第八十三話 懸命
「うおおおおぉっ!!」
雄叫びを上げながら、幸永は爆発を伴う体当たりで鬼を突き飛ばす。
いや、”飛ばす”と言う程は動かせなかった。だが、切断された脚からは僅かに距離を取る事が出来た。
同時に鬼に斬り掛かっていた隠密たちが、爆発に巻き込まれゴロゴロと転がる。
かつて百に近い小鬼を纏めて吹き飛ばした技だ、甲種隠密であっても全く無傷という訳にはいかないだろう。
それでも、仲間を巻き込んででも、地下の鬼と分断出来るのは、今しか無いと思った。
ズシャアッと、五本脚になった鬼が大地を滑りながらも、体勢を立て直そうとするが僅かに傾き、剣になった腕を突く。
やはり、体から色々な物が生えているだけあって、姿勢を維持するのは難しいようだ。
幸永も攻撃されれば避ける事が出来ないほど体勢を崩していたが、この隙に体を起こしながら後ろへ下がった。
距離を取りながら見た鬼の目は虚ろで、口をパカリと開いたまま、首は傾げるように揺れていた。
これは!?
もう一匹の鬼の意思が通じなくなった所為か!
綱を切った事により、もう一匹がどう動くかは判らない。
このまま逃げられれば、手掛かりも無く追跡は難しい。
また、逆に地中から襲いかかられたら、間違い無く危険な状況に陥るだろう。
だからこそ、今、畳み掛けなければならない。
もう一匹が動き出す前に。
「今だ! 有りっ丈の力を叩き込め!」
どれほど攻撃しても効果が無いように見えたのは、損耗した負気を即座に補っていたからに過ぎない。
例えどんな鬼であっても戦い続ければ弱体化する事が出来、補給、回復さえさせなければ、いずれは倒す事が出来る。
「おお!」
仲間たちが気勢を上げる。
真っ先に跳び込んだのは、御杖代だった。
爆発に巻き込まれた事など、何とも感じていないように、幸永に敵意や害意を向けてくる事も無いようだ。
ザンッ!
今までの苦戦が嘘であるかのように。
御杖代は初太刀で、短刀を持つ鬼の右腕と片翼、剣になった腕の三本を纏めて斬り落とした。
そして、返す刀で首を飛ばす。
余りにもの急展開に、幸永は一瞬立ち竦んでしまった。
何という威力。
あの青銅の剣は、金属の刃は全く斬る事が出来なかったのに、鬼の体はまるで藁人形のように斬ってしまう。
同時に、背中側から攻撃を仕掛けた隠密たちの技が、立て続けに直撃する。
鬼の体が大きく傾き、直後に、背中側の首がグルリと回ってこちらを見た。
あれが、本体!
間違い無いと、幸永は確信を得た。
再び、御杖代が斬り掛かるが、残った剣で受け止められる。
その隙に、ガラ空きになった右半身から幸永が斬り付けた。
「焦刃斬破!」
ガッ!
薙ぎ払うような一撃が鬼の側頭部を捉える。
だがしかし、ほんの一寸すら斬り込めていない。
ぶち当たった刃を、鬼がジロリと睨んだ。
更に斬り掛かる御杖代の刃を、体を捻るようにして斬り返し、そのまま、もんどり打つ様に倒れて転がる。
幾人かの隠密が脚に斬り掛かるが、やはり斬れない。
鬼は五本脚の膝を折ったまま体を起こすが、立ち上がろうとせず、残った左の翼はダラリと垂れて邪魔になっている。
恐らく、あの鬼は自分が持つ手足や翼を扱いきれていない。
間違い無く、今こそ好機。
だが、幸永自身も、既に余力が少ない。
目線で鬼を威圧しつつ、仲間に攻撃を任せた。
ギィイン!
鬼は、御杖代の攻撃だけを受け止め、他の隠密にはされるが儘に任せている。
幸永の渾身の一撃を、側頭部に受けて耐えた事で、脅威に成り得ないと判断したのだろうか。
御杖代は両腕を剣に変えているが、左右交互の、しかも大ぶりの攻撃しかしていない。
剣に関しては、正に”ど”が付く素人だ。
このままでは、決め手に欠けて時間だけが掛かってしまう。
その事が幸永に一抹の不安を与えた。
地中の鬼は、まだ動きを見せないのだろうか。
綱を切られ目を失って、状況が把握出来ていないのかも知れない。
ふと、斬り落とされた鬼の脚を思い出す。
それは、まだ地下の鬼に通じているはずだ。
振り返って見れば、その場に転がっていたはずの脚は消え失せ、負気の綱は全く見当たらない。
逃げた、か?
それは、一瞬の油断だったかもしれない。
立ち上がりも出来ず、攻撃を受け止める事しか出来なかったはずの鬼が、バネ仕掛けのように幸永に躍り掛かった。
「ぬぅっ!」
すぐに気付き、咄嗟に下から斬り上げる。
鬼の左半身から生えた三本の剣を、一太刀で受け止めようとした、その時、一瞬で鬼の右腕が生えた。
何の事は無い、ちょっと爪が鋭いだけの、ただの鬼の腕。
それが、幸永の胸に突き刺さった。
「おおおおっ!」
神気で強化された肉体を、苦も無く貫き通す。
振るった刀は鬼の剣を受け止めてはいるが、力を込める事が出来ない。
そのまま、伸し掛かられるように背後に倒れる。
倒れつつ、幸永は鬼の腹を蹴り上げた。
左手を伸ばし、自分を貫く鬼の二の腕を引くように掴む。
ドシャァ!
自分も後ろ頭をしこたま打ち付けたが、鬼も脳天から大地に落ちた。
視界が大きく揺らぎ、体に熱が迸る。
同時に、ズルリと体から抜ける鬼の爪が、まるでゴッソリと何かを持って行ってしまったかのような感覚。
動かなくなりそうな下半身を気合いだけで動かし、跳ね起きると同時に刀を構えた。
隙だらけだ。
体を起こそうとする鬼の動きが、酷くゆっくりした物に感じた。
「豪炎地裂斬っ!」
残された神気を、一欠片も残さぬように、全身全霊込めて。
放たれた剣技は、鬼の肩口を捉えた。
「立てっ! 立たぬ者は置いて行くぞ!」
そう叫びながら、主政はへたり込んでいる部下の襟首を引いて立たせた。
自分の大切な家族も含め、女子供が大勢いる。
鬼を攻めるのは兵士がやってくれるが、守るのは自分たちがやらねばならない。
こんな時の為に町人共を連れだったというのに、その、楯になるべき町人は、あろう事か自分たちを置いて先に逃げてしまった。
「立てっ! 行くぞ!」
もう一度、皆に声を掛け、妻を背に庇いながら前方を睨む。
猿鬼は、何匹いるか判らない。
だが、既にそれぞれ獲物を得ているようで、各々が人に喰らい付いていた。
凄惨な光景であるが、主政はこれに好機を見いだした。
鬼が人に喰らい付いている今ならば、自分たちが襲われる事は無い。
ある意味、囮としての役目を果たしてくれているのだ、今しか無い。
主政は刀を両手で握りしめると、河原に近い辺りに道筋を定め、一気に駆け出した。
それを背にして、唄太は一人、鬼に立ち向かっていた。
既に息絶えた町人を貪り食う猿鬼は、ありがたい事に隙だらけだった。
言葉も発さず、立て続けに突き、地面に叩き付ける。
後顧の憂いを断って前に向き直ると、主政たちは既に走り出していたが、その列は無様な長蛇と化していた。
あれは拙い。
どこか一カ所が襲われれば、その後ろは容易く分断され、鬼の餌食となりかねない。
唄太は僅かに迷った。
襲われている町人を助けるべきか。
主政たち、文官を護るか。
一瞬の逡巡の後、唄太は駆け出した。
悩むまでも無かった、襲われている人達は、既に手遅れだ。
生きていたとしても、助からない、助けられない。
唄太は背を向けている鬼を突き殺す事も無く、そのまま走り抜けた。
恐ろしい事に文官たちの列は非常に足が遅かった。
女性たちは走っている風には見えるのだが、その速度は唄太の早歩き程度、ひょっとしたら更に遅いかも知れない。
一部の文官に至っては、片手に刀を抜きつつ、青い顔をしながらフラフラと歩いてしまっている。
「急いでください! 早く!」
言うだけ無駄と思いつつも、横を通り抜けながら声を掛ける。
不意に、グッと袖が引かれた。
「助けてください、助けてください、兵士さん……」
涙ながらにそう訴えてきたのは、唄太と年もそう変わらない男性だった。
そして、唄太の袖に縋り付くように、その場にへたり込む。
なんなんだ、コレは。
それは、唄太には理解しがたい存在だった。
助かりたいなら、立って走れば良い。寧ろそれしか無い。
武器を取って戦えとすら言っていない。
それにも拘わらず、まるで物語のお姫様のように、縋り付いて助けを求める、大の男が。
熱くなっていた心に、スウッと冷たい物が降りて来た。
多くの兵士が命懸けで戦っているのに、その仲間を残して、護るべき湯川の人々を残して、そして今、こんな奴を助けるのが、自分の使命なのか。
思わず乱暴に袖を引き、男を振り払う。
「立って。自分の脚で立って逃げてください」
苦々しくそう言い残し、更に腕を伸ばしてくる男を置いて、一気に歩を早める。
元春と久成は傷を受けていた。
そもそも、鬼と戦える武器を持っていない。
前衛を任せた二人もだ。
無理に戦えば、命に関わる。
道の真ん中で人を喰らっていた猿鬼が、チラリとこちらを窺うのが見えた。
倒しておくべきか、しかし……。
唄太は目を逸らし、先を急いだ。
前方からは戦いの声が聞こえている。
「おおおおっ!」
先頭を任されていた永助は、片膝を突きつつも槍を薙ぎ払い、猿鬼を牽制する。
だが、相手は既に、その槍が自分たちを傷つける事が出来ない事を知っていた。
ギャギャギャギャギャッ!
嘲笑うかのような声が響き渡る。
「主政様!」
「行ってください!」
元春と久成も、ここが死に場所と覚悟を決めた。
何より、もうこれ以上走れそうに無い。
槍を折られた通照は、刀を抜きつつ仲間に声を掛ける。
「伍長が来てくださる! それまで足止め出来れば良い!」
「おう!」
兵士たちの活躍により、餌に有り付けなかった猿鬼が、キィキィと声を上げながら、文官の列に紛れた女子供に目を向ける。
「ひいいぃ!」
情けない悲鳴を上げながら腰を抜かした者に、後から来た者が蹴躓く。
鬼を恐れ、川縁で一列になっていた文官たちは、忽ち立ち往生した。
それを見て、猿鬼は喜びの声を上げる。
鬼にしてみれば、まるで餌が陳列されているかの状態だった。
ギィーッ!
叫び、跳び掛かる猿鬼を、元春が槍で受け止める。
「おおっりゃあっ!」
押し返すように地面に転がし、即座に穂先で叩く。
ビシッと当たりはしたが、刃は鬼の毛を僅かに斬り飛ばしたに過ぎない。
この攻撃を合図にしたように、他の猿鬼たちも一斉に躍り掛かってきた。
同時に、文官たちが悲鳴を上げる。
阿鼻叫喚とはこの事か。
他人を押し退けて逃げようとする者、その場にしゃがみ込む者。
河原に飛び降りる者はまだ判断力がある方だろう。
皆一様に叫びを上げ、泣き喚く。
その中で兵士たちは懸命に猿鬼を防ごうとするが、嘲笑うように擦り抜けていく。
「クソッ!」
一匹の鬼が少女に伸し掛かったのを見て、通照は背後から斬り付ける。
勿論、刀は通らない。
咄嗟に鬼の頭を鷲掴みにして引き離そうとした。
ギロリと睨む猿鬼と目が合った。
その目に刀を突き刺したのと、鬼の爪が通照の首を切り裂いたのは、ほぼ同時だった。
目なら刺さる、そう仲間に伝えようと振り向きながら、通照は倒れ伏した。
久成は既に深手を負っていた。
ダクダクと流れる血が、体を冷やしていく。
懸命に振り回す槍も、全く鬼を捉えていない。
「チッ……、今日も戦果無しっすか」
体も小さく、腕力も無い、そんな久成を鍛えてくれた伍長に、せめて何か、恩を返したかった。
視界がかすみ、揺れる。
その中でただ、ただ槍を振り回し続けた。
こんな下手くそな振り方をして、きっとまた、伍長に叱られる。
そう思いながらも何故か、久成は最後まで笑っていた。
「元春っ! お前は主政様に付け!」
永助は最早立つ事も難しかった。
主政と共に前に進む事が出来そうなのは元春だけだ。
辺りは大混乱に陥っているが、酷い事を言えば、被害に遭うのは猿鬼の数だけだ。
最優先の護衛対象である主政を、この場から遠ざける事が出来れば、一先ずは何とかなる。
それより先の事は、きっと伍長が何とかしてくれるだろう。
槍を杖代わりに立ち上がった永助は、近場にいた三匹の猿鬼を、背後からボコボコと殴った。
なんら打撃になっていないのは解っている。
ただ、暫く、本の暫くだけ、自分に注目してくれれば良い。
猿鬼の、敵意に満ちた視線を受けて、永助も嬉しそうに笑っていた。
ハアッハアッと荒い息を吐き、主政は振り返る。
猿鬼に襲われた地点からは、未だそう離れていない。
悲鳴は煩いほど聞こえている。
それでも、安全圏までは抜けたようだった。
ガシャリと、護衛の兵士が倒れるように膝を突いた。
「何をしている! しっかりせんか!」
思わず怒鳴りつけるが、それに意味が無い事に、主政も直ぐに気が付いた。
「主政様……、どうか、どうかこのまま、お逃げください……」
彼は、顔を上げずに言葉を吐き出す。
「うむ。解った、ご苦労」
山津まではまだまだ遠い。
護衛無しは心細いが、だからこそ、先に逃げた町人たちに追い付かねばならない。
息を整え、歩き出そうとした主政は、ふと思い出したように問い掛けた。
「貴様、名は?」
しかし、答えは無かった。
「うおおおおぉっ!」
雄叫びを上げ、唄太は鬼を薙ぎ払った。
「立てっ! 久成っ! 通照!」
叫びながら、永助に群がっていた鬼たちに躍り掛かる。
驚いたように鬼たちが跳び退くと、その真ん中で永助はゆっくりと、前のめりに倒れていった。
「永助!」
唄太はそれを左腕で受け止める。
「伍長……、ありがとうございます……」
消え去りそうな声で応え、僅かに口元を綻ばせた永助は、しかし、目を開く事は無く、手に持った槍を取り落とした。
ギャギャギャギャギャッと猿鬼が、笑いとも威嚇とも取れる声を上げる。
「ぎゃー! ぎゃー!」
それに煽られるように、道端で男が頭を抱えながら悲鳴を上げた。
家族を抱きかかえるように座り込む者、悲鳴を上げながら川の中を逃げ惑う者。
何だろう。
唄太は、何故だか凄く、馬鹿らしい気分になってきた。
「た、た、た、助けてくれぇ!」
またしても、誰だかよく判らない男が唄太の袖を掴む。
いや、そんな余力があるなら走って逃げろよ。
冷徹な目を向け、心の中で呟くと、振り払って槍を構えた。
一応、まだ逃げ切れていない連中を護る義務はある。
それもあるが、このまま猿鬼を放置すれば、ここに倒れた者達が喰い荒らされる。
それだけは、それだけは許せない。
「来いっ! 雑魚共っ!」
叫びながら、唄太は槍を振り翳した。




