表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/92

第八十七話 秘術

 少し前。

 絢音は山頂から戻る途中、町の入り口付近で燃え上がる炎を見た。

 そこは、山吹が護っているはずの場所だ。


 赤壁亭の瓦を蹴散らす様に着地した絢音は、茜が玄関先にいるのを見つけ、そのまま飛び降りた。


「町の入り口で、凄い炎が上がっています。それと、猛烈な負気が!」

「はい。現在、宗泰さんと朱鷺さんが迎撃されていますが、防ぎきれず、丙丁種の隠密に助力を求めています」

「朱鷺が!? ……丙丁に!?」


 朱鷺は、絢音が知る限りほぼ最強、自分の妹や隠密の御大将と互角の力を持っている。

 対して、丙丁種の隠密は、殆ど戦う事も出来ない。

 そんな相手に助力を求めなければ成らないほど、現状は逼迫(ひつぱく)しているらしい。


「私は布を取ってきます! 予備の札があるなら、有るだけ持って来て!」


 そう言い残すと、絢音は返事も聞かず自宅の方へ飛び去った。


「慌ただしい事」


 予備の札など残されていない。強いて言えば、自分が持っている物だけだ。


「行かざるを、得ませんか」


 拠点を()けるのは好ましくない。

 だが、ここに拘っている場合では、もう無いのだろう。


 茜は自分用の長脇差しを持ちだし、町の入り口へと向かった。

 その視界の端に、絢音が流星の様な勢いで飛んでいくのが見えた。




 次に町の北口を襲ったのは、狐の鬼だった。

 鬼は必ずしも黒いという訳では無いはずだが、今晩現れる獣鬼は、皆黒い。

 更に余剰の負気が靄の様に体から溢れている。


 あれだけでも、小鬼の数匹ぐらい湧き出るやも知れない。


 弁柄は慎重に敵の様子を窺いながらも、その禍々しい姿に疑問を感じていた。


 獣に無理矢理に負気を注ぎ込んで鬼に変えれば、あの様になるのだろうか?

 だが、通常、鬼は負気を発する物だが、目に見えるほどと言うのは、あまり聞いた事が無い。

 ”発する”とは”消耗する”と言う事であり、大量に負気をバラ撒くあれらは、自分の力に変える事無く、ただ、無駄に垂れ流している。

 人の鬼では有り得ない事だ。


 他の場所に現れた黒い鬼を見ていない弁柄は、自分なりに判断した。

 恐らく、強い意志を持たずに鬼に成った為に、負気が纏まっていないのでは無いか。そう考えていた。


 張り詰めた空気の儘、兵士たちは陣形を固め、既に槍と弓矢を構えている。

 それを見て、理解しているかの様に、狐鬼はある程度の距離から近付いてこない。


「あれは、こちらを恐れているのか?」


 隊長は前を睨んだまま疑問を口にする。

 それに弁柄が答えた。


「恐れていると言えば語弊があるかも知れんが、警戒はしている様だな」


 あれは、自分の実力を知っているのだろうか?

 それとも、ただ単に、狐としての記憶が、弓を構えた人間に対しての警戒心に繋がっているのか。


「高い知能を持つのかもしれん。だが、引き付けてくれさえすれば、隙を突いて術で攻撃する」

「よろしく頼む」


 前を向いたまま小声で話す、二人の会話が聞こえたのか、そして、それが理解出来たのか。

 狐鬼はスルリと滑る様に向きを変え、山陰(やまかげ)に消えていった。


「逃げ……た?」

「その様だな」


 先に、犬鬼も何匹か見逃している。

 道の奥にある村は、獣鬼に襲われているかも知れない。

 いや、まともに考えれば、無事で済んでいる可能性は低い。

 それでも、小村(しようそん)を護る為に戦力を()く訳にはいかなかった。


「弁柄っ!」

「……っ!?」


 不意に聞こえた声に、驚きを隠しきれず、息を呑む。


「どうなされた!?」


 それに、横にいた隊長が気付いた様だ。

 だが、彼には呼び声自体は聞こえていない。


 弁柄は川の中に立てた杭に目を向ける。

 それはさして目立つところの無い、ただの木の杭だが、弁柄が術を使う為の人形(ひとがた)である。

 川の水とその杭を通して、届かないはずの声が届けられた。勿論、弁柄の方が聞く為の術を使っているのではあるが、相手はそれを前提として、呼び掛けてきている。


 朱鷺、か。


 戦いに関して、彼女が自分を呼びつける事は、あまり無い。

 何と言っても朱鷺は、大抵の事は一人で(こな)してしまう。弁柄の助けを必要とはしないのだ、普段は。


「町の入り口、街道側が……良くないらしい」


 隊長からの質問に、漠然とした答えを返す。

 名前を呼ばれただけだ。詳細は判らない。

 何があったとは説明出来ないが、非常に良くない状況なのは間違い無いだろう。


「では、……向かわれますか?」


 隊長の考えは実に単純な物だった。

 だが、弁柄は即決出来ない。ここを護るのが自分の役目であり、絢音が見当たらない今、町の大部分は自分が担当しなくては成らないはずだ。それを、いくら実績があるとは言え、(もと)甲に呼ばれたからと言って放棄して良いはずは無い。

 ……良いはずは無い、無いの、だが。

 恐らく朱鷺は、それを承知で弁柄を呼んだのだ。


「行ってください。ここは我々が何とかします」


 そう言って笑って見せた隊長の顔を、弁柄は思わず見つめ返す。

 彼らに、獣鬼を何とかする能力は無い。そう思っていたからだ。


「伝令! 隠密殿が町の門前に移られる、校尉様から一隊借り受けてきてくれ」

「はっ!」


 そんな弁柄の思いを知ってか知らずか、隊長は直ぐに指示を出していく。

 脇に控えていた組から、一名が走り出した。


「全隊、陣形そのまま後退。町の中まで下がって、そこにある柵を利用するぞ」

「はっ!」


 更に陣を町中まで引き下げる決断をする。

 そこにある柵は、(ぞく)に犬()けと言われる物だ、鬼に対して意味など無い。

 だが、道は広がり、脇は畑が広がっている。二隊を並べて布陣する事もできるだろう。

 先の狐鬼の様な、ある程度頭の良い相手なら、無理に戦おうとはしないかも知れない。 


 これでどうです? と言う様に、隊長は再び笑って見せた。


 正直に言えば、まだ不安は残る。それでも、任せるべきなのだろう。


「解った。ここは任せる。また会おう」

「ええ、これが終わったら、酒でも酌み交わしましょう」


 その言葉には応えず、弁柄は無言のまま背を向けて、川へ飛び降りた。




「うおおおおぉっ!!」


 雄叫びを上げ、兵士たちが火の小鬼に突進する。

 槍での突撃は、本来、腰高で水平に構える物だが、小鬼に対する時は八相に構える。石突きを左前にして走り、間合いに入って上から振り下ろした。

 風を斬る音と共に、グンと穂先が伸びる様にして小鬼たちに襲いかかる。

 常の訓練の賜物か、整列すらしてない突撃だったが、ドドドドドッと連続して槍が打ち込まれ、前に出てきていた小鬼たちは、あっという間に負気に解けた。


「次っ! 中段に構えっ!」


 隊長の声が掛かる前に、既に皆、中段に構え、次の獲物に穂先を向けている。

 余りの迫力と威力に、小鬼たちも二の足を踏み、中には後ずさる者もいた。


 いける。


 隊長はそう思った。

 広場では隠密が轟音を上げながら炎の鬼を(こま)斬りに刻み、その残骸が小さく燃えていた。

 彼の見える範囲には、妙に(きら)付く岩の鬼と、火に巻かれた小鬼しか残されていない。


「一気に畳み掛け……」


 だがしかし、叫ぼうとした瞬間、又しても炎が巻き上がった。


 思わず息を呑む。

 そこに現れたのは、大きな火柱の様であったが、その先は、幾つもの蛇の頭へと変化していった。


「何だ、あれは……」


 ここまでも、随分と馬鹿げた鬼が現れたが、あれは何かが根本的に違う。

 そもそも鬼なのか? 蛇の獣鬼? ……では無いだろう。


 呆然と眺めてしまった、その直後、首の一つが振り下ろされ、大きな爆発が起こった。


「うぉおっ!」


 咄嗟に片腕で顔を庇ったが、強烈な熱風に煽られる。

 何人かの兵士が、耐えきれず後ろへ転がった。


 ドゴゴゴォウッ!!


 更に立て続けに爆発が起こり、立っていられない。

 ただ、戦いの場に近付いただけでこれなのか。


「くぅっ!」


 見れば柵の残骸に火が着いて燃え始めていた。

 これ以上前には進めず、炎の中に目を凝らす。

 小鬼どもは、何と業火に巻かれながらも、普通に起き上がっていた。

 逆に、炎に煽られて陣形を崩した兵士たちに気付いて、ニヤリと笑った、ように見えた。


 あれを、町に入れる訳にはいかない。

 柵が無くなった今、自分たちこそが防衛柵だ。


「ここが正念場だ。踏ん張れ!」


 左右を確認する余裕は無い。

 ウロウロと動きながらこちらの隙を窺いだした小鬼を、じっと睨み返した。


 その向こうで、広場の真ん中に移動した火性鬼が負気を喰らい始めていた。

 隊長を始め、兵士たちにはその行動が何であるかは理解出来なかった。そもそも、なんであるかと推測する余裕も無かった。


 やがて、小鬼たちにまで喰らいついた炎の蛇を見て、驚愕すると共に立ち(すく)む。

 眼前で、自分たちと向き合っていた小鬼が、次々と火に()べられていった。


 余りの事に、目的を無くしたのだから撤退するという判断は、思い付かなかった。




 街道へ向かう北口、坂の下の辺りに投げ飛ばされた絢音は、混乱しつつも飛び起きた。


 不意を突き、渾身の一撃を鬼に叩き込んだ、はずだった。

 ただ只管(ひたすら)、努力を重ねても甲種には成れなかった絢音だが、この布を使えば、上級鬼ですら一撃で倒す事が出来る、そう確信していたのだ。


 だが実際は倒す事も(あた)わず、庇われた挙げ句、襟首を掴まれ戦闘区域から放り出された。


 「来ちゃ駄目!」


 かつての仲間は、振り返る事無く言い放つ。


「そこの負気を、出来るだけ祓っておいて!」


 久しぶりに、吐き気がするほど惨めだった。

 だが、だからこそ、落ち込んでなど居られない。


 絢音は布を背に被る様にして、その両端を腕に巻き付ける。

 任されたのは負気の祓い。都合の良い事に、かなりの数の小鬼が湧きつつあった。

 もう霊力の無駄遣いは出来ない。

 先ずは術札を使って小鬼たちを吹き飛ばし、ついで、祓い札を負気溜りに打ち込んだ。


「……え?」


 祓い札は、確かにその効果を発揮した、にも拘わらず、負気溜りは全く減っていない様に見える。

 いや、目の錯覚だ。液化した負気溜りが余りにも濃い為に、”減っていない様に見える”だけだ。

 即座にそう認識し直したが、それはそれで、恐ろしい現実であった。


 出来るだけ、と言われた意味が解った。

 絢音は奥歯を噛み締め、坂の上を睨む。

 そこからは、ドロリとした液状の負気溜りが、固まりのまま流れてきていた。




 やっと、町人が神社へ向けて避難して来るのが見えた。

 勿論、それは良くない事だ。


「やはり……か」


 神祇官は、誰にも聞こえない声で呟く。

 郷の兵士は、そして、郷司が用意したであろう術者は、鬼を防ぎきる事が出来なかったのであろう。

 そうなると、思ってはいた。覚悟はしていた、つもりだった。


「どうぞ! こちらへ!」


 娘婿の惟禎は、声を張り上げ、石段を上がって来た町人たちに、参集所へ入る様に促す。

 いずれ入りきらず、社務所や拝殿、そして境内に溢れかえる事だろう。


 そんな中、虹子は社宅の方へ姿を消していた。

 普段なら率先して町人に声を掛けるのだろうが、今は、今しか出来ない事があった。


 神祇官は敢えて目を逸らし、避難してきた町人の中から、年嵩(としかさ)の発言力がある人物を見繕い、取り纏めを依頼する。


「今から、鬼を討滅する為の祈祷を、秘術を執り行う。拝殿には人を入れない様に、よろしく頼む」

「お、鬼を? 討滅、じゃと?」


 驚きと疑問を顔に浮かべた男に、重ねて「よろしく頼む」と言い残し、拝殿の(きざはし)に上がる。

 丁度そこに、虹子が瞳子を抱きかかえて姿を見せた。


 娘を慈しむ母の眼差し。

 いつか見た、妻の姿によく似ていた。


「社司様」


 虹子は、父を役職で呼んだ。


「うむ」


 頷く神祇官は、娘に言葉を掛けようとしたが、何も思い付かなかった。


「あなたっ!」


 虹子の呼び掛けに、惟禎が振り返る。

 彼には、これから行われる秘術に関して、何も伝えていない。

 もう数年、せめて一年でもあれば、……いや、そもそも、隠し立てなどせず、婿に来て直ぐに儀式を伝授していればと、今更悔やまれる。

 全ては、自分の判断であり、判断の結果なのだ。


 若い男性たちが、惟禎に代わって誘導を引き受けてくれた。

 虹子は瞳子を夫に預け、優しげな表情のまま、拝殿へと上がってきた。


「良いのか?」

「はい」


 この期に及んで、まだ、父親としての言葉は出ない。

 これも不甲斐ないと言うのだろうか。


 虹子を伴い、拝殿に入って後は、彼はただ神祇官であり、社司であり、審神者であった。


 既に本殿の二重扉は開かれ、神饌は供されている。

 その神饌の向こう、三面の御鏡に相対して、虹子が着座した。


「此の美湯の国は湯川の郷の下つ磐根に大宮柱太敷立て高天原に千木高知りて鎮まり坐す、掛けまくも畏き湯川の三神と称辞意奉る、湯の山に坐す神、湯の川に坐す神、御湯に坐す神達の大前に慎み敬い恐み恐みも白さく……」


 静かに、厳かに、(ことば)が紡がれ始めると、それに応える様に、鏡に光が灯りだした。

 蝋燭の明かりすら無い浄暗の中、虹子の顔が照らし出され、その姿が鏡に映し出される。

 そして、虹子の瞳にもまた、三面の鏡と、そこに映る自分自身が映し出される。


 瞳は鏡であり、鏡はまた瞳でもある。

 そこに映る姿は虹子であり、また神でもある。


 神と人との境目を取り払い、神霊と人との合一を果たす。

 それは、禁忌とされながらも伝えられた秘術の、一つの形であり、一つの結果であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ