第九話 潜入
林の中に突然、ボコリと土が盛り上がり、直径六、七尺ほどの土饅頭ができあがった。
その真ん中辺りから、ニョキッと竹の子のような物が生える。それに続き、すぐ横から今度は丸い物がボコっと現れた。
先の竹の子のような物は腕であり、後の丸い物は頭。
土饅頭を崩しながら這い出たそれは、遮光器土偶と呼ばれる物だった。ただし、人間ほどの背丈がある。
右手と両足は人の物もより短く、関節が無いかの如くピコピコと動く、しかし、左手だけは非常に長く、立ち上がってもまだ手先の部分は土の中にある程で、腕というより、綱のようにも見える。
土偶はその腕を、それこそ綱でも引くように、体重をかけて引っ張った。
ズッと、重い物が引きずられるようにして、土偶が出てきた穴から、同じく人の背丈ほどもある楕円形の土の塊が姿を現す。
さらに一歩下がって強く引くと、ごろりと土塊が転がり出た。
土偶は慌ててそれを右手で支えると、似つかわしくない可愛い声で、
「あっ熱っ」
と叫んだ。
とりあえず転がることを防いだ土偶は、「熱かった」という意思表示のように右手を振る。
そして改めて引き出した土の塊に手を伸ばすと、文字通り、手が伸びた。
先ほどまで長すぎた左腕は、逆に少し縮み、両腕とも同じ長さに整う。
それを土の塊に向けると、指などまったく付いてないように思えるのに、どうやってかそれを掴んで、頭の上に抱え上げた。
そしてさらに脚がにゅうっと伸びる。
全長十尺を超えた土偶は、軽く屈伸をすると、弾むような足取りで、林の中を駆け出した。
脚のバネを利用した異様な速度で、しかし木にぶつかること無く、器用に避ける。
やがて、土偶の前に赤い壁の建物が見えてきた。
一見すると平屋建てにも見えるそれは、赤壁亭の三階部分、客室である。
それを右に大きく迂回し、斜面を滑るように下りると、両開きの簡素な造りの木戸があった。
「阿刀っ、阿子っ、開けなさいっ」
土偶の声に応え、即座に戸が開く。
そこから露天風呂の浴場に駆け込んだ土偶は、両手で担ぎ上げてた土の塊を、振り下ろすように湯船に放り込んだ。
ドッバーン! ジュオーっと激しい音を立て、大きな水柱と、予想外なほどの水蒸気が上がる。
「凄まじいですね、これは」
にょいんっと、土偶の手足が本来の長さに戻り、ふう、やれやれ、と言うように汗を拭う動作をする。
もちろん土偶の額に汗らしき物は見えない。代わりに全身の輪郭がどろりと崩れ、下に垂れ始める。
顔の部分も二つに割れ、その中から、小鞠が姿を現した。
同じように、湯の中でゴボゴボと音を立てていた土の塊も、ひびが入り、崩れ始めた。
蚕の繭のようなその中からも、やがて一人の少女が姿を現す。
しかし、意識は無く、その手から、光を失った青銅鏡が湯船の底へこぼれ落ちた。
姿を隠しながら村を半周した辺りで、芹菜は鬼の居場所を特定させる。
村のやや高台にある、一軒の家に集まっているようで、匂いにムラがあることから、複数居るのは確実とみえた。
ただ、追跡してきた、町に現れた鬼がそこに居るかは判らない。
この村に留まらず、本拠地と思えるところに向かった可能性もある。
また、残念ながら芹菜には鬼の居場所は探れても、捕らわれているかもしれない女たちの居場所は探れない。本当に捕らわれているのかすら、定かでは無い。
しばらく考え、もし捕らわれているなら、逃げ出さないように見張りの鬼が居るのでは無いかと推測する。
もちろん、ただ縛り上げて転がされている可能性もあるが、鬼が女を生かしている場合の理由を考えれば、世話はしているはずだ。
そうであれば、すべてはあの家に集中しているだろう。
人質に取られると、面倒なことになる。
芹菜はなるべく見つからないという当初の目的はキッパリ諦め、自分を囮にするつもりで、堂々と正面から鬼の居る家に向かった。
「ごめんくださいましー」
声をかけると、奥の方で、ごそりと何かが動く気配がした。
そのまま土間に入り込む。
「ごめんくださいまし。旅の薬師でございますが、どなたかいらっしゃりませんかー」
ミシミシと音を立てながら、何かが近づいてくる。そして勢いよく襖が開け放たれた。
「ひっ……」
芹菜はわざとらしくない程度の驚いて、怯えてみせる。
「わはははは。何じゃ、女の声と思うて出てきてみれば。小娘じゃないか」
「いやー、これくらいのも良いもんですぜ」
現れたのは、下卑た笑いを浮かべる鬼が二匹。
薄汚れた腰布だけをまとい、筋肉質の上半身を見せびらかしているようだった。どちらも背が高く、腕が太い。
鬼は、ある程度自分の望む姿に変化するという。
大概の場合、背は高く筋骨隆々になる。
中には腕が極端に太い者や、あるいは長い者もいる。ただ、この体の変化が鬼の本当の強さでは無い。
太い腕から放たれる攻撃は、並の人間では受けることも叶わない。
その脚からは走って逃げることが不可能であり、また持久力もある。
普通の人間では最弱級の鬼でさえ、一対一ではまず勝てない。
だがしかし、芹菜たちにとってそんな物理的な強さは、ヒグマが強いのと同程度の意味であり、殺そうと思えば殺せる相手でしかない。
改めて辺りを探る。正面近くに二匹居るため、その奥に居るかは判らない。
代わりに、縁側から一匹飛び出してきたのを感じる。
引き続き、怯えた振りをして戸口に向かって後ずさる。
するとそこに、一匹の鬼が立ち塞がった。縁側からの鬼だ。
「おおっと、こっちからは逃がさないぜぇ」
「ああっ」
口元を袖で隠し、壁際へと下がりつつ、新しい鬼の姿を伺う。
腰布だけをまとう姿は先の二匹と同じ。しかし、背がそれほど高くない。それが第一印象だった。
まさか、知能が高くなることを望んだ鬼か?
鬼の中には、極まれに特殊な変化をする者がいる。
口が大きく腹も大きい、食べる事に執着した者。
特に女の鬼に多いが、美しい顔立ちになる者。
そして、高い知能を持つ者など、である。
だが、この鬼の言葉遣いと顔立ちには、知性は感じられない。
芹菜は警戒しつつ、演技を続ける。
「ああ、ああ……。後生ですから、命ばかりはお助けを」
「うん? 大人しくしてりゃあ、殺しゃあしねえよ」
最初に言葉を発した鬼が応える。
この鬼が、ここのまとめ役か?
戸口から入ってきた鬼が、横手から芹菜に近づく。
「うへへへ。こりゃあ、べっぴんさんじゃねえか。まだちいと幼いが、悪くねえ」
そう言って、口元を隠していた右腕を掴み、引き上げた。
「ああ、後生ですからっ」
「おい、あんまり無茶するなよ」
「無茶はしてませんよ」
上の鬼に言われ、臭い息を間近で吐きながら、手を離す。
芹菜は腕をさすりながら、鬼に問いかける。
「村の、木こりの方たちは……」
「ああ、死んだよ。殺した」
それは予想通り。さて、何から聞くべきか。
「女の方たちも?」
鬼の表情がわずかに変わる。
「お前、ここには良く来るのか」
「はい。頼まれて、たまに薬を届けております」
鬼の視線が、芹菜の体を舐めるように動く。
腰に差した短刀に目が止まった。
「薬はどうした?」
「村の様子がおかしかったので、薬箱は村の入り口に置いて参りました」
「ふうん。まあ良い。女どもは他の場所に連れていった、生きとるよ。その代わりにここには一人も残っとらん」
もう一度、鬼の視線が芹菜の体の上を往復する。
今度は体付きを伺っているようだった。
「せっかくだ、殺さん代わりに、ちょいと相手をしてもらおうか」
「……はい」
応えて、座敷へ上がる。背の低い方の鬼も付いてきた。
「おう、良いもんが来たな」
座敷の奥、もう一匹鬼が寝そべっていた。
これで四匹。芹菜の見立てでは全て同程度の最弱級。
予想通りだ。
「村の方たちのご遺体は?」
「ああ? 気になるか?」
「埋葬されたのですか?」
「まさか」
そう言って笑いながら、床柱の近くに座ると、芹菜に横に座るよう促す。
通常、墓地は山の方にあり、その手前に焼き場がある。大量に死人が出た場合、火葬には苦労する。
しかし、そのまま放置すれば亡者になる可能性があり、負気溜りの元にもなる。
どこに捨てられたのか、あとで探さなくてはいけない。
そう考えながら鬼の横に座る。
「あれは使う当てがあってな」
「使う?」
芹菜の疑問には答えず、背の低い鬼に命令する。
「おい、酒があっただろ。折角だ、全部もってこい」
「へい」
「それでしたら、燗にしましょうか」
芹菜の発言に、鬼たちは少し驚きの表情を見せる。
「おう、気が利くな。おめえ、俺たちが怖くねえのか」
「いえ、恐ろしくはありますが、殺さないと言ってくださいましたので、お役に立ちますのから、どうか、優しく……」
「おぉ、そうかそうか。優しくしてやるよ。俺はもともと女には優しいんだ」
上機嫌で笑う鬼の体に手を添えて立ち上がる。
「では、用意して参ります」
「おう。……一応言っとくが、逃げられると思うなよ」
「はい。それはもちろん」
心の中でふうっと息を吐く。
「お酒はどちらに」
「こっちだ」
背の低い鬼が土間に下りていく。
台所に行く途中の、低い位置に瓶が三つ並んでいた。
「これだ」
鬼が二つ持ち上げたので、芹菜は残りの一つを持ち、片手に徳利の入った箱を持ってついて行く。
どぶろくか。温燗かな、と考える。
どんな相手でも、酒を飲ました方が情報は聞き出しやすい。
もちろん、鬼も酔わせた方が遙かに扱いやすい。
戻ると鬼は三匹とも囲炉裏端に移っていた。
炭を入れ、自在鉤に平鍋を吊す様は、何というか、妙に人間ぽくて笑いそうになる。
酒を徳利に移しながら、湯が沸くのを待つ。
その間に、再び質問を試みる。
「あなた様方は、どちらからいらっしゃったんですか?」
「あ? いろいろよ。まぁ、いろいろ、な」
そう言いながら芹菜の肩に手を回してくる。
やはり、同じ場所で鬼化したのでは無く、何らかの理由で鬼が集まったか。
「特にこいつらは最近鬼になったばっかりだ」
「へへっ、俺なんざ鬼にしてもらってやっと半月ですぜ」
そう言って、芹菜の右にも鬼が座る。
最初に取りまとめの横にいた鬼だ。
気楽な物言いだが、その言葉には不穏な物が混じっている。
「鬼に、してもらって?」
「ああ、俺らの親方は人を鬼にできるんよ。お前も良い子にしていれば、鬼にしてもらえるかも知れんぞ」
言葉が出なかった。
負気に犯され鬼になる。それは、死の先にある現象だ。
負気溜りに生きた人間を放り込めば、やがて穢れ、死に至り、鬼になる可能性はある。
しかし、それは意図してできる事では無い。
取りまとめの鬼が、背中から腰をなで回し始めたが、放っておく。
どう質問すべきか、悩む芹菜に気付くはずも無く、鬼同士の会話が続く。
「アニキは鬼になって何年になるんで?」
「二年と、どれくらいだったかかな。まだ雪が降ってた頃だからなぁ」
芹菜は自分で質問するのは止め、その会話を注意深く伺う。
「山ぁ歩いてて親方に鉢合わせたんよ。死ぬかと思うたわ」
わはははっと鬼たちが笑う。
「そりゃあ死んだとも思いますぜ。俺も初めて会うた時は、こりゃあ間違いなく殺されると、覚悟を決めたもんですぜ」
「違いない違いない」
話を聞きながら、平鍋に徳利を並べていく。
「ああ、猪口がございませんね」
「湯飲みで良い」
「はい」
応えて部屋を見渡す。
端っこの方で寝転がってた鬼が湯飲みを逆さまにして振っている。
それを指で拭うようにして、囲炉裏端に並べた。
汚い、と思ったがあえて言わない。鬼のすることだ。
「親方、と言う方がいらっしゃるんですね」
「おう。村の方にな」
鬼の村がある、か。
方角は既に見当が付いている。
「その村にはたくさんの鬼がいらっしゃるんですか?」
「気になるか?」
鬼がぐいっと芹菜の顎を引き、顔を覗き込む。
「いずれ連れてってやるわい。いずれな」
そう言いながら、右手は尻に回り始める。
右に座った鬼は袴の脇から手を入れ、太ももを撫で始めた。
もう少し、話を聞いておきたい。最も重要なこと。
「そこに行けば鬼に成れるんですか」
「んー? 行きゃあ成れるっちゅうもんじゃなく、親方が鬼に成れる道具を持ってんだよ」
鬼に成る道具!
「それは……」
核心について質問しようとしている時に、邪魔が入る。
「アニキぃ、ワシにも触らしてくだせえよ」
背が低めの鬼が、囲炉裏を迂回するようにジリジリと這い寄ってくる。
ついうっかり、本気で嫌な物を見る目で見てしまった。
しかしその鬼は気が付いたように無い。
「前の女どもも、ワシにゃあ全然触らせてくれなんで……」
立ち上がったその鬼の、腰布が大きく膨らんで持ち上げられている。
「テメエのはデカ過ぎるんだよ。だから嫌われるんだ」
取りまとめが、シッシッと手で追い払う動作をする。
それを寝ながら見ていた鬼が笑う。
「はっはっ。なぁ嬢ちゃん、そいつんなぁ山芋見てえだろ」
膨らんだ鬼の股間は確かに大きい。人の前腕部くらいはある。
そうか、背が低いと思ったら、鬼になる時、それが大きくなることを望んだのか。
これは、かなり気持ちが悪い。
追い払われたにも関わらず、ハアハアと荒い息をつきながら芹菜の両肩に手をつく。
「ちょっと、ちょっと擦るだけで良いから、なぁ」
そう言うと、袴の上から芹菜の下半身に、グイッとそれを押し当ててきた。




