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第3夜 闇色の髪の男の子

涙が止まらなかった。

突然のことにどうしていいのかわからなかった。


「何でぇ、何で星の子ぉ…」


突如ひとりになって、見習い天使は泣きじゃくった。

大粒の涙が頬を伝い、抱えている小さな天使の頭にその雫は落ちていった。


「あ〜、う〜」


腕の中でもぞもぞと小さな体が動く。


「あっ、ごめん。冷たかったね」


見習い天使は、小さな天使の後頭部の巻き毛に沁みこんだ涙をあわてて手で拭った。

身をよじる小さな天使の向きを変え、そのあどけない顔を見つめた。


「あ〜」


涙で濡れている頬へと、小さな手が伸びてきて、思わず見習い天使は抱きしめた。

星の子が身を賭して守ってくれたように、自分もこの子を守ろうと心に誓った。


「…絶対、私、あなたを守ってみせるよ…」


星の子を失って、不安だらけの心に、まるで刻みつけるように見習い天使はつぶやく。


この小さな天使を死神から守る。

星の子のためにも、この任務を何としてでも成功させるのだ。


涙にくれていた目に、青い星の光は見つからない。

星の子が向かおうとしていた方向にある街明かりへと目を向ける。

大きな街の明かりに、空は一層薄れている。

あの街を越えて、それから星を探す。

そう決めると、見習い天使は涙で冷たい頬を手の甲で拭った。

星の子が散らばった辺りへ、哀しい眼差しを送り、想いを閉じ込めるように目を閉じると、

意を決して空へと舞い上がった。



果樹園を越え、高い建物がひしめき合う街並みが大きくなってきた。

来たときとは違って、道路を行き交う車の姿もほとんどない。

キラキラしていたネオンも消え、歩く人の姿も見当たらなかった。

月は真上で輝き、今は真夜中なのだ。


その静かな街の上を、見習い天使は来た時よりも低い高度で飛んでいた。

目立たぬように、月の光に照らされない暗がりを行く。


「あれは…何…?」


不意に見上げた月の中に、細長い物体が浮かんでいるのが目についた。

それは次第に大きくなっていく。


「え?汽車…?」


雪降らし作業をしていた時に、はるか下界で白煙を上げて移動していくものに、

目を奪われるように見ていたことがあった。

もちろん、それに気がついた上官の天使さまに怒られたのであるが。

その時、上官の天使さまが教えてくれたのだ。

汽車という乗り物で、人やものを運ぶものだと。

でも、汽車は線路に沿って走っていくもので、空を飛んだりはしないものなのだ。

見習い天使は何度もまばたきして、それを見る。

消えるどころか、どんどん大きくなって、白煙をあげてはいないが、

やはり間違いなく汽車であるのがはっきり見えた。


その汽車は街の上空をゆっくりと旋回する。

見習い天使が浮かんでいる建物の上空に差し掛かった途端、動きを止めた。

そして二両目の客車のドアが一斉に開いた。

白い四角い物体が中から押されるようにして、ドアをくぐってくる。


「な、何、あれ…?」


一体、二体、三体。

前と後ろのドアから次々と出てくる。

重さのないものなのか、ふわふわした雪のように大きな体はゆっくりと降って来る。

四角い体には、まるでペンで書いたような丸い点のような目と、四角く掘ったような口が開いていた。

そして体には『死人形』と文字が書いてある。


「な、何…??」


わけのわからないものの出現に、見習い天使は、建物と建物の間の小さな路地に入った。

そして様子をうかがう。

目の前を大きなその四角い物体が過ぎていった。

風に流れるようにゆく物体と、見習い天使は目があった。

瞬間、その物体の目と口から黄色い光を発した。


「ふあ!」


だが、その物体自身は飛ぶ力を持っていないらしく、下へ落ちていった。


「び、びっくりしたぁ…」


見習い天使は建物に沿って上へと舞上がる。

汽車は、先ほどよりも高いところにあった。

もう白い変なのは出尽くしたのか、ドアも閉まっている。

地上へと目を向けると、何体ものその白い物体は通りを徘徊していた。


ノッテ、ノッテ、ノッテ。


妙な音が近づいてくる。

どこから?と見習い天使は左右を見渡す。


「う〜」


小さな天使の声に下を向くと、小さい天使が向けている方へと見習い天使は顔を向けた。


「ふああ…!」


先ほど目があった物体なのか、壁を普通に歩くみたいに登ってきていたのだ。


見習い天使は、建物を飛び出した。

まずはこの変なのから離れる。

空にあるのは汽車しか見えず、見習い天使は力強く羽ばたいた。


ところが、

飛び出した見習い天使に向けて、汽車の陰から白い物体が向かってきた。

先ほどのものと、見た感じは同じであった。


「羽がついてる…!」


ただ一点だけ違っていた。

大きく平たい背中には、見習い天使と同じ大きさの羽がついていた。



「な、何で羽がついてるの…?」


見習い天使は眼を見張って、その白い物体を見つめた。

白い翼を持つのは天使だけなのに、その白い物体にも白い羽がついていた。

目と口から黄色い光を点灯させて段々近づいてくる。


「…!」


見習い天使は異変に気づいた。

死神が現れたときと同じような冷気が辺りに満ちるのを感じた。

それは、その白い物体から放出されているようなのだ。


「アナタはいったい…?」


目が離せなかった。

まばたきをするのを忘れて見つめてしまう。


何かが変だ。


心のどこかで警告が起きている。

なのに、見習い天使は動けずにいた。

点灯を続けている目と口から目が離せないのだ。


そして、とうとう間近となった。


滑らかな白い体が急にもこもこと動き始めた。

まるで中に何かがうごめいてるような動きだ。

複数の頭のようなものが出ようともがいているみたいであった。

そして、たくさんの白い手が湧き出るように白い物体から伸びてきた。


「ひ…っ」


その時であった。


見習い天使とその白い物体の間にキラキラした線がよぎっていった。

それは見覚えのある星のきらめき…。


「…星…の…子…?」


動かせない顔で、見習い天使は必死に目の端でその線の行方を追う。


「ま…って…、待って星の子ぉ!!」


声がはっきり出せるようになって、見習い天使の体は急に自由になった。

伸びてきている手から逃れ、星の子を追う。


「星の子!!星の子ぉ!!」


光の線は建物の角を曲がっていった。

見習い天使は、必死に後についていく。


「うあ!?」


曲がると、その建物の壁には例の翼のない白い物体たちが上を目指して歩いているところであった。

見習い天使の声に、登っていた足を止める。

ぶつかりそうになって、旗が下がってるポールに片手をかけて、見習い天使はクルリと回ると、

地面へ向けて垂直に飛んでいった。

勢いを抑えて歩道に降り立つ。

そして上を見上げた。


「うげ!!ああああ〜〜っ」


休む間もなく見習い天使は歩道に沿って飛んでいった。

壁を歩いていた白い物体が一気にジャンプしてきたからだ。

見た目に反して軽い体は、空気に抵抗しながらフワリと降りてくる。

まるで縫うようにジグザクに、見習い天使はそれを避けて飛ぶ。


「何なの〜!」


キリがない。

歩道の向こうにも、すでに白い物体が何体ものんびりした動きで集まってきている。


「!」


また視界の端に、キラキラした光の線がよぎっていった。


「星の子!」


見習い天使は迷うことなく、その光の線が入っていった路地に向きを変えて入っていった。

そこは人が一人通れるくらいの建物との狭間で、

さすがに白い物体は体が大きすぎて入り込めずにつっかえてしまっていた。


「待って、待って、星の子!」


路地を曲がると二倍の道幅になった。

かなりいりくんでいて、建物の裏口なのだろう。ゴミ箱が何個も並んでいる。

蓋が開いていた一個に、追っていた光が入っていった。


ようやく追いついて、見習い天使は息をきらして、そのゴミ箱をのぞきこんだ。


「きゃ…っ」


何者かにお尻を蹴るように押され、のぞきこんでいた大きなゴミ箱の中に落とされ、そして蓋が閉まった。




「なっ!?」


幸いなことに、ゴミ箱の中身は空で、見習い天使は何とか下になった頭を上に向けることができた。


「おチビちゃん、大丈夫?」

「あ〜う〜」


暗くて顔はわからないが、とりあえず大丈夫なようで、見習い天使はホッと息を吐いた。


「ワシは大丈夫じゃないわーーーっ!」

「ひゃっ!?」


急にお尻の片方が持ち上がり、踏んでいたと思われる何かが急に叫び声を上げた。

そして蓋に体当たりして、ガーンとゴミ箱の蓋が思いっきり開き、同時に空へとそれは飛んでいった。


「なっ…!?」


真っ暗な世界から、また月が昇っている夜空がひらけた。

唖然と見上げる見習い天使は、男の子がゴミ箱の前に立っているのが見えた。

人には見えないはずの自分をじっと見つめているのだ。

不敵な笑みを浮かべる金色の瞳が強い印象を放っていた。

闇色の髪。

その髪の間から角が生えていた。


「あっ、悪魔…?」


バタンとまた蓋は閉じられ、見習い天使の視界はまた暗闇となってしまった。


(な、何でここに悪魔がいるの〜?)


パニックに陥りそうな頭で、今置かれている現状から必死に逃れる術を考え込む。

街の中はあの白い物体が徘徊している。

空には羽のついた白い物体が飛んでいる。

ただじっとここにいるわけにもいかない。

なんとしてもこの小さな天使を夜明けまでに天使の館へ連れて行かないといけないのだ。

ただでさえ死神に遭い、星の子を失い、途方に暮れているのに…。

さらに、悪魔だなんて…!


「バブ〜」

「ん?あ、すぐここから出るからね、おチビちゃん」


見習い天使は、片手で蓋を押し上げようとする。


「んん?むうぅ〜」


さっきあんなに思いっきり開いたというのにビクともしない。

見習い天使はさらに力を込めて押す。


「ぬふ〜〜〜っ」

「ああ、いくら押しても無理だよ」


外から落ち着き払った声が聞こえた。


「誰っ!?」

「あえて聞かなくてもわかるでしょ?さっき目が合ったよね?」

「悪魔!」

「し〜…。近くに死人形が来てるから、声はもっと潜めてもらおうか」

「死人形?な、何、それ?」

「声。もっと潜める」


たしなめられるようにそう言われて、見習い天使はひそひそと同じ文句を繰り返した。


「追われてたのに知らなかったの?あの白いのを『死人形』って言うんだ。死神の道具だよ」

「死神っ!?」

「声。」


見習い天使は大声を出してしまって開いたままの口を慌てて塞いだ。

外から忍び笑いが聞こえてくる。

まるで中の様子が見えてるみたいに。


「この街の外で死神とハデにやりあってたね。逃げれるとは思ってなかったから意外だったよ」

「見て…たの…?」

「もちろん。楽しませてもらったよ」

「楽しませて…?」

「ああ。あんな無様な死神の姿なんて、めったに見れたものじゃないし」


見習い天使は思わず唇を咬んだ。

他人事なのは確かだけれど、あまりに心無い言いように腹が立ってきた。


「それで?それであなたは私たちに何の用なのよ…!」

「あれ?何か怒らせちゃった?」


からかうようなクスクスと笑う声が聞こえてくる。


「おかしいなぁ。危ないところを助けてやったのに」

「助けた?」

「死人形に取り込まれそうなところを助けてやったじゃないか」

「えっ?」


たくさんの白い手が伸びてきて、あの場から逃げれたのは、星の子の姿を見たからだ。

今も星の子を追ってきてここにたどり着いてしまった。


「…!?え、じゃ…」

「キミが見た幻はオレの仕業」

「! 星の子だって、思ってたのも…?」

「キミにどう見えたかは知らないけど?」

「…星の子じゃなかったの…?幻だったの…?」


不意に生まれてしまった希望が壊れて、見習い天使は顔をくしゃくしゃに歪めて、

今にも泣き出したい気持ちを必死に堪えた。


「あれ?泣いてるの?」


蓋が開けられて月の明かりが注ぐ。

悪魔がそっと覗き込む。


「泣いてないもん!もう!見ないでよ!閉めてよ!」

「さっき出たがってたのに?」


こみあげる笑いを堪えるように悪魔はつぶやき、パタンと蓋を閉じた。



見習い天使が鼻をすする音が途絶えた頃合いをはかって声をかける。


「この状況をどうやってしのぐのかな?」

「…そんなのあなたに関係ない…!だいたいここに押し込んだのはあなたじゃないの!」

「声。」


ぐぐっと不平そうに漏らすうめきに、悪魔はクスっと笑いを浮かべた。


「それは確かだけど、あのままじゃ逃げ切れなかったんじゃない?」

「そ、そんなことないもん」

「いーや、キミじゃ無理だ」

「決めつけないでよ!」

「声。」


ずっと上からな口調に我慢できなくなり、見習い天使は頭で蓋を押し上げた。

すんなりと蓋が開く。


「何でそんな…ひっ」


すぐ目の前を『死人形』が目を光らせて徘徊しているところであった。

まるで光線のように目と口から黄色い光の線が伸びて、地面を照らして歩き回っていた。

見習い天使は引き攣った顔のまま、ゆっくりと沈むようにゴミ箱に戻っていった。


「さあ、どうしようか…?」


愉快そうに話す悪魔の声に、見習い天使はますます途方にくれた。


「ちょっと」

「ん?何?」

「何であなたは『死人形』に見つかんないの?」


ずっとゴミ箱の横に立っているのだ。

探しているのは自分たちだけだろうが、まったく気にしてる様子がないのはおかしい。


「見えないように結界を張ってるからね。よほど大声でも出さなきゃ見つからない。

 もちろん、オレより魔力のあるのが来たら、見破られちゃうだろうけど」

「…それって、他のヒトにもかけれるもの?」

「ああ、もちろんさ。例えばキミにかけることだって出来る」

「ほんとっ!?」


思わず見習い天使は片手で蓋を押し上げて大きな声を上げた。


「声。」

「ぅあ…」


腕組みをして佇んでいる悪魔がニヤリと微笑む。


「タダじゃかけてあげれないよ。悪魔との取引には何かを差し出すのが決まりなんだ」


『叶えてほしいなら、キミは何をくれる?』


ビルの隙間から覗くまんまるな月を背後に、覗き込むように見下ろしている悪魔は魅惑の声音でそう告げた。

闇色の長めの前髪の下の、まるでケモノのような金色の瞳が優しく細まる。

見習い天使は、まばたきを忘れて魅入った。

これも魔力なのだろうか…?

持ってるものすべて差し出したいような気持ちにかられる。


「あ…」


悪魔は微笑みをたたえて、ゆっくりと片手を差し出す。

見習い天使も、それにつられるように手を伸ばしていった。

手を添えようとした、その瞬間であった。


「うっひゃ〜〜〜っ! 坊っ!このしつこいの何とかしてくれ〜〜〜っ!」


小さく黒い影が叫びながらビルの上空を飛び回っていた。

その後ろを例の羽のついた『死人形』が追っていた。


「ったく、あのドジ。いいとこで」


悪魔は早口で何かを告げると、両手で四角を作り出した。

それに息を吹きかけると、半透明な四角の立方体が出来上がり、悪魔の顔の前でクルクルと回った。


『ジイを回収』


右手の人差し指と中指で、その立方体を上空へと押し上げる。

途中からそれはまるで生き物のように飛んでゆき、小さな黒い影を追いかけ飲み込んだ。

そして飛んでた姿勢のまま包まれ、悪魔のもとに降りてきた。

悪魔は、呆れた顔でそれを見つめると、長く鋭利に伸びている爪でスッと線を引いた。

それはまるでシャボン玉のようにはじけて、中に取り込まれていた黒いものが羽ばたきはじめた。


「ドジ」

「ドジとは何じゃ!お前がさっきワシをすぐに回収しないからじゃろっ!」


しわがれた声や口調とは裏腹に、かわいい顔をしたコウモリであった。


「そのくらい自分でしろよ。なに悪目立ちしてるわけ?」

「うむむむ〜。お目付けのワシを邪険にしたら、お前の点数減点じゃぞ!」

「はいはい。ど〜もすみませんでしたね〜…」

「むっ!なんだ、その面倒くさそうな物言いは!」

「や、実際そうだし…」

「何だと!?」

「小言は戻ってからだっていいと思うけど?ジイのせいで、せっかくの契約が頓挫しそうなんだけど…」

「!? あ…、まだ、終わってなかったの…?」


そして悪魔とコウモリが、ゴミ箱から片手を伸ばした状態で固まってる見習い天使を振り返った。

二人の目線に、見習い天使はあわてて手を引っ込める。


「…ジイ…」

「す、すまんっ」


先ほどまでの勢いを失くして、コウモリはしょんぼりと小さな頭をうな垂れた。



「それで、どうするの?」

「えっ?」


『死人形』が徘徊して歩くのを、蓋を少しだけ開けてこっそりと覗いていた見習い天使は、

悪魔にそう声をかけられてビクリと体を揺らした。


「何か打開策は見つかったのかな?ま、そうは見えないけど」

「一気に空に飛び上がっても、ワシみたいに追っかけられるじょ。あの翼の生えたのはちょいと毛色が違うわい」

「あ、ああ、あの」

「何?」


キラリと金色の瞳が光る。

見習い天使は顔を向けたものの目を合わせないように目線をずらす。


「あれ?何でオレを見てくんないわけ?」

「だ、だって、何か魔力をつかうでしょ?」

「そりゃ〜、隙あらば使いたいけど? でも、もう、さっき使ってるし、今さらね。オレと契約したくなった?」


魔力を使わないことに安堵して、ようやく見習い天使は悪魔を見つめた。


「ううん、どうして『死人形』に翼が生えてるのかなって?白い翼を持つのは天使だけだよね」

「一度天使になった魂を手に入れたからだろ。色々と自分の道具の開発がお好きらしいぜ、死神は」

「ワシ的には、もっとおしゃれな見た目にしたらいいと思うんじゃが」

「確かに、間の抜けた容姿だな…」


ノッテ、ノッテと徘徊する『死人形』を三人は見つめた。

まぬけな姿に気を許してしまいそうになるが、やはり死神の道具だけあって、それ自体が仕掛けになっているのだ。

油断したところを捕らえられてしまう。

先ほど伸びてきた複数の白い手を思い出し、見習い天使はブルっと震えた。


「あのね、契約って何が必要なの?」

「キミが持っているものであれば何でもいいけど?」


見習い天使は、持ってるものを考えた。

身につけている服以外に何も持ち物などない。


「えっと、服をあげちゃったら、私、困るんだけど…」


本当に困っている見習い天使の顔に、悪魔とコウモリは思わず笑みを漏らした。


「目でも髪でもいいし、天使の輪でもいい。困るだろうから勧めないけど羽でもいいけど?」

「たぶん、駄目じゃ言うだろうけど、そのちびっこでもいいんじゃぞ」

「だっ、駄目です!」

「あ、う〜」


見習い天使は、思わず一緒に顔を出していた小さな天使を隠すように抱きしめた。


「とらないって。まったく信用がないなぁ」

「ってか坊、いきなり信用しろって無茶な話ぞな」


悪魔とコウモリのやり取りを聞きながら、見習い天使は途方に暮れた。


しつこいくらいに『死人形』は辺りを徘徊している。

上空の月を時折翼の生えた『死人形』がかすめていく。

近づけば、いくら気をつけていても、あの手に囚われてしまうかもしれない。


(…どうしたらいいんだろう…)


見上げる夜空に懸かる黄色い月を、見習い天使は仰いだ。

ビルの隙間から、まあるい月が見下ろしているようだ。

まるで、心配しているように覗いているみたいだ。

月明かりに、上官の天使さまの顔が浮かんできた。

自分よりも少し濃い色の金髪。

その月明かりのように、いつも威厳にあふれて、とまどう自分に行くべき道を示してくれた。


『…お前が思う通りに…迷う時も思うままに決めなさい…』


天使の館から、出発のときにかけてくれた言葉が頭をよぎる。


(…思うままに…)


もう何もかも自分で決めなくてはいけない。

頼りにしていた星の子はもういない。

この小さな天使を守れるのは自分だけなのだ。


見習い天使は抱えている小さな天使を見つめた。

蓋の間から入り込む月明かりに、水色の瞳が宝石のように煌めいていた。

同じ瞳の母親の悲しみ。

そして星の子が身を挺して守ってくれた小さな天使。


(…思うままに…)


非力な自分に出来ること。

見習い天使は目を伏せて考え込んだ。

そして…、


「契約をしてください」


見習い天使は気持ちを決めて、悪魔を見上げて言った。

ゆらぎない決心を秘めた見習い天使の眼差しに、悪魔は唇の端をなめて、そして笑みを浮かべた。


「では希望の通りに。キミは何を差し出してくれるのかな?」


見習い天使は手を頭へとやった。

淡くカールしている金髪の上に輝いている輪をそっと触った。


「この天使の輪を」

「了解」


バサ…。

今まで隠されていた黒い羽が、悪魔の背に大きく広がった。



「では、契約を行おう」

「ここで?」


見習い天使は眉をひそめて周りを見やった。

建物の裏口が密集している場所であるため、路地よりスペースはいくぶんがあった。

だが、ようやっと入ってきた『死人形』が二体も徘徊していて実に危ない。


「大丈夫。結界を広げるから問題はない」

「はやくこっちに出て来るんじゃ」


パタパタと羽音をたてて飛ぶコウモリに手招きされて、見習い天使は蓋を持ち上げた。


「ね、ちょっと出るの手伝って」


片手に小さな天使を抱えて出るのは難しいのだ。


「はいはい」


悪魔は蓋を押さえ、そして見習い天使に手を差し出した。


「さ、オデコちゃん、どうぞ」

「え…?」


見習い天使はギョッとした顔を悪魔へと向けた。


「あれ?そう呼ばれていたよな?」


確かにそう呼ばれていた。

ほんの少し前まで。

名前をもたぬ自分を、そう呼んでいたのはたったひとりだけ。

星の子だけが、そう呼んでいた。


『オデコちゃん』


そう呼ぶ星の子の面影が、見習い天使の心に浮かぶ。

どこかもの悲しい眼差しが…。

可愛らしい見てくれとは違う、少年の声だった理由が…。


もう二度と自分はそう呼ばれることはない、そう思っていたのに。


「…その名前で呼ばないで…っ」


ずっと堪えていた涙があふれて、頬を滑るように落ちていった。


「…悪かった」


肩を揺らして涙を落としていると、不意に体が宙に浮かんで、見習い天使はゴミ箱の上に持ち上がっていた。

悪魔が魔力で持ち上げていたのだ。

ふわりと体は悪魔のもとへと引き寄せられるように飛んでいく。

翼になぜか力が入らない。

体が浮いたまま、悪魔と同じ目線の高さで向かい合った。

下から仰いで見ると恐ろしかった顔が、面と向き合うと何だか可愛らしい少年の顔にしか見えなくなった。

悪魔は片腕を伸ばしてきて、見習い天使の目元に浮かんだままの涙の雫を指で払う。


「キミにぴったりな呼び名だと思ったんだけどな」

「え…?」


ニッと悪魔は笑みを浮かべ、少し上がった唇からちょっと長めの犬歯がのぞいた。


「この広いオデコが」

「痛っ」


ビシリと額を手の平で叩かれて、思わず見習い天使は声を上げた。

その拍子に、ストンと地面に足がつく。


「よし、デコ。契約の儀式をはじめるとしよう」

「ちょっと、デコって私のこと?」

「他に誰がいる?その小さいのはチビだろ?」

「ええっ?」

「ものの真髄を得た呼び方じゃが、相変わらずセンスないのぅ、坊は…」

「ジイもな」


パタパタと羽音を立てて、宙に浮かんでいるコウモリに悪魔は呆れたように言う。


「ジイジイ言うけどな、ワシはじいさんじゃないじょ!」

「その口調がジジイだから、だからジイ」

「なっ!?口調が、ジジイ…。だから、ジイ?」


当人にはかなりのショックだったらしく、弱々しくゴミ箱の上に降りると斜めに傾いてしまった。


「さ、はじめようか」

「いいの?放っておいても…」

「いつものことだからいいんだ。のんびりしてる時間はない」

「う、うん。…えっと、ここでするの?」

「そう、ここで」


ゴミ箱から出たものの、周りにはうろうろと歩き続けている『死人形』がいる。


「大丈夫」


悪魔は右手をまっすぐに伸ばし、人差し指と中指を伸ばして四方へ振る。

今まで見えなかった結界が半透明の枠となって自分たちを囲んでいるのが見てとれた。

ジリジリと結界は膨らむ。

けれど『死人形』には見えてないらしく、気づかずに徘徊を続けていた。


ゆるやかな風がおこり、『死人形』を見ていた見習い天使は悪魔へと目を戻した。

悪魔は目を伏せ、何か早口でブツブツと聞き取れない言葉を繋いでいた。


そして足元から赤い炎が噴き出した。

その炎は模様を描き、円となって広がっていく。

纏わりつくように、その炎は見習い天使の足元にも伸びてきた。


「!」

「大丈夫、その炎は熱くないから」


悪魔が言うように、炎は低く揺らめいてるだけで、なんの熱さも感じなかった。


「汝、見習い天使よ。この悪魔と契約となる」


悪魔は逆さに十字を切り、まばたきもしないで見習い天使を見つめた。

獣のような鋭さを秘めた眼差しで。

見習い天使は内側がジリジリ炙られているような、そんな変化を感じながら、悪魔と向き合い続けた。



「怖い?」


ふと口端を上げて悪魔がささやきかける。


「こ、怖いよ」


見習い天使のうわずった声音に、悪魔は目を細めて笑いを漏らす。

赤い炎が起こすゆるい風に、悪魔の闇色の髪がたなびく。


「何で笑うのよ。怖いの当たり前じゃない」

「いや、だって、普通もっと強がってみせない?」

「怖いものは怖いもん」

「…やめたっていいんだけど…?」

「決めたから」


見習い天使の迷いない即答に、悪魔は目を見開き、そしてすぐに目を細めた。


「…OK。デコ、キミの叶えてほしいことは?」

「このおちびちゃんを無事に天使の館に連れて行きたいの」

「…だから、おちびちゃんを守って」

「自分のことはいいのか?」

「うん。死神が現れたのは私の失敗なんだもん。このコさえ無事なら…」


星の子の最期の願いを叶えるためにも。

後悔なんてしない。

天使の輪を失って、たとえ天使じゃなくなっても、それでも星の子との約束を守りたい…。


「願いを…叶えて…」


見習い天使は頭を垂れた。

悪魔は一歩二歩とゆっくり間を詰めてくる。


「…少し痛いかもしれない」


尖った爪先で、見習い天使の頭上に輝く天使の輪の繋がりを切り取った。

音もなく、いとも簡単に天使の輪は悪魔の手の中に堕ちた。

普段目にすることもない天使の輪が、淡い輝きを放って目の前にあるというのは変な感じであった。

見習い天使は、恐々と自分の頭へと手を伸ばした。

いつも少し触れるやわらかで温かい輪の感触は、間違いなくなくなっていた。


「変な感じ…。ね?天使の輪、あなたいったいどうする気なの?」


じっと手元の天使の輪を見つめている悪魔に、見習い天使は訊ねた。

何か考え込んでいる顔を、悪魔は上げて見習い天使へと目を向ける。


「別にすぐ使うってわけじゃないさ。とりあえずしまっておこうか」


そう言って、悪魔は手を合わせた。

薄くもない天使の輪は、まるで手の平に溶け込んでいったみたいに消えていった。


「あっ!?」

「大丈夫、しまっただけ。ほら」


ひょい、と悪魔が合わせた手の平を離すと、その間に天使の輪が顔をのぞかせた。


「え?すごい!便利だね」

「すごくもない」


悪魔はつれない様子でパチンと手を合わせ、そして手を離したが、もう天使の輪の姿はどこにもなくなった。

不意に悪魔は、見習い天使が頭を触っている手を掴んだ。

その手を掴んだまま、ゆっくりと下におろしていく。


「…デコ…」


呼ばれて、見習い天使は自分より高いところにある悪魔の顔を見上げた。


「キミの願いを叶えてやろう。契約の印を」


悪魔は身を屈めてきて、長い睫毛の覆う金色の瞳がどんどん近づいてきた。

まばたきする猶予も与えずに、見習い天使の唇を己の唇で塞いだ。




「むっぐ…!」


見習い天使は悪魔を押しやろうと必死に片手で押す。

小さな天使を抱えているため両手が使えないのだ。

けれど、両肩をしっかり掴まれていてちっともびくともしない。

そうされている間に、足元の炎の模様は音もなく燃え尽きるようにして消えていった。


もがいている様子が面白いのか、悪魔の重ねている唇が笑むように少し動いて、それから離れていった。


「なっ、なにすんのよ!」

「ああ、契約の印をつけただけだって」


クスクスと楽しそうな顔で悪魔は答える。


「別に口じゃなくってもいいんじゃけどな」


結界の中でパタパタと羽ばたいて、コウモリは呆れた声でつぶやいた。


「えっ!?」

「ま、いいじゃないか、へるもんじゃないんだし」


何となく解せない顔つきで、見習い天使は悪魔を睨んだ。

睨まれて、悪魔はかえって目を細めて、口元にチラリととがった歯を見せて微笑んだ。


「さて、契約の儀式を終えたことだし、そろそろ移動しようか」

「移動?」

「天使の館に向かいたいんだろう?」

「あ、うん、そうなんだけど…」

「…だけど…?」

「だけどって、何かあるんか?」


二人の視線に、見習い天使は目を泳がせた。

星の子の反応もあって、至極言いにくい気がする。


「もしや…、アンタ、天使の館が何処かわからないんじゃ…?」

「バーカ、ジイ。いくらなんでも、そんなはず…」


見習い天使は、えへへと力なく笑い声を上げた。


「笑ってる場合かっ!」

「はうっ!!」


悪魔に脳天チョップをくらわされ、見習い天使は天使の輪のなくなった頭を片手で癒すようにさすった。


「痛いよう〜。もう、何で叩くの〜?」


見習い天使が頭をさすっている間に、コウモリは羽音を立てずに、悪魔の肩に止まり耳打ちした。


「坊、この後、どうするんじゃ? 計画通り、天使の輪は手に入ったし、撒くんなら簡単そうじゃよ」

「……」

「坊、聞こえてるじゃろ?どうするんじゃ?」

「…まだ、夜明けまで時間はある。もう少し付き合ってやってもいいんじゃないか?」

「坊…!もらうものもらったら、トンズラするって話しじゃろ? もう少ししたら必ず死神はやってくるはずじゃ」

「だから何?」

「冥府のものとのいざこざは、アンタにはマイナス要素になるじゃろ。アンタの魔力じゃ到底…」


悪魔の底光りする眼差しが自分を見据えていることに気づいて、コウモリは思わず息を飲んで黙った。


「オレの魔力は死神より劣るっていいたいわけ…?」

「い、いや、今、やっかい事を起こしたら、アンタの出世にケチがつくじょ、ワシはそれが心配なんじゃ」

「…ふうん。何か、言いかけたことと、ずいぶん内容が違う気がするんだけど…」

「と、とにかく、あの死神が若造だからって、力試しなんて気をおこすんじゃないじょ。ワシはお目付けなんだから、口は挟むじょ」

「はいはい」


眼差しの冷たさが幾分か和らいだのを見つけて、コウモリはホッと息を吐いた。


「ったく、坊は気まぐれだから困るじょ…」


コウモリがつぶやいた途端、あ〜う〜と、小さな天使の声が上がった。


「ん?どしたのおチビちゃん?」


見習い天使が顔を覗くと、小さな天使は目を大きく開けて空を見つめて、もみじのような手を振っていた。


「え、何?」


皆が空を仰ぐ。

ビルの上から白いものが降りてきた。

四角い体から羽がはみ出している。

そう、それは翼の生えた死人形であった。

近づくにつれて形が変わり、体が何倍にも薄く延びて、見習い天使たちがいる結界を覆うように降りてきた。


「ひゃ!」

「アイツ、結界ごと取り込むつもりじゃ。どうする?坊」


結界の天井に貼りついて、間近に見るその体の中心には死人形の文字が広がったなりにくっきりと現れていた。

伸ばされた体の端には無数の白い手があって、結界をくるもうとうごめく。


「ひっ!何じゃこの気持ちの悪い手は…!?」

「死神の人形には1ダースの魂が使われている。その魂の手ってことだろ」

「1ダース?ずいぶん詰め込んでるのう…。ひ〜ふ〜…でも、22本しかないじょ?」


結界の中を飛んで、コウモリは周りを囲む手を数え、不思議そうに首を傾げて悪魔を振り返った。


「…多分、魂の一体は器として使われているんだろうな」

「死神が…言ってたの。小さな天使の魂は、お人形さんの器に丁度いいって…」

「ふうん。じゃ、この翼の生えたのは、天使の魂を使って作ったヤツなんだな」

「でも、おチビちゃんの羽にしては大きすぎると思わない?」

「大きすぎる?」


見習い天使の話に、悪魔はもう一度死人形を見上げた。

かといって、今ではもう体が変形してしまっていて、羽など見えはしなかった。


「死神が工作したんじゃないじゃろか?」

「工作?」

「本質をもとに形を変える。ま、どんな技を作ったか知らないけど…」


ミシリ…。

結界にかぶさり、隅々まで伸びた死人形の体のせいで、加えられた圧力に中の空間が軋んだ。


「坊…!このままじゃと結界が壊れる!」


皆の不安な顔つきに、悪魔は唇を歪ませて笑った。


「…こんな操り人形など、消し去ってくれる…!」


鋭利に尖った爪の並ぶ右の手を悪魔は掲げる。


「結界ごと吹き飛べ」

「待って!!」


見習い天使は羽ばたいて、悪魔が見上げる死人形の間に飛び込んだ。




「邪魔だ。そこをどけろ」


ギラリと光る眼が見習い天使を睨みつける。

思わずその迫力に喉を鳴らす。

けれど見習い天使は恐れながらも首を横に振った。

そうしている間にもかぶさった死人形によって、結界は軋み続けていた。

空気が揺れる。

そして悪魔と向き合っている見習い天使の背後からは、死人形が放つ冷気がじんわりと沁みこんでくるように伝わってきた。


天使の翼を持った死人形。

その中には、天使だった魂が取り込まれている。


「…君には、その死人形は救えない」

「でも…!」

「腕の中の天使でさえ、連れて戻れるかも不明な君に何ができる」

「うぐ…」


痛いところをつかれて、見習い天使は唇を噛んだ。

ひとりで何もできないあまりに、この悪魔に手助けを乞うたのだ。


「中に天使が入っておったからといって、そのものは今や死神の道具にすぎないじょ」

「わかったら、さっさとどけろ」

「あう!」


小さな天使の一声に、見習い天使はその瞳が見つめる先、自分の後ろを振り返った。

四角く開いている死人形の口の中に、白い手が見えた。

自分と同じ位の大きさの手が。


『…た…す…けて…』


かすかな声が耳に届いた。


「誰?」


死神が手に入れたという小さな天使の声?

声は小さい天使のものには思えず、けれど大人のものとも思えない。


「何を言ってるんじゃ? 声なんて聞こえんかったじょ?」


手は出すことができないのか、四角い空間の中で懸命に指先を揺らしている。

見習い天使は、その手を掴もうと手を伸ばした。

いっそう冷気を強く感じる。

あと少し…。

そう思った瞬間だった。


暗くなっていた死人形の小さな丸い眼が発光した。

覆いつくしていた白い体がぐっと縮まった。

と同時に、見習い天使は襟首を掴まれ、悪魔に抱え込まれた。

そして目の前に伸びた悪魔の右手が白い光を放った。


「吹き飛べ」


結界は破裂したように持ち上がり、被さっていた死人形の体を向かいの建物にぶつけて消失した。

建物を覆うレンガが崩れ落ち、土ぼこりが上がった。


「なっ!?」


辺りを徘徊していた死人形がいっせいに振り返る。

悪魔は至極冷静な顔で口元を上げて皮肉めいた笑いを浮かべると、指を鳴らした。

薄いベールのような結界が、今度は個別の小さなものが降りてきて、周りを覆った。

違和感を覚えた死人形たちであったが、結局見つけることはできず、また歩き始めた。


「じゃ、行こうか」

「え?あ、あああの、羽の生えた死人形は?」


破壊された壁と、悪魔のひょうひょうとした顔を交互に見やって見習い天使は言う。


「放っとけ。ダメージを与えただけだ」

「でも」

「ばかか!!」

「ひいいっ」


頭のてっぺんの髪の毛をぐいっと持ち上げられ、見習い天使は悲鳴を上げた。


「他人の心配より、自分の心配をしろよ!」

「いた、いた、痛いです。あ〜う、髪の毛とれちゃう〜〜」

「とれたら、この契約の不足分としてもらってやる」

「ふえええ〜〜、とれちゃやだ〜。ただでさえ前髪薄いのに〜〜〜」

「さっさと、天使の国への道を見つけろ」

「は、はい。み、見つけます。だ、だから早く離して」


呆れきったため息とともに、見習い天使は離してもらえた。

思わず頭を垂れる。

髪の毛の根っこがジンジンと痛む。

見習い天使は涙目になって、悪魔を見上げた。


「ほら、行くぞ」


すっかり怒らせてしまったようだ。

はじめてあったあの瞬間の優しそうな態度は片鱗も今は見当たらない。

どこか禿げ上がったのではないかと、見習い天使は気が気でなかったが、冷たい悪魔の目線の中、頭を撫でることもできず、薄暗い路地を後にしたのであった。



路地裏から出て、見習い天使を先頭に歩道を行く。

街は寝静まり、街灯のオレンジ色の明かりが平坦で少し湾曲した通りを薄暗いながらも照らし出していた。

人気のないその道を、やはり死人形たちが徘徊していた。


見えていない。

そう思っていても警戒してしまう。

さっきも結界の中にいたというのに、空を飛ぶ死人形はそこにいることに気がついたのだ。

知らず大声をあげてしまったのだろうか?

見習い天使はあちこち不安そうに見やって歩いていた。


「こっちでいいんだな?」


黒い翼をしまって、一見普通に人間に見える悪魔が斜め後ろについてきていた。

闇色の髪の毛から角が出ている以上、普通とはいえないけれど。

そしてパタパタと羽音を立ててコウモリもついてくる。

奇妙な一団であった。


「うん。星の子はこの街を越えていこうとしてたんだと思うの…。まずはこの街から離れて、明るくないところから目印を探さないと」

「目印ってなんじゃ?」

「青く光る星のところに、天使の館に戻る雲のトンネルがあるんだって」

「しっかし、来るときどうやって来たんじゃ?来た道を戻るだけじゃろ?」

「移動しているんだって、星の子が言ってた」

「ふ〜ん…」


悪魔が考え込むようにつぶやいた時だった。

ちょうど通りがかったパブと書かれた看板のしたの扉が大きな音を立てて開き、見習い天使は驚いて後ろに仰け反った。

中から放り出されるように、中年の男性が転がり出てきて、レンガ敷きの歩道に横たわった。

その人間はすぐに起き上がり、店の中に聞こえるように暴言を吐いた。


「…これが酔っ払いというんじゃ」


呆れるようにコウモリは見習い天使にささやく。

かなりの酒を飲んでいるようで、ろれつの回らない口調で大声で叫び、閉められた扉が開かないことに、チッと舌を鳴らすとよろめく体で一団に向かって歩いてきた。

見習い天使はあわてて道を譲った。

天使も悪魔も見えていない人間は、目線の合わない顔つきで、間をくぐっていった。


「本当に見えてないんだね…」


不思議な感じであった。

その人間の後ろ姿を見送っていたところ、路地からぬっと出てきた死人形とその人間がぶつかるのを見た。


「あっ!」


まるで実態のないもののように、死人形の体を人間は通り過ぎていった。

死人形の方も、まるで気にとめていない様子で、そのまま通りを横切っていく。


「あ!」


人間は数歩進んで、崩れるように膝をついた。


「あの人、大丈夫!?」

「生体エネルギーを少し吸い取られたんだろう。すぐ元に戻る」


悪魔が話した通りに、見ているうちに、人間は立ち上がり、またヨロヨロした足どりで通りを去っていった。


「動いている以上、ハラが減るってことじゃな」


コウモリはそう言って、見習い天使の頭の上にのった。


「や〜だ。何で頭にのるの〜?」

「ふん。飛んでるとハラが減るからじゃ」

「私じゃなくって、お仲間のとこにとまってよ」


見習い天使は片手でコウモリを払い、宙に浮くコウモリに向かって言った。


「や。ジイは仲間じゃないし」

「ひどっ!」

「ジジイ扱いするくせに、冷たいんじゃよ」

「文句言ってないで、さっさといけ、デコジイ」

「やっ!?一緒にした!!」

「うわ!センス最低じゃ」


まるで隠れるように、またコウモリは見習い天使の頭にのっかり、ふわふわしている金髪をかきあげた。


「やっ!?何するの!?」

「消されないために、隠れてるんじゃ」

「全然隠れてないし。その髪ごと消してしまおうか?」


悪魔は冷酷な眼差しを向けていて、パチンと尖った指先を鳴らした。


「やっ!?髪の毛消されるのはいやあああ」


見習い天使は禿げになった自分を想像し、真っ青になって、コウモリをのっけたままレンガ敷きの通りをひた走った。


「おや、結構足が速いんだな」


悪魔は口端に長い犬歯をチラっと覗かせると、軽快な大股で後を追っていった。



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