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第七十七話 守るため

 皇儀の隠密は、なるべく人に顔を知られないようにしている。

 活動の妨げに成りかねないし、その相手が監視対象、若しくは暗殺対象になる可能性だって有り得るからだ。


 そうは言っても、派手に活動する甲種隠密は、往々にして人に姿を見られる事もある。

 他所から来た隠密は、そのまま町を離れればそれで良しとした。

 町付きの甲種はそうもいかないので、基本的に顔を隠すなどして、細心の注意を払いながら行動している。

 反面、丙種以下の、情報収集や補佐を主とする隠密が、そうであると知られる事はまず無い。

 彼らが人前で戦う事自体が、”まず無い”からだ。




「この負気を、何とかしろって言うのね」


 彼女は、普段、町の茶屋で遊女をしている。

 夜になれば温泉旅館に出向き、宴席に上がってお遊びを行い、そのまま客と床につく。

 しかし、今夜は客を寝所に残したまま、化粧を落とし、小袖を身に着けて、町の入り口まで駆けつけてきた。


「無理だろ……」

「無理ですね」


 隣で、柵の隙間から外を覗いていた若い男女が、呻くように吐き出した。

 彼らもまた、丁種隠密。つまり、単なる情報提供者だ。

 一般人との違いは、多少知識があると言う程度でしかない。


「でもこのままじゃ、町が危ないんでしょう?」


 彼女たちが集まっているのは、町の入り口の門の脇に建てられた、小さな詰め所の前だった。

 すぐ脇には、怪我人と、既に息絶えた兵士たちが寝かされている。


「危ないってもんじゃ無いね」


 北口から逃げる事が出来ないのは、既に知らされている。

 門を破られれば、悲劇的な展開は免れない。


 避難を促されたらしい町人たちが、ぱらぱらと集まってくる。

 その中から、一人二人と、詰め所に向かって来る人間がいた。


「貴方も……だったの?」


 遊女が声を掛けたのは、公衆浴場で湯女を務める女だった。

 互いに顔見知りではあったが、皇儀に関係していたとは知らずにいた。


「色々とご縁がありまして。私がこうして生きていられるのも、彼らのお陰。いつかご恩を返したく思っていました」

「へぇ……」


 それは自分も、ここに集まった皆も同じかも知れない。


「そうは言っても、あれはどうにも成らんだろ」


 最初からこの場所に居た、下位役人の男が柵を握りしめながら、顎で外を指し示す。


「全員っ! 撤退っ!」


 指し示された先で、鬼と戦っていた女が大きく声を上げた。

 支えきれなくなったらしい。


「拙いわね」

「ですね」


 兵士を率いていると思わしき男が、大声で指示をだす。

 避難し始めていた町人は、町の中に押し戻されるようだ。


「上からのお願いは、負気の祓い清め、だそうだ」

「聞いた。出来ないって答えといた」

「俺も出来ん」


 そんな事は、多分”上”も解っている。

 だから、無理を承知でお願いなのだ。


「では、できる事をやりましょうか」


 遊女は腰の刀に手を添えた。

 飾り気の無い、黒鞘の脇差し。

 以前、ある隠密から貰った物で、黄金色の青銅で出来ている。


「小鬼くらいなら、何とか出来るでしょう?」


 やった事は無いけれど。


「負気は祓ったり清めたり出来ないけど、小鬼は斬れば祓えるって言うし」

「ああ、そうだな。小鬼の相手ができそうな者は、兵士たちが取り溢した鬼の相手をしよう。それ以外の者は、町人の避難だ」


 下級役人が案を出す。

 それに湯女が疑問を呈した。


「避難って、何処へ?」


 町の外には、もう出られない。


「日が昇る頃には、山津から援軍が来ると聞いている。それまで持ちこたえれば良い。……そうだな、温泉旅館と郷司の館、それと神社だろう」


 普段から、立て籠もるとすればその三カ所と決められている。


 騒がしい声と共に、兵士が町人を押し戻し、門が閉じられた。

 そこに隊長の姿も見える。


「俺が話してこよう。……そうだ、お前等、顔バレしても良いのか?」

「駄目でしょうけど、仕方ないわね」

「ふふっ、生き残ったら心配しましょ」


 意外な事に、半数以上が小鬼と戦う事を選択した。

 どちらにせよ、先ずは町の兵士や衛士と、状況と判断を共有しなくてはいけない。


 丁度、衛士長の姿が見えたので、下位役人は片手を挙げて声を掛けた。

 その向こう、一風変わった集団に気が付いた隊長が、目線を向けてくる。


「じゃあ、ちょっと話してくる」

「任せます」


 下級役人を見送りながら、残った者はそれぞれの装備を確認した。

 丁種でも、神器を持っている者はいる。

 遊女のように、青銅製の武器を持つ者もいた。


「無理をしすぎないように、強い相手は強い仲間に任せましょう」


 声を掛け合い、門前を見る。


 町の中からは、まだ人が集まり続けていた。

 奥への避難を、早く始めた方が良いだろう。




 急に問題が発生したらしく、三十人程の町人が列を離れて町へ戻ってしまった。

 主政が列に入るのが遅れた事もあり、文官とその家族の後ろには三家族、十五人しか居ない。


 鬼を防ぐ楯だと考えれば、余りに心許ない。


 また、一緒に来るのかと思われていた兵士たちは、門前からから八半里(500m)で立ち止まり、町に向かって列を整え始めた。

 彼らはそれが役目なのであろう。


 急がせたにも拘わらず、再び集団の足が遅くなった事も合わせ、主政は一人(いら)ついていた。

 何が起こっているのか、正確には理解出来ていないのだが、単純に、恐ろしい。怖い。

 だが、妻子や部下の前でそれを顕わにする訳にはいかなかった。

 目の前の町人を押し退けて、先に逃げる事など出来るはずが無い。


「あっ」


 後方を確認していた護衛の伍長が、不意に声を上げた。


「なんだっ!」


 釣られて振り返る。

 人が邪魔でよく見えないが、槍を持った者が二人、兵士の列から駆け出して来ていた。


「良くない知らせか?」


 そんな事は、確認をとらなければ判らない。

 だが、思わず声に出してしまう。


「いえ。あれは最後尾に付けるはずだった部下です。追いかけてきてくれたみたいです」


 たった二人か。

 いや、二人だとしても、槍を持った人間が増えるのはありがたいと考えるべきか。


「うむ」


 ただ頷いて誤魔化し、再び前を見る。


 避難民の中には当然ながら、子供や老人も多く含まれており、彼らの歩く速さが集団の移動速度になっていた。

 更に言えば、走る事が出来る限度も、彼らの体力に依存する。

 それを無視すれば、(たちま)ち混乱に(おちい)り、列は途切れ途切れの長蛇になってしまう。

 そこでもし何者かに襲われれば、最早逃げようは無いだろう。


 何か、もっと早く移動させる方法は無いか?

 少しでも早く、湯川の町から、鬼から離れる方法は。


「主政様っ!」


 突然、伍長が声を荒げる。


「何だっ!」


 今度こそ何か来たか?


「判りません、ですが……」


 伍長は後ろに並んでいた者達を押し分けるようにして、走ってくる部下の姿を主政に見えるようにした。

 その二人は、提灯を振りながら東の森を指さし、何かを叫んでいるようだった。


「何だ……、何か居るようには見えんが?」

「こちらからは見えないとしても、あの二人からは見えている可能性があります。ご注意を」


 そう言いながら、槍を構えて進行方向左の森へ近付いていく。


「皆を、もう少し急がせてください」


 そうしたいのは山々(やまやま)だが、長くは走れないだろう。

 少し脅してみるか?


「後ろから何か来ておる! 皆、走れっ!」


 言ってから、拙かったかと考える。

 当然の様に悲鳴が上がり、前の者を押すようにして一斉に駆け出した。

 子供が突き飛ばされて転び、助けようとした母も押し倒される。


 兵士の様に、ただ足並みを揃えて走る事が、何故こいつらには出来ないのか。


 そんな事を考えていると、後ろに居た誰かに背を押された。

 文官の家族たちとは違い、町人たちは遠慮無く主政を押し退けて逃げようとする。

 余りに無礼な態度に憤りを覚えつつも、今はそれに構っている余裕は無い。

 早く動かねば、後ろの楯が益々薄くなってしまう。


「お前たちも、行くぞ」


 周りに居る文官たちに声を掛け、自分も急ごうとした。

 その時。


 ザアアッと、梢が鳴った。


 ハッとそちらを振り仰ぐと、幾つかの黒い固まりが飛び出してきた所だった。


「はあっ!」


 気合いと共に、伍長の振るった槍が黄金の弧を描き、それに触れた何かが真っ二つに裂けた。

 しかし、それ以外の物は人々に飛び掛かる。


 ギャアアァッ!!

「きゃああっ!」


 化け物の叫びと、女の悲鳴が重なった。


 黒い、毛むくじゃらの、何だ?


 それが何かも解らないまま、主政は刀を抜き放ち、部下の家族に掴み掛かっていたそれを、背後から斬り付けた。


 ドッ!


 鈍い、濡れた布束を殴ったような手応え。

 グルリと首を回し、それが振り返った。


「ひっ!」


 情けない声が漏れ、主政が一歩下がる。

 その姿を見て、()し掛かっていた女を蹴り飛ばし、それが主政に腕を伸ばす。


 目を見開く事しか出来ない主政に、手が届くかと思われた寸前、ドッと音を立てそれが視界の外へ消えた。

 代わりに金の飾りが付いた槍の柄が視界を横切る。


「お下がりくださいっ!」


 伍長は振り払うようにそれを大地に叩き付け、更にグンッと上段へ槍を振り上げ、他の女性に取り付いていた別の一匹へ打ち落とす。


「伍長ーっ!」


 声がして、彼の部下二人が駆けつける。


 助かったか?


 主政は息を吐きながら森の方へ目をやり、息を呑んだ。


 白み始めた空の下、未だ薄暗い森の影に、幾つもの獣の瞳が輝きを放っていた。




 オオオオオッ!


 目の前の敵を捕まえる事が出来ずに、焦れたように鬼が叫ぶ。

 叩き付けられる掌をひょいと躱し、朱鷺はその手首を斬り落とした。


 ウワアアアアッ!


 だがしかし、振り上げられた腕には、まるで何事も無かったかのように手が生えている。

 残念な事に、斬り離された方の手は確かに存在を残しており、負気を撒き始めた。

 そしてまた一歩、朱鷺と宗泰は後ろへ下がる。


 周囲では、ゆっくりと、しかし複数箇所で同時に、小鬼が湧き始めていた。


 一つの負気溜りから、数匹から十数匹湧くとして、この周辺だけで五百から一千くらいに成るだろうか?

 それを相手にする余裕は、今は無い。

 朱鷺は目の前の鬼だけに集中する。


 多少無理をしてでも、鬼の首を落としに掛かるべきか?

 いや、恐らく此奴(こいつ)らも、先の鬼と同じく、頭も生えてくる(たぐ)いだ。

 倒すには、供給されている負気を断つしか無い。


 鬼の背後からは太い綱の様な物が、巨大な液状の負気溜りに繋がっている。

 二、三度斬り飛ばしてみたものの、直ぐにウネウネと伸びて負気溜りに入り込んだ。

 この鬼たちは、少なくともそれが何であるか、どういう意味を持っているか、ちゃんと理解しているらしい。

 戦い方は馬鹿みたいに単調だが、負気に関しては、ちゃんと知っているようだった。


 そう思えば、先の鬼は属性変化を見せていた。

 目の前の鬼が、あれに劣るとは思えない。

 そもそも濃い負気に覆われて中身は見えないが、既に何らかの変化をしている可能性も有る。


 先の鬼の、鉄球になった右手と、鉈状になった左手を思い出す。


 先ほどから何度も手足を斬っている。

 普通に考えれば、斬られる事を前提とした変化をするはずだ。

 頑丈な岩や土、金属。若しくは水や炎、風や雷といった、切断攻撃が意味を成さない何かに。


 ウゥオオオオォッ!


 またしても鬼が吠えた。

 ただし、今度は一匹だけでは無い。

 真ん中の鬼が吠え上がるのに合わせて、両脇の二匹も声を上げ、両腕を高々と掲げる。


「下がって!」


 言われるまでも無く、宗泰も下がる。


 何故か、全身の属性変化の時には、雄叫びを上げる鬼が多い。

 恐らく此奴らもそうなのだろう。

 誠に遺憾ではあるが、ここからが本番のようだった。




「拙いな。急いだ方が良い」


 門内で隊長、衛士長と話をしていた下級役人が、鬼の雄叫びに反応して振り返った。

 それは、先ほどまで何度か聞こえていた叫びとは明らかに違う。

 彼は、この叫び声に覚えがあった。


「では、郷司様に……」

「許可を求めている暇は無い。避難を開始させる」


 隊長の言葉を最後まで聞かず、衛士長は手を挙げ部下を呼んだ。


「町人を郷司様の館と神社の境内へ、湯治客は旅館に避難させろ。時間はもう無い。避難出来る者から避難させて門を閉じられる状態で待機。後は自分たちの判断で皆を守れ。解ったな!」

「はっ!」


 衛士は応えて即座に踵を返す。

 自分たちの判断でと言われたのだ、そうするだろう。


「俺が門の正面に立つ。兵士は柵に沿って並べてくれ。丁種隠密の者は、少し離れて、取りこぼしを狩ってくれ」

「解りました」


 頷いた下級役人は、素早く仲間のところへ向かう。


 あれが、丁種隠密、か?


 隊長はその先に集まっている、統一感のまるで無い集団を見つめる。

 そこには馴染みの湯女の姿もあった。

 隊長の視線に気付いたのか、彼女が軽く会釈を送ってくる。

 何故だか苦笑しながら、片手を挙げてそれに応えた。


「隠している余裕が無くなったという事か」


 衛士長にだけ聞こえる声で囁く。


「丁種は情報提供者で、本来の皇儀隠密には含まれない。皆、何らかの縁があっただけの、普通の町人だよ」

「なに?」


 その言葉に、驚きを隠せなかった。


「普通の町人が、この場で戦うというのか!」

「余裕が無くなったというのは、そういう事だ。一人の命で一人を救えたなら引き分け、二人以上救えたなら勝ちだ。そう考えれば、まだ勝ち目はある」

「な……なにを、言っている」


 意味が解らない。


「命懸けで民を守る。唯一普通の町人と違う所があるとすれば、その覚悟だ」


 隊長が再び彼らに目を向けると、円陣を組み作戦を伝えている様子だった。

 確かに、どう見ても町人でしか無い、しかし、同時に、守る為に戦う者たちの姿にも見えた。


「おかしな物だな。彼らを守るのが、我々兵士だろう?」


 湯女の後ろ姿に目が引かれた。

 もし、生き残ったなら、直ぐにでも会いに行こうと胸に刻む。


「おしっ! 全隊注目! 今度こそ小鬼の相手だ! 町を守るぞ!」


 槍を掲げ、整列した兵士に向かって大声を上げる。

 自分自身を鼓舞するように。


 衛士長は宣言通り、門の前に立った。

 その向こうから、女が二人駆けてきて、そのまま門を跳び越える。

 尋常では無い脚力だが、最早、誰も気にしない。


「どうだ?」


 衛士長の問いに、山吹が簡潔に答える。


「推定特級鬼、三匹。他、小鬼が多数発生中。門前はもう負気溜りに成ったと判断して間違いありません」


 そう言って、隊長に視線を向ける。


「山津方面へ動いた兵士たちは?」

「町が見える位置で待機と言い渡した。……各自判断して、小鬼の相手をしてくれるだろう」


 でなければ、総崩れで山津まで逃げるか、だ。

 今となっては、他に仕様が無い。

 門前を何とかしない限り、彼らが町に戻る事は不可能だろう。


「山吹殿。丙丁の指揮を執ってくれ。俺と兵士が打ち漏らした小鬼を狩って貰う手筈になっている」


 衛士長は名前を呼んで語りかけた、最早隠さないという意思表示だ。


「私は前に立った方が……」


 疲れてはいるものの、山吹はこの中では一番強い。

 しかし、衛士長は皆まで言わせなかった。


「君は切り札だ。いいね、我々が防ぐ事が出来なかった鬼を、止める事が出来るのは君だけだ。そして、君の後ろには湯川の町がある」


 その意味に、山吹はゴクリと唾を飲み込む。

 切り札、と言うよりも、最後の砦だ。


「来たぞ」


 隊長が槍を構えながら言った。

 もう話をしている時では無い。

 小鬼が十数匹、柵に近付いてきていた。

 更にその向こう、まだぼうっとしているが、かなりの数の小鬼が姿を現している。


「全隊、槍構え!」


 隊長の声に従い、兵士たちが柵に沿って槍を構える。

 同時に、朱鷺と宗泰が戦っている辺りでは、爆炎が巻き上がった。

暫くの間、投稿が不定期になります。

申し訳ありません。

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