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第八十九話 時空

「弁柄。絢音さんをお願いします。それと、誰か、武器を貸してください」


 山津から来てくれた隠密、特に甲種隠密たちの力を疑っている訳では無い。理解した上で勝てないと朱鷺は判断していた。


「術で作られた土壁でも、あの鬼は防ぎきれません。皆さんも下がって、……詳細は、あの子に聞いてください」


 集まった乙種以下と思われる隠密たちに、声を掛けながら、山吹を指し示す。

 湯川付きの隠密である山吹の事は、皆知っているだろう。逆に、十年以上前に姿を消した朱鷺を知っている人間は殆どいない。

 状況説明は、彼女に任せた方が良い。何より、朱鷺にはまだやるべき事がある。


 近くに居た若い隠密から刀を受け取る。

 鯉口を切って見れば、黄金色の青銅製だった。普通の鬼が相手であれば、十分な武器だ。


 壊さない様にしないと。


 そう自分に言い聞かせ、鞘に収めて腰に差す。

 言い聞かせつつも、直ぐに折ってしまいそうな気がしていた。


 弁柄が絢音の顔に手を翳しているのを横目で確認し、朱鷺は一気に土壁の上まで跳んだ。その天辺に手を着き、ひょいと越える。

 下には業火が広がっていた。


 ドドドドドドドッ!


 猛烈な勢いで水の槍が撃ち込まれている。

 流石の火性鬼も、何本かの首が消し飛ばされた。

 ただ、負気の減衰で考えれば、大して削れていない。


 いや、おかしいのは自分の感覚か? 落ち着いて考えれば、上級鬼数匹分は減らせている、はずだ。


「推定、特級鬼! 先ずは落ち着きなさい!」


 朱鷺は全員に聞こえる様に声を張り上げた。


 知った顔は二人か。


 若い者たちとは直接の面識が無い。

 朱鷺の話を聞いた事ぐらいはあるかも知れないが、向けられた視線の殆どには疑念が含まれている。


「平八! 攻めるより様子を見なさい!」


 なんと、山津の最上位を呼び捨ての上、命令口調。

 周囲に展開していた一部の隠密に驚きが走る。


「朱鷺か!?」


 気付いていなかった訳では無いだろう。だが、平八から確認の誰何(すいか)が飛ぶ。

 勿論、聞きたいのは名前では無い。


「この戦力じゃ勝てません。いいから態勢を整えて。あなたが大将でしょう?」

「おお!」


 応えながらも、その声には動揺が含まれる。

 平八からしてみれば、勝てないと言われるとは思ってもいなかった。

 勿論、他の隠密たちもだ。


「全員、距離を取れ! 会話が聞こえる位置で構えろ!」


 朱鷺は大きく離れ、町と反対の山際に移動した。

 こちらに誘き寄せたいから、では無い。既に、広場の炎に抵抗するのも負担になるからだ。

 その手前に平八ともう一人。鬼に近い位置に五人が立った。

 計七名。朱鷺を入れて八名。


 鉱性鬼と泥性鬼になら勝てる。

 直感でしか無いが、朱鷺はそう判断した。

 火性鬼には、勝てないながらも、何とか対応しなければならない。


「勝てないというのは確かか?」


 前を睨みながら、平八が問い掛ける。


「ここに居る全員が、私並みに強いのであれば、或いは、と言うぐらいね」

「それ程か」


 呻く様に言った平八に、前に並んだ若い者が数人振り返る。

 きっと、会話の意味は理解出来なかっただろう。


「こちらに居る鬼は、あの火性鬼と、向こうに転がっている鉱石の様な鬼。それと、後ろの山で宗泰が泥の鬼を引き受けてくれています」


 平八からすれば、今まで朱鷺と宗泰の二人で戦えていたのなら、倒せない事も無い様に思える。


「ただ、あれらは末端で、本体は北の負気溜りです」

「なに?」


 平八は視線を北へ走らせる。

 先ほどまで絢音が防いでくれていた液状の負気溜りが、ドロリと坂を下り始めていた。


「今いる三匹は、首を刎ねても倒せません。頭すら再生します。更に、今は切り離せていますが、あの負気溜りから直接負気を取り込み、力に変えていました」

「おぉ……成る程。そういう事か」


 下半身だけになった鉱性鬼が、ゆっくりとこちらに振り返る。

 斬り刻まれた部分は、いつの間にか砂の山に変わっていた。


 やはり、鉱石と言うより、砂鉄の様な物か。

 まあ、どの道、刻んだところで意味は無いという事に変わりは無さそうだ。


「つまりは、負気溜りの方を何とかしない限り、無限に動き続ける訳だな」

「無限では無いでしょうけど。あの量の負気を使い尽くさせないと、倒せないわね」

「あの負気溜りは、祓いも清めも無理そうなんだな」

「無理です。それは私が十人居ても。ただ、細かく斬り分ければ普通の負気溜りに成るし、小鬼にも成るでしょう」


 火性鬼の蛇が火の玉を放つが、前方の隠密が防いだ。

 単に一撃一撃の攻防だけなら負けはしないだろう。

 ただ、間違い無く、こちらが先に力尽きる。


「あれと、鉱性鬼を抑えつつ、北の負気溜りを斬り分けられますか?」

「お前が三人いれば出来そうだな」

「四人要ります」


 先ほどの、「全員が私並みなら」の返しのつもりだろうが、軽口を叩いた平八に、朱鷺は更に言葉を返した。


「勿論、それでも一時的に抑えるのがやっと、倒しきれないし、やっぱり祓いも清めも間に合わない」

「ああ。拙いな」


 平八は指でコリコリと首筋を掻く。

 朱鷺の、実に感覚的な意見を、それなりに正しく理解した。

 結果、やはり「拙い」が答えだ。


「宗泰は何とかなりそうか?」

「時間稼ぎだけなら、もう少しは」

「つまり、駄目だな」


 平八はチラリと隣の男に視線を向ける。


兼次(かねつぐ)、頼む」


 兼次と呼ばれた男はただ頷き、踵を返して後ろの山へ向かっていった。


「奴でも、勝てんのだろうな」


 彼は、朱鷺も知っている古株の一人だ。かつて東方の国境(くにざかい)近辺を管理していた甲種隠密。

 当時から宗泰と平八の次ぐらいには腕が立った。

 それでも、泥性鬼には勝てないのだろうと、朱鷺も、平八も判断した。

 勿論、彼自身もそう思っているはずだ。


「私は負気溜りを刻んできます。ここは任せます」

「心得た」


 何にしても、最優先すべきは、負気の供給を断つ事だ。

 纏まったままだと、負気は意思を持ってこちらへ向かってくる。

 数多の負気溜りに斬り分けて小鬼に変えた方が、……それはそれで厄介な事になるが、まだ増しだ。


 上半身を失い、フラフラしていただけの鉱性鬼が、自分の体の一部だった砂山に倒れ込んだ。

 あれで再生するつもりなのだろう。


 止めたい所だが、任せると言った以上、ここは平八の戦場だ。

 朱鷺は後ろ髪を引かれながら、北の街道へ向かった。


 平八も鉱性鬼の動きには気付いていた。

 若い者達だけでも、火性鬼の牽制は出来ている。

 そう判断して、自らが鉱性鬼へ向かった。


 あの鬼がどういう鬼なのか、詳しく説明は聞いていない。

 だが、首を飛ばしても倒せないという話に嘘が無いのは確かなようだ。

 何せ、頭どころか上半身を無くしても動き回り、斬り刻まれたのであろう部分は、粉々になってもまだその形を維持している。つまり、十分な負気を保っている。

 あれ自体、未だに鬼の一部だ。


 先ずは吹き散らす。


 纏めさせて成る物かと、技を放とうとする平八に、横から蛇の首が迫る。


 甲種を五人相手にして、まだ余裕があるか!?


 平八も流石に驚いた。

 火性鬼は単に霊力が強いだけでは無い。間違い無くこちらの様子を窺い、余力を残していたのだ。


 だとして、首の一つでどうにか出来ると思われたか!


 敵を侮るつもりは無いが、侮られるつもりも無い。


轟衝破(ごうしようは)っ!」


 水の神気を含んだ張り手一発。

 平八に喰い掛かろうとしていた蛇の首が、弾け飛んだ。

 更にダンッと大地を踏み鳴らし、ウゴウゴと蠢く鉱性鬼に拳を打ち出した。


水破岩砕拳(すいはがんさいけん)っ!」


 突き出された拳が伸びる様に、水の拳が放たれて鉱性鬼の砂山に突き刺さる。


 ドォウッ!


 水の拳がそこへ()り込む。

 だがしかし、期待していた様には吹き飛ばせない。

 鉱性鬼の体を構成していた砂は、火性鬼の蛇よりも負気が濃く、水に込められた神気の方が相殺されて打ち消された。


 粉々になっても尚、それらは並みの上級鬼を遙かに上回る負気を維持している。その事に朱鷺は気付いていたが、平八に伝えてはいなかった。


「はっ、この程度じゃ小揺るぎか」


 顔を顰めながら、平八は距離を詰める。

 ばらけている状態でこれなら、鬼として纏まられると、再度砕くのは非常に困難だ。

 寧ろ、朱鷺はどうやって砕いたんだと聞いてみたい。


 霊力の総量で負けているなら、いかに効率よく立ち回るかが重要になる。成る可くならば大きく消耗する技は使うべきでは無い。

 それでも、ここは先ず大技を使わざるを得ない。


 至近距離から直接攻撃を叩き込み、相殺するのでは無く撒き散らす。

 清めでは無く、祓いだ。


 そう決めて、鉱性鬼に肉薄した平八の背後に、再び火性鬼の蛇が迫る。


「ちっ!」


 振り返り、先ほどと同じように弾き飛ばそうかと構えた平八を、跨ぎ越すように蛇は避けた。


「なに!?」


 朱鷺が説明して行かなかった事がもう一つある。

 負気溜りとの接続が途絶えた火性鬼が、どのように負気を得ていたか。


 団子状の固まりに成った砂に下半身を突っ込んだ姿の鉱性鬼を、蛇は軽々と咥え上げ、自らの胴体へ向けて放り込んだ。




「はぁ、はぁ、はぁ……」


 きつい。

 これ程までかと、宗泰は呻いた。


 時間稼ぎと割り切ってみれば、よくやった方だろう。

 少なくとも致命的な攻撃を受ける事無く、敵をこの場所に引き(とど)め続けている。

 だが、斬撃はほぼ効果を現す事無く、鬼は、ご丁寧にも斬り飛ばした部位を態々(わざわざ)回収し、その体に取り込んでいる。

 腕を斬ろうが、足を斬ろうが、まるで意味を成さない。


 先ほどまで散々斬られた結果、この姿に変化したのだ。

 斬られる事に対応しているのは、何ら不思議では無い。

 負気の分割は、最早諦めるしか無さそうだ。 


「朱鷺の様に、一撃でバラバラに出来れば何とかなるんだろうがな」


 宗泰にそれ程の実力は無い。

 この鬼が相手なら、両腕を切り落としただけで褒めて貰いたいくらいだ。


「宗泰っ!」


 突然、泥性鬼の向こうから声が掛かった。

 朱鷺では無い。だが、聞き覚えのある声だった。


「兼次か!?」


 宗泰は、馴染み有る山津の隠密の名を呼んだ。

 彼が居るという事は、山津からの援軍が到着したという事に他ならない。

 それこそ朝日が差す様に、希望の光が見えた気がした。


「手を貸そう」

「有りがたい。だが、此奴は……」


 宗泰が、戦っている鬼に関して説明しようとした、その時、町の方でまたも火柱が上がった。

 それと同時に、負気が波の様に押し寄せ、通り過ぎて行った。


「なんだ……、今のは?」




 坂を下りつつあった負気の固まりを、朱鷺は手当たり次第に斬り飛ばした。

 裁放があれば、降神せずとも熟せる様な簡単な仕事だ。だが、今の朱鷺にとっては易くない。

 はっきり言って先が見えないのが難点で、降神を維持出来なくなれば、負気に蝕まれるのは避け得ない。


 何処まで()つか……。


 そして、自分が保っている間に、どれだけ斬り刻めるか。

 やってみなければ判らない、そして、やるしか無い。


 神気が尽きれば後は体力勝負となる。

 成る可く消耗しない様にと、考えた矢先。


 ゴウッと、背後から風が吹き付けてきた。

 いや、それは風では無い、濃厚な、負気が通り抜けたのだ。


 咄嗟に振り返った先で、火性鬼が更に大きな火柱と化していた。


 何故? あそこまで力を増大させるほどの負気など無かったはず。


 疑問はすぐに解ける。

 起き上がりつつあった鉱性鬼が、無い。


 あれを、喰ったのか!


 もう既に、広場には火性鬼以外の鬼に類する物、負気が物質化した物は残っていない。

 森に入った泥性鬼を除く全てが、火性鬼の燃料となっていた。


 となると、次は……。


 ズルリと、火性鬼が朱鷺の方へ動いた。

 正確には、朱鷺の向こう、液状化した負気へ向かって。


 あれは最初、負気に操られていたはずだ。

 膨大な負気の固まりである”これ”を取り込めば、再びその支配下に置かれるのでは無いか。

 それを理解した上か、それとも、自分の意識を堅持したまま、純粋に力として吸収出来ると判断したのか。

 どちらにせよ、”あれ”と”これ”が一つになれば、最早時間稼ぎすら出来ない。

 国の存亡、世界の存亡に関わるだろう。


 朱鷺は青銅の刀を正眼に構えた。

 しかし、それでどうにか出来るとは到底思えない。


 裁放があれば。


 そして自分の力が十分残っていれば、手が無い訳では無かったかも知れない。

 だが、今それを考えても詮無い事だ。


 火性鬼の向こうで、山津の隠密たちが必死に攻撃を仕掛けてくれている。

 それでも小揺るぎすらしない。


 ジリジリと、肌を焦がされながら、朱鷺は思う。


 恐らく、斬れる。

 ただ、僅かに斬ったところで意味は無く、バラバラに出来て、やっと時間稼ぎになる程度だろう。

 他に、手は?


 じっと睨み付ける、炎の中心に、小さく黒い物が見える。

 その上方で、大きな固まりが徐々にその形を崩しながら解けていく。


 上の、崩れていくのが元の鉱性鬼だろう。

 下の小さな物が……。


 咄嗟に朱鷺は駆け出した、火性鬼の炎の中へ。

 八相に構えた刀を、一気に振り下ろす。


「斬っ!」


 斬撃が炎の半ばまで斬り込んだ。だが、足りない。

 目を細めながら、朱鷺は自分の懐をまさぐる。


 絢音さん……。


 彼女が、自分に何を託したかったのか判らない、だがしかし。


 朱鷺は絢音の短刀を引き抜いた。

 それはかつて、自分と友人が、鍛冶の真似事をして武器を作った際に、余った(くろがね)で作った物だ。


 ”この子”ならっ!!


「虚空斬っ!!」




 いつだったか、御大将、羽黒様と妙な話をした事があった。


「世は、何も無く()いている所にも、空間と言う物がある」


 最初は、”何も無い”が有る、という類いの話かと思っていた。

 だが詳しく聞けば、世界は上下、左右、奥行きの三方向に広がりを持ち、それが空間と言う物を形作っている。その空間を三次元空間と呼ぶらしい。


(くう)を斬る事が出来れば、その空間に存在する全ての物を、無条件に斬る事が出来よう」


 そんな馬鹿な。

 若い頃の朱鷺は、単純にそう思った。


 だが、斬れる。




 小さな短刀は、空を斬った。


 ガガガガガガッ!


 空間が振動し、炎に裂け目が出来た。

 火性鬼の炎に炙られながらも支えられていた、鉱性鬼の残骸がガラガラと崩れ落ちてくる。

 その中に、朱鷺は見慣れた物を見つけ出した。


 ほぼ無意識に、短刀を手放し、それを掴む。




 羽黒様はこうも言った。


「世は三次元の空間と、一次元の時間で出来ている。四次元の時空間だ」


 羽黒様によれば、時間と空間は同じ物らしい。

 正直に言って、全く意味が理解出来なかった。


 ただ、思ったのだ。


 空間が斬れるなら、時空間も斬れるはず。


 羽黒様は空間を斬る技”虚空斬”をやって見せてくれた。

 その技を伝授してくださり、更にこう言った。


「空間を斬る技は危険であり、乱発するべきでは無い」


 その言い付けを破り、虚空斬を連続で放つのが、朱鷺の秘技である”裁放”だった。


 そしてもう一つ、何が起こるか判断が付かないので、「出来るとしても試すな」と言われた技がある。


 朱鷺は、出来ると思ったが、流石にこれは試さなかった。




 半ばで折れた裁放をしっかりと握り、朱鷺は再び八相に構える。

 最早神気はほぼ残されていない、間もなく降神も解けるだろう。


 これで、本当に最後。


 火性鬼の炎が衣服に燃え移り、肌も髪も焦がしていく。

 その中で、目の前の小さな黒い固まりを睨み付ける。

 全てを一刀に込め、朱鷺は叫んだ。


「時空斬っ!!」


 半歩を踏みだし、それを、……それが存在する時間と空間を、裁ち放った。


 スウッと、刃が通り抜ける。

 鬼は最初に見た時の黒い物と違い、確かに人の顔をしていた。

 驚きの表情で見つめ返す、その中心に線が入る。


 瞬間、その”線”に引き込まれる様に、鬼の頭部はヒュッと消え去った。

 同時に、時空が悲鳴を上げる様に鳴動した。

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