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第七十九話 町の神祇官

 郷司の命に従い、避難してくるであろう人々を受け入れる為、虹子は鳥居の下で石段を見下ろしていた。

 だが、いつまで待っても、誰一人上がってこない。

 何とも言えない不安感に苛まれ、拝殿の階に腰掛ける父と夫の元へと戻り、疑問を投げかける。


「まだ、誰もいらっしゃいません。大丈夫なのでしょうか……」


 父である神祇官は、口元を手で覆うようにして肘を突き、欄干越しに東の、町の入り口の方を眺めていた。


「……うむ」


 返答は、しかし返答ではない。

 彼も現状を把握してはいないのだ。

 ただ郷司の言葉を信じ、先ず自身の安全を確保し、避難してくるであろう人々を護らなければならない。

 そう、考えつつも、疑念が拭えない。


 郷司様は、何を隠されていた?

 自分には話せない秘密。謎の術者の存在。

 そして、森を焦がすほどの爆炎。


 強烈な神気と、それを受けて尚健在の負気。

 尋常ならざる戦いが行われているであろう事は、疑いの余地が無い。

 にも拘わらず、誰一人避難してこないのは何故か。


 自分は信頼を得ていなかったという思い込みが、郷司への不信を煽る。

 だが、それでも、郷司が自分を必要としていなかったとしても、最後に町と人々を護るのは、この町の神祇官である自分であるとの自負に変わりは無い。


「虹子、来てくれ。念の為に話しておきたい事がある。惟禎、暫く任せる。町の人が上がってきたら、参集所に入ってもらえ」


 郷司の連れている術者がどの程度の者かは判らないが、必ず勝てるとは限らない。

 今まで観察した限りでは、寧ろ勝てそうには思えない。


 神祇官は虹子を伴って本殿へ進み、扉に手を掛けた。

 木の軋む重い音を立てながら、ゆっくりと開かれたその奥には、更なる扉が見える。

 普段、開け閉めされるのは表の扉のみで、奥の扉のその中には、社司である神祇官しか入る事は許されていない。

 秋の祭りの時など極まれに開かれる事もあるが、御簾が掛かっていて、虹子ですら中を見た事は無かった。


 神祇官は殿内の端に置かれていた机の上から、御匙(みひ)と呼ばれる棒状の鍵を取り、扉に掛かった錠に差し込んだ。

 カチリと小さな音を立て、錠が二つに分かれる。

 フウッと息を吐き、僅かに背後を窺うと、外した錠をその場において、神祇官は語り出した。


「我が家に代々伝わる、神霊の加護を(たまわ)る秘儀、降神の儀について話しておこう」

「降神?」


 それは、神の依り代となる、所謂(いわゆる)ご神体や神籬(ひもろぎ)に神霊を降ろす儀式だ。

 少なくとも、虹子はそう解釈していた。


「通常の、神器に神をお招きする儀式と、基本的には同じだが、秘儀たる所以(ゆえん)、それは人を依り代として執り行う事にある」

「人……に、神を降ろす、お招きするのですか?」


 何と罰当たりな、と、それこそ神祇官である父なら言いそうに思えた。

 普通なら考えられない発想だ。


「そうだ。神主を(しん)の御柱に見立て、そこに神を降ろす。それにより、神の力を自在に操る事が出来るように成るという」

「そんな、まさか……」


 罰当たりどころの騒ぎでは無い。

 感謝の誠を捧げるべき神霊を、その力を、自己の思うが(まま)に利用しようと言う、その為の儀式。


 驚きの表情を見せる虹子に、神祇官はゆっくりと振り返る。

 その目は何時に無く厳しい。


「本来、神霊に奉仕する我々が、決して行ってはいけない、禁断の儀式だ。……それを、その方法を脈々と伝えてきたのは、真に国や民に恐ろしき災厄が降りかかった時、それを振り払う為である」


 父の言わんとする事の意味が、虹子にも解った。


「今、この時こそ、神霊の力を借りるべき時なのですか」


 真っ直ぐに見つめ返した虹子に、しかし神祇官は目を逸らした。


「……判らん。ただ、恐らく郷の軍を以てしても、郷司様の連れてきた術者の力を以てしても、町を護れるとは思えん」


 確証がある訳では無い。

 だが、長らく戦いが続いているが、恐ろしいまでの負気が全くと言っていいほど減っていない。

 町を滅ぼし得る凶悪な鬼を、未だに倒せていないのだと、彼は考えていた。


 フウゥッと再び、先ほどよりも深く息を吐き、神祇官は虹子に向き直った。


「この儀式は、神の依り代たる神主と、儀式を執り行う審神者(さにわ)が必要になる」

「はい」


 それは解る。

 そうなると、当然……。


「儀式を執り行うのは、儂にしか出来ん。虹子には神主をして貰う事になる」

「はい」


 そうであろうと思った。

 そうするしか無い。


 納得の意を示した虹子に、神祇官は僅かに表情を曇らせる。


「……なにか?」


 なにか、言い難い事があるのだろうか。


「虹子」

「はい」

「この儀式で、降神の儀でその身に神を降ろした者は、神を還したのちに、気が触れてしまうと伝えられておる」


 目を見開き、思わず耳を疑った。


「それは……」

「神霊の祟りか、罰が当たったのか、単にその身に神を降ろす事に、人の心が耐えられないのか、理由は判らんが、神主を務めた者は正気を無くし、二度と元に戻る事は無いそうだ」


 虹子は言葉も無く、父を見返した。


「だから、この儀式は、出来れば使いたくない。神霊に対してどうこうと言うよりも、お前を……犠牲になどしたくはない」


 吐き捨てるように、俯き加減にそう言った、それは父親としての心情なのだろう。


「解りました」


 虹子は、胸元に手を当て頷いた。


「それでも、やらざるを得ない状況に、成るかも知れないのですね」

「……そうだ」

「なら、教えてください。それが私にしか出来ないというのなら、躊躇いなど致しません」

「虹子……」

「教えてください。もし、必要が無く終わればそれで宜しいですし、もし、それが必要になった時、用意が出来ていなかったのなら、きっと後悔致します」

「……すまない」


 かつて見た事も無いほどに項垂(うなだ)れて、父が応えた。

 本来なら、自分が神主を務めたいところなのだろう。

 だが、代わりに儀式を執り行える者はいない。


「先も言った通り、儀式自体は審神者である儂が取り仕切る、先ずは……」


 言葉を続けながら、神祇官は錠の外された扉に手を掛けた。




 鬼の属性変化で最も目を引くのは、やはり炎と雷である。

 何と言っても見た目が派手で、特に雷は轟音を伴う。

 ただ、雷を使う鬼は負気の消耗が激しく、強敵には違いないが、持久力が無いので対応は取りやすい。

 片や炎系の鬼は雷に比べれば長持ちし、何より、ただ立っているだけで周りに熱を放ち、火災を広げる。

 野山で戦いたくない鬼と聞けば、多くの隠密が火性鬼を挙げるだろう。


 (もつと)も、火性鬼と戦いたくない場所はどこかと問われれば、一に密室、二に人の居る町中が挙がるのは間違いない。


 ゴウッと音を立て、真ん中の鬼の纏っていた負気が紅蓮の炎に変わる。

 黒くズングリした出で立ちだった、その中身が、やっと目で確認出来た。


 ”外側”は八尺ほどあったが、中身は一回り小さい。恐らく七尺は無いだろう。

 そしてその内、約一尺は角だ。

 多くの鬼と戦ってきた朱鷺でさえ、見たことの無い程大きな角。

 経験上、鬼の強さと角の大きさは比例する。

 何故かは解らないが、人の鬼のみ、抱え込んでいる負気の総量が角に(あらわ)れる。


 やはり、強い、か。


 大きく距離を取りながら、朱鷺はその角を、そして鬼の全身を確認する。


 特筆すべきは角の大きさだが、他に、これと言った特徴は無い。

 腕先、脚先は溶けるように炎と一体化しており、膝から上が、人型の炎の中に浮かんでいるように見える。これは炎の上級鬼としてはごく普通の事だ。

 腰布は元から着けていなかったのか、燃え尽きたのか、見当たらなかったが、露出しているはずの陰部は形を為していない。

 胴の部分も、(なか)ば炎と同化しているのだろう。

 そして、背から伸びていた、負気溜りに続く綱がどうなっているかは、ここからは判別出来なかった。


 左右、二体の鬼もそれぞれ属性変化し、体を覆っていた負気が物質化していく。

 真ん中の鬼とは違い、大きさに変化は無く、中身の角さえ見えないままだった。

 液状の負気がグニグニと動き、向かって右のそれは土に、左のそれは岩に変化しているように思えた。


 土性鬼と、岩性鬼?

 ……いや、違う。


 土性と思えた右の鬼は、普通の土を纏った鬼とは明らかに違い、ズルズルと(うごめ)くような、多量の水を含んだ泥で覆われている。

 左は確かに岩石で覆われているが、その表面は、キラキラとした金属質の輝きが見て取れる。


「何だ? 泥と、鉱石か?」


 隣りに立つ宗泰も、同じ判断を下したらしい。


「珍しい……。どうしてこうなったの?」


 三体の鬼を睨み付けながら、自問するように朱鷺が呟く。


 鉱山で死んだとか、泥に沈んで死んだとか、鉱石や泥に強い思い入れがあったとかでは無いだろう。

 また、鬼が力を付けていく過程で、望んだ力や、その性格、性質に合う属性を身に付けるのとは、何かが違う気がする。

 今日、負気に呑み込まれて鬼に成ったばかりの者が、こんな特殊な変化を為すだろうか?


 朱鷺は広場に転がる、先に倒した大鬼……金性鬼の残骸に目をやる。


 そう言えば、金性鬼が腕を刃物に変化させるのは解るが、鎖付きの鉄球とか、何処をどうすればそんな変化が出来るように成るのか?


 あっさりと斬り落としてしまったので、そしてその後の事があったので深く考えなかったが、先の鬼は明らかにおかしい。

 いや、今、目の前にいるこれらも、多分、”おかしい”類いだ。


「鬼の……負気に対する知識はどこから来るの?」

「なに?」


 疑問を含んだ独り言に、宗泰が問い返す。

 だが、朱鷺は自分の中に返答を求めた。


「経験に因る物だと思っていたけど、違うのかも。だとすると」


 負気その物が……、取り込んだ負気その物に、負気の扱い方が含まれている、のだろうか?


 ズシャリと大きく音を立て、泥の鬼が一歩前に出た。

 考え事をしている時間はここまでだ。


「どれがよさそう?」


 改めて、やや軽い口調で朱鷺が訊いた。


「普通に考えれば、鉱石か炎だろう」

「私は、普通に考えれば、泥の奴ね」


 ただ相性だけで考えればそうだろう。

 もし相手が上級鬼であれば、事実そのように分けて、難無く討伐したはずだ。


 チラリと二人が視線を合わす。

 朱鷺はそのまま、先の戦いで宗泰が燃やした森に目を向ける。

 軽く唾を飲み込み、宗泰も頷いて応えた。


 町に入れる訳には行かない。

 反対方向の森に引き込み、そこで戦うしか無いだろう。


 残り二体も足を踏み出した。

 それに合わせて、朱鷺は右前方、泥の鬼に向かって駆け出す。

 宗泰は真っ直ぐ森に走りつつ、札束を()る。


 成る可く派手な物。

 そう思い、かつて友人が作り出した術札に、込められるだけの霊力を追加する。


「雷槍!」


 翳した手の上、水平に雷が走り、それが五本の槍の形で固定される。


「せいっ!」


 気合いと共に腕を振り下ろすと、パッと雷光が走り、同時に雷鳴を轟かせて鬼に突き刺さる。


 ガガァーッン!


 衝撃を伴う着雷を、目を細めるだけでやり過ごし、朱鷺は泥鬼に迫る。

 鬼たちはやはり、小揺るぎすらしていない。


 朱鷺が刀を振るより一瞬早く、泥鬼が腕を振り下ろす。


 まだ届かない距離だ。……という事は。


 朱鷺は攻撃を中断し、右へと跳ぶ。

 直後、グンッと伸びた泥鬼の腕が、地面に叩き付けられた。


 ……やっぱり。

 あの鬼は、自分の腕が伸びる事を知っている。

 どれくらいの速度で、どれくらいの距離に届くか、最初から理解している。


 隠密が神霊の力を借りて技を使うには、それなりの訓練が必要となる。

 先ず試してみて、修正し、繰り返し練習して、威力、早さ、攻撃範囲などを確認していく。

 鬼も同じような物だと、勝手に誤解していた。

 奴らは、少なくとも目の前のこの鬼たちは、こうなった時から知識と経験を有している。


 推測が正しいなら、負気その物に、知識と経験が込められているのだろう。

 それどころか、意識と、判断力も、か?

 なら、先の鬼が首を飛ばしても動いていた事に説明が付く。

 頭では無く、あの鬼の中に在った負気が、体を動かしていたのか。


 思えば、液状の負気溜りはミミズのように纏まって、街道を南下してきた。

 意思を持ち、街道を認識して移動していたのは、間違い無い。


 考えれば解る事だ。何故考えつかなかったのか!!


 朱鷺は視線を鬼たちに向けたまま、跳び下がるように森へと近付く。

 鬼が距離を詰めてきたら、もう一撃当たって、森の中に誘い込むつもりでいた。

 だが、視線は街道の北、坂道へと続く負気溜りに向けられる。


 もし自分がもう二、三人いたなら、この場を任せて、街道に続いているだろう負気溜りを斬り刻んで散らすのに。


 恐らく、それが正しい方法だ。

 大きな一つの固まりでは無く、細かく切り分けて小鬼に変化させれば、負気溜りの意思も、知識や経験も分断されるはず。

 後ろの負気溜りこそが本来の敵、鬼その物で、手前のあれらは、ただの手足か武器だろう。


 早く、この場を任せられる援軍が来てくれれば。

 誰でも良い、町を護ってくれる者さえ居てくれれば。

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