表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/92

第九十二話 転戦

「斬れるのか!?」


 宗泰の問いには答えず、平八はただ驚きの声を上げる。

 部下たちは液状の負気溜りを斬り別ける事が出来なかった。

 自分にも出来ないと……、事実出来そうも無いのだが、朱鷺以外の誰にも出来ないと思い込んでいた。


 ならば、宗泰にこちらを任せておけば……。


 宗泰と兼次は、泥性鬼を倒す事が出来ずに引いて来ている、これは仕方が無いのだろう。

 最初からそちらを諦めて、宗泰に負気溜りを任せていれば、今の、この状況は無かったはずだ。


 そんな、考えても意味の無い事が頭を支配した。

 だが既に、状況はそれどころでは無い。


 朱鷺は「自分が四人要る」と言った。それは掛け値無しに、事実だったのかも知れない。

 そして、甲種が数人集まった所で、朱鷺の一人分を(まかな)う事も出来ない。必要なのは、単純な強さでは無く、才能やコツを掴む能力なのだろう。


「朱鷺は居ない。火性鬼の核と共にどこかへ消えた」


 平八が改めて応える内に、兼次も土塁の内へ転がり込んできた。

 二人も朱鷺を当てにしていたらしい。

 確かに、こちらを山津組が押さえて、朱鷺と宗泰が泥性鬼に当たれば倒す事も出来たのだろう。だが、それでは結局負気溜りを押さえられないし、そもそも火性鬼の核を切り取る事も出来ず、敗走していた可能性がある。


「くっ!」


 呻きながら、宗泰は更に負気溜りに斬り掛かった。

 同時に平八たちは前方の蛇頭に攻撃を加え始める。


 だが、もう保たない。


 平八の判断では、蛇頭を殲滅出来る程の力は自分たちに無く、一旦仕切り直して、回復を図らなければ戦線を維持出来ない。そして、背後の負気溜りは、宗泰に斬る事が出来たとしても、間もなくこの場を呑み込んでしまう。

 ここを放棄し、撤退するしかない。

 だがしかし、それをすれば、蛇頭どもが負気溜りを取り込み、手が付けられなく成る可能性が高い。


 だがしかし。

 だがしかし。

 自分たちが全滅すれば、民を守れる者は他に居ない。


「天衝石柱陣っ!!」


 土性の隠密が拳を突き立て大地に神気を注ぎ込む。

 一瞬の間を置き、隠密たちを囲む様に石柱が衝き上がった。


 ドドドドドドッ!!


 波紋が広がる様に、同心円状に次々と石柱が上がり、蛇頭と負気溜りを衝き飛ばしていく。

 単純に質量のある攻撃ならば、倒す事が出来なくても、一時的に押し退ける事は出来る。


「今だっ! 引くぞっ!」


 自らの迷いを断ち切る様に、平八が叫ぶ。


 衝き上がった石柱は、手前から崩れていく。

 それを踏み越える様に、平八は広場の真ん中へ飛び出した。

 走り抜けながら、周囲を確認する。


 宗泰が斬り付け、兼次の流星雨を受けた蛇頭は形を歪め、大きな炎の揺らめきに変わっている。

 斬り飛ばされた首は吹き消える様に散って負気へと戻り、袈裟斬りにされた物は一時的に二つに分かれ、今、絡みつく様に戻ろうとしている。

 それなりの痛手は負わせた様だが、やはり倒しきれていない。

 泥性鬼は向かってきてはいるが、まだ僅かに距離がある。


 ふと、町の入り口を塞いだ土壁の上に、隠密が二人膝を突いているのが見えた。

 片方が手を挙げて合図を送ってくる。

 特に打ち合わせがあった訳では無いが、平八はそれを、「用意が出来たので、こちらへ下がってください」との意味に取った。


 チラリと後ろを振り返り、右へと進路を変える。

 全員、付いてきている。そして、鬼の追撃は無い。

 一気に跳び上がり、土壁の天辺に手を着いた。

 その時、先ほどまで居た場所に新たな火の手が上がる。

 三匹の蛇頭が負気溜りに両手を突いているのが見て取れた。




 キィィィン、キィイインっと、薄い金属片を打ち鳴らした様な透き通った音が、谷に響き渡った。

 静かな様な、逆に非常に煩い様なそれが、耳の奥でイィィンっと鳴り続ける。


「何だ、この音は……」


 武器を構え直した隠密たちが、突然の神気に思わず顔を東へ向ける。


 眩しい朝の光が、谷間の向こうから差し込んできていた。

 否。光源は二つある。

 既に丸い形を露わにした日輪の手前に、煌々たる光を放つ何かがあった。

 それは、光を放つと言うよりも、光の柱その物だった。


 隠密たちは皆、朝の光の神を祀った八咫鏡と、それを利用した人体術札を思い出す。

 今、旭日を迎え、それを御杖代に変えたのだと、誰もが理解した。


 だが、この”鳴り”は一体何なのだ?


 絶えず鳴り響くこれは、光の柱が放っているのでは無く、空間その物が鳴っている様に感じられた。

 それがどのような作用による物か、皆目見当が付かない。

 それでも……。


「御杖代だっ!」


 誰かの上げた声には、歓喜が含まれていた。


 御杖代の戦闘能力は先ほど見せつけられた。その上で、このもう一体の御杖代は、更なる力を感じさる神気を放っている。

 これで勝ったと、誰もが確信を持つほどに。


 ゆっくりと、光の御杖代がこちらに近付いてくる。

 火の御杖代を抱えた者は、それを横目で見ながら、斜面の上に避難していた。

 他の隠密たちは、合わせる様に少しずつ下がり、鬼を包囲する円を広げる。


 放たれる光は直視出来ないほど眩しい。

 それぞれが片手で目を守りつつ、光の中心があると思しき場所を探る。

 距離を取り、間合いを外した隠密たちと入れ替わりに、それが鬼の前に立った。

 鬼は見えているのか、いないのか、少なくとも顔は御杖代に向けている。


 音も無く、光の槍……としか形容出来ない何かが鬼の背に突き立った。


「おおっ」


 誰かが声を上げる。

 それは感嘆の意か、驚愕の意か。

 指の間から透かし見た御杖代は、右手を高々と掲げ振り下ろす。

 何かが放たれた様には見えなかったが、鬼の背にはいつの間にか更に三本の槍が刺さって、消えた。


 この時になって、何人かの隠密は御杖代の後ろに誰かがいる事に気付く。

 そして、中空に浮かぶ八咫鏡。


 鳴っているのは、あれか?


 音は周辺で発せられている様にも感じるが、あの八咫鏡が鳴動しているようにも思えた。


 確か、神祇官たちは鏡に朝日の神霊を降ろし、そこから御杖代に神気を注ぎ込むと言っていた。

 降ろし続けて、注ぎ込み続ける、だったか?

 火の御杖代はそうでは無かった様に思えたが、今回は成功したようだ。

 ならば、この力が自在に使えるならば、全ての負気を清める事も不可能では無い。

 日の光の神気は、無限のはずだ。


 皆が見つめる前で、あれほど恐ろしかった鬼が、ボロボロと形を崩し始めた。

 既に場に負気は感じられない。

 解ける鬼から発せられる負気も、その場で光に清められ、消えていった。



 鬼が完全に消え去ると、それを見届けてから、光はゆっくりと収まっていった。


 更に暫くの間が空き、やっと息をするのを思い出したかの様に一息吐いてから、歓声が上がった。

 生き残った隠密たちは一斉に駆け寄り、御杖代と、その背後に居た仲間の元に集まっていく。


「よくやってくれた。ありがとう」

「もう駄目かと思う事数回、正直ここで果てる物と覚悟していたぞ」


 感謝し、褒め称える者。


「凄まじい神気だった。これがもっと早く使えていれば」


 中には、僅かばかりの悔しさを滲ませる者も居たが、皆の顔には、一様に安堵が広がっていた。


 一頻(ひとしき)り喜び合っている間に、神祇官たちもやってきた。


「神祇官殿! 見事であった!」

「素晴らしい力です」


 改めて賞賛の声が上がる。

 しかし、前に進み出た神祇官は片手を上げ、それを制す。


「お喜びの所申し訳ないが、もう暫く手をお貸しいただけますか」


 その言葉に、しんっと、静まりかえる。

 そう、まだ喜んでいられる状況では無い。


「研究所に残った者たち、それに私どもの家族がどうなったか……、恐らく、山の上に逃げたとは思うのですが」


 振り返って見るその方向に、研究所はある。

 意識してみれば、山全体に不穏な空気が感じられた。

 綺麗に祓い清められたのは、この辺り一帯だけだ。


「解りました」


 隠密も応えて仲間と顔を見合わせる。


 先ず、生き残りの中で一番上位の者を定め、指揮系統を再編しなくてはならない。

 そして現状の再確認。


 強力な鬼、二匹は完全に消滅した、負気の残滓も無い。

 西の谷に蟠っていた負気も、ほぼ消え去っていた。

 残るは研究所とその周辺、そして東へ流れていった分だ。


 同時に死傷者の確認がなされる。

 改めて見れば、被害は甚大だった。

 皆、歯を食いしばり、涙を堪えて遺体を並べた。埋葬までしている(いとま)は無い。


 見事に吹き飛んだ麓の村を見下ろす辺り、研究所の反対側に塹壕を掘り、極簡易な拠点として、ここから研究所の調査をする事に成った。

 同時に生存者の探索が行われる。


 重要なのは負気の発生源、研究所の調査だが、神祇官たちにとっては生存者の行方が気掛かりであった。

 だが、それ言い出せる者は居ない。

 何より、この時点で、東側、つまり街道方面へ流れた負気の追撃は諦めていた。

 光の御杖代を使えば恐らく祓う事が出来るが、それはこちらで使わなければいけない。

 隠密は神気の消耗が激しく、神祇官たちは体力の消耗が激しい。

 単純に、余力が無かった。ここで「自分の家族を」とはとても言い難い。


「先ずは何より、研究所まで進みましょう。その後、中へ入るか、周辺の調査に移るかは其処での判断で」


 新たに隠密の指揮に付いた者は、神祇官たちに向かってそう言った。

 これに、同じく神祇官の代表になった者が応える。


「中の調査が最優先では?」

「行ってみないと判らないが、負気の本体は全て外に出た可能性がある。それと、ここからでも判るほど、山のあちこちに鬼の気配がする」


 そう言われて、神祇官も山を振り仰いだ。

 液状化するほどの濃さは無いが、靄の様な負気が其処彼処に漂っている。寧ろ、それは良い。

 負気が減っている部分には、それを吸収した鬼が居る可能性が高い。


「研究所の人間か、獣鬼か」


 呟く様に、神祇官が言った。

 それに頷き、隠密が言葉を続ける。


「最悪の事態は有り得る。だが、悲観する必要も無い」


 研究所に残った技術官の中には戦える者も多い。なにより、ここには藤枝がいた事を隠密たちは知っている。

 彼女なら、どれほど絶望的な状況であれ、むざむざと女子供を死なせるようなことはしまい。例え、自らが力尽きたとしても。


「そうだな。女官長様ならやはり山頂へ逃がしている可能性が高いだろう」


 見上げながらそう言った、視線の先には大きな鳥が旋回するのが見えた。

 恐らく、獣鬼。鳥の鬼だろう。そう判断して、眉をしかめる。


「急いだ方が良い」


 一同を見回した隠密に、皆、頷き返す。


「場合によっては研究所は封じて、山頂を目指しましょう」




 液状の負気溜りが流れ去った後、研究所の境内に残された負気は、大きく渦を巻きながら一人の女性の遺体に集まっていた。

 倒れた人々の中で、最も強い意志を持っていた者。

 その者の願いが、形を結ぶ。


 一匹の鬼が、ふらりと立ち上がり、取り落とした太刀を拾い上げた。

 背後に獣鬼の咆哮を聞きつけ、ゆっくりと、睨み付ける様に振り返る。

 赤い瞳が、ギラリと輝いた。


 全身に伸し掛かる様な疲労感と、割れる様な頭痛に、牙の生えた歯を噛み締めながら、山へ向かって歩き出す。

 重い足は、半ば引きずる様だった。

 靄の掛かる視界と思考の中、ただ、それだけを考える。


「……鬼を、倒す」




「すまん。しくじった」


 一足先に町の中へ入った平八は、次々と降り立つ隠密たちに、唐突に謝罪の言葉を述べた。

 尤も、殆どの者には、その意味は判らなかったが。


「拙いな」


 一人応えた宗泰も、心の中で思う。


 先ほどから「拙い」としか言って無いな。


 語彙が無いと言う意味では無い。如何に変化しても、ただ只管「拙い」としか言い様の無い状態が続いている。


「鬼が負気溜りに辿り着いた」


 確認する様に言った平八に、宗泰は頷く。


「ああ。だが、少しは増しかもしれん」

「なに?」


 疑問を返した平八に、先ほど、土壁を越える際に見た景色を伝える。


「坂の上、液状の負気溜りが途切れているのが見えた。恐らくは、だが、負気はあれで全てだ」


 その言葉に、流石に苦笑を返す。


「それは、朗報か?」

「俺と朱鷺の二人だった時は、先が見えなかった」


 そう言われれば、言葉が続かない。

 状況は判るが、どれほど絶望的か想像が付かなかった。


「先ずはお下がりください」


 山津付きの隠密が声を掛ける。


「あちらに」


 そう指し示された先には、早くも土壁が立てられていた。


「良いのか?」


 平八が疑問に思ったのは、其処まで下がるという事は、其処までは見捨てるという意味だからだ。

 必然的に、撤退を繰り返す度に、放棄する範囲は増えていく。

 彼からすれば、下がる距離は少ない方が良い。いっそ、ここで待ち構えるつもりで居たくらいだ。


「兵士たちの撤収も済んでいます。この距離で時間を稼ぎつつ敵戦力の漸減を計りますので、皆様は回復を」

「解った。だが、無理はするな。戦おうとはするなよ」

「はい」


 乙種隠密は、普通の上級鬼にも勝てない。単純に降神状態の神気が少ないからだ。

 上級鬼の中でも力の弱い物はいるので、状況や相性、用意した術札や武具により、倒す事が可能な場合もあるが、今回は間違い無くそれに当てはまらない。


 自分たちが回復する余地さえあれば、それで良い。


 そう思いながら、二つ目の土壁を越える。

 やや前方に郷軍の一隊が、そして左にある橋の向こうにも一隊が構えていた。


 ここが、最終防衛線か。


 自分たちが敗走すれば、町と兵士に直接被害が出る。その最終線がここ。

 正直に言えば、もう少し余地が欲しい。


「平八様」


 飛び降りると直ぐに、山津の隠密が声を掛けつつ術札を放った。

 術札は前もって祈祷を行い霊力を込めて使う。その応用である程度は神気を溜めておく事も出来る。

 ただし、飽く迄も”ある程度”でしかない。


 平八に続いた隠密たちにも、次々と神気回復の札が使われる。


「特に宗泰に使ってやってくれ。消耗が激しい」


 そう言いながら、一つの疑問に思い至った。


「朱鷺は……、朱鷺には回復の術札は使ったか?」


 彼女は直ぐに土壁の中から飛び出してきた。

 結果として、そうで無ければ間に合わなかったからだとは解るが、回復を受けてから来た様には見えなかった。


「いえ、天音さんを預けて、刀を受け取られると直ぐに出られました」


 そう応えた山吹に、小鞠が聞き返した。


「母さん?」


 その声にビクリとして、小鞠と、そして宗泰を見た山吹は、思わず口元を隠す。

 しまったと、言わんばかりだ。


「母さんは? 母さんが、どうしたんです!?」


 つい、詰め寄ろうとした小鞠を、他ならぬ宗泰が肩を掴んで止める。


「落ち着け」


 そう言った、自分もまた困惑の表情を浮かべている。


 天音は、この場に居なかったはずだ。


 少なくとも、宗泰が広場で戦っていた時には、居なかった。

 その後、参戦した?

 だが、乙種が戦える場では無い。朱鷺ならば、追い返したはずだ。

 もし、追い返す余裕の無い時に割って入ったなら……。


 宗泰は、ゴクリと、唾を一つの見込んだ。


「後にしよう。今は、やるべき事がある」

「でも……」


 言い掛けた小鞠に、宗泰は背を向けた。

 再び山吹の顔を見るが、露骨に目を伏せている。


 嫌な予感しかしない。


 言い知れぬ不安に唇を噛み締めた時、ズズンッと、地響きがした。

 前方の土壁が壊されたのだろう。


「回復を終えた者。出るぞ」


 そう言って地を蹴った平八に、小鞠も即座に続いた。


 さっさと、片付ける。


 そう、強い思いを込めて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ