、女性らしさのかけらもなかった。だから、君みたいな春の妖精のような女性が側にいてくれたら心が安らぐのかもしれないね』って。きゃっ。私のこと、『春の妖精』だって。エドワード様って本当に素敵だわ」
イメルダはますます頬を染めて、手元にあったクッションに顔を埋めた。はいはい、『春の妖精』ね。よかったじゃない。確かに、イメルダ、貴女は可愛い。そりゃ、他の皇太子妃候補は、イメルダに比べたらきつい性格に見える……かもしれない。『髪を結って化粧をする暇があるなら、経済発展のための施策を一つでも考えろ』って、元老院のおっさん達に怒鳴られる。だから、みんな、自分の容姿を顧みる暇なんてなかったんだから。すべては元老院のおっさん達が悪い!絶対おっさん達が皇太子妃候補から女性らしさを奪ったんだぁ。思わず手をにぎりしめて、力をいれてしまった。
皇太子妃に求められているのは、女性らしさより政治的手腕。皇太子妃になって国を支えるには、綺麗であることよりも王に助言が出来る才能があることが必要だと元老院は考えていると思う。だから、女性らしさがないと言われても仕方ないんじゃない?
「だからね、私、エドワード様に『私が皇太子妃になりますから婚約者にしてください』ってお願いしたの。そうしたら、エドワード様も『君が指輪が持っているならそれもありかもね』って微笑んでくださったの」
イメルダ。貴女がいつものようにお願いしたんでしょ?だから、皇太子殿下も『指輪の持ち主だったらそれもありかも』って言っただけじゃない?ま、真相はよくわからないけど。イメルダフィルターで見れば、きっと皇太子殿下の台詞もイメルダのいいように解釈されたんだろうし。
「だから、その指輪を頂戴」
「それはできない」
「どうして?その指輪は私のものよ。頂戴!」
「無理」
私とイメルダはさっきから、何度 『―― 頂戴 vs だめ ――』の攻防戦をしているのだろう。頂戴。だめ。頂戴。だめ。だんだん、この後のことなんかどうでもよくなってきた。今日、最大のため息をつくと、わたしは、こう言った。
「わかったわ。イメルダ、貴女に指輪はあげるわ。そのかわり、条件があるの。
アン、セバスを呼んできて。
セバスがきたら、その条件を言うわ。アン、セバスに、伝達用の魔法石を持ってくるように伝えてね。お父さまに、直接私たちの話を届けられる魔法石でお願い。」
壁際で、空気のようにじっとしていた侍女のアンに、セバスを連れてくるよう頼んだ。そして、アンが一礼をして出て行くと、微かにオレンジが香る紅茶をゆっくりと飲んだ。アン、ありがとう。あなたの淹れてくれる紅茶は私に冷静さと勇気とをくれる。私は、セバスがくるまで話すつもりはないという意思表示のため紅茶を飲み続けるふりをした。イメルダは、指輪をもらえると思って、そわそわしている。顔がにやけるのを扇で隠して必死になっているのがわかる。しばらくすると、セバスが、紫色の魔法石をもって、現れた。
「あら、セバス、早かったのね。その魔法石だったら、記録もできそうだし、ちゃんと、お父さまにも届けられそうね。じゃ、この指輪との交換条件を言うわ。
それは、イメルダ、これから、貴女の部屋に行って、その時貴女の部屋にあるものすべてと交換するわ。それでいいかしら?」
私はゆっくりそう言うと、手に持っていたカップをおいて、優雅に笑って見せた。イメルダは一瞬何を言われたかわからないようだったけど、笑って了承した。
「いいわよ。お姉さま。」