表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/92

第八十三話 懸命

「うおおおおぉっ!!」


 雄叫びを上げながら、幸永は爆発を伴う体当たりで鬼を突き飛ばす。

 いや、”飛ばす”と言う程は動かせなかった。だが、切断された脚からは僅かに距離を取る事が出来た。


 同時に鬼に斬り掛かっていた隠密たちが、爆発に巻き込まれゴロゴロと転がる。

 かつて百に近い小鬼を纏めて吹き飛ばした技だ、甲種隠密であっても全く無傷という訳にはいかないだろう。

 それでも、仲間を巻き込んででも、地下の鬼と分断出来るのは、今しか無いと思った。


 ズシャアッと、五本脚になった鬼が大地を滑りながらも、体勢を立て直そうとするが僅かに傾き、剣になった腕を突く。

 やはり、体から色々な物が生えているだけあって、姿勢を維持するのは難しいようだ。


 幸永も攻撃されれば避ける事が出来ないほど体勢を崩していたが、この隙に体を起こしながら後ろへ下がった。

 距離を取りながら見た鬼の目は虚ろで、口をパカリと開いたまま、首は傾げるように揺れていた。


 これは!?

 もう一匹の鬼の意思が通じなくなった所為か!


 綱を切った事により、もう一匹がどう動くかは判らない。

 このまま逃げられれば、手掛かりも無く追跡は難しい。

 また、逆に地中から襲いかかられたら、間違い無く危険な状況に陥るだろう。


 だからこそ、今、畳み掛けなければならない。

 もう一匹が動き出す前に。


「今だ! 有りっ丈の力を叩き込め!」


 どれほど攻撃しても効果が無いように見えたのは、損耗した負気を即座に補っていたからに過ぎない。

 例えどんな鬼であっても戦い続ければ弱体化する事が出来、補給、回復さえさせなければ、いずれは倒す事が出来る。


「おお!」


 仲間たちが気勢を上げる。

 真っ先に跳び込んだのは、御杖代だった。

 爆発に巻き込まれた事など、何とも感じていないように、幸永に敵意や害意を向けてくる事も無いようだ。


 ザンッ!


 今までの苦戦が嘘であるかのように。

 御杖代は初太刀で、短刀を持つ鬼の右腕と片翼、剣になった腕の三本を纏めて斬り落とした。

 そして、返す刀で首を飛ばす。


 余りにもの急展開に、幸永は一瞬立ち竦んでしまった。


 何という威力。

 あの青銅の剣は、金属の刃は全く斬る事が出来なかったのに、鬼の体はまるで藁人形のように斬ってしまう。


 同時に、背中側から攻撃を仕掛けた隠密たちの技が、立て続けに直撃する。

 鬼の体が大きく傾き、直後に、背中側の首がグルリと回ってこちらを見た。


 あれが、本体!

 間違い無いと、幸永は確信を得た。


 再び、御杖代が斬り掛かるが、残った剣で受け止められる。

 その隙に、ガラ空きになった右半身から幸永が斬り付けた。


焦刃(しようじん)斬破(ざんぱ)!」


 ガッ!


 薙ぎ払うような一撃が鬼の側頭部を捉える。

 だがしかし、ほんの一寸すら斬り込めていない。

 ぶち当たった刃を、鬼がジロリと睨んだ。


 更に斬り掛かる御杖代の刃を、体を捻るようにして斬り返し、そのまま、もんどり打つ様に倒れて転がる。

 幾人かの隠密が脚に斬り掛かるが、やはり斬れない。


 鬼は五本脚の膝を折ったまま体を起こすが、立ち上がろうとせず、残った左の翼はダラリと垂れて邪魔になっている。

 恐らく、あの鬼は自分が持つ手足や翼を扱いきれていない。

 間違い無く、今こそ好機。


 だが、幸永自身も、既に余力が少ない。

 目線で鬼を威圧しつつ、仲間に攻撃を任せた。


 ギィイン!


 鬼は、御杖代の攻撃だけを受け止め、他の隠密にはされるが儘に任せている。

 幸永の渾身の一撃を、側頭部に受けて耐えた事で、脅威に成り得ないと判断したのだろうか。

 御杖代は両腕を剣に変えているが、左右交互の、しかも大ぶりの攻撃しかしていない。

 剣に関しては、正に”ど”が付く素人だ。


 このままでは、決め手に欠けて時間だけが掛かってしまう。

 その事が幸永に一抹の不安を与えた。


 地中の鬼は、まだ動きを見せないのだろうか。

 綱を切られ目を失って、状況が把握出来ていないのかも知れない。


 ふと、斬り落とされた鬼の脚を思い出す。

 それは、まだ地下の鬼に通じているはずだ。

 振り返って見れば、その場に転がっていたはずの脚は消え失せ、負気の綱は全く見当たらない。


 逃げた、か?


 それは、一瞬の油断だったかもしれない。


 立ち上がりも出来ず、攻撃を受け止める事しか出来なかったはずの鬼が、バネ仕掛けのように幸永に躍り掛かった。


「ぬぅっ!」


 すぐに気付き、咄嗟に下から斬り上げる。

 鬼の左半身から生えた三本の剣を、一太刀で受け止めようとした、その時、一瞬で鬼の右腕が生えた。


 何の事は無い、ちょっと爪が鋭いだけの、ただの鬼の腕。

 それが、幸永の胸に突き刺さった。


「おおおおっ!」


 神気で強化された肉体を、苦も無く貫き通す。

 振るった刀は鬼の剣を受け止めてはいるが、力を込める事が出来ない。

 そのまま、伸し掛かられるように背後に倒れる。

 倒れつつ、幸永は鬼の腹を蹴り上げた。

 左手を伸ばし、自分を貫く鬼の二の腕を引くように掴む。


 ドシャァ!


 自分も後ろ頭をしこたま打ち付けたが、鬼も脳天から大地に落ちた。

 視界が大きく揺らぎ、体に熱が(ほとばし)る。

 同時に、ズルリと体から抜ける鬼の爪が、まるでゴッソリと何かを持って行ってしまったかのような感覚。

 動かなくなりそうな下半身を気合いだけで動かし、跳ね起きると同時に刀を構えた。


 隙だらけだ。


 体を起こそうとする鬼の動きが、酷くゆっくりした物に感じた。


「豪炎地裂斬っ!」


 残された神気を、一欠片も残さぬように、全身全霊込めて。

 放たれた剣技は、鬼の肩口を捉えた。




「立てっ! 立たぬ者は置いて行くぞ!」


 そう叫びながら、主政はへたり込んでいる部下の襟首を引いて立たせた。


 自分の大切な家族も含め、女子供が大勢いる。

 鬼を攻めるのは兵士がやってくれるが、守るのは自分たちがやらねばならない。


 こんな時の為に町人共を連れだったというのに、その、楯になるべき町人は、あろう事か自分たちを置いて先に逃げてしまった。


「立てっ! 行くぞ!」


 もう一度、皆に声を掛け、妻を背に庇いながら前方を睨む。


 猿鬼は、何匹いるか判らない。

 だが、既にそれぞれ獲物を得ているようで、各々が人に喰らい付いていた。


 凄惨な光景であるが、主政はこれに好機を見いだした。

 鬼が人に喰らい付いている今ならば、自分たちが襲われる事は無い。

 ある意味、囮としての役目を果たしてくれているのだ、今しか無い。


 主政は刀を両手で握りしめると、河原に近い辺りに道筋を定め、一気に駆け出した。


 それを背にして、唄太は一人、鬼に立ち向かっていた。

 既に息絶えた町人を(むさぼ)り食う猿鬼は、ありがたい事に隙だらけだった。

 言葉も発さず、立て続けに突き、地面に叩き付ける。


 後顧の憂いを断って前に向き直ると、主政たちは既に走り出していたが、その列は無様な長蛇と化していた。


 あれは拙い。

 どこか一カ所が襲われれば、その後ろは容易く分断され、鬼の餌食となりかねない。


 唄太は僅かに迷った。

 襲われている町人を助けるべきか。

 主政たち、文官を護るか。


 一瞬の逡巡の後、唄太は駆け出した。

 悩むまでも無かった、襲われている人達は、既に手遅れだ。

 生きていたとしても、助からない、助けられない。


 唄太は背を向けている鬼を突き殺す事も無く、そのまま走り抜けた。


 恐ろしい事に文官たちの列は非常に足が遅かった。

 女性たちは走っている風には見えるのだが、その速度は唄太の早歩き程度、ひょっとしたら更に遅いかも知れない。

 一部の文官に至っては、片手に刀を抜きつつ、青い顔をしながらフラフラと歩いてしまっている。


「急いでください! 早く!」


 言うだけ無駄と思いつつも、横を通り抜けながら声を掛ける。

 不意に、グッと袖が引かれた。


「助けてください、助けてください、兵士さん……」


 涙ながらにそう訴えてきたのは、唄太と年もそう変わらない男性だった。

 そして、唄太の袖に縋り付くように、その場にへたり込む。


 なんなんだ、コレは。


 それは、唄太には理解しがたい存在だった。

 助かりたいなら、立って走れば良い。寧ろそれしか無い。

 武器を取って戦えとすら言っていない。

 それにも拘わらず、まるで物語のお姫様のように、縋り付いて助けを求める、大の男が。


 熱くなっていた心に、スウッと冷たい物が降りて来た。


 多くの兵士が命懸けで戦っているのに、その仲間を残して、護るべき湯川の人々を残して、そして今、こんな奴を助けるのが、自分の使命なのか。


 思わず乱暴に袖を引き、男を振り払う。


「立って。自分の脚で立って逃げてください」


 苦々しくそう言い残し、更に腕を伸ばしてくる男を置いて、一気に歩を早める。


 元春と久成は傷を受けていた。

 そもそも、鬼と戦える武器を持っていない。

 前衛を任せた二人もだ。

 無理に戦えば、命に関わる。


 道の真ん中で人を喰らっていた猿鬼が、チラリとこちらを窺うのが見えた。

 倒しておくべきか、しかし……。


 唄太は目を逸らし、先を急いだ。

 前方からは戦いの声が聞こえている。



「おおおおっ!」


 先頭を任されていた永助は、片膝を突きつつも槍を薙ぎ払い、猿鬼を牽制する。

 だが、相手は既に、その槍が自分たちを傷つける事が出来ない事を知っていた。


 ギャギャギャギャギャッ!


 嘲笑うかのような声が響き渡る。


「主政様!」

「行ってください!」


 元春と久成も、ここが死に場所と覚悟を決めた。

 何より、もうこれ以上走れそうに無い。

 槍を折られた通照は、刀を抜きつつ仲間に声を掛ける。


「伍長が来てくださる! それまで足止め出来れば良い!」

「おう!」


 兵士たちの活躍により、餌に有り付けなかった猿鬼が、キィキィと声を上げながら、文官の列に紛れた女子供に目を向ける。


「ひいいぃ!」


 情けない悲鳴を上げながら腰を抜かした者に、後から来た者が蹴躓(けつまづ)く。

 鬼を恐れ、川縁で一列になっていた文官たちは、(たちま)ち立ち往生した。

 それを見て、猿鬼は喜びの声を上げる。

 鬼にしてみれば、まるで餌が陳列されているかの状態だった。


 ギィーッ!


 叫び、跳び掛かる猿鬼を、元春が槍で受け止める。


「おおっりゃあっ!」


 押し返すように地面に転がし、即座に穂先で叩く。

 ビシッと当たりはしたが、刃は鬼の毛を僅かに斬り飛ばしたに過ぎない。


 この攻撃を合図にしたように、他の猿鬼たちも一斉に躍り掛かってきた。

 同時に、文官たちが悲鳴を上げる。


 阿鼻叫喚とはこの事か。

 他人を押し退けて逃げようとする者、その場にしゃがみ込む者。

 河原に飛び降りる者はまだ判断力がある方だろう。

 皆一様に叫びを上げ、泣き喚く。

 その中で兵士たちは懸命に猿鬼を防ごうとするが、嘲笑うように擦り抜けていく。


「クソッ!」


 一匹の鬼が少女に伸し掛かったのを見て、通照は背後から斬り付ける。

 勿論、刀は通らない。

 咄嗟に鬼の頭を鷲掴みにして引き離そうとした。

 ギロリと睨む猿鬼と目が合った。

 その目に刀を突き刺したのと、鬼の爪が通照の首を切り裂いたのは、ほぼ同時だった。


 目なら刺さる、そう仲間に伝えようと振り向きながら、通照は倒れ伏した。



 久成は既に深手を負っていた。

 ダクダクと流れる血が、体を冷やしていく。

 懸命に振り回す槍も、全く鬼を捉えていない。


「チッ……、今日も戦果無しっすか」


 体も小さく、腕力も無い、そんな久成を鍛えてくれた伍長に、せめて何か、恩を返したかった。

 視界がかすみ、揺れる。

 その中でただ、ただ槍を振り回し続けた。


 こんな下手くそな振り方をして、きっとまた、伍長に叱られる。

 そう思いながらも何故か、久成は最後まで笑っていた。



「元春っ! お前は主政様に付け!」


 永助は最早立つ事も難しかった。

 主政と共に前に進む事が出来そうなのは元春だけだ。


 辺りは大混乱に陥っているが、酷い事を言えば、被害に遭うのは猿鬼の数だけだ。

 最優先の護衛対象である主政を、この場から遠ざける事が出来れば、一先ずは何とかなる。

 それより先の事は、きっと伍長が何とかしてくれるだろう。


 槍を杖代わりに立ち上がった永助は、近場にいた三匹の猿鬼を、背後からボコボコと殴った。

 なんら打撃になっていないのは解っている。

 ただ、暫く、本の暫くだけ、自分に注目してくれれば良い。


 猿鬼の、敵意に満ちた視線を受けて、永助も嬉しそうに笑っていた。




 ハアッハアッと荒い息を吐き、主政は振り返る。

 猿鬼に襲われた地点からは、未だそう離れていない。

 悲鳴は煩いほど聞こえている。

 それでも、安全圏までは抜けたようだった。


 ガシャリと、護衛の兵士が倒れるように膝を突いた。


「何をしている! しっかりせんか!」


 思わず怒鳴りつけるが、それに意味が無い事に、主政も直ぐに気が付いた。


「主政様……、どうか、どうかこのまま、お逃げください……」


 彼は、顔を上げずに言葉を吐き出す。


「うむ。解った、ご苦労」


 山津まではまだまだ遠い。

 護衛無しは心細いが、だからこそ、先に逃げた町人たちに追い付かねばならない。

 息を整え、歩き出そうとした主政は、ふと思い出したように問い掛けた。


「貴様、名は?」


 しかし、答えは無かった。




「うおおおおぉっ!」


 雄叫びを上げ、唄太は鬼を薙ぎ払った。


「立てっ! 久成っ! 通照!」


 叫びながら、永助に群がっていた鬼たちに躍り掛かる。

 驚いたように鬼たちが跳び退くと、その真ん中で永助はゆっくりと、前のめりに倒れていった。


「永助!」


 唄太はそれを左腕で受け止める。


「伍長……、ありがとうございます……」


 消え去りそうな声で応え、僅かに口元を綻ばせた永助は、しかし、目を開く事は無く、手に持った槍を取り落とした。


 ギャギャギャギャギャッと猿鬼が、笑いとも威嚇とも取れる声を上げる。


「ぎゃー! ぎゃー!」


 それに煽られるように、道端で男が頭を抱えながら悲鳴を上げた。

 家族を抱きかかえるように座り込む者、悲鳴を上げながら川の中を逃げ惑う者。


 何だろう。

 唄太は、何故だか凄く、馬鹿らしい気分になってきた。


「た、た、た、助けてくれぇ!」


 またしても、誰だかよく判らない男が唄太の袖を掴む。


 いや、そんな余力があるなら走って逃げろよ。


 冷徹な目を向け、心の中で呟くと、振り払って槍を構えた。


 一応、まだ逃げ切れていない連中を護る義務はある。

 それもあるが、このまま猿鬼を放置すれば、ここに倒れた者達が喰い荒らされる。

 それだけは、それだけは許せない。


「来いっ! 雑魚共っ!」


 叫びながら、唄太は槍を振り翳した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ